翌日。
自然と目が覚めたトゥールは辺りを見渡し、一瞬だけここがどこだったのかを考える。そして冒険者学園の女子寮であることを思い出すと同時に、トゥールの腹が小さく鳴いた。
「……腹、減ったな」
昨夜はずっと部屋の掃除をしていたため、夕食など食べていない。そもそも昼食すらも摂っていなかったはずだ。腹が減るのは道理である。
入浴は『清浄』の魔法を使って身を清めたので問題ないが、さすがに魔法で食べ物を出すのは無理だった。
「何か食べられるかな？」
食堂へ行こうとベッドから起き出せば、反対側のベッドで眠っているマイカがいた。
すやすやと幸せそうな寝顔を見るに、きっと彼女は悩みとは無縁なのだろう。
そんなマイカの安らかな寝顔に微笑を浮かべたトゥールは、しかしすぐに真顔になった。
（――きっとマイカは、ウェルナが死んだことを知らされていないんだろうな……）
トゥールの父に仕えるレラは、マイカやウェルナの母親だ。しかし、彼女からウェルナの死がマイカに伝えられた様子は無さそうだ。もしかしたらレラにすら、ウェルナの死は伝わっていないのかもしれない。
彼女たちは今も、ウェルナは屋敷でトゥールの世話を焼いていると思っているのだろうか。
「……今、考えても仕方ないか」
せめて真実を知った時、マイカの心が強く痛まないことを祈った。
それからトゥールは剣を携えると部屋を出て、昨日マイカに教えてもらった寮の食堂へと向かう。女子寮には五百人ほどは入れるため、寮の食堂も随分と大きい。
だが朝の早い時間と言うこともあり、人の影はまばらだった。皆、飲み物を片手に本を読んだり小さな声で談笑したりしている。
「おや、おはよう。見かけない顔だね」
トゥールがそんな食堂の様子を窺っていると、職員らしき中年の女性が声を掛けてきた。割烹着や口元を覆う布を巻いているので、まず間違いないはずだ。
「おはようございます。昨日、この学園に編入してきたトゥールです。今から朝食を食べても大丈夫ですか？」
「いいともさ。その辺に座ってな。今、持ってきてやるよ」
「お願いします」
座って待つこと数分。
言葉通り、割烹着姿の女性がトレーに載った朝食を運んできた。
「はいよ。いつもは自分で取っておくれよ。今は人が少ないからあたしがやったけどね」
「ありがとうございます。食べ終わった食器はどうすれば？」
「ああ、向こうで洗ってそこに干しててくれればいいよ」
女性から食堂の仕組みを聞いて、しっかりと覚え込んだ。これで次からも問題なく食堂を利用できそうだ。
朝食であった、温かいスープとパンにサラダ、川魚の塩焼きを平らげて壁にかかった時計を見る。
現在の時間は六時。リンケードに言われた七時まで猶予はあるが、トゥールは寮を出ることにした。
昨日はあまり学園を見る時間がなかったので、鍛錬場に向かいがてら散策することにしたのだ。
「……はぁ、はぁ、はぁ」
「……うん？」
寮を出てすぐに、動きやすい服装で走っている人間が目に飛び込んでくる。
見覚えのあるその銀髪は、たしかトゥールと共に昨日編入したばかりの貴族――ジェラ・ウァスパルドだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ジェラは速度を緩めると走るのをやめ、ゆっくりとトゥールの方へ歩いてくる。
そして布で汗をぬぐった後、トゥールに気付いたように顔を向けてきた。
「ああ、はぁ、はぁ……おはようっ」
「おはよう……朝から走って来たのか？」
「ええ、そうよ。ふぅー、この寮の周りを十周ほどね、はぁ、はぁ――走るのはいつもの習慣だから」
息を切らせ、額からに銀の髪を数本張り付けた姿ではあるが、それでもジェラが美しいと思えた。
ジェラの健康的な肉体と快活な笑顔は、長い間屋敷に引き籠っていたトゥールには眩しすぎる。思わず目を逸らしてしまった。
「えっと……トゥールだったかしら？ いくつ？」
「十二歳だよ」
「へぇっ！ やっぱりそれくらいなのね。私はジェラ・ウァスパルド、十四よ。昨日は魔放具のことを教えてくれてありがとう」
「別に、大したことじゃないから」
朗らかな笑みでお礼を言われたが、トゥールは眼を逸らしたまま軽く頷いた。
実際に昨日トゥールが語ったことは、魔法使いなら誰でも知っているような常識でもある。極彩色であるジェラが知らなかったのは、彼女がそれだけ剣に比重を置いて生きてきたからだろう。
「その歳で親元を離れて過ごすのは寂しいと思うけど、何かあったらいつでも言ってよね。相談に乗るわ」
「あ、はは、ありがとう……」
自分よりもずっと年下の少女にそんな心配をされてしまい、トゥールは乾いた笑みを浮かべた。
教えるわけにはいかないとはいえ、自分のような異物が女子寮に住んでいることに対して、改めて罪悪感が湧いてくる。
「それじゃあ。お互い、いい学パが見つかるといいわね」
「え？ あ、うん……」
後ろ手を振って去って行くジェラを見送り、トゥールは首を傾げた。
「――『学パ』ってなんだ？」
