リグリー侯爵は、王都育ちのシェリーを領地へ追放した。
シェリーは、田舎は嫌だと喚いていたが、有無を言わさず馬車に乗せられ、あの騒動の次の日には邸を出発したそうだ。
そしてサンダーズ伯爵家からは、メイベルとマシューの婚約破棄の通達が来た。
両家親族を集めた婚約披露パーティを済ませた後に起きた醜聞で、貞操観念のないシェリーが義姉の婚約者であるマシューに夜這いをした罪は重い。
今後一切、サンダーズ伯爵家に関わらないよう念押しされ、リグリー侯爵家の有責として高額な慰謝料の支払いを請求してきた。
またメイベル宛にはマシューの手紙は入っておらず、サンダーズ伯爵の「鍛え直すため、息子はしばらく魔法師団長に預ける。手紙も出せないだろう。息子のことはもう忘れるように」という直々の文書が添えてあった。
ディーンと婚約したときも、一か月で婚約解消された。
まさかマシューとの婚約も、一か月で婚約破棄されるとは。
メイベルは、どちらも自分のせいではないと分かってはいても、落ち込んだ。
マシューとの未来を、真剣に考えた矢先だった。
どこまでも不幸がメイベルを追ってくる。
メイベルの引きこもり生活が、また始まった。
メイベルが婚約破棄された事情が、社交界に流れる。
貴族たちの口をふさぐことはできない。
短い間に二度も婚約が成り立たなかった話は、さぞかし面白かったのだろう。
それが元々、青痣令嬢として噂になっていたメイベルだったから、なおのこと。
リグリー侯爵は焦った。
せっかく王家とホイストン公爵家の肝いりでまとまりそうだった婚約を、台無しにしてしまったのだ。
悪評にまみれ、このままでは貴族間での地位も危うい。
(いよいよ、切り札を切るときが来たか?)
こうなったらメイベルの特殊魔法のことをバラしてでも、どこかとの婚約をもぎとるしかない。
そもそもメイベルに悪い噂がつきまとっていたときも、この切り札があるからリグリー侯爵は安穏としていられたのだ。
(いざとなれば治癒魔法の使い手であると公表してしまおう)
メイベルの知らないところで、駒は進められる。
◇◆◇
領地に追放されてシェリーは荒れた。
王都と違って、領地には娯楽が少ない。
こんなに何もないのんびりした田舎で、どうやって時間を過ごせというのか。
王都に居た頃はたくさんの友人に囲まれ、毎日のように遊び歩いた。
新規オープンした店に入っては店内の物を全部買ってみたり、ちょっと大人のふりをして仮面舞踏会に行ってみたり。
ワクワクするようなことがいっぱいあった。
ところが領地では時間がゆっくりとしか流れない。
まわりにあるのは自然ばかり。
こんなところで、11歳まで育ったメイベルが芋くさいのも当たり前だ。
「あ~、やってられないわ! どうして私がこんな目にあわなくちゃいけないのよ!」
シェリーは全く反省していなかった。
ちょっと魔力量が足りないくらいで、シェリーを役立たずのように言ったサンダーズ伯爵が許せない。
これでもシェリーは特殊魔法持ちなのだ。
火魔法しかないマシューの血に、特殊魔法の血が混ざるのに。
あれだけ怒られても、まだシェリーはマシューを想っていた。
添い寝をしただけだが、一夜を共にした感覚が忘れられない。
逞しい筋肉に護られる安心感と、大人の男の色気。
思い出すたびに熱いため息が出る。
また、あの腕に囲われたい。
そんなことばかりを考えていた。
ある日、下町によく当たる占い師がいると聞いて、シェリーは邸を抜け出した。
マシューとの未来を占ってもらおうと思ったのだ。
本当は邸から出てはいけないのだが、そんなことは知ったことではない。
ドレスだと目立つので、一番地味な部屋着に着替えた。
変身魔法で髪色と瞳の色を変えて、堂々と下町を歩く。
王都と違って、一日で端から端まで歩いてしまえるほど小さな通りを、注意深く探した。
そして町娘たちが、きゃあきゃあ言いながら並ぶ列を見つける。
シェリーはその最後尾に近づき、町娘に尋ねる。
「ここが占い師の店? よく当たると噂の?」
突然話しかけられて町娘は驚いていたが、相手がどう見てもお忍び姿の貴族のようだったので、素直にコクリとうなずいた。
「ふふふ、やっと見つけたわ。私に手間をかけさせるなんて、とんでもない占い師ね」
シェリーは並ぶ列をズカズカと追い越し、さっさと店内に入る。
そこにはちょうど占い中だったと思われる町娘と、黒いローブをまとった老婆がいた。
きっと老婆が占い師だろう。
シェリーはあたりをつけると、二人が座るテーブルに近寄った。
そして、そこにドンと金貨の入った袋を置く。
「順番を待つのは嫌いなの。さっさと占ってちょうだい」
町娘はすっかり恐縮している。
座っていた椅子から立ち上がり、そそくさと店から出ていった。
老婆はそれを見て、やれやれとため息をこぼした。
「早くしてちょうだい! 私はそんなに暇じゃないのよ!」
毎日することがないと言っていたシェリーだが、ここでそれを正直に言うつもりはない。
老婆はそんなシェリーに席を勧めた。
やっと占いが始まる。
シェリーはウキウキとして席に着いた。
「私とマシューさまの未来を占ってほしいのよ。どうしたら二人が結ばれるのか教えて」
腕を組んで、ぞんざいな態度を崩さないシェリー。
貴族の自分がわざわざ足を運んでやったんだという驕りがうかがえた。
老婆は占うことなく、後ろの棚を振り返り、そこから奇妙な形の布袋を取り出した。
そしてシェリーの前にそれを置く。
「何よ? これで占うの?」
「これは高貴な方にしかお見せしません。こんな下町の者では使いこなせませんから。――これはとある国から流れてきた魔道具です。なんでもこの魔道具の前の持ち主は、護衛騎士という低い身分にもかかわらず、王女の愛を得たとか」
そう言って老婆が袋から取り出したのは、湾曲した万華鏡のようなものだった。
シェリーはそれを手に取って、レンズから中を覗いてみる。
「何も見えないじゃない。どうやって使うの?」
「満月の夜に、願い事を呟きながらレンズに血をこすりつけるのです。それで二人は結ばれるでしょう」
うさんくさい方法だったが、護衛騎士と王女の話はロマンティックだと思った。
せっかく下町まで来たのだし、この占い師の言うことを聞いてみてもいいと思うほど、シェリーは暇を飽かしていた。
「分かったわ。これはもらっていくわね」
シェリーは万華鏡を握りしめて席を立つと、もう用はないと店を出た。
フンフンと鼻歌を歌い、上機嫌で帰っていくシェリーの後ろ姿に、老婆は顔をしかめた。
「いくら貴族だといばりちらしても、無能は無能。あの魔道具にまといつく呪いの気配を感じられないとは、きっと魔力量がものすごく少ないんだね。おかげで、こっちも薄気味悪い魔道具を手放すことができて良かったよ」
◇◆◇
邸を抜け出し下町に遊びに行ったことを使用人にとがめられたが、そんなことはどうでもよかった。
シェリーは満月の夜を待ち、いよいよ願い事を叶えようとしている。
布袋から取り出した魔道具を、しげしげと眺めた。
「ずいぶん古びているのね。あちこちが錆びているじゃない。血をこすりつけるレンズは……こっちね。どれくらいの血がいるのかしら?」
シェリーが用意したのはブローチの針だ。
それでプツリと左手の親指を刺すと、赤い血がみるみる丸くなった。
流れてしまう前に慌ててレンズにこすりつけると、万華鏡を握りしめる。
「マシューさまと結ばれますように! 私がサンダーズ伯爵家に嫁入りできますように! あの怖い伯爵が私に頭を下げて謝りますように!」
闇魔法の使い手ではないシェリーがいくら願ったところで、呪いの魔道具はそれに応えない。
ただ、捧げられた血に従い、己に重ねてかけられたかつての魔法を発動させたのだった。
シェリーは、田舎は嫌だと喚いていたが、有無を言わさず馬車に乗せられ、あの騒動の次の日には邸を出発したそうだ。
そしてサンダーズ伯爵家からは、メイベルとマシューの婚約破棄の通達が来た。
両家親族を集めた婚約披露パーティを済ませた後に起きた醜聞で、貞操観念のないシェリーが義姉の婚約者であるマシューに夜這いをした罪は重い。
今後一切、サンダーズ伯爵家に関わらないよう念押しされ、リグリー侯爵家の有責として高額な慰謝料の支払いを請求してきた。
またメイベル宛にはマシューの手紙は入っておらず、サンダーズ伯爵の「鍛え直すため、息子はしばらく魔法師団長に預ける。手紙も出せないだろう。息子のことはもう忘れるように」という直々の文書が添えてあった。
ディーンと婚約したときも、一か月で婚約解消された。
まさかマシューとの婚約も、一か月で婚約破棄されるとは。
メイベルは、どちらも自分のせいではないと分かってはいても、落ち込んだ。
マシューとの未来を、真剣に考えた矢先だった。
どこまでも不幸がメイベルを追ってくる。
メイベルの引きこもり生活が、また始まった。
メイベルが婚約破棄された事情が、社交界に流れる。
貴族たちの口をふさぐことはできない。
短い間に二度も婚約が成り立たなかった話は、さぞかし面白かったのだろう。
それが元々、青痣令嬢として噂になっていたメイベルだったから、なおのこと。
リグリー侯爵は焦った。
せっかく王家とホイストン公爵家の肝いりでまとまりそうだった婚約を、台無しにしてしまったのだ。
悪評にまみれ、このままでは貴族間での地位も危うい。
(いよいよ、切り札を切るときが来たか?)
こうなったらメイベルの特殊魔法のことをバラしてでも、どこかとの婚約をもぎとるしかない。
そもそもメイベルに悪い噂がつきまとっていたときも、この切り札があるからリグリー侯爵は安穏としていられたのだ。
(いざとなれば治癒魔法の使い手であると公表してしまおう)
メイベルの知らないところで、駒は進められる。
◇◆◇
領地に追放されてシェリーは荒れた。
王都と違って、領地には娯楽が少ない。
こんなに何もないのんびりした田舎で、どうやって時間を過ごせというのか。
王都に居た頃はたくさんの友人に囲まれ、毎日のように遊び歩いた。
新規オープンした店に入っては店内の物を全部買ってみたり、ちょっと大人のふりをして仮面舞踏会に行ってみたり。
ワクワクするようなことがいっぱいあった。
ところが領地では時間がゆっくりとしか流れない。
まわりにあるのは自然ばかり。
こんなところで、11歳まで育ったメイベルが芋くさいのも当たり前だ。
「あ~、やってられないわ! どうして私がこんな目にあわなくちゃいけないのよ!」
シェリーは全く反省していなかった。
ちょっと魔力量が足りないくらいで、シェリーを役立たずのように言ったサンダーズ伯爵が許せない。
これでもシェリーは特殊魔法持ちなのだ。
火魔法しかないマシューの血に、特殊魔法の血が混ざるのに。
あれだけ怒られても、まだシェリーはマシューを想っていた。
添い寝をしただけだが、一夜を共にした感覚が忘れられない。
逞しい筋肉に護られる安心感と、大人の男の色気。
思い出すたびに熱いため息が出る。
また、あの腕に囲われたい。
そんなことばかりを考えていた。
ある日、下町によく当たる占い師がいると聞いて、シェリーは邸を抜け出した。
マシューとの未来を占ってもらおうと思ったのだ。
本当は邸から出てはいけないのだが、そんなことは知ったことではない。
ドレスだと目立つので、一番地味な部屋着に着替えた。
変身魔法で髪色と瞳の色を変えて、堂々と下町を歩く。
王都と違って、一日で端から端まで歩いてしまえるほど小さな通りを、注意深く探した。
そして町娘たちが、きゃあきゃあ言いながら並ぶ列を見つける。
シェリーはその最後尾に近づき、町娘に尋ねる。
「ここが占い師の店? よく当たると噂の?」
突然話しかけられて町娘は驚いていたが、相手がどう見てもお忍び姿の貴族のようだったので、素直にコクリとうなずいた。
「ふふふ、やっと見つけたわ。私に手間をかけさせるなんて、とんでもない占い師ね」
シェリーは並ぶ列をズカズカと追い越し、さっさと店内に入る。
そこにはちょうど占い中だったと思われる町娘と、黒いローブをまとった老婆がいた。
きっと老婆が占い師だろう。
シェリーはあたりをつけると、二人が座るテーブルに近寄った。
そして、そこにドンと金貨の入った袋を置く。
「順番を待つのは嫌いなの。さっさと占ってちょうだい」
町娘はすっかり恐縮している。
座っていた椅子から立ち上がり、そそくさと店から出ていった。
老婆はそれを見て、やれやれとため息をこぼした。
「早くしてちょうだい! 私はそんなに暇じゃないのよ!」
毎日することがないと言っていたシェリーだが、ここでそれを正直に言うつもりはない。
老婆はそんなシェリーに席を勧めた。
やっと占いが始まる。
シェリーはウキウキとして席に着いた。
「私とマシューさまの未来を占ってほしいのよ。どうしたら二人が結ばれるのか教えて」
腕を組んで、ぞんざいな態度を崩さないシェリー。
貴族の自分がわざわざ足を運んでやったんだという驕りがうかがえた。
老婆は占うことなく、後ろの棚を振り返り、そこから奇妙な形の布袋を取り出した。
そしてシェリーの前にそれを置く。
「何よ? これで占うの?」
「これは高貴な方にしかお見せしません。こんな下町の者では使いこなせませんから。――これはとある国から流れてきた魔道具です。なんでもこの魔道具の前の持ち主は、護衛騎士という低い身分にもかかわらず、王女の愛を得たとか」
そう言って老婆が袋から取り出したのは、湾曲した万華鏡のようなものだった。
シェリーはそれを手に取って、レンズから中を覗いてみる。
「何も見えないじゃない。どうやって使うの?」
「満月の夜に、願い事を呟きながらレンズに血をこすりつけるのです。それで二人は結ばれるでしょう」
うさんくさい方法だったが、護衛騎士と王女の話はロマンティックだと思った。
せっかく下町まで来たのだし、この占い師の言うことを聞いてみてもいいと思うほど、シェリーは暇を飽かしていた。
「分かったわ。これはもらっていくわね」
シェリーは万華鏡を握りしめて席を立つと、もう用はないと店を出た。
フンフンと鼻歌を歌い、上機嫌で帰っていくシェリーの後ろ姿に、老婆は顔をしかめた。
「いくら貴族だといばりちらしても、無能は無能。あの魔道具にまといつく呪いの気配を感じられないとは、きっと魔力量がものすごく少ないんだね。おかげで、こっちも薄気味悪い魔道具を手放すことができて良かったよ」
◇◆◇
邸を抜け出し下町に遊びに行ったことを使用人にとがめられたが、そんなことはどうでもよかった。
シェリーは満月の夜を待ち、いよいよ願い事を叶えようとしている。
布袋から取り出した魔道具を、しげしげと眺めた。
「ずいぶん古びているのね。あちこちが錆びているじゃない。血をこすりつけるレンズは……こっちね。どれくらいの血がいるのかしら?」
シェリーが用意したのはブローチの針だ。
それでプツリと左手の親指を刺すと、赤い血がみるみる丸くなった。
流れてしまう前に慌ててレンズにこすりつけると、万華鏡を握りしめる。
「マシューさまと結ばれますように! 私がサンダーズ伯爵家に嫁入りできますように! あの怖い伯爵が私に頭を下げて謝りますように!」
闇魔法の使い手ではないシェリーがいくら願ったところで、呪いの魔道具はそれに応えない。
ただ、捧げられた血に従い、己に重ねてかけられたかつての魔法を発動させたのだった。