涙はすでに枯れてしまうくらい、泣いてしまった――。
 iPhoneに表示されている日付は確実に進んでいく。

 無菌室みたいに私の部屋はしっかりとクーラーで冷たく管理されていて、窓からは午後になってもまだ強い、日差しが部屋を照らしている。
 最高の夏休みになるはずだったのに、10日すぎた夏休みは、すでに灰色の影を落としているように感じた。

 私はこう思う。
 海なんて大嫌いだ。

 ベッドから起き上がり、キャミソールと、パンツだけの下着姿の身体に半袖の黒いワンピースに袖を通し、私は雑に外に出る支度をした。

 

「しばらく、意識、戻らないかもしれないって」
 瑠菜(るな)のお母さんはそう、冷静な声で私に伝えてくれた。瑠菜のお母さんはすでに泣き果てたのか、両目が腫れぼったくなっていた。

「――なんて言えばいいのか、わからないです」
 私はそう言ったあと、思わずうつむいてしまった。病院の集中治療室の前の通路に置かれているベンチに私と、瑠菜のお母さんは横並びに座ったまま、ポツポツと交互に話を重ねていた。そのポツポツとした間が、二人だけで、重い時間を共有しているように感じた。

「まだ、私も混乱してるけど、これだけ言わせて」
 瑠菜のお母さんは低くて小さな声でそう言ったから、私はそっと顔をあげて、左側を見る。瑠菜のお母さんが耳につけているシルバーのピアスが蛍光灯の光を弱く反射したのが視線に入り、私は思わず、そっちに気を取られそうになった。

「志帆(しほ)ちゃん、誰の所為でもないから、自分のこと、責めないでね」

 そう言われたけど、私は強く押しつぶされそうな感覚は胸に残ったままだった。



 結局、今日も瑠菜に面会することはできなかった。
 
 そそくさと、大きな吹き抜けが印象的な、病院のエントランスを抜け、自動ドアを2枚外に出ると、むわっとしていた。鼻が少しだけくすぶって、右手の人差し指を鼻に当てると、除菌された匂いがした。

 昨日のことのように楽しくなるはずだった1日が簡単に思い出される。一緒に海に入りはしゃぎあっていたはずなのに、気がつくと、瑠菜は溺れていた。
 私はどうすることもできず、パニックになっていると、ライフセーバーが気がついたのか、すぐにこっちに泳いでくるのが、見えた。

 そんな情景の一部を思い出していると、だんだん、また辛くなってきた。私はこのまま、帰る気になれず、結局、駅とは反対の海の方へ歩き始めた。



「水着で、動画撮ろうよ。めっちゃバズるらしいよ」
「私は、バズなんて望んでないよ」と返すと瑠菜はゲラゲラと笑い始めた。

 いつも、私と瑠菜は校舎の屋上で、お昼を食べたあと、TikTokにあげるダンスを練習したり、次にやりたいダンスの動画を見せ合いっこしていた。

 前の日の夜のうちに、ベッドの上で、寝転がりながら、動画をスワイプしまくり、やりたいのがあったら、ブックマークをして、次の日に瑠菜と一緒にその動画を観るのが、日課になっていた。

 瑠菜も私も、本当はダンス部があったら、ダンス部に入りたかったねって言っている仲だけど、そこまで本気のダンスはするわけでもなく、ただ、バズってて、流行りつつある簡単なダンスを二人の思い出として、動画に残すことを目的にしていた。

「そもそも、水着で踊ったら、垢バンが怖い」
「いいじゃん、別に。志帆と私だけのやる気のないアカウントなんだしさ。ダメだったら、もう一回、動画あげればいいじゃん」
「だよね。所詮、黒歴史作ってるようなもんだからね」
「必死にね」と瑠菜はそう言ったあと、ペットボトルの水を一口飲んだ。

 ちょうど、出入り口の出っ張りで、日陰になっているところで、瑠菜と体育座りで横並びになっている。7月の中頃だけど、日陰のおかげで、まだこうしていても、我慢できる暑さだった。

「黒歴史になってもいいからさ、うちらがJKだったときの美ボディを記録すべきだと思うんだよね」
「瑠菜って、意外と痛いところあるよね」
「それはお互い様だよ」 

 だから、お互い、それぞれのiPhoneのアカウントで私と瑠菜が踊っている動画をそれぞれ上げていて、どっちのアカウントで上げるかは、その日、バッテリー残量が多い方のiPhoneのアカウントで上げることにしていた。

「どうせ、JKブランドも一瞬だし、JKであった証、少しでも多く残しておかないとね」
「だよね」と私がそう言うと、瑠菜は無邪気そうに頬を緩めて、チャームポイントの八重歯を見せてきた。

 そのあとすぐにぬるい風が吹き、瑠菜のセミロングで弱くウェーブがかかった髪が揺れていた。
  
 だけど、どの動画も再生数は100〜300回くらいだから、大した拡散もされていないし、私たちが属している、1.5軍の女子グループの子たちにも、このアカウントは教えていない。

 もちろん、価値観の合わない1軍グループの子たちも私たちのアカウントは知っていなさそうだし、2軍の少数派や、ぽっちちゃんたちも、もちろん、私たちの動画はきっと見つけていないと思う。




 そう約束していたのに、結局、動画を撮らずに瑠菜は病院に運ばれた。
 
 少し前にしたばかりの瑠菜とのやり取りを思い出しながら、海まで続く下り坂を歩いていると、海が見えてきた。海の先に見える空は白くモヤがかかっていた。モヤを突き抜けるくらい強い日差しを海が反射していて、淡い黄色を保ちながら、キラキラしていた。

 ちょうど、左側に自販機が見えてきた。
 だから、私は自販機でペットボトルのカフェオレを買った。自販機に右手を突っ込み、カフェオレを手に取ると、冷たさが一瞬で、手から身体全体に伝わり、暑いのに、思わず身震いした。

 坂を降り続けて、海岸線沿いを走る道路までたどり着いた。
 信号を渡り、海側の方を歩くと、海水浴場の砂浜の手前にある公園と駐車場が見えてきた。細長く続く公園は、石畳で整備されていて、海側に無数のベンチが置かれていた。

 私は公園に入り、ベンチに座った。
 そっと息を吐いたあと、手に持っていたペットボトルの蓋を開けて、カフェオレを一口飲んだ。

 そして、ショルダーバッグからiPhoneを取り出し、TikTokを開いた。自分のアカウントを表示して、瑠菜と2人で踊っている動画をいくつか再生した。動画のなかの私と瑠菜は仲良く、制服姿で両手でハートを作るダンスをしていた。3か月前に撮ったその動画も、流行りが終わった今となっては、その曲も、踊りも古臭く感じた。
 そのあと、なぜかわからないけど、涙が頬を伝う感触がしたかと思ったら、その感触は無数になっていた。




 涙が止まらなくなり、iPhoneをベンチに置き、ショルダーバッグからティッシュを取り出して、涙を拭った。
 拭ったあともしばらく、つらい気持ちが胸の中で重く響き渡り、涙腺がそれに共鳴して、息を吐くたびに涙が出てきた。砂浜からは波の打ち寄せる音と、どこかで何人かがはしゃいでいる声、そして、後ろ側からは車が走り抜ける音がしている。

 それらに挟まれているはずなのに、私は一人ぼっちな気分になり、余計に瑠菜と一緒にいたくなった。だけど、もしかしたら、それはもう、なくなってしまうかもしれない。いつ急変してもおかしくないらしいし、もし、瑠菜がそんなことになったら、最低な夏休みになりそうだ。

「ねえ、泣かないでよ」と右側の後ろのほうから、聞き慣れた声がして、私は一瞬で凍りつく感覚がした。
 そんなわけがないし、そんなのあり得ない。

「ねえ、無視しないでよ。どうしたの? そんなに泣いて」とまだ、私のことを諭してくる。
 聞き慣れたあり得ない声。
 だから、私は声のする方を冷静になって向くことにした。すると、やっぱりあり得ない人が私の右後ろに立っていた。

「ようやっと、振り向いてくれたね、志帆」といつものトーンで言ったあと、瑠菜は私の隣に座った。瑠菜は制服姿で、白のワイシャツにつけている赤いリボンはいつもみたいに緩められていて、ワイシャツの第一ボタンは緩められていた。

「夏休みなのに、制服着て、なんか、部活やってるみたいだね」と私は自分でも驚くくらい、自然に瑠菜のことを受け入れてしまった。
「いいでしょ。JKらしくて。この姿でいれるのもあと、1年半くらいしか、ないんだから」
 瑠菜はいつもみたいにJKブランドを意識した答えを返してきた。

 瑠菜はにっこりと笑っていた。
 その笑顔を見るだけで、なんかものすごく胸の中から、こみ上げてくる感覚がしたけど、それをぐっと我慢した。そして、聞きたいことはあるけど、いつもみたいに瑠菜に接することを心に決めた。

「だよね。制服姿でいれるのも、今のうちだよね」
「でさ、なんで泣いてたの?」と瑠菜に聞かれて、知ってる癖にと一瞬、思ったけど、その思いは飲み込むことにした。
「ずっと、このままだったらいいなって、ただ、思ってたら、悲しくなったの」
「なんか、センチメンタルだね」
「でしょ。少女でしょ?」と言うと、瑠菜は大人になんかなりたくないって、昔、幼稚園のお遊戯会で言わされたなと言いながら、ゲラゲラと笑ってくれた。

「ねえ、志帆。なんか、適当に動画撮らない?」
 え、撮れるの? って思わず聞きそうになったけど、私はそんなことは言わずに、なるべくいつものトーンを意識して、いいよと答えた。

 だから、私はショルダーバッグから、いつも使っているスマホスタンドを取り出し、ベンチに置いた。そして、ベンチに置きっぱなしだったiPhoneを手に取り、画面ロックを外すと、さっきまで見ていた、3か月前の私と瑠菜が学校の屋上で踊っている動画が流れた。

「これにしようよ」
「え、古くない?」
「いいじゃん。私、このハートのところ好きなんだよね。音ハメして、ハート出すの楽しくない?」と瑠菜はそう言ったあと、流れている音源を口ずさみながら、音源にあわせて、両手でハートマークを作り、両腕を前に出した。

 私は思い出すために、もう一度、最初から再生された音源にあわせて、右手だけで、軽く動きを確認した。『君へキスをあげる』のところで、キスを投げるところは覚えていた。だけど、あとは、最後のハートマークのところまで、あまり覚えていなかった。

「やっぱりいいね。これ。古いけど」
「流行りが早すぎるんだよ。うちらは一応、最先端のもやるけど、リメイクもやるのが、うちらのアカウントの特徴だよ。だって、他のアーティストだって、ちゃんと過去のヒット曲、歌うじゃん」
「それと一緒ってこと?」
「そう、そういうこと。だって、うちら、毎回、動画あげて300回も再生されてるダンサーだからね」
「痛い青春だね」
「お互いにね」と瑠菜はにっこりとした表情を浮かべた。
 
 そして、ぴょんと飛び跳ねるような勢いで、立ち上がり、そして、私の前まで来て、私に目線をあわせるように屈んだ。キスまでは遠いけど、獲物を捉えるには十分な距離感で、瑠菜は二重まぶたのぱっちりした目で私をじっと見つめてきた。

「すっぴんなんだね」と言われたから、私は思わずムキになって、
「瑠菜もね」と眉間に力を加えながら言うと、瑠菜は状態を元に戻して、そこら中に響き渡るくらいの大きさで笑い始めたから、私も同じくらい、なんか、わからないけどウケるって言いながら、笑った。

 この感覚自体が1週間ぶりくらいで、一瞬で楽しかった頃に戻れたような気がした。

「ねえ、志帆」
「なに?」
「ずっと、こんな感じでバカなことできたらいいね」と割と真剣そうな感じで、そんなバカ真面目なこと言われたから、涙腺が崩れそうになったけど、とりあえず、今を楽しみたいから、喉の奥にしっかり力を入れて、我慢したあと、

「――そうだね」とできるだけ微笑むことを努力しながら、私は瑠菜にそう答えた。

 風が急にぶわっと吹いて、瑠菜のスカートの裾と、ウェーブのかかった髪がいつものように弱く揺れた。
 



「いんじゃね?」
「いいね」と出来上がった動画を確認した。動画には私と瑠菜が曲の最後でハートマークをしているところがちょうど流れていた。そして、再生時間の15秒が経過し、もう一度、最初から、私と瑠菜が踊り始めが流れ始めた。
 踊っている間に、ベンチの表面が温められ、動画を見直すのに、座ったら、さっきよりも熱くなっていた。

「何回もやり直しただけあったね」
「そうだね、ハートのところ、タイミングばっちりあったね」
 そう言われて、思わず左隣に座る瑠菜を見ると、瑠菜と目があった。瑠菜は満足そうな表情を浮かべていて、目を細めていた。

「リメイク成功だね」
「じゃあ、アップするよ?」と私が聞くと、瑠菜はうん、としっかり頷いた。右手の人差し指でiPhoneを操作して、動画をアップロードすると、一瞬で、完成した動画が全世界に公開された。

「やっぱり、いい感じだね」とアップした動画が何度か繰り返し流れたのを見たあと、瑠菜はいつものように充実してそうな声でそう言った。私も何度も、自分と瑠菜が踊る動画を観て、何度もいいねとボソボソ言いながら、動画を眺めていた。
 本当の瑠菜は病院にいるはずだ。

 だけど、今は普段とあまり変わりない状態で、瑠菜と一緒に過ごしている。実際に動画にもしっかりと、瑠菜の姿は写っているし、ホログラムチックな透明感もなかった。
 
 ふと、頭のなかで、別れの予感がよぎった。そのあとすぐに右頬に何か伝う感触がした。そして、そのあとすぐに左頬にも同じ感触がしたあと、両目の制御システムが破綻した。

「えっ、また泣いてるじゃん」と瑠菜は冷静そうにそう言ってくれた。

 だけど、私の心の中はすでにざわついていて、もう二度と瑠菜とこんな風にできなくなるんじゃないかって思うと、胸の中が大きな悲しみの波が何度も押しては引いている感覚に襲われた。そして、その私の心の波のリズムとリンクしないように、砂浜から波の音が、弱く響いていた。

「――ごめん」
 私はそう言いながら、まだ収まる気配のない涙を拭うために、ショルダーバッグから、ティッシュを取り出した。

「ねえ、志帆」
「――なに?」
「たぶん、私の所為だよね。志帆が悲しいのって」と言われたから、私は思わず、ゆっくり頷いてしまった。

「だよね。なんか、私、いつもと違う感覚なんだよね」
「――溺れるからだよ。そんな感覚になってるのは」
「――溺れる?」と瑠菜に返されて、私は思わず、瑠菜の顔を見た。瑠菜は思ったとおり、きょとんとした表情をしていて、本当になにもわかっていなさそうな、表情をしていた。
 
「海になんか、溺れるからだよ。――バカだよ。瑠菜は」
「え、本当になんのことかわからないんだけど」
 そうなんだ。本当にわからないんだ――。
 
 私の頭の中は余計に混乱しそうだった。じゃあ、どうして、病院で意識を失っているはずの瑠菜が今、ここで、私と一緒に海を眺めているの? と聞きたいけど、きっと、瑠菜に聞いても、その質問は不毛なんだと思った。
 だから、私はやっぱり本当のことを言うのをやめて、瑠菜に抱きついた。
 
 時が止まったみたいに、瑠菜の左肩に頭をくっつけ、そして、両手で瑠菜の身体をしっかりと抱きしめ続けた。

 今日、初めて瑠菜の身体に触れたけど、しっかりと体温を感じることができたし、身体の柔らかさもしっかり感じることができた。夏の匂いと、瑠菜の弱い汗の匂いが混じった香りがした。

 そして、何秒間かそうしたあと、私はそっと、瑠菜から離れた。

「――とにかく、生きてほしい」とポツリと私がこぼすと、瑠菜はしっかりと頷いてくれた。
「死ぬわけないじゃん。やりたいこといっぱいあるのに」
「――これだけは言わせて。瑠菜を失いたくないし、ずっと楽しいことしてたい。今日みたいに」

 そう言い終わると、瑠菜は右手を私の前に差し出してきた。だから、右手の小指で指をからめた。




 答えなんてみつからずに、あの日から、1週間経った。

 この1週間、あの日、二人で踊った動画を何十回も観ていた。その動画にはしっかりと、瑠菜の姿が笑顔で写っていて、ついでに私も笑顔だった。
 再生回数は相変わらず伸びていなくて、本当にこの動画はいつもの延長線だった。
 
 海で瑠菜に会った次の日に病院に行った。
 私があの日、危惧したみたいなことは起きず、瑠菜はまだ集中治療室で意識が戻ってない状態だった。
 あの日、瑠菜と約束したことはきっと、有効のはずだから、私は瑠菜を信じることにした。
 だから、早く瑠菜が目覚めるのを待つことにした。
 
 瑠菜のお母さんからショートメッセージが来て、私は今、そわそわした気持ちで電車に乗っている。
 電車は大きな川を渡りきり、もうすぐ病院近くの駅に着こうとしていた。窓からは、川沿いに建っている瑠菜がいる白くて大きな病院が見えていた。電車は簡単にその前を通り過ぎた。
 病院の無数の窓が太陽の光を反射していて、8月の始まり、塩素ナトリウムと夏が混じった爽やかな雰囲気がなぜか出ているように感じた。

 

 病室はすでに個室に移動されていたみたいだ。

 病室に向かっていると、ちょうど瑠菜のお母さんと会った。私がお辞儀すると、瑠菜のお母さんは来てくれてありがとう。あの先、一番端のところだから、入ってていいよ。と言ってくれた。

 病室の扉を開けると、部屋は光で満たされていた。その光の中に、ベッドがあり、そこには当たり前のように瑠菜がいた。扉を開けたまま、私は立ち止まり、じっと瑠菜を見た。瑠菜も首を私の方に傾けて、じっと私のことを見つめてきた。

 あの日、抱きしめた、あの数秒間がまた戻ってきたような感覚がした。
 私はそっと、扉を閉めて、ベッドに近づき、そして、ベッドの横にあるパイプ椅子に座った。

「――よかった」
「死ぬわけないじゃん」
「えっ」
「やりたいこといっぱいあるのに」
 得意げな表情を浮かべながら瑠菜がそう言ったから、私は思わず、次の言葉を失ってしまった。

「ほら。古臭いけど、いい感じだね」
 そう言いながら、瑠菜は右手に持ったままのiPhoneの画面を私のほうに向けてきたから、私は一度立ち上がって、瑠菜からiPhoneを受け取った。iPhoneの画面には、ハートマークをしている私ひとりだけが踊っている動画が流れていた。
 昨日まで何度も観ていた動画だ。そのときは瑠菜も写っていたはずなのに、今、観ているその動画では、私が一人で間抜けにハートマークをしているだけだった。

「――ふたりだったのに」
 私は頭の中がぐちゃぐちゃのまま、ぼそっと、そう言ったあと、iPhoneを瑠菜に返して、もう一度、パイプ椅子に座った。

「あーあ、ハートの音ハメ完璧にできたと思ってたのになぁ」
「えっ」
「残らなかったね」
 瑠菜は微笑んだあと、弱く息を吐いた。

「ねえ」
「なに? 志帆」
「退院したら、もう一回、リメイクしよう」
 そう言い終わると、少しだけ間があいたあと、お互いに顔を見合わせた。そして、なんでかわからないけど、急に面白くなってきて、笑い始めたら、瑠菜も大きな声で笑い始めたから、すべてがほっとした。