(待てよ……そもそも『身体強化』以外の魔法の使用も禁止されていたような……)

 迂闊にも今になってリンケードと交わした会話を思い出し、トゥールは顔面蒼白となる。
 元々記憶力は良いと自負していたのだが、その後の激しい特訓によってすっかり失念していた。今日の午前中の出来事にも拘らず、なんだか遠い昔のような気分だ。

「……うん? どうしたんだ? 早く行くぞ」
「えっ? あ……わ、わかった」

 入口で冷汗をかき立ち止まっていたトゥールは、不思議そうな顔のキィキに促されて歩みを再開させる。
 しかしわざとゆっくり足を動かし、さりげなく少しだけキィキと距離を取った。

「とりあえず……『――第六等級魔法:身骨靱化』」
 
 そして小声で身体強化の魔法を発動させる。これで魔物が出たとしても、ある程度は対抗できるはずだ。

 いざとなればリンケードの言い付けを破ることも厭わないつもりだが、それにしたって魔放具である指輪がないのは痛い。放出する類いの魔法はおそらく十全に発揮できないだだろう。

 幼い頃、父によって魔物と人が戦っているのは何度も見たし、その空気感は知っている。だが、実際に自分自身が戦うのは初めてだ。
 果たしてトゥールの身体強化と、昨日初めて握った付け焼き刃の剣で戦えるのだろうか。

「おいっ! どうしたんだよ、さっきから……怖いんなら置いていくぞ」
「……いや、悪い。もう大丈夫だよ」

 少し歩みを遅くし過ぎたトゥールは、再びキィキに急かされ彼女の横に並ぶ。
 身体強化は使用したところで身体が光るわけでも雰囲気が変わるわけでもない。他者の魔力は基本的に視えず感じることもできないため、キィキが身体強化を使用したトゥールに気付いた様子はなかった。

 逆に、トゥールはキィキの様子に異変を感じて首を傾げる。
 震えているのだ、キィキが。

「なぁ、キィキ」
「なんだっ?」

 呼び掛けに、こちらへ視線を向けることなく周囲を警戒しながら応えるキィキ。その様子からは怯えを抱きながらも、必死で現状に立ち向かおうとする気概を感じる。

(うーん、触れない方が良いか……)

 その姿にトゥールは彼女が震えていることを指摘するのはやめ、別のことを聞くことにした。

「このダンジョン、洞窟にしては明るいな。なんでだろう?」
「……はぁ? おまえ、そんなことも知らないのか。いや、そうか。入学したばかりだったな。知らないのも当然だ」

 キィキは少し呆れたように少しだけトゥールを見た後、すぐに理解したように頷き周囲へ眼を向ける。

「せっかくだからボク様が教えてやる。初級ダンジョンの壁には発光塗料が塗られているんだ。それも最奥まで。魔物と戦いやすいようにとの学園側の配慮だな」
「へぇー? もしかして、学園にある他のダンジョンもそんな感じ?」
「馬鹿を言うな。いくら学園が誇る教師陣とはいえ、初級ダンジョン以外にそんなことができるか。ダンジョン内の壁に発光塗料が使われているのはここだけだ」
「そうか……じゃあ他のダンジョンは暗い可能性もあるんだな」

 納得して大きく頷くと、そんなトゥールの反応に気を良くしたようにキィキが鼻を膨らませる。
 どうやら話し方といい振る舞いといい、偉ぶりたい(・・・・・)性格のようだ。

「――よかった。少しは震えも治まったみたいだな」
「なにっ?」

 少し自信を取り戻したような彼女を見て思わず本音が漏れ、キィキが素早く反応してきた。聞こえてしまったらしく、少しだけ眉根を寄せている。

「さっきから言っているだろ。別に怖くて震えてるわけじゃない。これは単なる武者震いだ」
「ああ、そうだろうとも。ところでキィキはパーティーを組んでいないのか? 学パを組んでいれば、ダンジョンにだって挑みやすいんじゃないのか?」

 せっかく彼女の緊張が解れてきたというのに、怒らせてしまっては意味がない。なので少し強引ながらも話題を変える。
 
「……学パは組んでない」
「なんで? さっきのやりとりを聞いた限りだと、マイカは学パを組んでいるんだろう? そのパーティーに入れてもらえばいいんじゃないか?」
「マイカは気の合う友人だが、あいつのパーティーは嫌いだ。元々はボク様に声を掛けていたくせに、マイカの方が優れていると分かったらすぐに乗り換えた。『魔法使いはもういらない』だと」
「はっ、それは酷いな」

 忌々しそうに呟いたキィキの言葉に顔を顰めながら、トゥールは内心で首を傾げる。

(マイカの方が優秀? そうなのか?)

 出会って間もないためマイカの実力なんて当然知らない。しかし、あの「のほほーん」とした様子やちっとも強そうに感じられない雰囲気から見て、彼女はどう考えても強者ではない。
 おまけに部屋も片付けられないようであるし、なんだか納得いかない。

(まぁ、比較対象がキィキだからな……)

「な、なんだその眼は? そんな眼でボク様を見上げるのはやめろ」

 失礼な考えが眼に出てしまったのか、キィキが心を読んだかのような反応をして来る。トゥールは慌てて顔を彼女から逸らし――そして素早く腰元の剣を抜き放った。

「――なにっ?」
「どうやら……ようやく御出座しだ」

 驚くキィキに視線を向けることなく、トゥールは通路の隅にある大きな岩へと意識を集中させる。
 身体強化によって強化された聴力が、岩陰に潜む存在が発した微かな物音き気付かせてくれたのだ。
 おそらく――いや、間違いなく何かいる。
 
 トゥールたちが気付かず岩を通過しようとしたら、きっと不意を突いて襲ってくるつもりだったのだろう。気付けたのは幸いだった。

『ググ、グゥグ』

 立ち止まって身構えるトゥールたちへ、痺れを切らしたように岩陰から三つの影が現れる。
 大人の半分ほどしかない子どもの背丈に、犬に似た醜悪な面構え。それぞれ石斧を手に持って戦闘意欲が満々だ。 
 どうやらそれは、『コボルト』と呼ばれる魔物らしかった。