王城を通り過ぎ、少し森に分け入ったところで馬車は止まった。
王城の後ろに隠れるように、こじんまりとした離宮があった。
落ち着いた色の屋根と外壁が、森の色合いによく馴染んでいる。
森と邸、ふたつでひとつ、そんな感じがした。
出迎えに立っていた侍従が、庭に続く道を案内する。
邸には入らず、直接お茶会の場である庭に向かうようだ。
邸の内装も見てみたかったなと、少し残念に思いながら、メイベルは後をついていく。
木々に囲まれた道は、掃いても掃いても落ち葉が重なるのだろう。
侍従とメイベルが歩くたびに、足元でカサカサと乾いた音を立てた。
まだ寒くはない。
今年の冬は、雪が降るかしら。
メイベルは曇天を見上げる。
まわりの自然に触発され、メイベルの心は懐かしい領地を思い出していた。
たくさんの枯葉を集めて、みんなで焚火をしたわね。
あれは何歳の頃だったろうか。
「どうぞ、メイベルさま。ディーンさまがお待ちです」
はっとすると、侍従が右手を奥へ伸ばしていた。
続く小道を進むと、白いテーブルに緑色のテーブルカバー、青と金の縁取りがされたティーセットが見えた。
そして、その傍に用意されたひじ掛け付きの数脚の椅子、ワゴンの上にはフルーツに飾られたケーキ。
しかし最も目を引いたのが、テーブル横に立ちメイベルを待っていた王弟ディーンだった。
(美しい人……)
癖のない長い金髪を背に流し、常緑樹の葉を思わせる深緑色の目は、メイベルの方を向いているのに目が合うことは無い。
(本当に目が見えないんだわ)
うっかり立ち止まってしまったメイベルだったが、それではずっとディーンを立たせたままになると気がついて歩を進めた。
そして近くまでくると、ディーンに向かってカーテシーをする。
「初めまして、リグリー侯爵家のメイベルと申します」
「どうぞ楽にして。ディーン・ウィロビーです。よろしく」
美しい人は声まで透き通っていた。
「お好きなところへかけて。椅子を引いてあげられなくてごめんね」
ディーンの手が、お好きなところと言いながらも隣を示したので、メイベルはそこに座ることにした。
侍従がすぐに椅子を引いてくれる。
侍従はディーンの椅子も引いて、ディーンの右手に椅子とテーブルの位置を教えながら、ゆっくりと腰かけさせた。
あまり慣れていないようだったので、きっとこの庭で日頃からお茶会をしているわけではないと分かる。
ワゴンからケーキが運ばれ、温かいお茶が供される。
お茶の香りもすばらしいが、瑞々しいフルーツがたっぷり載ったケーキの艶やかさに目が釘付けとなる。
メイベルはさっそくカトラリーを取った。
フルーツが落ちてこないように、そっと側面にフォークすべりこませる。
およそ一口で食べられるだろう大きさの欠片にし、零さないよう口に運んだ。
噛み締めるまでもなく、ほどけるようにスポンジが舌の上に散った。
追ってフルーツの香りとクリームの甘さ、それらが一体となる幸福。
あまりの美味しさにメイベルの口角が上がった。
すぐに、二口、三口と食べ進めた。
(いけない、私ばかり食べているのではないかしら?)
ふと気になったメイベルはディーンに視線を移す。
そう言えば、目が見えないのにどうやってケーキを食べるのだろう?
目が見えているメイベルでさえ、ケーキというのは品よく食べるのに苦戦する。
不思議に思ってディーンの手元を見ると、ケーキがすでに一口大にカットされ、フォークに載せられていた。
ディーンは危なげなくフォークを摘み上げ、ゆっくりと口に運ぶ。
咀嚼する様は絵画のようだった。
メイベルの手が止まったのが分かったのか、ディーンが話しかけてきた。
「ケーキは口に合った?」
「ええ、とても美味しいです」
最初の滑り出しとしては、いいように思った。
しかし、男性とお付き合いした経験がないメイベルは、こういうときに何を話せばいいのか分からず、ケーキを食べてしまったあとは口ごもることがしばしば。
それはディーンも同じようで、二人の会話は弾んでいるとは言い難かった。
では空気が悪いかというと、そうでもなく。
なんとなく二人で一緒にいる空気に、メイベルは和むものを感じていた。
ディーンも最初は緊張していたようだが、そのうち森の方に視線を向けるようになった。
耳を澄まして何かの音を聞いていたり、すっと鼻をあげて深呼吸をしていたり。
決して退屈だからという訳ではなく、ディーンは日頃からこうして森を楽しんでいるのだろうな、とメイベルは感じた。
「もう秋の香りがする。森は紅葉してる?」
「まだ紅葉とまではいきません。少し葉が黄色味を帯びてきたところはあります」
もしかしたらディーンの独り言だったかもしれないけれど、メイベルは返事をしてみた。
ディーンは嬉しそうにメイベルの方に顔を向けた。
やっぱり目は合わないけれど、メイベルをしっかり捉えている。
「黄色……メイベル、黄色はどんな色?」
「どんな……?」
「みんなは色々な表現をするよ。夏の太陽の色だとか、酸っぱい果実の色だとか」
メイベルは考えた。
目の見えない人にとって、色とはなんだろうかと。
「そうですね……春の日差しの中で咲く、野花の花弁のような色だと思います」
メイベルは、なるべく感覚に訴える表現をした。
指で触ったり、肌で感じたり、目が見えなくても分かるような。
ぽかぽかした温かい春、そよ風にゆれる花々のしっとりとした柔らかい花弁。
それが黄色、メイベルはそう思ったのだ。
「花弁か。いい表現だね」
ディーンは嚙みしめるように答えた。
そして、まるでそこに花弁があるかのように指をこすり合わせる。
「春が待ち遠しくなったよ」
ディーンとのお茶会は日が傾く前に終わった。
「また誘ってもいい? メイベルと一緒にいるのが楽しかったから」
「もちろんです。いつでも誘ってください」
どうせメイベルは家にいるばかりで出かける予定もない。
いつ誘われても問題のない身の上だった。
「嬉しいよ。じゃあ、また」
ディーンがはにかむように笑ったので、メイベルは頬が赤くなるのを止められなかった。
でもメイベルがいくら頬を赤くしても、ディーンには見えていない。
それに安心して、メイベルは思うさま頬を赤くした。
◇◆◇
メイベルを庭へ案内した侍従は、王の執務室にいた。
初顔合わせとなった今日のお茶会の内容を報告するためだ。
ジョージは前のめりになり、侍従の話に耳を傾ける。
「では、ディーンからその令嬢に、次回の誘いをしたというのだな?」
「はい、その通りです。会話はあまり弾んでいるようには見えなかったのですが……」
「それはそうだろう、ディーンも令嬢も、人見知りの引きこもりだ。会話が弾む方が不自然なのだ。しかし……これはいい兆候だな。臣下たちにもしっかり伝えておかねば」
魔力量の多いディーンに婚約者ができた。
しかも、相手のことを好ましく思っているようだ。
相手が魔力量の多い令嬢と知れば、臣下たちは歓喜するだろう。
そしてジョージに側妃を娶れなど、言ってこないはずだ。
「なんとしてでもこの婚約、結婚まで持っていかねばならぬ」
ジョージは保身のために強く決心する。
「お前には引き続き、ディーンの侍従として二人の様子を観察し、報告する義務を申し渡す。どんな小さなことでも、漏らさずに言うように」
「かしこまりました」
侍従は深く頭を下げ、王の前を辞した。
それからも、お茶会が開催されるたび、侍従はこうしてジョージへ報告を持って上がった。
しかし数回目のお茶会で起きた出来事については、王であるジョージだけでなく先代王にも報告をしたほうがいいと判断した。
この侍従の判断が、このときは吉と出た。
王城の後ろに隠れるように、こじんまりとした離宮があった。
落ち着いた色の屋根と外壁が、森の色合いによく馴染んでいる。
森と邸、ふたつでひとつ、そんな感じがした。
出迎えに立っていた侍従が、庭に続く道を案内する。
邸には入らず、直接お茶会の場である庭に向かうようだ。
邸の内装も見てみたかったなと、少し残念に思いながら、メイベルは後をついていく。
木々に囲まれた道は、掃いても掃いても落ち葉が重なるのだろう。
侍従とメイベルが歩くたびに、足元でカサカサと乾いた音を立てた。
まだ寒くはない。
今年の冬は、雪が降るかしら。
メイベルは曇天を見上げる。
まわりの自然に触発され、メイベルの心は懐かしい領地を思い出していた。
たくさんの枯葉を集めて、みんなで焚火をしたわね。
あれは何歳の頃だったろうか。
「どうぞ、メイベルさま。ディーンさまがお待ちです」
はっとすると、侍従が右手を奥へ伸ばしていた。
続く小道を進むと、白いテーブルに緑色のテーブルカバー、青と金の縁取りがされたティーセットが見えた。
そして、その傍に用意されたひじ掛け付きの数脚の椅子、ワゴンの上にはフルーツに飾られたケーキ。
しかし最も目を引いたのが、テーブル横に立ちメイベルを待っていた王弟ディーンだった。
(美しい人……)
癖のない長い金髪を背に流し、常緑樹の葉を思わせる深緑色の目は、メイベルの方を向いているのに目が合うことは無い。
(本当に目が見えないんだわ)
うっかり立ち止まってしまったメイベルだったが、それではずっとディーンを立たせたままになると気がついて歩を進めた。
そして近くまでくると、ディーンに向かってカーテシーをする。
「初めまして、リグリー侯爵家のメイベルと申します」
「どうぞ楽にして。ディーン・ウィロビーです。よろしく」
美しい人は声まで透き通っていた。
「お好きなところへかけて。椅子を引いてあげられなくてごめんね」
ディーンの手が、お好きなところと言いながらも隣を示したので、メイベルはそこに座ることにした。
侍従がすぐに椅子を引いてくれる。
侍従はディーンの椅子も引いて、ディーンの右手に椅子とテーブルの位置を教えながら、ゆっくりと腰かけさせた。
あまり慣れていないようだったので、きっとこの庭で日頃からお茶会をしているわけではないと分かる。
ワゴンからケーキが運ばれ、温かいお茶が供される。
お茶の香りもすばらしいが、瑞々しいフルーツがたっぷり載ったケーキの艶やかさに目が釘付けとなる。
メイベルはさっそくカトラリーを取った。
フルーツが落ちてこないように、そっと側面にフォークすべりこませる。
およそ一口で食べられるだろう大きさの欠片にし、零さないよう口に運んだ。
噛み締めるまでもなく、ほどけるようにスポンジが舌の上に散った。
追ってフルーツの香りとクリームの甘さ、それらが一体となる幸福。
あまりの美味しさにメイベルの口角が上がった。
すぐに、二口、三口と食べ進めた。
(いけない、私ばかり食べているのではないかしら?)
ふと気になったメイベルはディーンに視線を移す。
そう言えば、目が見えないのにどうやってケーキを食べるのだろう?
目が見えているメイベルでさえ、ケーキというのは品よく食べるのに苦戦する。
不思議に思ってディーンの手元を見ると、ケーキがすでに一口大にカットされ、フォークに載せられていた。
ディーンは危なげなくフォークを摘み上げ、ゆっくりと口に運ぶ。
咀嚼する様は絵画のようだった。
メイベルの手が止まったのが分かったのか、ディーンが話しかけてきた。
「ケーキは口に合った?」
「ええ、とても美味しいです」
最初の滑り出しとしては、いいように思った。
しかし、男性とお付き合いした経験がないメイベルは、こういうときに何を話せばいいのか分からず、ケーキを食べてしまったあとは口ごもることがしばしば。
それはディーンも同じようで、二人の会話は弾んでいるとは言い難かった。
では空気が悪いかというと、そうでもなく。
なんとなく二人で一緒にいる空気に、メイベルは和むものを感じていた。
ディーンも最初は緊張していたようだが、そのうち森の方に視線を向けるようになった。
耳を澄まして何かの音を聞いていたり、すっと鼻をあげて深呼吸をしていたり。
決して退屈だからという訳ではなく、ディーンは日頃からこうして森を楽しんでいるのだろうな、とメイベルは感じた。
「もう秋の香りがする。森は紅葉してる?」
「まだ紅葉とまではいきません。少し葉が黄色味を帯びてきたところはあります」
もしかしたらディーンの独り言だったかもしれないけれど、メイベルは返事をしてみた。
ディーンは嬉しそうにメイベルの方に顔を向けた。
やっぱり目は合わないけれど、メイベルをしっかり捉えている。
「黄色……メイベル、黄色はどんな色?」
「どんな……?」
「みんなは色々な表現をするよ。夏の太陽の色だとか、酸っぱい果実の色だとか」
メイベルは考えた。
目の見えない人にとって、色とはなんだろうかと。
「そうですね……春の日差しの中で咲く、野花の花弁のような色だと思います」
メイベルは、なるべく感覚に訴える表現をした。
指で触ったり、肌で感じたり、目が見えなくても分かるような。
ぽかぽかした温かい春、そよ風にゆれる花々のしっとりとした柔らかい花弁。
それが黄色、メイベルはそう思ったのだ。
「花弁か。いい表現だね」
ディーンは嚙みしめるように答えた。
そして、まるでそこに花弁があるかのように指をこすり合わせる。
「春が待ち遠しくなったよ」
ディーンとのお茶会は日が傾く前に終わった。
「また誘ってもいい? メイベルと一緒にいるのが楽しかったから」
「もちろんです。いつでも誘ってください」
どうせメイベルは家にいるばかりで出かける予定もない。
いつ誘われても問題のない身の上だった。
「嬉しいよ。じゃあ、また」
ディーンがはにかむように笑ったので、メイベルは頬が赤くなるのを止められなかった。
でもメイベルがいくら頬を赤くしても、ディーンには見えていない。
それに安心して、メイベルは思うさま頬を赤くした。
◇◆◇
メイベルを庭へ案内した侍従は、王の執務室にいた。
初顔合わせとなった今日のお茶会の内容を報告するためだ。
ジョージは前のめりになり、侍従の話に耳を傾ける。
「では、ディーンからその令嬢に、次回の誘いをしたというのだな?」
「はい、その通りです。会話はあまり弾んでいるようには見えなかったのですが……」
「それはそうだろう、ディーンも令嬢も、人見知りの引きこもりだ。会話が弾む方が不自然なのだ。しかし……これはいい兆候だな。臣下たちにもしっかり伝えておかねば」
魔力量の多いディーンに婚約者ができた。
しかも、相手のことを好ましく思っているようだ。
相手が魔力量の多い令嬢と知れば、臣下たちは歓喜するだろう。
そしてジョージに側妃を娶れなど、言ってこないはずだ。
「なんとしてでもこの婚約、結婚まで持っていかねばならぬ」
ジョージは保身のために強く決心する。
「お前には引き続き、ディーンの侍従として二人の様子を観察し、報告する義務を申し渡す。どんな小さなことでも、漏らさずに言うように」
「かしこまりました」
侍従は深く頭を下げ、王の前を辞した。
それからも、お茶会が開催されるたび、侍従はこうしてジョージへ報告を持って上がった。
しかし数回目のお茶会で起きた出来事については、王であるジョージだけでなく先代王にも報告をしたほうがいいと判断した。
この侍従の判断が、このときは吉と出た。