遠距離移動の使い手と一緒に、魔法師団長もセリオのもとに向かう。

 現地で緊急事態が発生したときにも、自分がいれば迅速に指示が出せるからだ。

 魔法師団長たちが飛んだ先は、田舎の小さな病院の入院患者専用病棟だった。

 そこに、20年前は時の人だったセリオが、静かに横たわっていた。



「話せますか?」



 魔法師団長はベッドに近づき、やせ細って老いたセリオに尋ねる。



「……誰だ?」



 か細いながらも返事が来たので、魔法師団長は話せると解釈する。



「フロリタさまの生んだ赤子を、呪いましたか?」



 名乗りもせずに単刀直入に質問する魔法師団長に、ちょっとセリオは面食らったようだ。

 しかしその内容に心当たりがあったのだろう。

 少しだけ顔を歪めた。



「遅かったじゃないか。もっと早くに、捕まえに来てくれると思っていたのに」



 ぼそぼそとした気力のないしゃべり方。

 もしかしたら、かなり重い病気なのかもしれない。

 ますます魔法師団長は切り込んでいく。

 早くこの会話を終わらせた方が、セリオのためだと考えたからだ。



「もう十分でしょう。解呪してください」



 せっかちな魔法師団長に、セリオが小さく笑った。



「誰かは知らないが、ウィロビー王国の人だよな? どうか俺の話を聞いてくれ」



 長く話せるとは思えない、しわがれた声で願われた魔法師団長は、取りあえずうなずいた。

 それを見て、セリオはごくりと唾を飲み込み、乾いた唇を舐め、話し出す。



 ――それは長らく苦しんだセリオの、懺悔だった。

 順風満帆だと思われたフロリタとの将来に、ある日突然大きな影が覆いかぶさった。

 己の力ではとても太刀打ちできない魔法大国に、愛するフロリタを奪われたのだ。

 一時は牢で囚われていたセリオだったが、悲恋を知った国民の嘆願もあり、フロリタには手を出さないという契約魔法を結んで釈放される。

 フロリタからは、どうか私を忘れて幸せになってと、一言だけ書かれた手紙が残されていた。

 だが聞くつもりはなかった。

 セリオは一矢報いたかった。

 大国という権力に物を言わせて、フロリタとセリオを引き裂いたウィロビーの王族に。

 幸いなことにセリオは闇魔法の使い手だ。

 誰の力を借りずとも、呪うことが出来る。

 しかし、セリオの魔力量は少なく、単独では呪いの効力も弱い。

 そこで、かけた呪いを保持し続ける魔道具を用意した。

 湾曲した万華鏡のような形をしたそれに、セリオは数か月かけて魔法を重ねてかけ続けた。

 呪いの発動条件は血を捧げること。

 万華鏡のレンズに、血をこすりつけるだけでいい。

 だがセリオは、魔道具が完成してから迷い出した。

 魔道具にかけた闇魔法は、王族の血が流れる赤子への呪いだ。

 フロリタが妊娠したことを知り、頭に血が昇った結果だった。

 これを発動させることで、フロリタは悲しむだろうか。

 フロリタはどんな赤子であれ、きっと愛するだろうから。

 それを思うとセリオはつらかった。

 本来ならば、フロリタはセリオの子を生むはずだった。

 この国で、温かい家庭を築くはずだった。

 セリオはさんざん泣いたあと、魔道具に血を捧げた。

 呪いに気がついたウィロビーの魔法剣士に、殺されることを夢見て。



 フロリタが、赤子を生むと同時に世を儚んだと知らされる。

 ウィロビー王国からは多額の弔慰金がクルス国に贈られた。

 愛する女の死が、クルス国を潤す金になった。

 セリオはますます希死念慮に囚われた。

 手っ取り早く解呪するには、呪いを発動させた者を殺せばいい。

 セリオが死ねば、フロリタの生んだ赤子にふりかかった呪いは解ける。

 早く、早く、俺を殺してくれ。

 実は魔道具に再度セリオの血を捧げれば、呪いは解ける。

 だがセリオはフロリタのもとに逝きたくて、その頃に魔道具を手放してしまった。



 待てど暮らせど、ウィロビー王国からの追手は来ない。

 セリオは自死だけは出来なかった。

 もし自死を選べば、死後にフロリタと同じ世界へ逝けない。

 自死を選んだものは、次の生の輪廻から外されるのだ。

 この世では結ばれなかったフロリタと、せめて来世で結ばれたかった。

 だからセリオは待ち続けたのだが。



「ようやくか、遅いんだよ」



 セリオは病魔に侵され寝たきりとなり、このベッドの上で死を待つだけとなっていた。

 もうすぐフロリタのもとへ逝ける。

 その希望だけが頼りだった。

 それなのに、そんなときになって、ようやく追手が現れたのだ。

 笑いたくもなる。

 どうしてもっと早くに来てくれなかったのかと。

 これまでに、さんざん後悔した。

 フロリタの生んだ赤子は、大きくなった今も呪いに苦しんでいるだろう。

 こんなに長く呪いが続くのなら、セリオは呪わなかったかもしれない。

 きっとフロリタには怒られる。



「あなたは死ぬことを望んでいるのですね」



 話を聞き終わった魔法師団長はそう判断した。

 間違ってはいないだろう。

 しかしこれは難しい問題だ。

 魔法師団長は先代王の判断を仰ぐことにした。

 このまま、セリオの望むように死を与えるのか、それともセリオが手放した魔道具を探すか。

 どちらにしても、セリオの命はそう長くないように思えた。



 ◇◆◇



 魔法師団長からの連絡を受けた先代王は、深いため息をついた。

 やはり、そうだった。

 呪ったのはセリオだった。

 しかし話を聞いてみると、セリオも苦しんだようだ。

 すぐに追手が来て殺されるものと思っていたのに、予想以上に長生きしてしまったのだ。

 その間、自分がかけた呪いを後悔し続けて、魔道具を手放したことを後悔し続けて。

 呪いは不幸しか生まなかった。



「出来れば魔道具を探し出し、セリオの血を捧げ解呪してもらいたい。しかし、その前にセリオの寿命が尽きるというのならば仕方なし」



 魔法師団長にはそう伝えた。

 死にたがっていたセリオには申し訳ないが、魔法師団長の手を汚させるのも酷だ。

 本当に罪深いのは自分たちなのだから。



 先代王からの指示を受け、魔法師団長たちは魔道具を探し始める。

 セリオから魔道具の特徴を聞き出し、誰もが分かるよう絵にした。

 手分けをして聞き込みさせるため、魔法師だけでなく魔法剣士や魔法研究員にも声をかけた。

 そしてセリオには監視をつけた。

 刻一刻と手がかりのないまま時間は進む。

 

 魔法師団長たちがセリオを訪問してから8日後、セリオが息を引き取った。



「フロリタ……待たせたね」



 そう呟き、逝ったのだという。



 ◇◆◇

 

 セリオが逝った瞬間に、呪いは解けた。

 そしてそれは、ディーンとメイベルが向き合い、ちょうどお茶を飲んでいるときだった。



「え? 見える?」



 ディーンの言葉にメイベルは顔を上げる。

 それまでケーキに夢中になっていたのだ。

 いつもは合わない二人の視線がぶつかる。

 ディーンの緑の瞳が、しっかりとメイベルの青い瞳を捕まえた。

 何が起きているのか。



「メイベル、唇にケーキがついてる」



 ふっと笑ったディーンが、自分の左端の唇をトントンと指さして教えた。



「え? 見えてるんですか?」



 メイベルは混乱した。

 慌て過ぎて、持っていたフォークをケーキ皿に落としてしまう。

 カチャンと耳障りな音がした。

 しかしそれに気を取られるでもなく、ディーンの腕がゆっくり伸びてくる。

 そっとメイベルの唇をなぞり、ついたクリームを指ですくう。

 そしてディーンはそれを舐めた。

 

「これはキャラメルソース……キャラメルってこんな色をしていたんだ」



 感心しているディーン。

 それどころではないメイベルと侍従。

 侍従は転びそうになりながら、王城へ向かって走っていった。

 おそらく誰かに報告をするのだろう。

 メイベルがその姿を目で追っていると、離れたはずのディーンの腕が戻ってきた。



「メイベル、こっちを見て。もっと顔を見せて」



 そんな甘い言葉に、メイベルが逆らえるはずもなかった。