「いいか? よく見ておけトゥール」

 熱気溢れる闘技場の観客席。
 その中でも取り分け良い席に座っていた幼いトゥールは、隣にいる父の言葉に闘士たちを改めて見る。
 闘技場の中央にある石畳の舞台に立つのは、二人の屈強な剣闘士だった。
 一人は黒い髪をした大男だ。長剣を手にしている。
 もう一人は青色の髪をした小柄な男。手には身の丈に迫る大きな剣を持っていた。

「奴らは闘う者の中で最も脆弱な存在――剣士と呼ばれる生き物だ」
「『剣士』……」

 父の言葉とは裏腹に、目の前で剣を打ち合わせ火花を散らせる二人の闘士に、トゥールはただただ圧倒された。
 怖れにも似た感情を抱く、すごい迫力だ。

「所詮、奴らは武器を持って戦うことしかできん。魔法の才がある我らとは比べようもない弱者なのだ」

 闘士たちにトゥールが怯んでいることなど気付かない様子で、父はその戦いを冷めた目で見ていた。
 まるで小さな虫同士が争っているのを眺めるかのような眼差しだ。そこには何の感慨も見いだせない。

「……父上、黒髪は魔力を持たないと聞きます。本当ですか?」

 彼らに圧倒されたことを知られれば、その冷徹な眼差しがトゥールに向きかねない。それが怖くてトゥールは平静を装って問いかけた。

「黒髪……他にも白や灰色などあるが、無彩色の髪を持つ人間は魔力を持たないとされている。庶民や平民に多く見られる髪色だが、奴らは生まれながらにして才すらも劣っているということだ」

 父はそこでトゥールへと視線を移し、その頭に軽く掌を乗せた。その際に身を竦めてしまったが、どうやら気付かれなかったようだ。

「貴様の髪は私と同じ希少な赤色――つまり極彩色の一つだ。今は上手く魔法を使えんようだが、(じき)に私の様に優れた魔法使いとなることだろう。赤髪はブラバース家の正統後継者たる証でもある。まさか一生このままということはありえんだろうからな」
「も、もちろんですっ! すぐに父上の様な立派な魔法使いになって見せますっ!」
「ふん、その意気だ。それでこそ皇国を背負って立つに相応しい」

 静かに自身の頭から退かされた掌に安堵しながら、トゥールは黒髪の剣士の相手役へ視線を移した。
 青い髪をした小柄な男。
 しかし身の丈ほどはありそうな大剣を軽々と振り回し、自分よりも遥かに体格の優れた黒髪の剣士と渡り合っている。
 それは闘技場に初めて訪れたとはいえ、異様な光景に思えた。

「……父上、なぜ青髪の男はあれほどの大剣を自在に振り回せるのですか? 見たところ極彩色の髪を持つようですが」

 好奇心に負けて問いかければ、父は不愉快そうに眉根を寄せる。

「あの青髪は魔法で肉体を強化しておる。お前の見立て通り魔法を使う剣士――『魔剣士』と呼ばれる輩だ」
「魔法を使う『魔剣士』……」
「剣士以上に下らん唾棄すべき存在だ。魔法の才がありながら剣に逃げ、その力を持て余す。あるいは魔法を単なる剣の補助としか捉えておらん。全く以って嘆かわしい」

 らしくもなく少し感情的な声を出した父に怯えるトゥールを見下ろし、釘を刺すように低い声を出した。

「いいか、トゥール。貴様は栄えあるブラバースの人間として誇りを持って生きろ。あんな物は生涯握るな。剣など魔の才を持たないか、魔法だけでは大成できない弱者の道具だ。分かったな?」
「……はいっ! 肝に銘じますっ」

 少しだけ剣に興味が惹かれたのはたしかだが、父に認められたい気持ちの方が何倍も強かった。
 だからトゥールは父の言葉に大きく頷き、父もその返事に唇の端を少しだけ上げる。

――トゥールが父に見限られたのは、それから三年後のことであった。




「……懐かしい夢を見たな。たしか僕が七歳くらいの頃か」

 屋敷にある魔法関連の書物をすべて読み終えた翌日。
 トゥールは若干の苦笑を浮かべながらベッドから身を起こした。

(あの時はまだ、父上も僕に期待を抱いていてくれた。だからこそ、闘技場の見学へと連れて行ってくれたんだ――)

 もう十年以上昔の話だ。細部の記憶は色褪せ失われてしまっているが、その闘技場で行われた剣士同士の試合は今でも鮮明に思い出せた。
 彼らの身の熟しや握られた剣の放つ銀色の輝き。
 そして観客たちを興奮させる熱い戦い。
 それらはすべて幼いトゥールの心に強く、強く――焼き付いていた。
 今まで忘れていたのが不思議なくらいだが、剣士や魔剣士たちを快く思っていない様子の父に気を遣って記憶の奥底に封じ込めていたのだろう。
 それが夢に見たことで不意に表層まで浮かび上がってきたのだ。
 まるで、何かを暗示するかのように――。

「……単なる偶然だろう。父上に認められなければならない僕に、剣なんて必要ない」

 忘れていた憧憬が頭を擡げたが、トゥールは首を横に振って追い払う。
 意志を強く保つため、幼少の頃からずっと身に着けている、両手の人差し指に嵌めた指輪を軽く擦った。
 そして改めて大きく伸びをし自身に起床を促すと、部屋から出てウェルナのいるであろう食堂へと向かう。

「あ、坊ちゃま。お嬢様の使い魔がお手紙を運んできましたよ」

 すると食堂へ続く通路の先から、ウェルナが白い封筒を手にして向かって来た。

「ドリーからの手紙か。なんだろう?」

 差出人はウェルナが『お嬢様』と呼んだ、ドロシー・ブラバースとなっている。ドロシーはトゥールの妹であり冒険者をしている十七歳だ。ブラバース家で唯一トゥールを家族として接し、兄と慕ってくれている。
 
「分かりませんけど、あの小鳥ちゃんの様子から見て急ぎの用事かもしれませんよ? 随分慌ててましたから」
「エリィゼが? 珍しいな」

 ドロシーはブラバース家の人間らしく魔法使いだ。そして使い魔を使役している。それが先ほどウェルナが『小鳥ちゃん』と呼んだエリィゼだ。
 エリィゼは比較的高位の使い魔であるため、小鳥の姿に似合わず泰然としている。そんな彼女(・・)が慌てているとなればよほどのことだ。

「それでエリィゼはどこに?」
「帰っちゃいましたよ。いつもは食べて行くおやつにも見向きもしませんでした」
「えっ? そうか、帰ってしまったのか……」

 エリィゼにドロシーへの頼み事を書いた紙を届けてもらいたかったのだが、どうやらすでにいないらしい。
 ドロシーへ『人体生成』に必要な素材を頼むのは、またの機会となった。

 だがエリィゼが好物を食べずに戻るほど慌てているとなれば、俄然届けられた手紙の中身が気になる。

「悪いウェルナ。本当に急ぎの用事かもしれないし、朝食の前にこれを読んでくるよ」
「もうっ……早めに食堂に来てくださいよ」
「ああ、わかってるって」

 トゥールの言葉に少しだけ頬を膨らませ、それから仕方なさそうにウェルナは肩を竦めた。
 そんな彼女に微笑を浮かべて頷き、トゥールは再び自室へと戻る。

「うん? ご丁寧に『封』までしてあるな」

 部屋に戻ったトゥールは、封筒を開けようとして眉根を寄せる。手紙には魔術的な『封』が施されており、決められた言葉を唱えなければ開かなくなっているのだ。
 無理に開けようとすれば封筒は燃え上がり、中の手紙を一瞬で灰にしてしまう。そのため極秘事項が記された書類に使用される魔術で、高位の魔法使いでも施すのに手間がかかるとされている。
 
 これほどの仕掛けをドロシーがしているとなると、手紙に書かれた内容は考えていた以上に重要なものかもしれない

 部屋の中にあった椅子に腰かけ、
「さて……『ドリーは僕の天使だよ』……相変わらず嫌な合言葉だ」

 ドロシーが施した『封』を解除するための言葉を呟き、トゥールは誰も見ていないのに弁明するように苦笑を浮かべた。
 ドロシーが一方的に決めた文言だが、どうやら彼女は気に入っているらしい。もちろんバレないのが前提ではあるが、合言葉が他者に知られたら恥ずかしくて死んでしまう。トゥールとしてはできれば早急に変えて貰いたかった。
 
『封』はトゥールの言葉にあっさりと解除され、自動的に折られていた部分が開く。そこから手紙を取り出して、少し緊張しながら目を通した。

 そして、
『すぐにお逃げください、お兄様――』
「えっ?」

 親愛なる妹からの手紙は、そんな一文から始まっていた。