もうすぐ庭でのお茶会も厳しくなりそうな季節となった。

 ディーンとメイベルは、いつもの椅子に座り、穏やかな時間を過ごしていた。



「実は、ディーンさまの目が見えるようになった日、私も顔にあった青痣が消えたのです」

「青痣があったの? どこに?」

「この辺り、左目の周辺に、葉脈のように……」



 メイベルは説明するのに一生懸命で、思っていたよりもディーンに近寄っていた。

 それをいいことに、ディーンはメイベルの顔を至近距離から覗き込む。



「ここ?」

「ええ、そこからこう、目の下まで……」

「全然ないよ?」

「そうでしょう? 嘘のように消えてしまったのです」



 説明が終わったメイベルは、今更ながらにディーンの顔の近さに気がついて、慌てて離れようとした。

 そんな顔を赤くしているメイベルを、抱き寄せようか迷っているディーンに声がかけられた。



「ディーンさま、ホイストン公爵家のクラリッサさまがいらっしゃいました」



 いつも案内をしてくれる侍従だ。

 その後ろに、緑の髪をたなびかせた美しい令嬢を連れている。

 令嬢はツカツカとテーブルに近寄ると、ディーンの前で完璧なカーテシーをしてみせる。



「初めまして。ディーンさまにお会いできて光栄です。ホイストン公爵家クラリッサと申します」

 

 クラリッサの柔らかい茶色の瞳からは、ディーンへの親愛の気持ちが見て取れた。



「ああ、よろしく。君が兄さんの言っていた人だね。ディーン・ウィロビーです」



 どうぞ椅子にかけて、とディーンは真向かいの席を指し示す。

 そしてメイベルに向き直り、クラリッサを紹介した。



「目が見えるようになったのだから、もっと世の中と交流を深めるようにと兄さんから言われたんだ。クラリッサ嬢は社交界に明るくて、貴族の中でも情報通なんだって。いろいろなことを教えてもらって、今後は僕もパーティに参加することになるみたい」

「パーティに、ですか?」



 そこは、メイベルとは棲み分けられた世界だ。

 さっそく抱いていた不安が芽吹く。

 盲目ではなくなったディーンと、別れさせられるのではないか。

 華やかで美しい公爵令嬢を、このお茶会に呼んだ王の意図を感じる。

 いつもはあまり話さないディーンだが、興味があるのかクラリッサに質問をしている。

 それに軽快な答えを返し、ときにディーンを笑わせるクラリッサ。

 メイベルから見ても、会話慣れしていると感じた。

 いつもはひっそりと静かな庭が、鈴を転がすようなクラリッサの声に彩られる。

 さっきまでは冬が近づく森から、鳥の声が聞こえていたのに。

 

「まあ、それではディーンさまは是非とも絵画展に行かれるべきですわ。今、貴族たちが夢中になっている画家の個展があっていますの。彼は七色の魔術師とも呼ばれているのですよ。繊細な筆のタッチで、立体感のある風景を描くのです」

「七色か。僕は盲目だったとき、ずっと色って不思議だなと思っていたんだ。形は触れば分かるし、味は食べれば分かる。温かさとか匂いとかも。でも、どうしても分からないのが色だった」

「目が見えるようになったのは、最近だとお聞きしましたわ。もしかしたら、ディーンさまはまだ虹を見たことがないのでは?」

「そうだ! 虹も見てみたいもののひとつだった。七色の光の輪が空に浮かぶのだろう?」

「ふふふ、完全な輪ではないのですが。どうでしょう、私がつくってみましょうか? 私は水魔法の使い手なんですよ」



 クラリッサは椅子から立ち上がると、少しテーブルから離れた位置に立った。



「ディーンさま、こちらにいらして。太陽を背にして立っていただけます?」



 ディーンは素直に席を離れ、クラリッサに近づいた。

 クラリッサは当たり前のようにディーンの腕を引き、太陽に背を向けたディーンの位置を調整する。

 そのときにメイベルと目が合った。

 クラリッサが妖艶に笑ったのを見て、メイベルはゾッとした。

 クラリッサは分かっているのだ。

 自分の役割を。

 メイベルからディーンを離し、婚約者をすげ替える。

 きっとそれが、王であるジョージがクラリッサに与えた任務だ。

 正しくは、クラリッサがディーンを気に入れば、という条件がつくのだが、メイベルはそれを知らないし、すっかりクラリッサは美しいディーンの顔に夢中だ。

 メイベルはキュッと唇を噛んだ。

 ディーンとメイベルの婚約は、ジョージからの打診で成り立った。

 そのジョージの気持ちが変わったのなら、婚約が覆されても仕方がない。



「見ていてくださいね、ディーンさま」



 ディーンの隣に身を寄せて立つクラリッサが、手のひらからたくさんの霧を生み出した。

 ディーンの服が少し湿るほどの霧が辺りを覆う。

 そこに曇天だった冬空の、雲間から太陽が顔を出す。

 霧に、七色の虹がかかった。



「すごい……これが虹……」



 産まれて初めて虹を見たディーンは、声を失くして感動している。

 触ろうとして手を伸ばし、すり抜ける。

 それが面白いのか、何度もしている。

 顔は、これまで見たことがないほどの喜色満面だった。

 メイベルは静かにお茶を飲みながら、それを見守った。

 完全にそこには、二人の世界が出来上がっていたから。



「ディーンさま、じゃあ次は雪ですよ。冷たいということはご存じでも、その形まではご存じないでしょう?」

「雪の形? 六角形だと聞いたことはあるが」

「雪は全て異なる形をしているのです。ひとつとしてこの世に同じ形の雪はありません。まるで人みたいで、なんだか素敵でしょ? 私の魔法で、大きな雪の結晶を作ってご覧にいれますわ」



 今度は、クラリッサは雪の結晶を作るようだ。

 クラリッサの両手の中を、ディーンがジッと見つめている。

 大きな結晶と言っていたが、顔を近づけないといけないくらいの大きさらしい。

 もしかしてわざと、小さく作っているのかもしれないが。

 息を殺して待つディーンと、両手を自分の顔の前に持ってくるクラリッサ。

 二人の顔の位置が近づく。



「どうですか? 素敵でしょう?」

「美しいな……」



 もっと近くで見たくて、ディーンが顔を寄せた。

 こつんとクラリッサと額がぶつかる。



「ああ、ごめんね。近づきすぎたよ」

「いいんですよ、ほら、もっと見てくださいな」



 クラリッサの両手には、どんどん雪の結晶が作り出されているのだろう。

 近づきすぎたのも忘れて、ディーンはまたそれに見入る。

 そんなディーンを眺めていたメイベルに、クラリッサが流し目を送ってきた。

 それの意味するところは、きっとこうだろう。



『どっちが勝者か分かるでしょう?』



 メイベルは正しく受け取った。

 うつむいて、飲み干したティーカップをテーブルに戻す。

 みじめだったが、そんな感情には慣れている。



「お茶のお代わりをお持ちしましょうか?」



 侍従が気を利かせて聞いてきた。

 だが、もう飲む気にはならなかった。



「ありがとうございます、私はもう大丈夫です。ディーンさまとクラリッサさまが戻られたら、温かいお茶を差し上げてください。きっと二人とも、雪の結晶だらけで寒いでしょうから」



 クラリッサの両手からあふれた雪の結晶が、二人の周りをふわふわ飛び回っている。

 それを見て、微笑み合うディーンとクラリッサ。

 寒さのせいか、二人とも頬が赤い。

 まるで恋人同士ね。

 その光景を、メイベルは無表情に眺めた。

 自分がここにいる意味を探しながら。



 ◇◆◇



「ディーンさまはどうだった? お前のお眼鏡に適いそうか?」



 お茶会からご機嫌で帰ってきた娘を見て、答えは分かっているだろうにホイストン公爵は尋ねる。



「ええ、とっても素敵な人! あんなに美しい人は、今までに見たことがないわ! お父さま、私は絶対にディーンさまと婚約するわ!」



 クルクル回り出しそうなほど、軽やかにステップを踏むクラリッサ。

 もう心はディーンと一緒に、舞踏会でダンスを踊っているのだ。

 なにしろお茶会にいたディーンの婚約者は、なんの取り柄もなさそうな、暗いだけの令嬢だった。

 思わずその場で勝利宣言をしてしまうほど、クラリッサには負ける気がしなかった。

 話題の提供にも成功して、ディーンさまとの会話も弾んだ。

 二人が最初に出会った日として、ロマンティックな思い出も作った。

 クラリッサは勝利の美酒に酔う。

 

「次にお会いするのが楽しみだわ。きっとディーンさまも、そう思っているはずよ」