届けられた魔道具を見て、魔法師団長はレンズにこすりつけられた血を確認した。
「間違いないでしょう。これがセリオの作った呪いの魔道具ですね」
「では、それを発動させたのはメイベルの義妹のシェリーですね」
「おそらくは。何も疑わずにこんなに闇の気配をふりまく魔道具に血を捧げてしまうとは……あなたを夜這うだけはありますね」
シェリーが考えなしだと言いたいのだろう。
マシューもそれには激しく同意する。
魔法師団長は呆れ顔で、あちこちの角度から魔道具を見ている。
そしてレンズを指さしてマシューに命じた。
「セリオの証言が正しければ、再びこのレンズに発動者の血を捧げることで、解呪できるでしょう。あなたにはシェリーとやらの血を採ってきてもらいます。そうですね、解呪のタイミングは先代王に相談するとして、血を新鮮な状態で保存できる魔道具が必要ですね」
魔法師団長はすぐに魔法研究員に声をかける。
マシューにその魔法研究員と、新鮮な血を保存できる魔道具を見繕うように言って、魔法師団長は先代王の執務室に急いだ。
呪いに関しては最優先事項だと言われている。
わざわざ謁見の許可など取る必要はなかった。
魔法師団長が先代王に呪いの魔道具が見つかったことを報告している頃、ディーンは一人静かに、離宮の庭で過ごしていた。
すでにクラリッサとの婚約は解消されている。
この静かな暮らしに、華やかで社交好きなクラリッサは馴染めなかったのだ。
森を走る小動物の足音を聞き分けられるほどの静寂。
ディーンが愛した離宮での楽しみを、クラリッサとは共有できなかった。
何度か一緒に出かけたパーティのように、人々がたくさん集まり、にぎやかで騒々しい場がクラリッサには似合っている。
ダンスを踊って活き活きとしていたクラリッサを思い出し、ディーンは苦笑した。
行ってみて分かったが、ディーンはそういう場が嫌いだった。
不慣れだからではない。
ディーンのよすぎる耳には喧騒がつらいし、よすぎる鼻には体臭と香水の匂いが強烈だ。
目が不自由だったからこそ鋭敏になった感覚が、ディーンにそうした場を倦厭させた。
ディーンは、かつてメイベルとお茶会をしたテーブルセットに腰かけ、春の光の柔らかさを堪能する。
肌で感じることに、ディーンは慣れてしまった。
そのせいで、メイベルをもう感じられない。
左腕をさする。
ここに温かなメイベルを感じていたのは、わずかな間だけだった。
春の花の色が黄色だとメイベルに教えてもらったが、その春になる前に呪いが復活した。
もう黄色という色は知っていたけれど、ディーンは黄色の春の花を見たいと思った。
きっとその柔らかさと優しさは、メイベルに通じるものがあるのではないか。
テーブルの上から手を伸ばす。
メイベルがいつも座っていた席はここだ。
ディーンの左隣のひじ掛け付きの椅子。
今は、ここで嬉しそうにケーキを食べる人はいない。
それが寂しくて仕方がない。
ディーンは伸ばした手を引っ込める。
それをそのまま左目にあてた。
呪いが復活して、ディーンの目は見えなくなった。
ディーンの目とメイベルの青痣は、呪いに関して連動しているふしがある。
もしかしたら、メイベルにも青痣が現れたのではないか。
呪いについて、もっと魔法師団長に詳しく聞けばよかった。
ディーンは空を見上げる。
秋の空は青く高く、冬の空は白っぽく陰鬱だった。
春の空は何色だろう。
(メイベル――)
青痣があれば、誰とも婚約しないでいてくれるだろうか。
仲良くしていたように見えた魔法剣士との婚約は、思わぬ不祥事が起きて破棄されたと聞いた。
このまま、相手が見つからなければいい。
ディーンは己が、こんなにも仄暗い思いを抱き、それに悦びを感じることに失笑した。
(盲目と青痣、僕たちはきっとお似合いなんだ)
もう離れ離れにならないよう、婚約なんてせずに結婚できないか。
ディーンが使える力なんて、たかがしれている。
だが、そんなディーンを哀れみ、今も罪悪感にさいなまれている先代王がいる。
使えるものは使うしかない。
「何をしてでも、君が欲しい」
ディーンは侍従を呼び、先代王に会う時間が欲しいと伝えてもらう。
すぐに設けられたその場で、ディーンは生まれて初めて、父親への我がままを口にした。
◇◆◇
解呪するには、魔道具を発動させた者の血が必要だ。
マシューは次の日、シェリーとのデートの待ち合わせ場所に、青いバラの花束を持って行った。
一部分に、わざと棘を残して。
マシューは時間より少し早めに到着して、シェリーを待つ。
じっとしていると、どうしてもメイベルのことを考える。
メイベルは心に誰かを残しながら、それでもマシューを好きになろうとしてくれた。
マシューも政略とは思えないほど、メイベルの真摯で誠実な心に惹かれた。
何事もなければ、いい夫婦になれただろうと思う。
マシューは今日もつけているマフラーに顔をうずめる。
魔力量が少ないセリオがかけた呪いは、正確性に欠け、あいまいだった。
そのせいで呪いは、王族の血が流れる魔力量の多い赤子を無差別に襲った。
父親が先代王であるディーンはもちろん、メイベルにも王族の血が流れていたのだ。
メイベルの母親は、先代王の従妹だったという。
そして二人は産まれながらにして、盲目と青痣という業を背負った。
そして何の因果か婚約をし、解呪されなければそのまま結婚していた。
だがセリオの死により、二人は業から解放される。
業のせいで結ばれた婚約は解消され、それぞれ違う相手と政略の婚約を結び直す。
思い合っていただろうディーンとメイベルは、またしても運命に弄ばれてしまった。
(もし、メイベルがまだ王弟を想っているのならば――)
昨夜、魔法師団長から聞かされた今後の話を思い出す。
それでメイベルが幸せになるのならば。
「私がその助けになれることを、嬉しく思おう」
本当は、マシューがメイベルを幸せにしたかった。
マシューは何度も誘ったデートで、メイベルがどれだけ喜んでいたかを思い返す。
メイベルの笑った顔はとても可愛かった。
しかし、マシューに残されたのは、もう思い出とマフラーだけ。
かなり遅れてシェリーが現れた。
どうやら邸を抜け出すのに、変身魔法を使ったようだ。
髪の色と瞳の色が違う。
顔はシェリーのままだ。
寝ぼけていない限りは、間違えようがない。
マシューはメイベルと思って抱き寄せた、過去の自分のうかつさを責めた。
「お待たせしました! ちょっと手こずっちゃって……」
マシューはすかさず青いバラの花束を差し出す。
ちょうど受け取る位置に棘が来るようにして。
「今日の記念に。よかったら受け取って」
「わあ! 嬉しい! 青いバラって珍しいわね!」
普通、青いバラは恋人には送らない。
同じバラならもっと、恋人にふさわしい花言葉のものがたくさんあるからだ。
だけどシェリーは気がつかない。
花束を勢いよく受け取った。
そして棘が刺さる。
「痛っ!!」
「いけない、棘が残っていたかな? 指を見せて、血が出ていない?」
マシューはなるべく優しく聞こえるように声をかけ、シェリーの手をそっと握る。
右手の中指から、赤い血が滴っていた。
マシューは胸ポケットから、きれいに折りたたまれた白いハンカチを取り出し、シェリーの指にあてる。
白いハンカチに血が滲み、みるみる赤くなる。
このハンカチこそ、血を新鮮な状態で保存できる魔道具だった。
強く抑えて圧迫し、血が止まるまでそうしていた。
マシューがハンカチを指から離すと同時に、魔法剣士の隊服を着た同僚が足早に通りかかる。
「マシュー! 魔法師団長がお呼びだ! 緊急事態だ!」
やや棒読みではあったが、マシューにもシェリーにも内容は正しく伝わった。
マシューはシェリーに向き直り、深々と頭を下げた。
「申し訳ない、どうやら急な仕事のようだ。今日はこれで失礼するよ」
「え~、残念~」
マシューは演技の下手な同僚と一緒に、魔法師団の建物へ走った。
あからさまに落胆しているシェリーを残して。
指に怪我をさせたことも落胆させたことも、マシューは心から申し訳ないと思っているが、シェリーが夜這いさえしなければ、こんなことにはならなかったのだ。
正しくシェリーの自業自得であった。
「間違いないでしょう。これがセリオの作った呪いの魔道具ですね」
「では、それを発動させたのはメイベルの義妹のシェリーですね」
「おそらくは。何も疑わずにこんなに闇の気配をふりまく魔道具に血を捧げてしまうとは……あなたを夜這うだけはありますね」
シェリーが考えなしだと言いたいのだろう。
マシューもそれには激しく同意する。
魔法師団長は呆れ顔で、あちこちの角度から魔道具を見ている。
そしてレンズを指さしてマシューに命じた。
「セリオの証言が正しければ、再びこのレンズに発動者の血を捧げることで、解呪できるでしょう。あなたにはシェリーとやらの血を採ってきてもらいます。そうですね、解呪のタイミングは先代王に相談するとして、血を新鮮な状態で保存できる魔道具が必要ですね」
魔法師団長はすぐに魔法研究員に声をかける。
マシューにその魔法研究員と、新鮮な血を保存できる魔道具を見繕うように言って、魔法師団長は先代王の執務室に急いだ。
呪いに関しては最優先事項だと言われている。
わざわざ謁見の許可など取る必要はなかった。
魔法師団長が先代王に呪いの魔道具が見つかったことを報告している頃、ディーンは一人静かに、離宮の庭で過ごしていた。
すでにクラリッサとの婚約は解消されている。
この静かな暮らしに、華やかで社交好きなクラリッサは馴染めなかったのだ。
森を走る小動物の足音を聞き分けられるほどの静寂。
ディーンが愛した離宮での楽しみを、クラリッサとは共有できなかった。
何度か一緒に出かけたパーティのように、人々がたくさん集まり、にぎやかで騒々しい場がクラリッサには似合っている。
ダンスを踊って活き活きとしていたクラリッサを思い出し、ディーンは苦笑した。
行ってみて分かったが、ディーンはそういう場が嫌いだった。
不慣れだからではない。
ディーンのよすぎる耳には喧騒がつらいし、よすぎる鼻には体臭と香水の匂いが強烈だ。
目が不自由だったからこそ鋭敏になった感覚が、ディーンにそうした場を倦厭させた。
ディーンは、かつてメイベルとお茶会をしたテーブルセットに腰かけ、春の光の柔らかさを堪能する。
肌で感じることに、ディーンは慣れてしまった。
そのせいで、メイベルをもう感じられない。
左腕をさする。
ここに温かなメイベルを感じていたのは、わずかな間だけだった。
春の花の色が黄色だとメイベルに教えてもらったが、その春になる前に呪いが復活した。
もう黄色という色は知っていたけれど、ディーンは黄色の春の花を見たいと思った。
きっとその柔らかさと優しさは、メイベルに通じるものがあるのではないか。
テーブルの上から手を伸ばす。
メイベルがいつも座っていた席はここだ。
ディーンの左隣のひじ掛け付きの椅子。
今は、ここで嬉しそうにケーキを食べる人はいない。
それが寂しくて仕方がない。
ディーンは伸ばした手を引っ込める。
それをそのまま左目にあてた。
呪いが復活して、ディーンの目は見えなくなった。
ディーンの目とメイベルの青痣は、呪いに関して連動しているふしがある。
もしかしたら、メイベルにも青痣が現れたのではないか。
呪いについて、もっと魔法師団長に詳しく聞けばよかった。
ディーンは空を見上げる。
秋の空は青く高く、冬の空は白っぽく陰鬱だった。
春の空は何色だろう。
(メイベル――)
青痣があれば、誰とも婚約しないでいてくれるだろうか。
仲良くしていたように見えた魔法剣士との婚約は、思わぬ不祥事が起きて破棄されたと聞いた。
このまま、相手が見つからなければいい。
ディーンは己が、こんなにも仄暗い思いを抱き、それに悦びを感じることに失笑した。
(盲目と青痣、僕たちはきっとお似合いなんだ)
もう離れ離れにならないよう、婚約なんてせずに結婚できないか。
ディーンが使える力なんて、たかがしれている。
だが、そんなディーンを哀れみ、今も罪悪感にさいなまれている先代王がいる。
使えるものは使うしかない。
「何をしてでも、君が欲しい」
ディーンは侍従を呼び、先代王に会う時間が欲しいと伝えてもらう。
すぐに設けられたその場で、ディーンは生まれて初めて、父親への我がままを口にした。
◇◆◇
解呪するには、魔道具を発動させた者の血が必要だ。
マシューは次の日、シェリーとのデートの待ち合わせ場所に、青いバラの花束を持って行った。
一部分に、わざと棘を残して。
マシューは時間より少し早めに到着して、シェリーを待つ。
じっとしていると、どうしてもメイベルのことを考える。
メイベルは心に誰かを残しながら、それでもマシューを好きになろうとしてくれた。
マシューも政略とは思えないほど、メイベルの真摯で誠実な心に惹かれた。
何事もなければ、いい夫婦になれただろうと思う。
マシューは今日もつけているマフラーに顔をうずめる。
魔力量が少ないセリオがかけた呪いは、正確性に欠け、あいまいだった。
そのせいで呪いは、王族の血が流れる魔力量の多い赤子を無差別に襲った。
父親が先代王であるディーンはもちろん、メイベルにも王族の血が流れていたのだ。
メイベルの母親は、先代王の従妹だったという。
そして二人は産まれながらにして、盲目と青痣という業を背負った。
そして何の因果か婚約をし、解呪されなければそのまま結婚していた。
だがセリオの死により、二人は業から解放される。
業のせいで結ばれた婚約は解消され、それぞれ違う相手と政略の婚約を結び直す。
思い合っていただろうディーンとメイベルは、またしても運命に弄ばれてしまった。
(もし、メイベルがまだ王弟を想っているのならば――)
昨夜、魔法師団長から聞かされた今後の話を思い出す。
それでメイベルが幸せになるのならば。
「私がその助けになれることを、嬉しく思おう」
本当は、マシューがメイベルを幸せにしたかった。
マシューは何度も誘ったデートで、メイベルがどれだけ喜んでいたかを思い返す。
メイベルの笑った顔はとても可愛かった。
しかし、マシューに残されたのは、もう思い出とマフラーだけ。
かなり遅れてシェリーが現れた。
どうやら邸を抜け出すのに、変身魔法を使ったようだ。
髪の色と瞳の色が違う。
顔はシェリーのままだ。
寝ぼけていない限りは、間違えようがない。
マシューはメイベルと思って抱き寄せた、過去の自分のうかつさを責めた。
「お待たせしました! ちょっと手こずっちゃって……」
マシューはすかさず青いバラの花束を差し出す。
ちょうど受け取る位置に棘が来るようにして。
「今日の記念に。よかったら受け取って」
「わあ! 嬉しい! 青いバラって珍しいわね!」
普通、青いバラは恋人には送らない。
同じバラならもっと、恋人にふさわしい花言葉のものがたくさんあるからだ。
だけどシェリーは気がつかない。
花束を勢いよく受け取った。
そして棘が刺さる。
「痛っ!!」
「いけない、棘が残っていたかな? 指を見せて、血が出ていない?」
マシューはなるべく優しく聞こえるように声をかけ、シェリーの手をそっと握る。
右手の中指から、赤い血が滴っていた。
マシューは胸ポケットから、きれいに折りたたまれた白いハンカチを取り出し、シェリーの指にあてる。
白いハンカチに血が滲み、みるみる赤くなる。
このハンカチこそ、血を新鮮な状態で保存できる魔道具だった。
強く抑えて圧迫し、血が止まるまでそうしていた。
マシューがハンカチを指から離すと同時に、魔法剣士の隊服を着た同僚が足早に通りかかる。
「マシュー! 魔法師団長がお呼びだ! 緊急事態だ!」
やや棒読みではあったが、マシューにもシェリーにも内容は正しく伝わった。
マシューはシェリーに向き直り、深々と頭を下げた。
「申し訳ない、どうやら急な仕事のようだ。今日はこれで失礼するよ」
「え~、残念~」
マシューは演技の下手な同僚と一緒に、魔法師団の建物へ走った。
あからさまに落胆しているシェリーを残して。
指に怪我をさせたことも落胆させたことも、マシューは心から申し訳ないと思っているが、シェリーが夜這いさえしなければ、こんなことにはならなかったのだ。
正しくシェリーの自業自得であった。