比較的ポピュラーな魔物であるコボルトではあるが、トゥールがその姿を見るの初めてだった。
 戦闘力はさほどなく、十から三十体ほどの群れで巣をつくり、身を寄せ合って暮らしている。
 巣から離れる際は大抵三体一組で、小動物や大きめの虫を食料としていると聞いたことがあった。

(コボルトか。たしか弱いわりには好戦的らしいな? 実際、あいつらよりも大きなキィキの姿を見て退く様子もない)

 こちらと対峙し武器である石斧を構えるコボルトたち。
 奇襲は失敗したはずだが、その様子を見れば戦意はみなぎっているようだ。

「おい、キィキ。僕が先陣を切って奴らの気を惹く。キィキはその間に詠唱して魔法で僕を援護してくれないか?」
「……えっ? ぼ、ボク様が魔法で援護?」

 横目で提案したトゥールに対し、キィキが面食らったように顔を勢いよく向けてくる。不服なのだろうか?

「嫌なのか? それとも他に案があるのか?」
「あ……いや。わ、わかった。けど……大丈夫なのか? 相手はコボルトとはいえ魔物だぞ? 魔物との戦闘経験は?」
「ない」
「そうか……って、ええっ? おまえ、それっ――!」

 あっさりと言い放ったトゥールに、いよいよキィキは驚いたように大声を上げる。
 そしてその声に反応したかのように、こちらの様子を窺っていたコボルトたちが一斉に殺到してきた。
 どうやら戦いが始まってしまったようだ。

「それじゃあキィキ、頼んだぞっ!」

 トゥールも剣を振り上げ、コボルトたちを迎え撃つように走り出し――一瞬で彼らと接敵した。
 身体強化によって強化された足の速さは、トゥールが思う以上のものだったのである。

「おおっ?」
『――グゥ?』
 
 突然目の前に現れたようなトゥールに、コボルトが驚いて身を仰け反らせる。
 トゥールも自分の素早さに驚いたが、しかし強化された眼でしっかりと周囲の状況は把握できていた。

 握っていた剣を、間合いにいるコボルトへと力強く振り下ろす。

『ガ、ァ……』

 硬い頭骨からあまり抵抗なく斬り裂くと、コボルトの鮮血がトゥールを目掛けて吹き出してくる。

「うおっ?」

 その血を何気なく回避して、自分のしたことに瞬きをする。

 本来であれば、吹き出した血は避ける間もなく一瞬でトゥールへと到達していたはずだ。
 だがトゥールの強化された眼はその時間を引き延ばし、俊敏に動ける身体は脇に避けてやり過ごす時間まで作ってくれた。
 改めて、身体強化の有用性について理解する。

『グゥゥッ』
『ガルゥァっ』

 あっさりと一体倒してしまったためか、残る二体のコボルトの注意もトゥールへと向いた。
 今ならキィキが魔法を行使する絶好の機会だろう。

 そう思い、一瞬だけキィキへと視線を向けたが、なぜか彼女は杖も構えず呆然と突っ立っていた。

「おい、キィキっ! 魔法をっ!」
「え、あ……う、うん」

 トゥールが鋭く声を掛けると、キィキは我に返ったように緩慢な動きで杖を構える。そして一体のコボルトへ向けて詠唱を開始した。

「た、『揺蕩い漂う形なき水よ、我に仇なす敵を討て――第十一等級魔法:|水球《デル・フロード)』っ!」

 キィキの震える声で紡がれた言葉は、それでもしっかりと彼女の杖の先端に魔法を生み出した。
 杖から放たれた水の塊が、トゥールへと注意を向けていたコボルトの顔に見事に命中。そのコボルトを吹き飛ばした。

「や……やったっ!」
「まだだっ!」

 魔法が当たったのがそんなにも嬉しかったのか、キィキが両手を挙げて喜ぶ。しかし、戦闘中にそんなことをすれば隙と見做されるのは当然だ。
 もう一体のコボルトが、魔法を使ったキィキへと標的を変えて突っ込んでいく。

「う、あっ……」

 キィキも気付いて慌てて杖を構えるが、しかし詠唱の言葉が出てこない。迫るコボルトに身を竦ませて、杖の先端がブルブルと震えている。

「キィキ……」

 あれ(・・)だけ見事な魔法を放っておいて、なぜそんな醜態を晒しているのかがトゥールには理解はできない。だが、このまま放っておいたらキィキは怪我をするだろう。

『ガルゥアッ!』

 いよいよコボルトはキィキへと到達し、恐怖心からへたり込む彼女へと石斧を振り被る。

「ひ、ひぃっ!」

 そんな二人の間に追い着いたトゥールが、ぎりぎりで身体を滑り込ませた。

「大丈夫だっ!」

 トゥールは背後のキィキ――ではなく、さらにその背後から援護をしそうな気配のあるマイカへ牽制を入れ、コボルトの石斧を斬り飛ばす。
 そして返す剣でコボルトの首を斬り裂いた。

『グァ……』
 
 コボルトは忌々しそうにトゥールを睨むと、膝から崩れ落ちて躯となった。切断には至らなくとも致命傷は与えていたようである。

「おい。しっかりしろ、キィキ」
「……う、あ、うん――」

 未だにへたり込んでいるキィキの腕を掴んで、トゥールは事も無げに引っ張り上げる。強化されているからこそできるわけで、生身の身体でしようとすれば肩が外れるのは間違いないだろう。

(けれど初めての戦闘が、魔物でも弱いと知られるコボルトで良かったな。レンア姉さまと戦っているとはいえ、あれは一方的に(なぶ)られただけだし……)

 だがあの経験があったからこそ、初めての戦闘でもそこまで恐怖心を感じずにすんだのは間違いない。
 レンアに殺されかけた身としては、コボルトなど脅威に思えるはずもなかった。

「……トゥールはすごいな」

 コボルトの亡骸を見ながら考えていたトゥールは、ポツリと呟いたキィキへと視線を向ける。

「どうしたんだ?」
「いや、ボク様は――ボク様は本当に不甲斐ない駄目人間だと反省していたんだ。魔法も満足に使えず、幼い年下のおまえに甘えっぱなしで……自分一人じゃコボルトにすら勝てない。ボク様は駄目人間のゴミ以下のクズ人間だ……」
「いやっ! 本当にど、どうしたんだ、急に?」

 戦闘が始まる前までの傲岸不遜な態度は消え去り、そこには項垂れる弱気な少女がいた。
 哀愁すら漂わせるその姿は、先ほどまでの彼女と同一人物とは思えない。

「しっかりしろよ。出会った時の元気はどうしたんだ? さっきの『水球』だって見事だったし、詠唱も短くスムーズだった。もっと自信を持て」

 まさかキィキに『自信を持て』なんて言葉を使う羽目になるとは。それもこんなに早く――出会った時には思いもしなかったことだ。

「軽々しく言わないでくれよっ! ボク様だって、『自信』を持てるなら持ちたいさっ! だからこそこうして、馬鹿みたいに自分のことを『ボク様』と言ったり、不相応にも偉ぶって見せたりしてるんじゃないかっ!」
「……それ、無理やり作ったキャラなのか」

 なんだか知りたくなかったことを知ってしまった。
 そして間違いなく、彼女のその努力は方向性を間違えている。

「けど、無駄だった……どれだけ虚勢を張っても頑張っても、魔物を前にすると足がすくんで頭の中が真っ白になるんだ」

 まるで懺悔するかのように絞り出されたキィキのその言葉に、トゥールはハッとして目を見開いた。

「おい、それって――」
「もう、ここまで白状したんだ。()にははっきり言うよ。()は……私は『魔物恐怖症』なんだ――」