「早かったな」

 少し周囲を見て周ったトゥールが屋外鍛錬場へ行けば、すでに教師であるリンケードが立っていて声を掛けてきた。
 実際に、今の時刻は約束された七時には少しだけ時間がある。トゥールも早かったが、それ以上にリンケードが早かったのだ。
 
「眼が早く醒めてしまって……今日からよろしくお願いします」
「ああ、そう畏まるな。俺はそんな大した奴じゃないから」

 これから師事する者の礼儀として深々と頭を下げたトゥールに、リンケードが困ったような顔で後頭部を掻いた。

「あー、そもそもあれだ。ガレアス先生は、最初からあんたの担任を俺にさせるつもりだったらしい」
「最初から?」
「そうだ。だからEクラスに決まったあんたを俺の元に寄越したんだろう。その歳で、いきなり担任がいないのは厳しいし不憫だからな。それで、クラスを持たない俺に白羽の矢が立ったわけだ」
「なるほど……」

 どうやらガレアスなりに、この頼りない編入生を心配してくれていたようだ。トゥールは内心で感謝する。

「それで、だ。まずはこれを渡しておこう」
「これは……『冒険者カード』?」

 渡されたのは、掌に収まるサイズの薄いカード。材質は何らかの鉄製で曲げられないが、トゥールはそのカードに見覚えがあった。

(――たしか、ドリーが以前見せてくれたっけ?)

 トゥールの妹で冒険者であるドロシーが、以前見せてくれた『冒険者カード』と呼ばれる物にそっくりだ。
 ドロシーが見せてくれたカードには、名前や数字などの他、五つの星が刻印されていた。が、今リンケードから手渡された物には星は一つもなかった。

「それは『学生カード』と呼ばれている。学生の身分を証明する物で、生徒名や学科、クラス、魔力持ちなら魔力の量まで記入されている。そして学園にあるダンジョンを踏破するごとに星がそのカードに刻印され、五つ集めれば卒業試験が受けられる仕組みだ」
「ダンジョン? この学園、ダンジョンがあるんですか?」
「そんなことも知らないのか? ……お前、何しにこの学園にきたんだ?」
「え、あ、剣の修行に……」

(――だってそんなこと、ドリーは一言も言わなかったし……)

 リンケードの呆れた視線から逃げるように俯き、トゥールはここにはいない妹へ責任転嫁した。
 実際にはやはり、編入準備をすべて妹に任せて学園のことをろくに調べなかったトゥールが全面的に悪いのだが。

「あ……でも、ここには魔法科や剣士科以外にも、戦う(すべ)のない技術を学んでいる生徒たちもいますよね? そうした生徒たちも、ダンジョンを踏破しないといけないんですか?」
「いや。非戦闘科は別でカードに刻印を貰う方法もある。だが、学パを組めば非戦闘科でもダンジョンを踏破できるからな。そうやって星を集めて卒業試験を受ける奴も多いぞ」
「……『学パ』?」

 先ほどジェラも言っていたが、いったい何を指しているのだろうか? トゥールにはとんと聞き覚えがなかった。

「ああ、学パって言うのは『学生パーティー』のことだ。つまり、学生たちでダンジョンや試験に挑むためのパーティーだな。ちなみに学ギルって言うのは、学生で創るギルドのことだ。この学園にいる以上は覚えておけよ」
「なるほど……学生の時からパーティーを組むのか」

 剣の修行をするために入学したトゥールは忘れがちだが、ここは冒険者学園だ。つまり、卒業して冒険者になった時のことを見越し、ここで本物の冒険者さながらに学生同士でパーティーを組ませるのだろう。
 
「まぁ、そんな話はおいといて、だ。ガレアス先生に聞いたぞ? あんた、クラス分けでは俺が思っていた以上に散々なものだったらしいな」
「はい……。昨日も言いましたけど、まともに剣が振れなくて」
「ふーん? 身体強化の魔法は使えるのか?」
「たぶん使えます。やったことはないですけど、やり方は知っているので」
「ちょっと見せてくれないか?」

 リンケードに促されて『学生カード』を仕舞うと、トゥールは以前読んだ魔導書の内容を思い出す。
 肉体を強化する魔法は、一般的ではあるが奥が深い。身体全体をバランスよく強化するものもあれば、腕や足など一部分だけを突出して強くする魔法もある。
 トゥールは記憶した一万二千冊の魔導書を浚い、その中でも難易度が高く、効果に優れた全身を強化する魔法を選ぶ。

「ふぅ……『――第六等級魔法『身骨靱化(エゾル・バーディ)』」

 唱えた瞬間、トゥールの体内を変質した魔力が駆け巡り、一気に身体が軽くなる。
 目に視える景色もいつもより緩やかなものとなり、感覚が引き延ばされているかのようだ。
 試しに自分の掌を握ったり開いたりして確かめてみるが、別に異常は無さそうだ。おそらく問題なくできているだろう。

「よし……できました」
「――いや、なんでできるんだ?」

 何気なくリンケードを見上げれば、彼は驚いたようにこちらを見下ろしていた。

「えっ? 何か変ですか?」
「『六等級魔法』? おい、それが本当なら身体強化の中でも最高クラスの魔法じゃないか? しかも無詠唱だと? どうなってやがる?」
「あ、いや、あの……勉強してきたので、五等級以下は無詠唱でも問題なくできそうです」
「勉強してきたって……勉強しただけでそんな魔法をぽんぽん使えたら誰も苦労しないんだぞ? 十等級の魔法ですら、今や使用者の限られる高等魔法とされているんだが――いや、あんた……いやぁ……ちょっと待ってくれよ」

 軽く答えたトゥールに、かなりショックを受けたかのようにリンケードが両手で顔を覆って天を仰ぐ。

「……やっぱこりゃあ、俺の手には余っちまうかもなぁ」

 そしてそんな弱音を吐いた。

「ちょっと! 今さら担任をやめるなんて言わないでくださいよ?」
「…………」
「いや、考えないでくださいよっ! お願いします、先生しか頼れないんですからっ!」

 何も言わずに固まったリンケードにトゥールが縋りつくと、彼は仕方なさそうに頷いた。

「……わかってるよ。とりあえず、持ってきた剣を抜いてみろ」
「あ、はい」
「ああ、その前に両手の指輪は外して俺に寄越せ。それじゃあまともに剣を握れない」
「けど、これがないと魔法が……」
「今は使わなくていい。身体強化は放出する魔法ではないから魔放具はいらんだろう。しばらくあんたは、身体強化以外の魔法の使用は禁止だ」
「えぇ……」

 この身体になり、(ドロシー)にプレゼントされた指輪を外すことに抵抗を覚えたが、リンケードに教えを乞う立場としては従う他ない。
 それにたしかに、指輪をはめたまま剣を振るのも妙かもしれない。トゥールは仕方なく、両手の人差し指から抜いた指輪をリンケードへと手渡した。