キィキとともに初級ダンジョンを踏破した翌日。
 少し身体の倦怠感が残るものの、トゥールは早くから起き出し食堂へと向かう。
 その際、隣のベッドでマイカが布団から腹を出して寝ていたので、ため息を吐きつつ直してやった。
 せめて女性としての恥じらいを覚えて欲しいが、女子寮では難しいのかもしれない。

「おはようございます」
「今日も早いね。はい、おはよう」

 食堂にいた職員に声を掛け、トゥールは用意されていた料理を自分でトレーに載せて運ぶ。食堂の方式にも、昨日だけで随分と慣れたものだ。
 やはり朝早いということもあり、食堂の中は数人しか生徒の姿は見えず静かだった。
 落ち着いた雰囲気の中で食事を摂っていると、何かと便宜を図ってくれた昨日の女性が、トゥールの傍へとやって来る。

「それで? 昨日作っていた薬は調合できたのかい? 魔法薬の予習だったんだろう?」
「ええと、できたにはできたんですけど……は、はは」

 女性に問われ、トゥールは試しに呑んだ昨日の滋養強壮薬の味を思い出して苦笑いを浮かべる。
 ほんの少しあの味を想像しただけで、今食べている朝食が不味くなりそうだ。

「ふーん? その反応は上手くいかなかったみたいだね。まぁいいさ。また、調合がしたくなったら言いな。古い厨房なら使ってもいいから」
「本当にいいんですか? ありがとうございますっ!」

 できればもう少し改良して飲みやすい滋養強壮薬を作りたいと考えていたので、女性の言葉は渡りに船だった。どうやら昨日の言葉は単なる社交辞令でもなかったようだ。

 それから女性と少しだけ話をして、食事を終えたトゥールは昨日と同じように屋外鍛錬場へと向かった。
 念のため、昨日作ったとても不味い滋養強壮薬を少量だけ懐に忍ばせたのは余談だ。できれば使う機会など無いに越したことはないが、何があるか分からない。持って行くだけはしておくことにしたのだ。

「よし、今日もちゃんと来たな」

 鍛錬場へ着くと、昨日と同じように待っていたリンケードが出迎えてくれた。彼はトゥールをじっくりと見た後、小さな笑みを浮かべて目を細めた。

「ははっ。随分と疲労が残っているようだな。辛いか?」
「いえ、そこまでは……分かるんですか?」

 未だに倦怠感があるのはたしかだが、それでもあからさまに辛そうにはしていない。だというのに、リンケードは全てをお見通しと言わんばかりに頷いた。

「わかるさ。昨日より心なしか重心が傾いている。あと力の入り方が甘いしそのわりには筋肉が不自然に強張っている……疲れが残っている証拠だ」
「な、なるほど」

 自分ではまったく自覚していないが、そこまではっきりと言われたならそうなのだろう。トゥールは納得して頷いておいた。

「だが、ここまで疲れが残っているのは問題だな……昨日、俺が言いつけた素振りの後、何か自主訓練をしたか? 走ったり剣を振ったり」
「いえ……あ、特訓じゃないんですけど、昨日は午後から知り合った生徒と初級ダンジョンを踏破していました」
「そうか――はぁ?」

 トゥールの言葉に、リンケードは驚いたように眼を剥いた。
 どうやらトゥールの身体の不調を見抜いた彼でさえ、それは想定外だったらしい。

「あんた、昨日の今日でもう初級ダンジョンに挑んだのか? 誰と行ったんだ? 何人で行った?」
「ええと、キィキという名前の魔法科二年の生徒と二人で行きました」
「二人で……とはいえ魔法科の二年生か。なら不思議でもないな。魔法科の二年生ならとっくに初級ダンジョン程度は踏破しているだろうし、頼りになっただろう?」

 トゥールから説明を受け、動揺を落ち着かせたように訳知り顔で頷くリンケード。
 そんな彼にその二年生も踏破するのは初めてで、なおかつトゥールに頼りっぱなしだったと言ったらどうなるのだろうか?
 もちろん、キィキの名誉のためにそこまで言うつもりはないが。

「しかしEクラスの生徒が、入学二日目でダンジョンを踏破か。初級とはいえ学園始まって以来かもな」
「……不味いですか? やっぱり目立ちますかね?」

 あまり目立ちすぎると魔力があるのが露見し、調べられるかもしれない。そうすると保有する魔力の量が異常であることまで知られ、魔法学園へ追放(・・)される可能性もある。
 トゥールとしてはそれは避けたかった。

「……まぁ、問題ないだろう。ほとんどの者が、あんたが踏破できたのは同行した二年生のおかげだと思うはずだ。実際にそうなんだろう? なにせあんたお得意の魔法も、俺が魔放具を預かっていたせいで使えなかっただろうし」
「えっ? あ、はぁ……」

 おそらくキィキは、さも自分の力で踏破したと喧伝しているはずだ。なのでそういうことにしておいても問題ないだろう。
 トゥールは消極的ながら頷いておいた。

「なぜそこまで疲労が残っているのかは把握した。あの特訓の後にダンジョンに入ればそうなっても無理はない。それでも特訓は厳しくいくぞ。まずは――」
「あ、ちょっと待ってください」

 リンケードはさっそく特訓を開始しようとするが、トゥールはその前に待ったをかけた。どうしても確認しておきたいことがあったのだ。
 特訓の後だと疲れ果てて忘れてしまいそうだったので、このタイミングで聞いておくことにした。

「なんだ?」
「昨日ダンジョンに入って考えたのですが、指輪を返しておいてくれませんか? やっぱり何か起こった時、対処できる術が欲しいんです」

 昨日は初級ダンジョンで、出現したのがコボルトなどの弱い魔物だったからまだ良かった。身体強化だけで十分に乗り切れた。
 しかし、何らかの理由で高位のダンジョンに入った時、おそらく――いや、間違いなくそれだけでは足りない。トゥールも高位の魔法を使う必要に駆られるはずだ。

 だからこその要望だったのだが、リンケードは首を横に振った。

「駄目だ。あんたが本気で魔剣士を目指すのなら、もうこの指輪には頼るべきじゃない。この指輪は、魔法使い向けの物であって魔剣士用でもないしな」
「そんな。だって魔剣士だって魔法を使うじゃないですか? 僕はどうやって魔法を使えばいいんですか?」
「だから早く、あんたは魔放剣を手に入れる必要があるんだよ」

 抗議したトゥールへ、まるで駄々っ子を宥めるような声音で諭すリンケード。そして彼は、自分の剣を抜き放った。

「魔剣士たるもの、魔法を使うなら魔放剣を補助にすべきだろ。だからこその魔剣士だ。指輪や杖で魔法を使う魔剣士なんて、それはただの剣を持っただけの魔法使いに過ぎない」
「――『剣を持っただけの魔法使い』?」
「そうだ。現在、学園に余っている魔放剣はない。だから手に入れるには供給されたり払い下げられたりするのを待つしかないな。あるいは……自作するか」
「自作できるんですかっ?」
「あ、ああ……」

 勢い込んで尋ねたトゥールに、リンケードは身を引きながら頷いた。

「ここは冒険者学園だからな、様々な学科がある。中には鍛冶科もあって剣を造れる生徒や教師もいる。そいつらに頼めばいい」
「さっそく頼んできますっ!」
「待て」

 すぐさま駆け出せる準備をしたトゥールを呆れたように見やり、リンケードは首を横に振る。

「今は駄目だ。剣の素材は有っても、魔放剣を造るのに欠かせない魔石がない」
「魔石ですか? 魔石なんて、魔具を扱う店に安価で売っているんじゃないですか?」
「それは加工された小さくて用途が決まっている魔石だ。魔放剣に使用するのは原石。魔力を帯びた鉱山で採掘できる物か、あるいは純魔の核となる物しか使用できない」
「……つまり?」

 嫌な予感を覚えながら結論を求めれば、リンケードが大きく頷いた。

「どのみちあんたが魔放剣を手にするのは、現時点ではできないということだ」
「そ、そんな……」
「他に質問は? なければとっとと特訓を始めるぞ」

 がっくりと肩を落とすトゥールなんてお構いなしに、今日もリンケードによる授業が始まろうとしていた。