(ははっ! あるじゃないか、目の前にっ!)
トゥールはこれから自分が行おうとすることがどれだけ無謀で馬鹿げているかを理解しつつも、しかしそれが最善の選択であることを確信していた。
連続で身体強化を使用しすぎたのか、身体中のあちこちが軋み始めている。強化を解除したとき、一体どれだけの激痛が襲ってくるのか考えただけでも恐ろしいが、それも生き残らなければ体験できないことだ。
だからこそ、
(うん、生き残ろう。どんなことがあっても生き残って、マイカを助けてまたリンケード先生に特訓してもらって、キィキと色んなダンジョンに挑むんだ)
心に固く誓い、トゥールは距離を取ることをやめて王純魔と向き合った。
『グゥ?』
王純魔はトゥールのその行動に伺うような視線を送るも、すぐに臨戦態勢へと入る。
身を低くすると、太く大きな足で大地を蹴ってトゥールへと迫る。
その速度は、今までで一番のように思えた。
「悪いな、熊公」
これまでは迫られたら距離を取るようにしていたトゥールだが、今回は退かない。直前まで引き付け跳躍し、王純魔の頭を掴んで体を捻って背中へ飛び乗った。
『グァ? ガァァァっ!』
トゥールのその行動に、戸惑ったように威嚇の声を上げて身を捩る王純魔。背中に乗ったトゥールを振り落とそうとしているのだろう。
だが、もう遅い。
「お前の魔石、使わせてもらうぞ」
王純魔の身体にしがみつきながら、片手を額の魔石へと添える。そして、
「『葬れ――第三等級魔法:黒火葬送』っ!」
唱えたのは、この時代には喪われた古代魔法。
トゥールの身体からごっそりと魔力を持っていったその魔法は、王純魔の魔石を媒介に、彼自身の中で猛威を振るう。
『グァ、ギャァァァっ!』
暴れだした王純魔から飛び降り距離を取るトゥール。
どうやら魔法は問題なく使用できたようで、魔力が枯渇することもなければ気を失うこともない。
トゥールは王純魔の核となる魔石を魔放具として利用するなどという無謀な賭けに、見事勝ったのである。
王純魔はダンジョンの地面に身体を擦り付けるようにのた打ち回っている。身体の内側から、何でも燃やし溶かすとされる黒の火によって焼かれていくのだ。その苦痛は計り知れない。
『ウァ……ア』
やがて黒の火だるまとなった王純魔の動きは緩慢な物となり、ついには動かなくなった。
そして火が消えれば、そこにあったはずの王純魔の身体すらなくなっている。後に残ったのは液状化した地面と、王純魔の核であった緋色の魔石だけだった。
「――ふぅ。なんとかなったか……」
王純魔の核を拾い上げトゥールは深々と息を吐きだした。
まさか純魔との最初の戦闘が王純魔で、それも魔放具を持たないまま戦う羽目になるとは思ってもみなかった。だが、その状態で勝てたことは、トゥールのこれからにおいて、大きな自信となるはずだ。
「おーい、トゥールっ!」
すると草木の茂みから、見慣れた緑髪の少女が顔を出した。
何やらその顔は戸惑いの色に染まっている。
「……キィキ。危ないから待っていろといっただろう?」
「――すまなかった。まさかあんな化物がいるとは思わなかったんだ……」
「『あんな化物』か……見てたんだな?」
すでに王純魔は、灰も残らず消えている。にも拘らずそう言えるのは、王純魔とトゥールの戦闘を見ていたからに他ならない。
「ああ。すでに終盤だったが見せてもらった、が……トゥール、君は何者だ? 君は先ほど間違いなく魔法を使った。それも、今や使える者はいないとされる上級の魔法だ」
「そんなわけないだろう? 僕は魔法の使えない無彩色だぞ?」
一応惚けて見せたトゥールに、キィキは呆れた顔を浮かべる。
「君だって気づいていたはずだぞ。君はこのダンジョンに突入する前、髪の色が一気に赤く染まっていた。まるで君の気持ちの高ぶりに反応するように」
「…………」
むろんトゥールとて、戦闘中に視界の端に映る自分の髪が赤いことなど気付いていた。今だって、摘まんだ肩口の髪を見れば、その色が薄赤色になっていることは分かった。
「一緒に初級ダンジョンを踏破した時から疑問だった。君が見た目通りの単なる少女なら、あんな力任せの戦い方はできないんだ。そう、身体強化の魔法でも使わない限り」
「それは……」
「ダンジョンの転移陣を使用するときも、随分と魔法に詳しいようだった。あんな知識は剣士科はおろか、並の魔法科の生徒だって身につけていないんだ。さぁ、教えてくれ。君は何者で、なぜ無彩色だったり髪の色が変わったりするんだ? どうして魔法が使える?」
鋭く誰何してくるキィキに、トゥールは視線を地面に落として首を横に振った。
「――悪い。今は言えないんだ」
「トゥールっ!」
トゥールの答えに、キィキは糾弾するように名前を呼んでくる。
(――仕方ないだろう? どう説明しろっていうんだよ……)
自分の過去や、この学園に入学することとなった経緯など簡単には説明できない。仮に説明できたところで理解できるとは思えないし、理解されたところで、今度は口外される心配も出てくる。
今、そんな危険は冒せない。
「……後で必ず話すから、このことは誰にも言わないでくれないか? 頼む、この通りだ」
深々と頭を下げたトゥールに、キィキは一瞬呼吸を止め、それから深々と息を吐きだして見せた。
「――はぁ。随分と虫がいいお願いだが……分かった。その代わり、後で本当にキチンとわけを話してくれよ?」
「……ああ。ありがとう」
「それより、マイカや負傷者の治療が先だ。怪我人を一か所に集めよう」
「わかった」
キィキは一旦、この話を忘れることにしてくれたようだ。
それはトゥールのためというよりも、優先すべきは怪我人の治療であると判断したからかもしれない。
それから、身体強化をしたままだったトゥールが付近の怪我人を探して一か所に集め、キィキが重傷者から順に治癒魔法を行使していく。
全員気を失ってはいるが、これほどの惨事だったにも拘わらず、致命傷を負った者がいないのは幸いだった。
「ちっ。運のいい……」
キィキが治癒魔法を使いながら、そう毒づくのがかすかに聞こえた。
マイカのパーティーメンバーと思しき生徒たちだ。当然、キィキと因縁のある学生たちなのだろうが、それでもしっかりと治療する当たり、キィキの人の好さが滲み出ていた。
「お前たちっ! ここで何をしているっ!?」
トゥールたちが治療をしていると、鋭い声とともにリンケードが現れた。
険しい顔はこちらへ向けたままだが、その視線は四方八方周囲を伺っている。
「放送で東の門へ向かうように言っていたはずだ。すぐに向かえっ」
「先生。彼女は僕の知り合いで、そのパーティーメンバーが王純魔に襲われたようなので治療していました」
「なにっ?」
リンケードは、マイカを示しながら告げたトゥールの言葉に眉根を寄せる。
「本当に王純魔だったのか? 見たのか?」
「はい。熊のような姿をしていましたが、額に緋色の大きな魔石がありました」
「そうか。遭遇して命があって良かったな。それで? 今、王純魔はどこへ行った? まだダンジョン内にいるのか?」
「えっと……それが」
トゥールとキィキは互いに視線を合わせ、それからトゥールは懐に仕舞っていた魔石を取り出してみせた。
「これは――おい、お前、これ……」
リンケードはトゥールが取り出した物を吟味し、そして呆れたような顔でトゥールを見下ろした。
「倒したのか? 王純魔を」
「えっと……はい」
「――なんてこった」
頷いたトゥールに、リンケードが掌で顔を覆った。そして考え込むようにしばらくそうしていた後、鋭い眼差しを向けてくる。
「トゥール。あんたには二つの選択肢がある。一つはこの事実を公表し、学園の英雄になる」
「それは嫌です」
「はは、だろうな」
それではトゥールの力が露見し、魔法科へ転科させられるか魔法学校へ転入させられてしまう。
即座に拒否したトゥールに、その答えがわかっていたようにリンケードは笑った。
「なら、もう一つの選択肢だ。王純魔の乱入は誤報だったことにする。実際は単なる魔物で、それを発見した俺が退治したことにしよう。あんたらはたまたまここに居合わせただけの単なる生徒だ。それでどうだ?」
「なっ! それではトゥールの頑張りが――」
「はい、それでいいです」
リンケードの提案に抗議しようとしたキィキを遮り、トゥールは大きく頷いた。
「トゥール?」
「悪い、キィキ。僕は目立ちたくないんだ。魔法が使えることも知られたくないから、リンケード先生の案が望ましいんだ」
「……わかった。今は聞かないが、後で必ずわけを話してくれよ」
再びトゥールに釘を刺し、キィキが生徒たちの治療を再開する。
「……そうだ、先生。剣が折れちゃったんですけど」
「ん? なんだ?」
辻褄の合う説明を考えるようにぶつぶつ呟いていたリンケードに、トゥールは折れた剣の残骸を見せる。
「あー、これは派手にやったな。わかった。俺の方で新しい剣の調達をしとく」
「ありがとうございます。加えて一つ、お願いが」
「なんだ?」
「これを使ってもらえないでしょうか?」
トゥールは持っていた魔石をリンケードへと差し出した。
「……おまえ」
「王純魔の乱入が誤報だったのなら、この魔石は必要ないですよね? これで魔放剣を造れませんか?」
「はぁ、ちゃっかりしたやつだな。この魔石がどこから来たのか言い訳を考えるのも骨だが……わかった。掛け合ってみよう」
渋々といった風情ながら、リンケードはトゥールから魔石を受け取った。
そしてトゥールをジロリと睨み、鼻を鳴らした。
「まったく。これだけ担任教師を困らせるんだ。そのうち罰が当たるから覚悟しとけ」
「はは。まさか、そんな……」
そして正しくその言葉通り。
それから数時間後、寮の部屋で身体強化を解除したトゥールは、一人悶絶しながら滋養強壮薬を煽るのであった。