「お疲れさまでした、レンア様……どうされました?」
屋敷から出てきたレンアの従者は、隠そうともしない主の不機嫌そうな表情に首を傾げた。
「――何でもない。それよりもこの屋敷に火を放て」
「えっ? 屋敷にですか?」
「私に二度も言わせるな。この屋敷を燃やし、あの愚弟の存在を死体ごと抹消する」
「それは……しかし、閣下のご指示には――」
「父上には『屋敷を燃やすな』とは言われていない。むしろ死体を処理するように言われているのだ、屋敷ごと燃やしてしまっても構わんだろう」
レンアにそこまで言われても、従者は少しだけ逡巡した様子を見せた。しかしレンアが何も言わず鋭い眼差しを改めて向ければ、「かしこまりました」と屋敷の各地に火を放ち出す。
「さて――」
屋敷の壁を燃やし始める炎が消えそうにないことをたしかめると、レンアは傍の地面に両手を付けた。
「『守り、防ぎ、堅牢と為す。抗い、逆らい、金剛と化す。我が前に刃は砕け意志は挫ける。顕現し現出し、その秩序を永劫とせよ――六等級魔法:|聖結界(ヤルガ・クアルル)』
レンアが紡ぎ出した魔力を乗せた詠唱が、魔法へと変わり屋敷全体を包み込むように広がった。
「こ、これは六等級魔法ですか? さすがはレンア様……」
傍にいた従者が驚いたような声を挙げる。
それもそのはずだ。
魔法には一等級を最上位として十五等級までの難易度がある――が、それは便宜上のものだ。
現存する魔法使いで十等級以上の魔法を使える者は珍しい。況やレンアが行使した六等級魔法など、皇国はおろか大陸中でも使い手は希少なのである。
「ふん、父上やドロシーが使う魔法と違い完全ではないがな。本来であれば半永久的に効果のある結界だが、私が造り出したこの結界は半日ほどで消える。しかし半日もあれば、この屋敷は完全に燃え尽きるだろう。それまで誰も結界の外には出られん」
「なるほど……ですが何のために? 弟君は――標的はすでに処理したのでは?」
「――念には念を入れただけだ。気にするな」
探るような眼差しを向けてきた従者から顔を背け、レンアは燃え盛る屋敷からゆっくりと離れた。
「ふん、焼死と失血死。どちらにせよ存分に苦しめ我が愚弟……」
愉悦の表情で呟かれたレンアの言葉は、微かに漂う煙臭さに混じるようにして消えた。
★
「――はぁ、はぁ。ウェルナ、ごめん……ごめんな」
自分を庇ったことで死んでしまった娘の頬に、トゥールは残されていた右手で触れた。
「僕が弱かったから……何もできなかったから。親に見捨てられるような無能だったから――」
眠るように目を閉じるウェルナはとても美しく、死んでいるとは思えなかった。こんなところでこんな理不尽な死を迎えていい存在ではなかった。
それなのに死んでいる。死んでしまっている――トゥールにはそれが、何よりも許し難いことだった。
「僕は……死にたくないよ、死にたくない。お前の仇も討ちたい。あいつらを見返したい。だから――だからごめんな、ウェルナ。お前の身体を、使わせてもらうよ」
身体から失われる血の量はもはや限界に近い。
貧血により意識が何度も遠くへ行きかける度、理不尽な現実への怒りを支えに繋ぎ止めた。痛みでのた打ち回りたくなるのを堪え、残された右腕と左足を動かし無様に這いずりながら『人体生成』の陣を描き上げた。
無論、陣を描き上げるために使用した塗料は自分の血である。
「でき、た。これでどうだ?」
描き上げた陣の上にウェルナの身体を引っ張って乗せ、右掌を陣に押し当てる。
するとトゥールの身体から意識せずに魔力が陣へと流れ込み、ウェルナの身体がまばゆい光に包まれた。
ウェルナの身体を素材にして、新たな肉体が形成されるのだ。
(本来なら、成人男性二人分の遺体が必要だった……本当に、ウェルナの身体だけで成功するのか? ――ん?)
朦朧とする意識の中で成り行きを見守っていたトゥールは、何やら周囲が焦げ臭いことに気が付いた。
血が足りなくなったためにずっと目が霞んでいるように思っていたが、どうやら部屋の中に煙が流れ込んできているようだ。
(レンア姉様め、屋敷に火を放ったのか……さすがに容赦がない)
トゥールにあえて止めを刺さなかったとはいえ、やはり万が一にも取り逃がすことの無いように徹底しているのだろう。その辺りは実にレンアらしい。
とはいえ、だ。
どのみち出血量から鑑みて、トゥールに残された時間は少ない。屋敷全体に火の手が回ってトゥールが焼死するよりも出血死の方が早そうだ。幸いにも致死性の有害な煙は上の方から溜まるため、床を這いずるトゥールにはまだ猶予が残されている。
いよいよ悪寒が強くなり、身体中から力が抜けていく感覚が強くなってきた時、陣の上のウェルナの身体から光が消えた。
いや、そこにはすでにウェルナの身体ではなく、もっと小さな肉体が横たわっている。
だが漂う煙と滲む視界によって、トゥールにはその姿をはっきりと確認できない。
(生成、できたのか? いや、たとえできていなくても、この肉体に魂を転移するしかないんだ)
どのみち、その難易度から禁術指定にされていた魔法なのだ。成否など今さら考えても仕方ない。
それよりもわずかな躊躇すら今は惜しい。
トゥールは素早く覚悟を決めると、傍にある小柄な肉体へと手を伸ばした。
「はぁ、はぁ――さ、『定めを嗤い、掟を喰らい、此の肉を捨て其の肉を拾う。惑い、彷徨い、移ろう風を視よ。冠を奴隷に足枷を王に――三級魔法:|魂魄流転(エーギア・ロウド)』」
生成された肉体に触れ、力を振り絞って詠唱を行う。
「――う、くぅっ」
その瞬間、魔法を行使した際に訪れるいつもの頭痛が発生するが、皮肉なことに手足切断の痛みに紛れて普段ほどは強く感じない。
そして魔法の使用後は大抵気を失うのだが、その感覚も一瞬だった。
黒色に塗り潰されようとしていた景色が瞬時に色彩を取り戻し、トゥールの意識はすぐさま浮上する。
すぐ傍を見れば、俯せに倒れる左手と右足を欠損した赤髪の男がはっきりと見えた。それは間違いなく、先ほどまでトゥールの肉体だった物だ。
(成功……したのか)
自分の意思で掌を握ったり開いたりして動く事をたしかめ、煙が充満する部屋の中でゆっくりと立ち上がる。
(――立ち上がったのに視線が低いな。やっぱりかなり身体が小さくなってる)
通常よりも少ない素材で肉体を生成したのだ。それは覚悟していたことだ。
成功した以上は文句など言わないし、ウェルナの身体を使用しているため、文句などあるはずもない。
そして何より――。
(この身体、全然違う……)
自分の身体に流れる魔力が完全に理解できる。こんな感覚は初めてだ。
生まれた時から感じていた魔力の淀みが一切なく、今ならどんな魔法でも使えそうな全能感すら満ち溢れていた。
気付けば部屋のすぐ外には燃え盛る火が見えているが、もはや少しも脅威に感じられない。なんの確証がないにも拘わらず、トゥールは生きてこの屋敷を出ることができると確信した。
屋敷から出てきたレンアの従者は、隠そうともしない主の不機嫌そうな表情に首を傾げた。
「――何でもない。それよりもこの屋敷に火を放て」
「えっ? 屋敷にですか?」
「私に二度も言わせるな。この屋敷を燃やし、あの愚弟の存在を死体ごと抹消する」
「それは……しかし、閣下のご指示には――」
「父上には『屋敷を燃やすな』とは言われていない。むしろ死体を処理するように言われているのだ、屋敷ごと燃やしてしまっても構わんだろう」
レンアにそこまで言われても、従者は少しだけ逡巡した様子を見せた。しかしレンアが何も言わず鋭い眼差しを改めて向ければ、「かしこまりました」と屋敷の各地に火を放ち出す。
「さて――」
屋敷の壁を燃やし始める炎が消えそうにないことをたしかめると、レンアは傍の地面に両手を付けた。
「『守り、防ぎ、堅牢と為す。抗い、逆らい、金剛と化す。我が前に刃は砕け意志は挫ける。顕現し現出し、その秩序を永劫とせよ――六等級魔法:|聖結界(ヤルガ・クアルル)』
レンアが紡ぎ出した魔力を乗せた詠唱が、魔法へと変わり屋敷全体を包み込むように広がった。
「こ、これは六等級魔法ですか? さすがはレンア様……」
傍にいた従者が驚いたような声を挙げる。
それもそのはずだ。
魔法には一等級を最上位として十五等級までの難易度がある――が、それは便宜上のものだ。
現存する魔法使いで十等級以上の魔法を使える者は珍しい。況やレンアが行使した六等級魔法など、皇国はおろか大陸中でも使い手は希少なのである。
「ふん、父上やドロシーが使う魔法と違い完全ではないがな。本来であれば半永久的に効果のある結界だが、私が造り出したこの結界は半日ほどで消える。しかし半日もあれば、この屋敷は完全に燃え尽きるだろう。それまで誰も結界の外には出られん」
「なるほど……ですが何のために? 弟君は――標的はすでに処理したのでは?」
「――念には念を入れただけだ。気にするな」
探るような眼差しを向けてきた従者から顔を背け、レンアは燃え盛る屋敷からゆっくりと離れた。
「ふん、焼死と失血死。どちらにせよ存分に苦しめ我が愚弟……」
愉悦の表情で呟かれたレンアの言葉は、微かに漂う煙臭さに混じるようにして消えた。
★
「――はぁ、はぁ。ウェルナ、ごめん……ごめんな」
自分を庇ったことで死んでしまった娘の頬に、トゥールは残されていた右手で触れた。
「僕が弱かったから……何もできなかったから。親に見捨てられるような無能だったから――」
眠るように目を閉じるウェルナはとても美しく、死んでいるとは思えなかった。こんなところでこんな理不尽な死を迎えていい存在ではなかった。
それなのに死んでいる。死んでしまっている――トゥールにはそれが、何よりも許し難いことだった。
「僕は……死にたくないよ、死にたくない。お前の仇も討ちたい。あいつらを見返したい。だから――だからごめんな、ウェルナ。お前の身体を、使わせてもらうよ」
身体から失われる血の量はもはや限界に近い。
貧血により意識が何度も遠くへ行きかける度、理不尽な現実への怒りを支えに繋ぎ止めた。痛みでのた打ち回りたくなるのを堪え、残された右腕と左足を動かし無様に這いずりながら『人体生成』の陣を描き上げた。
無論、陣を描き上げるために使用した塗料は自分の血である。
「でき、た。これでどうだ?」
描き上げた陣の上にウェルナの身体を引っ張って乗せ、右掌を陣に押し当てる。
するとトゥールの身体から意識せずに魔力が陣へと流れ込み、ウェルナの身体がまばゆい光に包まれた。
ウェルナの身体を素材にして、新たな肉体が形成されるのだ。
(本来なら、成人男性二人分の遺体が必要だった……本当に、ウェルナの身体だけで成功するのか? ――ん?)
朦朧とする意識の中で成り行きを見守っていたトゥールは、何やら周囲が焦げ臭いことに気が付いた。
血が足りなくなったためにずっと目が霞んでいるように思っていたが、どうやら部屋の中に煙が流れ込んできているようだ。
(レンア姉様め、屋敷に火を放ったのか……さすがに容赦がない)
トゥールにあえて止めを刺さなかったとはいえ、やはり万が一にも取り逃がすことの無いように徹底しているのだろう。その辺りは実にレンアらしい。
とはいえ、だ。
どのみち出血量から鑑みて、トゥールに残された時間は少ない。屋敷全体に火の手が回ってトゥールが焼死するよりも出血死の方が早そうだ。幸いにも致死性の有害な煙は上の方から溜まるため、床を這いずるトゥールにはまだ猶予が残されている。
いよいよ悪寒が強くなり、身体中から力が抜けていく感覚が強くなってきた時、陣の上のウェルナの身体から光が消えた。
いや、そこにはすでにウェルナの身体ではなく、もっと小さな肉体が横たわっている。
だが漂う煙と滲む視界によって、トゥールにはその姿をはっきりと確認できない。
(生成、できたのか? いや、たとえできていなくても、この肉体に魂を転移するしかないんだ)
どのみち、その難易度から禁術指定にされていた魔法なのだ。成否など今さら考えても仕方ない。
それよりもわずかな躊躇すら今は惜しい。
トゥールは素早く覚悟を決めると、傍にある小柄な肉体へと手を伸ばした。
「はぁ、はぁ――さ、『定めを嗤い、掟を喰らい、此の肉を捨て其の肉を拾う。惑い、彷徨い、移ろう風を視よ。冠を奴隷に足枷を王に――三級魔法:|魂魄流転(エーギア・ロウド)』」
生成された肉体に触れ、力を振り絞って詠唱を行う。
「――う、くぅっ」
その瞬間、魔法を行使した際に訪れるいつもの頭痛が発生するが、皮肉なことに手足切断の痛みに紛れて普段ほどは強く感じない。
そして魔法の使用後は大抵気を失うのだが、その感覚も一瞬だった。
黒色に塗り潰されようとしていた景色が瞬時に色彩を取り戻し、トゥールの意識はすぐさま浮上する。
すぐ傍を見れば、俯せに倒れる左手と右足を欠損した赤髪の男がはっきりと見えた。それは間違いなく、先ほどまでトゥールの肉体だった物だ。
(成功……したのか)
自分の意思で掌を握ったり開いたりして動く事をたしかめ、煙が充満する部屋の中でゆっくりと立ち上がる。
(――立ち上がったのに視線が低いな。やっぱりかなり身体が小さくなってる)
通常よりも少ない素材で肉体を生成したのだ。それは覚悟していたことだ。
成功した以上は文句など言わないし、ウェルナの身体を使用しているため、文句などあるはずもない。
そして何より――。
(この身体、全然違う……)
自分の身体に流れる魔力が完全に理解できる。こんな感覚は初めてだ。
生まれた時から感じていた魔力の淀みが一切なく、今ならどんな魔法でも使えそうな全能感すら満ち溢れていた。
気付けば部屋のすぐ外には燃え盛る火が見えているが、もはや少しも脅威に感じられない。なんの確証がないにも拘わらず、トゥールは生きてこの屋敷を出ることができると確信した。