剣を抜いたトゥールは、リンケードに言われるがままに剣を振るう。
剣の重さに昨日は醜態を晒したトゥールだったが、身体強化を施した今の身体ならまったく問題ない。
上段に剣を構えても微動だにしないし、振り下ろした速度と言えばまるで稲妻のよう。昨日見た編入生の誰よりも早い一振りだったはずだ。
剣を横薙ぎに振るえば、そこから豪快な風切り音が生まれて威力のほどを知らせてくれる。大木すらも切り倒せることだろう。
「――よし、そこまでだ」
「はいっ」
何度か剣を振るったトゥールに対し、リンケードからの待てがかかった。以前のトゥールはもとより、今の身体でも考えられないことだが、これだけ剣を振ったにも拘わらず息切れ一つしていない。薄汗一つ掻いていないのだ。
どれだけ身体強化の魔法が優れているかがよく分かる。
「トゥール、あんたの身体強化は完璧のようだな。その歳で、そこまで見事な強化を使える奴はいないだろう」
「ありがとうございますっ」
「だが、剣の方は酷い。やっぱり、まずは基本からだな」
「……はい」
身体強化は褒めてもらえたが、今のままではそれも宝の持ち腐れのようだ。
そもそも剣を初めて握ったのが昨日なのでそれも仕方ないが、果たしてここから魔剣士としてやっていけるのだろうか。トゥールは少し不安になった。
「心配するな。幸いあんたはまだ若いし、ここは環境も整っている。それに俺が鍛えるんだ。あんたは立派な魔剣士になれるさ」
そんなトゥールの不安を見抜いたようなリンケードが、ゆっくりと自分の剣を抜いた。
「トゥール。それじゃあ身体強化の魔法を解除しろ」
「えぇっ? なんでですか?」
「身体強化の魔法は元の身体能力に依存する。生身を鍛えてから魔法を使用した方が、効果は何倍にも何十倍にもなるんだ。それに魔剣士だからといって、必ずしも魔法が使える状態で戦えるとは限らない。純粋な剣士としての腕もあった方が良い」
「そうですか?」
「ああ、そうだ。特に魔法が使えることをおおっぴらにせず、Eクラスのままで剣を学ぼうと思うのならな」
「……わかりました」
納得いかなかったが、リンケードの言うように身体強化を解除する。すると、一気に手にしている剣が重くなったように感じられた。
「うぅ、重い……」
「それじゃあいいか? 今から俺が剣を振るう――動くなよ?」
「――えっ?」
その瞬間、トゥールの目の前を銀色の風が視覚化して通り抜けた。
いや。風ではない――リンケードの振るう剣だ。
トゥールの右を、左を上を足元を――リンケードの剣がまるで風のような速さで縦横無尽に駆け巡る。
それもトゥールからギリギリの距離だ。一歩でも、あるいは少しでも動いたらトゥールの身体は幾重にも刻まれてしまうだろう。
「――っ」
「……ふぅ。ま、こんなもんだな」
斬撃の暴風に晒され、気付いたらリンケードの剣は彼の鞘に納まっている。
トゥールは呆然として眼を瞬かせた。
「どうだ? 見えたか?」
「あ、あんまり……」
「上出来だ。剣士は剣を振るう力も大事だが、相手の動きを見極める力も必要だ。まだ眼で追うことはできなくとも、この程度で眼を閉じられていたら話にもならない……あんたはしっかり眼を開けていたな。見込みがあるぞ」
「あは、あはは……」
実際には突然過ぎて目を閉じることすら忘れただけなのだが、リンケードは評価してくれたようだ。
「まずは他者から攻撃されることに慣れろ。相手の敵意にいちいち身を竦めていては、いつまでも満足に戦えない。眼の前の光景から情報を動じることなくしっかりと把握し、最善の動きができるようにしろ」
「は、はいっ!」
「そして俺の動きを吸収しろ。剣の持ち方から振るう角度、呼吸法や足運びに視線の動き――それらすべてを完璧に真似できるようになれ。そうしているうちに、あんたはすぐに素人を脱せられるはずだ。自分の剣術を見つけるのはそのあとだ。いいな?」
「はいっ!」
「よし、もう一度行くぞっ!」
言葉通りリンケードは何度も何度もトゥールへと剣を振るい、トゥールも身を縮こませながらもその動きを必死で眼で追いかけた。
何百回と振るわれる剣を集中して見すぎたせいで眼が疲労する。そんなトゥールの様子に気付いたように、リンケードが剣を下した。
「……ふぅ。それじゃあ剣を見る訓練はこれくらいにしておこう。次は――」
「いよいよ剣を振る特訓ですか?」
勢い込んで尋ねたトゥールに対して、リンケードが頭に軽い手刀を落としてきた。
「馬鹿、まだ早い。あんたは身体強化もなければ、まともに剣も振れないだろうが。怪我するだけだ」
「はい……」
「そんなわけで、しばらくは体力と筋力向上の訓練だ。もちろん並行して、さっきの見極めの特訓もしていく。手始めに、この鍛錬場の外周を十周してみろ」
「じゅ、十周……」
顔を引き攣らせ、リンケードの示す鍛錬場の外周を見る。
鍛錬場はとても広く、当然その外周ともなれば超長距離だ。それを十周――ロクに走ったことのないトゥールにとって、それは地獄のようなものだった。
「どうした? ほら、早く走れ」
「あ、あの……身体強化は?」
「当然、駄目だ。それじゃ特訓にならないだろう。自分の力で走って来い」
「そ、そんなぁ……」
情けない声を出すトゥールを、リンケードが呆れたように見下ろした。
「やれやれ。あんたの『魔剣士になりたい』って気持ちはその程度なのか」
「えっ?」
「昨日、真剣な顔でそういうから俺も覚悟を決めたんだが、とんだ買い被りだったようだな」
「なっ――」
(――なんて分かりやすい挑発なんだ……)
リンケードの不自然に小馬鹿にしたような顔から、それが彼なりの演技だとすぐに理解する。はっきり言って彼は演技が下手くそだ。
だが、彼のその言葉は的外れでもない。
トゥールが『魔剣士になりたい』という気持ちは、たしかにこんなところで怯んではいけないものだ。この程度で折れてはいけないものなのだ。
(あいつらを、ブラバース家を見返すため、僕はこんなところで立ち止まってはいけないんだっ!)
「わかりました。行ってきますっ!」
トゥールは自分自身に気合を入れ直すと、言われた通り鍛錬場の外周を走りだした。