「うーん、これが三等級ダンジョン『深淵の森』かぁ……なんだか大したことないな」

 鬱蒼と生い茂る木々の隙間を進む中、前を歩く少年の呟きがマイカの耳に届いた。
 
「ほんと。思ったより魔物も少ないし、今のところ手古摺ったのはトロールくらいって感じ?」

 その少年の隣にいた少女が同意し、彼らに追従するように他の面々が首肯する。

 拍子抜けしたように、すっかり油断した風情でダンジョンを進むパーティー。
 彼らこそ、現在の学園で一番の有望株パーティーと称される『闇夜の篝火』である。出現する魔物たちの手応えのなさに、傲慢にも似た気持ちを抱くのも無理はない。

(……でも、気を抜かない方がいいと思うけどなぁ)

 踏破するまで何が起こるかわからないのがダンジョンだ。
 楽観視するパーティーメンバーの中にあって、マイカは周囲に気を配りながらこっそりと嘆息した。

 そしてそんな時だった。周囲の空気が微かに震えたのは――。

『ザ……ザザー……せい! ……ありっ! ……誘導……っ! ……ザザー――』

「あっ? なんだ、なんだ?」

 空気を震わせノイズ交じりの声が周囲に響き渡り、『闇夜の篝火』のメンバーは足を止める。
 屋外とはいえ外界とは切り離されたダンジョン内のためか、どんなに耳を澄ませても、声の内容を聞き取ることはかなわなかった。

「で? どうする、リーダー?」
「……引き返そう」

 逡巡する様子を見せたのは一瞬。
 静寂が戻ってから少女に問われた少年は、素早くパーティーメンバーへと向き直る。

「おそらく、今のは異常事態を告げる緊急放送だ。何が起きているかわからない以上、俺たち学生だけで行動するのは危険だ。すぐにダンジョンを出て教師陣と合流しよう」
「けど、リーダー。今から引き返すよりもここのボスを倒して転移陣に乗る方が早くないか?」
「いや、地図通りならここはちょうど中間地点だ。湧いてくる魔物たちを倒すのは苦もないが、さすがにこんな浮足立った状態でボスとは戦いたくないな」
「……了解」

 納得していない表情の者たちもいるが、『闇夜の篝火』はリーダーである少年が絶対的な権限を持っている。リーダーが『引き返す』と決めたのであれば、表立って異を唱える者はない。

 異常事態と見るや、これまでの道程を惜しむことなく入口に戻る判断をした『闇夜の篝火』。
 周囲からの期待や評価に増長気味ではあるものの、その即応性が彼らを有望株パーティーに押し上げている一端だろう。
 本来なら称えられて然るべきその判断は――だが、今回に限っては悪手以外の何物でもなかった。 

 ダンジョンを引き返し、『闇夜の篝火』が現れる入口付近まで戻ってきた時だった。

「ちょっ……ストップっ、ストップっ。リ、リーダー、『気配探知』になんかかかった……」

 リーダーである少年の横を歩いていた少女が、切羽詰まったような顔で立ち止まり告げる。
 彼女は精度の高い広域の『気配探知』の魔法を使用できるため、索敵役としてパーティーに多大なる貢献をしてきた。そんな彼女が今まで見せたこともないような焦燥感を露にしているのだ。ただ事ではない。

「どうした? トロールじゃないのか?」
「ち、違うってっ! もっと反応デカいし、ヤバいってっ! それにこれ――ダンジョンの外(・)からこっちに近づいてる……」
「なに?」
「ちょっ! これ、早いっ! みんな構えてっ! もう傍に――」
「――えっ?」

 マイカが少女の声を聞き取れたのはそこまでだった。
 一陣の風が吹いたと思った時には、目の前にいたはずの少女は遠くの地べたへと転がっていた。そして代わりとばかりに、黒々とした毛皮に覆われた巨体が、こちらを見下ろすように立っている。
 一見すればその姿は動物の熊だ。しかし、マイカが知っている熊とは大きさも毛の鋭利さもその身体から滲み出る禍々しさも何もかもが異なっている。そして何より、額で大きな紫の石が輝いているのだ。ただの熊であるはずがない。

「……魔石――気を付けろっ! こいつは純魔だっ!」

 誰よりも早く我に返ったリーダーの少年が、メンバーに注意を促しマイカの前に立った。

「マイカっ! 俺たちが時間を稼いでいるうちに逃げろっ!」
「えっ? で、でも――」
「逃げて教師を呼んできてくれっ! こいつは、俺たちだけで勝てる相手じゃないっ!」

 マイカを睨んでいた熊のような純魔は、大声を出して割って入ってきたリーダーの方へ視線を移した。
 
「『光り、轟き、脅威を(つんざ)け――第十三等級魔法:瞬雷(ゾル・ラムン)』っ!」
「『揺蕩い漂う形なき水よ、我に仇なす敵を討てっ――第十一等級魔法:|水球《デル・フロード)』っ!」

 その瞬間、純魔の両脇からメンバーが放った魔法が炸裂して土埃が舞い上がる。
 直撃したように見えるその光景にマイカが安堵したのも束の間、

「早く行けっ! この程度で倒せる相手じゃないっ!」
「は、はいっ!」

 切羽詰まったようなリーダーの怒鳴り声で、マイカは思わず飛び上がって返事をし、彼らに背を向けダンジョンの入口へと走り出す。

 後方から聞こえる詠唱と怒号、悲鳴や罵声を背にマイカは自身が持てる全ての力を用いて外に向かう。しかし――。

「きゃっ!?」

 横を掠めるように通り過ぎた物に驚き、足を止める。
 見れば吹き飛ばされたと思しきパーティーリーダーの少年が、血まみれで転がっていた。

 辛うじて息はあるようだが、どうやら意識を失っているようだ。

「そ、そんな……」

 振り返れば他のメンバーも同じような惨状だ。
 わずか数十秒で、学園でも名の知れた学パが壊滅――まるっきり悪夢のような光景が広がっていた。

『ガァァァっ!』

 純魔は呆然と立ち尽くすマイカに襲い掛かると、鋭い鉤爪が生えた大木のような腕を振り上げる。

「うっ、わ、『我が身を守れっ――第十三等級魔法:白壁(ガムダ・アルソン)』っ」

 辛うじて間に合った魔法の短縮詠唱は、マイカと純魔との間に半透明な白の壁を作り出した。
 そして白壁は、純魔の振り下ろした巨腕と激突――まるで薄い紙きれのように、ほとんど抵抗を感じさせずに切り裂かれてあっさりと消滅する。

「ぐうぅっ」

 わずかに軌道が逸れたため、殺傷力の高い鉤爪の直撃こそ避けられた。が、白壁を壊しても余りある威力の純魔の腕が、マイカに激しく直撃。彼女を軽々と吹き飛ばした。

「がっ、は……」

 吹き飛ばされ、勢いよく地面に投げ出されるも衝撃は残り、マイカの身体は地べたを何度か転がりようやく止まる。

 ただの一撃で完全に身動きが取れなくなったマイカの元へ、純魔がゆっくりとやってくる。痛みと恐怖で薄れゆく意識の中、傍まで接近した純魔が再び腕を振り上げたの見えた。

(……ダメ、死ぬ――)

 どうすることもできずに、ただ死を覚悟したマイカ――しかしその瞬間、視界の端に赤色の髪が躍る。

(……な、に? だれ? 綺麗なあかい、ろ)

 自分と純魔の間に立ちはだかった人物を確認する間もなく、マイカの意識は暗い闇へと沈んでいく。
 その間際、燃えるような赤色の髪だけは、マイカの眼に焼き付いて残った。





「おいっ! 待てよ、トゥールっ! 君は三等級ダンジョンの場所を知っているのか?」

 マイカへ危険が迫っている予感に駆け出してしばらく、追いかけてきたキィキが横に並びながら訪ねてくる。

「……えっと、どこ?」
「はぁ、やれやれ。君はマイカのこととなると別人のようだな……こっちだ」」

 思わず立ち止まったトゥールを、キィキは呆れた表情で止まることなく追い抜いた。
 そしてそのまま先導するように駆けて行く。

「悪いな。ただ、ダンジョンが見えたらキィキはすぐに東の門へ行ってくれ。危険だ」
「へっ、嫌だね」

 キィキを追いかけながら告げれば、彼女はこちらを振り向き舌を出して見せた。

「君にとってマイカがどれくらい大切かは知らないが、ボク様にとってもマイカは大事な親友なんだ。それに、ボク様の勘が告げているのさ。『一人でいるより、君にくっついていた方が安全だ――』とね?」
「……なんだそりゃ」

 キィキの主張に呆れて脱力するも、トゥールは諦めの溜息を吐いた。
 これ以上言葉を尽くしたところで、おそらく彼女を翻意させるのは不可能だろう――そう確信が持てたからだ。

「もう、わかったよ。その代わり、絶対に僕の傍を離れないでくれよ?」

 覚悟を決め、前を走るキィキが気付かないように『身骨靭化』の魔法で身体を強化する。
 これで王純魔と突然出くわしても、少しは時間が稼げるはずだ。が、身体能力を上げたことで、キィキの走りが遅いことにもどかしさを覚えた。

「……キィキ、ちょっとごめん」
「――えっ? うひゃっ?」 

 我慢できずキィキに追いつくと、彼女の身体をヒョイと抱き上げた。俗に「お姫様抱っこ」と呼ばれる抱き方だ。

「うわわっ!? な、なにをするんだ、君はっ! おろ、おろろ、おお、お、おろせっ!」
「うるさいよ、おろおろするな。時間がないんだ。悪いけどこのまま道案内を頼む」
「何を――うわっ!?」

 抗議し、腕の中で暴れていたキィキだったが、トゥールが走る速度を一気に上げると驚いたようにしがみついてくる。
 そんな彼女の様子に苦笑し、しかしキィキがこちらに密着したことにより、少女特有の香りが鼻腔をくすぐり頭が一気に熱くなった。
 今さらながら腕の中にいるのが異性(・・)であることを意識させられ、しかしそんな場合ではないと自分自身を叱咤する。

「き、キィキっ。そんなに強くしがみつかないでくれっ」
「し、しかしっ! あ、いや、悪い。苦しかったな?」

 トゥールが裏返った声でキィキに注意すると、彼女は躊躇いながらも恐る恐ると身を離してくれた。
 意外にも張りと弾力のある大きめな胸と、甘酸っぱい香りが身体から遠ざかったことに安堵――そして少しの未練――を抱き、トゥールはその気持ちを振り払うように速度をさらに上げた。

「だ、だから速いってっ!」

 キィキが耳元で抗議の悲鳴を上げるが、しかしトゥールに頓着している時間はない。
 
「それで? このまま真っすぐに行けばいいのか?」
「あっ、そこの大きな建物の前で右に曲がって、すぐに左に行った方が近いっ!」
「わかった!」

 それからしばらく悲鳴交じりのキィキの誘導に従い走っていれば、目の前に大きな森林が現れた。
 入口と思しきところに立派な門が聳えており、そこから森林を囲むようにして巨大な塀が巡らされている。

「あれが三等級ダンジョンか? なんだ、ちゃんと外部と遮断する門と壁があるじゃないか」

 
 ダンジョン前に辿り着いたトゥールは、ここまで案内をしてくれたキィキをゆっくりと地面に降ろしつつ安堵する。
『屋外』と聞いていたので不安だったが、これならダンジョンへ外敵が侵入するのは難しいだろう。

「いや。この門と壁は後付けで、学園側が設置したものなんだ。初級ダンジョンや他のダンジョンの壁のような不自然な頑強さはない。ほら、見てみろよ」
「えっ? あ、門が……」

 キィキの指を差す方向を見れば、ダンジョン前の門扉が無残にも破壊されている。鉄製の門扉をまるで引き剝がしたかのようなその惨状は、人間業には思えなかった。

「やはり、『A級来訪者』ってのはこの三等級ダンジョンに――ってトゥール?」
「キィキはここにいろっ! ボクはマイカを探してくるっ!」

 驚くキィキを背後に残し、トゥールは力強く地を蹴ってダンジョンへと突入する。