盲目の王弟は青痣令嬢に愛を乞う~見えないあなたと醜い私~

 ウィロビー王国には魔法使いが存在する。

 多くは属性魔法持ちで、土・風・水・火・光・闇のいずれかの魔法を使う。

 中でも光と闇は珍しく、本人の魔力量が少なくても重宝された。

 そんな魔法使いの中には特殊魔法という一風変わった魔法を使う者がいる。

 属性魔法とは違った人並外れた能力で、光や闇よりも貴重な存在だった。

 遠距離を一瞬で移動する能力や他のものに姿を変えられる能力など、内容は多岐にわたる。

 魔法や魔力量は遺伝すると考えられていて、貴族の間ではそれを見越した結婚が多く結ばれた。



 しかし、リグリー侯爵家の赤ちゃんはそうした思惑とは関係なく、愛し合う両親の間に産まれる。

 魔力量が多く土魔法の使い手である父親と、特殊魔法のひとつ治癒魔法の使い手である母親の血を受け継いだ赤ちゃんは、魔力量が多く治癒魔法の使い手であると推定された。

 母親譲りの茶色のふわふわした髪、透き通った海より青い瞳。

 美しい少女に育つだろうと想像される容貌に、青痣が影を落とした。

 産まれたときから葉脈のような醜い青痣が、左目の周りに浮かび上がっていたのだ。

 それでも、メイベルと名付けた娘を、両親は心から愛した。

 青痣があることを卑屈に思わないよう、のびのびと領地で育てることにした。

 珍しい治癒魔法の使い手であることは、親族以外には秘匿された。

 幼子の頃は、貴重な特殊魔法の使い手は誘拐されやすいからだ。

 同じ治癒魔法の使い手だった母親は、先代王の従妹であり王族であったにも関わらず、他国に狙われ誘拐されそうになったことがあるという。

 心配性の両親をよそに、メイベルはすくすくと成長し、レディの一歩手前の11歳となる。

 そして明るく朗らかで優しい少女だったメイベルの人生は、ここから転落する。



 11歳の誕生日が過ぎて数日、メイベルは両親の帰りを自室で待っていた。

 誕生日パーティではしゃぎすぎてしまって、ここのところメイベルは微熱が続いていたのだ。

 疲れからくる発熱のため病気というわけでもなく、母親の治癒魔法が効かなかった。

「大人しくしていることが、一番の薬よ」

 大好きな母親にそう言われて、メイベルはベッドで横になっている。

 本当ならば両親と一緒に、今日は町へ買い物に行くはずだった。

 しかし、万が一を危惧した両親によりメイベルの留守番が決まる。

 必ずたくさんのお土産を買ってくるという約束を信じて、メイベルは今か今かと両親の帰りを待っていたのだ。

 かなり日が傾いても、両親の乗った馬車は影も形も見えない。

 ソワソワとメイベルが落ち着きをなくしたころ、早馬によって最悪の知らせがもたらされる。

 市場で買い物中だった両親は、暴れ馬に引きずられて傾いだ荷車の下敷きとなり、他の複数の人と共に、その場で死亡が確認されたという。

 とっさに父親が土魔法で障壁を作った形跡もあったが、積み荷をまき散らしながら倒れてきた荷車の重量には敵わなかったのだろう。

 荷車の下では父親が母親を護るように覆いかぶさり、母親はお腹をかばうように腕を回していた。

 そう、母親のお腹の中には、メイベルの弟か妹がいたのだ。

 だが三人とも帰らぬ人となった。

 メイベルは突然、すべての家族を失ったのだ。

 

 かなりの人が亡くなった市場の事故は、新聞にも大々的に掲載された。

 それをぐしゃりと握りしめて、メイベルは泣いた。

 早馬で知らせを聞いたときには信じられない思いが強かったが、こうしてニュースになり文字として読むと、それが真実なのだと分からされる。

 

「お父さま、お母さま、どうして私を置いて行ったの。一人は寂しくて悲しいわ」



 泣きじゃくることを許された子どものメイベルをよそに、知らせを聞いた親族一同はリグリー侯爵家に集まった。

 メイベルの父親の弟である叔父を中心に、今後のことを話し合うためだ。

 その中には、メイベルの後見をどうするかも含まれている。

 結局はリグリー侯爵家を継ぐ叔父が、メイベルの面倒も見ることになった。

 メイベルの両親と産まれなかった赤ちゃんの葬儀には、多くの参列者が駆け付けた。

 それだけ両親がたくさんの人に慕われていたということだろう。

 黒い喪服に身を包み、ヴェールで顔を半分隠したメイベルの青痣を見て、何か言う人はいなかった。

 だからメイベルは、新たなリグリー侯爵となった叔父と一緒に暮らすことになっても、このままでいいと思っていたのだが。



「やだ! 怖い! 気持ち悪いよう!」



 メイベルは領地から、王都にあるリグリー侯爵邸へ引っ越してきた。

 領地は田舎すぎて、叔父は好きではないのだという。

 もともと、王都にあるリグリー侯爵邸の管理を任されていた叔父とその家族は、長らく領地を訪ねてこなかった。

 なにかあったとしても、足を延ばすのは叔父だけ。

 だからメイベルは、この日に初めて1つ年下の従妹と顔を合わせたのだった。

 そしてこれからは義妹となるシェリーの口から飛び出したのが、先ほどの言葉だった。

 シェリーは叔父によく似た黒髪を長く伸ばし、水色の瞳を潤ませていた。

 メイベルの青痣を見て、怯えているのだ。

 メイベルは母親に似たふわふわの茶色の前髪を引っ張って、ちょっと顔の左側を隠してみる。

 今までメイベルに青痣があることは普通で、両親も使用人も領民も、こうして言及することはなかった。

 だからメイベルはあまり気にしていなかったのだが、シェリーに気持ち悪いと拒絶されたことで心がざわついた。



「ねえ、あなた。領地では良かったかもしれませんが、ここは王都です。メイベルの青痣は、隠した方がいいでしょう。変な評判になってもいけませんし」



 リグリー侯爵夫人となった義母が叔父に進言している。

 

「そうだな、メイベルはただでさえ貴重な治癒魔法の使い手だ。注目を浴びるのはよくない。よし、化粧か何かで隠してしまおう」



 メイベルの意見は聞かれることもなく、青痣は化粧で隠すことが決まった。

 メイベルは初めて、青痣がよくないものなのだと知った。

 そして義母に教わって、化粧で青痣を隠す術を覚えた。



「メイベルのためよ。青痣のある令嬢なんて、王都ではろくな扱いをされないわ。必ずこうやって人目に触れないようにするのよ」



 義母は、母子というにはいくぶん義務的な接し方ではあったが、メイベルにつらく当たることはなかった。

 むしろ領地でのびのびと育ち、貴族社会のなんたるかをまるで知らなかったメイベルに、よく教育をしてくれた。

 メイベルは義母から、ドレスにも種類があるのだと言われ驚いた。

 昼に着るもの、夜に着るもの、家で着るもの、外で着るもの。

 それがシーズンごとに変わるのだと言う。

 メイベルは遊び着のようなドレスで、昼も夜も、家でも外でも過ごしていた。

 考えてみれば田舎の領地で、ちゃんとしたドレスを着ても仕方がない。

 どうせ外で遊んで、汚してしまうのだ。

 令嬢にとっては当たり前のことを知らない義姉を、シェリーは馬鹿にすることもあった。

 だが義母は丁寧に、メイベルが分かるまで説明してくれた。

 聞けば義母も特殊魔法の使い手で、小さいときは同じように領地で匿われて育ったらしい。

 義母はシェリーが産まれたとき、娘が特殊魔法を受け継いでいると分かって、メイベルのように領地で育てたいと希望したそうだ。

 だが田舎が嫌いな叔父がそれに反対した。

 仕方なく、義母は王都でシェリーを育てたという。



「あの子は魔力量が多くはないから、たとえ特殊魔法を使ったとしても限定的なの。誘拐されるほどではなかったのが幸いね」



 義母は特殊魔法を持つ子を育てる悩みを、メイベルの母親と共有していた。

 だから今回の事故については、とても胸を痛めていた。



「本当の母親のようにとはいかないでしょう。それでも、メイベルが令嬢として恥ずかしくない振る舞いが出来るように、私が手を貸します」



 血の繋がりのない義母であったが、血の繋がりのある叔父や義妹より、よほどメイベルのことを考えてくれた。

 しかし、そんな義母も数年後にはこの世を去る。

 突然の心不全で、メイベルの治癒魔法が間に合わないほどの急逝だった。



「こんなときに役に立たないなんて! 何のためにこの家にいるのよ!」



 シェリーから投げつけられた棘のある言葉は、メイベルが何度も自問自答したことだった。

 なんの見返りも求めずに、メイベルに必要な知識を与えてくれた人。

 感謝してもしきれない義母を救えなかった。

 メイベルはまた、大切な家族を失ったのだった。
 メイベルは19歳になった。

 義母に言われたように青痣を化粧で隠してはいるが、社交界とは縁のない生活を送っていた。

 叔父はメイベルの魔力量の多さを売りにして、他家に嫁に出せないかと考えているようだ。

 己の娘シェリーに婿を迎えて、リグリー侯爵家を継がせたいのだろう。

 その気持ちは分からないでもない。

 メイベルは叔父の言う通りにするつもりだった。

 11歳で両親を亡くしてからこれまで、育ててもらった恩がある。

 大好きな両親と違う姓になってしまうことに違和感はあれど、抵抗感はなかった。



 同じく、19歳になる異母弟ディーンについて、王であるジョージは頭を悩ませていた。

 ジョージは、相思相愛で結婚した先代王と正妃の間に生まれた。

 先代王の魔力量が中ほど、正妃は魔力なしだったせいか、息子のジョージの魔力量は少なかった。

 しかも風魔法しか使えぬ、平凡以下の魔法使いだ。

 これに憂いを覚えた臣下たちが先代王に用意した側妃が、ディーンの母親だ。

 側妃はクルス国という小国の生まれだが、魔力量は多く特殊魔法持ちだった。

 残念なことに、赤子を産むと同時にこの世を去ったが、残されたディーンの魔力量は多く、何らかの特殊魔法持ちであることが分かった。

 臣下たちは朗報に沸いた。

 しかし、すぐにディーンが先天性の盲目であると診断され、その声は静まり返ったのだ。

 

「俺にとっては好都合だったがな」



 もし、ディーンが完璧な魔法使いとして産まれていたら。

 自分はきっと玉座に座ってはいなかっただろう。

 ディーンは盲目のため、王城ではなく離宮で育てられた。

 完全に政治の世界から切り離され、ただの一王族として生きている。

 ジョージは母親に似た青い髪を指でもてあそぶ。

 30歳になるジョージも、両親のように相思相愛の相手と結婚して正妃とした。

 正妃は魔力量が少なかったが、貴重な光魔法の使い手だったため、臣下たちもしぶしぶ婚姻を認めたのだ。

 しかし魔力量の少ない者同士の結婚だ。

 生まれてくる子の魔力量はしれている。

 そしてジョージが結婚して4年が経とうとしているのに、正妃には懐妊の兆候がない。

 きっと今頃、臣下たちは焦りを覚えているだろう。

 いつ、先代王のように側妃を娶れと言われるか分からない。

 そうなる前に――。



「なんとか、ディーンの婚約を取り付けなければ」



 ディーンの目は、最新医療を試みるも治る気配がない。

 おそらく一生、見えないままなのだろう。

 そのせいで婚約者が見つからない。

 上から順に高位貴族に打診をしているが、盲目の夫を欲しがる家などあるはずがない。

 このままでは魔力量の多い王族が途絶えてしまう。

 なんとかディーンの血を残す方法はないか。

 ジョージは手元の紙をペラペラめくる。

 高位貴族たちの名前と、その娘である令嬢について要点がまとめてあった。



「ホイストン公爵家は駄目だった。ここも、ここも、公爵家は全滅だ。侯爵家ならどうだ?」



 ジョージの紙をめくる手が止まる。



「リグリー侯爵家のメイベル嬢……左目の周りに青痣あり、か」



 続けて、社交の場には出席しておらず、家に引きこもり状態と書かれていた。

 これだ、とジョージは呟く。



「ディーンは目が見えない。つまり令嬢に青痣があろうと問題ない。それにリグリー侯爵とて、引きこもりの娘が片付くのだ。お互いにとって利益しかない取引になる」



 ジョージはさっそく、リグリー侯爵宛てに手紙を出す。

 公爵家相手ではあまり強く出られなかったが、侯爵家ならば命令口調でもいいだろう。

 

『王弟ディーンの婚約者として、リグリー侯爵家の長女メイベルを指名する』



 やや傲慢さのにじみ出た通達を書き終え、ジョージはそれを侍従に託した。

 きっとこれでうまくいく。

 ジョージはその顔に自信のある笑みを浮かべた。



 ◇◆◇



 王からの通達を受け取ったリグリー侯爵は、その内容に飛び上がる。

 ずっとメイベルの嫁ぎ先を探していた。

 あまりに格下では舐められる。

 かと言って上を見過ぎてもいけない。

 メイベルには青痣と多い魔力量という、デメリットとメリットがある。

 メリットを高く評価してくれる良家があれば、と思っていたのだ。

 だが盲目の王弟相手なら、デメリットがなくなりメリットだけだ。

 王はなんて頭が切れる人だと、リグリー侯爵は感動した。

 メイベルの意思を聞かないのはいつものこと。

 リグリー侯爵は、さっそく了承する意の返信をしたためるのだった。



 メイベルがそれを知らされたのは、さらに数日が経ってからだった。

 

「メイベル、ついにお前の婚約者が決まったぞ。なんと王弟殿下のディーンさまだ!」



 叔父に呼ばれて執務室に入ると、メイベルは契約書を見せられる。

 そこには確かに自分の名前があり、王の言葉で『よって汝を王弟ディーンの婚約者とする』と締めくくられていた。

 こんな紙切れ一枚で自分の人生は決まるのだな、とメイベルは思った。

 そこには何の感慨もない。

 愛する両親を失い故郷を離れ、義母と慕った人にも先立たれ、それからも順風満帆な人生ではなかった。

 だからメイベルはすでに諦めていたのだろう。

 これからの人生にも苦しみが待っているのだと。



「叔父さま、謹んでお受けします。私のお相手を探してくださり、ありがとうございました」

「苦労したが、最後にはいい縁があったな。ディーンさまと仲良くやるんだぞ」



 メイベルよりもよほど嬉しそうな顔をした叔父が、ガハハと笑った。

 ここは笑う場面なのかと判断したメイベルは、叔父に合わせて口角を上げた。



「よし、今日はお祝いだ! シェリーも呼んで夕餉は豪華にしよう!」



 叔父はその勢いのまま、どうやら厨房に向かったようだ。

 メイベルのお祝いのはずだが、おそらく出てくるのは叔父とシェリーの好物ばかりだろう。

 そもそもメイベルに食の好みがあるなどと、あの二人は思ったことがないかもしれない。

 メイベルはこの邸で存在感を消して生きてきた。

 もしかしたら盲目だという王弟ディーンさまとの婚約後も、そんな役を任されるのかもしれない。

 いるのかいないのか分からないような婚約者。

 メイベルは自分にはお似合いだと自嘲した。



 ◇◆◇



 ディーンと初めての顔合わせの日が設定された。

 秋も近い今、王城奥の離宮に住むディーンと、庭でお茶会をとのことだった。

 ディーンの目はまったく物が見えないそうだが、メイベルはしっかり化粧をして青痣を隠した。

 ディーンのもとに辿り着くまでには、たくさんの人に出会うだろうから。

 王城から立派な馬車がメイベルを迎えにくる。

 そのとき、シェリーが初めてうらやましそうな顔をした。

 それまでは盲目の王弟をさんざん「お可哀そうだ」と嘆き、相対的にメイベルを貶めていたのに。

 

「いってきます」

「うむ、しっかりやりなさい」



 叔父に挨拶を済ませ、メイベルは御者の手を取り馬車に乗り込む。

 馬車は品のある内装もすばらしく、腰かけた座面は吸いつくような手触りだった。

 ここまであまり緊張をしていなかったメイベルだったが、にわかにドキドキしてきた。

 これまで隠れるように離宮に暮らしていたディーンと会った人は少ないらしく、どんな容貌をしているのか、それは謎に包まれているのだとか。

 夕餉の席でシェリーがもったいぶって話していた内容を思い出す。



「骸骨みたいな顔かもしれないわ」



 シェリーが予想していたディーンの顔まで思い出した。



(骸骨か……)

 

 あまり揺れない馬車の中で、メイベルは見え始めた王城に目をやる。

 初めて足を踏み入れる王城だ。

 途端に息がつまるように感じて、メイベルは意識して呼吸をする。

 どんな人だろうと関係ない。

 メイベルは、ただ言われた通りにするだけだ。

 すっと、見ていた窓にカーテンを引く。

 11歳まで領地を駆け回っていた眩しいばかりに明るい少女の姿は、もうどこにも残っていなかった。
 王城を通り過ぎ、少し森に分け入ったところで馬車は止まった。

 王城の後ろに隠れるように、こじんまりとした離宮があった。

 落ち着いた色の屋根と外壁が、森の色合いによく馴染んでいる。

 森と邸、ふたつでひとつ、そんな感じがした。

 出迎えに立っていた侍従が、庭に続く道を案内する。

 邸には入らず、直接お茶会の場である庭に向かうようだ。

 邸の内装も見てみたかったなと、少し残念に思いながら、メイベルは後をついていく。

 木々に囲まれた道は、掃いても掃いても落ち葉が重なるのだろう。

 侍従とメイベルが歩くたびに、足元でカサカサと乾いた音を立てた。

 まだ寒くはない。

 今年の冬は、雪が降るかしら。

 メイベルは曇天を見上げる。

 まわりの自然に触発され、メイベルの心は懐かしい領地を思い出していた。

 たくさんの枯葉を集めて、みんなで焚火をしたわね。

 あれは何歳の頃だったろうか。



「どうぞ、メイベルさま。ディーンさまがお待ちです」



 はっとすると、侍従が右手を奥へ伸ばしていた。

 続く小道を進むと、白いテーブルに緑色のテーブルカバー、青と金の縁取りがされたティーセットが見えた。

 そして、その傍に用意されたひじ掛け付きの数脚の椅子、ワゴンの上にはフルーツに飾られたケーキ。

 しかし最も目を引いたのが、テーブル横に立ちメイベルを待っていた王弟ディーンだった。



(美しい人……)



 癖のない長い金髪を背に流し、常緑樹の葉を思わせる深緑色の目は、メイベルの方を向いているのに目が合うことは無い。

 

(本当に目が見えないんだわ)

 

 うっかり立ち止まってしまったメイベルだったが、それではずっとディーンを立たせたままになると気がついて歩を進めた。

 そして近くまでくると、ディーンに向かってカーテシーをする。



「初めまして、リグリー侯爵家のメイベルと申します」

「どうぞ楽にして。ディーン・ウィロビーです。よろしく」



 美しい人は声まで透き通っていた。



「お好きなところへかけて。椅子を引いてあげられなくてごめんね」



 ディーンの手が、お好きなところと言いながらも隣を示したので、メイベルはそこに座ることにした。

 侍従がすぐに椅子を引いてくれる。

 侍従はディーンの椅子も引いて、ディーンの右手に椅子とテーブルの位置を教えながら、ゆっくりと腰かけさせた。

 あまり慣れていないようだったので、きっとこの庭で日頃からお茶会をしているわけではないと分かる。

 ワゴンからケーキが運ばれ、温かいお茶が供される。

 お茶の香りもすばらしいが、瑞々しいフルーツがたっぷり載ったケーキの艶やかさに目が釘付けとなる。

 メイベルはさっそくカトラリーを取った。

 フルーツが落ちてこないように、そっと側面にフォークすべりこませる。

 およそ一口で食べられるだろう大きさの欠片にし、零さないよう口に運んだ。

 噛み締めるまでもなく、ほどけるようにスポンジが舌の上に散った。

 追ってフルーツの香りとクリームの甘さ、それらが一体となる幸福。

 あまりの美味しさにメイベルの口角が上がった。

 すぐに、二口、三口と食べ進めた。

 

(いけない、私ばかり食べているのではないかしら?)

 

 ふと気になったメイベルはディーンに視線を移す。

 そう言えば、目が見えないのにどうやってケーキを食べるのだろう?

 目が見えているメイベルでさえ、ケーキというのは品よく食べるのに苦戦する。

 不思議に思ってディーンの手元を見ると、ケーキがすでに一口大にカットされ、フォークに載せられていた。

 ディーンは危なげなくフォークを摘み上げ、ゆっくりと口に運ぶ。

 咀嚼する様は絵画のようだった。

 メイベルの手が止まったのが分かったのか、ディーンが話しかけてきた。

 

「ケーキは口に合った?」

「ええ、とても美味しいです」



 最初の滑り出しとしては、いいように思った。

 しかし、男性とお付き合いした経験がないメイベルは、こういうときに何を話せばいいのか分からず、ケーキを食べてしまったあとは口ごもることがしばしば。

 それはディーンも同じようで、二人の会話は弾んでいるとは言い難かった。

 では空気が悪いかというと、そうでもなく。

 なんとなく二人で一緒にいる空気に、メイベルは和むものを感じていた。

 ディーンも最初は緊張していたようだが、そのうち森の方に視線を向けるようになった。

 耳を澄まして何かの音を聞いていたり、すっと鼻をあげて深呼吸をしていたり。

 決して退屈だからという訳ではなく、ディーンは日頃からこうして森を楽しんでいるのだろうな、とメイベルは感じた。



「もう秋の香りがする。森は紅葉してる?」

「まだ紅葉とまではいきません。少し葉が黄色味を帯びてきたところはあります」



 もしかしたらディーンの独り言だったかもしれないけれど、メイベルは返事をしてみた。

 ディーンは嬉しそうにメイベルの方に顔を向けた。

 やっぱり目は合わないけれど、メイベルをしっかり捉えている。



「黄色……メイベル、黄色はどんな色?」

「どんな……?」

「みんなは色々な表現をするよ。夏の太陽の色だとか、酸っぱい果実の色だとか」



 メイベルは考えた。

 目の見えない人にとって、色とはなんだろうかと。

 

「そうですね……春の日差しの中で咲く、野花の花弁のような色だと思います」



 メイベルは、なるべく感覚に訴える表現をした。

 指で触ったり、肌で感じたり、目が見えなくても分かるような。

 ぽかぽかした温かい春、そよ風にゆれる花々のしっとりとした柔らかい花弁。

 それが黄色、メイベルはそう思ったのだ。

 

「花弁か。いい表現だね」



 ディーンは嚙みしめるように答えた。

 そして、まるでそこに花弁があるかのように指をこすり合わせる。



「春が待ち遠しくなったよ」



 ディーンとのお茶会は日が傾く前に終わった。



「また誘ってもいい? メイベルと一緒にいるのが楽しかったから」

「もちろんです。いつでも誘ってください」



 どうせメイベルは家にいるばかりで出かける予定もない。

 いつ誘われても問題のない身の上だった。

 

「嬉しいよ。じゃあ、また」



 ディーンがはにかむように笑ったので、メイベルは頬が赤くなるのを止められなかった。

 でもメイベルがいくら頬を赤くしても、ディーンには見えていない。

 それに安心して、メイベルは思うさま頬を赤くした。



 ◇◆◇



 メイベルを庭へ案内した侍従は、王の執務室にいた。

 初顔合わせとなった今日のお茶会の内容を報告するためだ。

 ジョージは前のめりになり、侍従の話に耳を傾ける。



「では、ディーンからその令嬢に、次回の誘いをしたというのだな?」

「はい、その通りです。会話はあまり弾んでいるようには見えなかったのですが……」

「それはそうだろう、ディーンも令嬢も、人見知りの引きこもりだ。会話が弾む方が不自然なのだ。しかし……これはいい兆候だな。臣下たちにもしっかり伝えておかねば」



 魔力量の多いディーンに婚約者ができた。

 しかも、相手のことを好ましく思っているようだ。

 相手が魔力量の多い令嬢と知れば、臣下たちは歓喜するだろう。

 そしてジョージに側妃を娶れなど、言ってこないはずだ。



「なんとしてでもこの婚約、結婚まで持っていかねばならぬ」

 

 ジョージは保身のために強く決心する。



「お前には引き続き、ディーンの侍従として二人の様子を観察し、報告する義務を申し渡す。どんな小さなことでも、漏らさずに言うように」

「かしこまりました」



 侍従は深く頭を下げ、王の前を辞した。

 それからも、お茶会が開催されるたび、侍従はこうしてジョージへ報告を持って上がった。

 しかし数回目のお茶会で起きた出来事については、王であるジョージだけでなく先代王にも報告をしたほうがいいと判断した。

 この侍従の判断が、このときは吉と出た。
 秋も深まってきた。

 ディーンとメイベルのお茶会は、すでに数回目となっており、二人の間に漂う雰囲気もずいぶんと気安いものになった。

 お互い、あまり話すことを好むタイプではないと分かってからは、黙っていても苦にならず、むしろ静けさが居心地よかった。

 今日も森のそばの庭で、穏やかに時が進む。

 このまま、ディーンとの婚約が続けば、その先には結婚が待っている。

 こんなにも美しい人が夫になるなど、想像ができない。

 メイベルはディーンの横顔を見た。

 ディーンは目をつむり、森で鳴いている鳥の声を聞いていた。

 だんだんと冷えてきた空気をつんざくように、時折鋭く高い声がする。

 閉じた瞼に生え揃う金色のまつ毛が、顔に長い影を落としていた。

 

(そう言えば、治癒の魔法は盲目にも効くのかしら?)

 

 怪我や病気の類であれば、メイベルの治癒魔法はその効果を示す。

 ディーンにはまだ、メイベルが何の特殊魔法持ちなのかを話していない。

 それは親族間だけの秘密だからだ。

 だが、いずれ夫になるのならば、もう親族と見なしてよいのではないか。



「あの、ディーンさま。もし良かったら目を診てもいいでしょうか?」

「ん? 僕の目を? どうぞ、好きなだけ」



 メイベルは『診る』つもりだが、ディーンは『見る』と受け取ったようだ。

 そこでもう少し説明を付け加えた。



「実は私、治癒魔法の使い手なのです。それで、ディーンさまの目に魔法をかけてみてもよいでしょうか?」

「え? 治癒魔法の?」



 ちょっとディーンは驚いたようだ。

 確かに治癒魔法の使い手は珍しい。

 国にも数人、いるかどうかだ。

 メイベルのように名乗り出ていないだけかもしれないが。

 

「僕が小さなときに、治癒魔法をかけてもらったことがあるよ。そのときは何も起こらなかったんだ」

「その使い手の方は、どれほどの魔力量だったのでしょう?」

「どうだったかな? 治癒魔法というだけでかなり稀有だからね。魔力量はあまり問題視されていなかったように思う」

「そうですか――自分で言うのもなんですが、私の魔力量はとても多いのです。もしかしたら以前の使い手の方が出来なかったことも、出来るかもしれません」



 あまり期待を持たせてもいけないと思ったが、どうしてもやらせてもらいたくてメイベルは強く出た。

 そんなメイベルの様子が珍しかったのか、ふっとディーンは笑った。



「いいよ、好きにして。僕は目を閉じたほうがいい?」



 ディーンがメイベルの方を向いて、目を閉じて見せた。

 そこへメイベルはそっと近寄り、ディーンの目に手をかざす。



「そのまま、しばらくジッとしていてくださいね」

「わかったよ」



 ディーンの瞳にメイベルは治癒魔法をかける。

 自分の魔力がディーンの目に浸透し、怪我や病巣を探している。

 しかし、何も見当たらず魔力はそのまま通り抜けていった。



(おかしいわ。――もう一度やってみましょう)



 メイベルは繰り返した。

 だが、何度やっても、結果は同じだった。

 

(目は健康だわ。でも実際には見えていない……)



 メイベルはかざしていた手を下ろす。

 手が離れたのが分かったのか、ディーンは目を開いた。



「ディーンさま、目にはどこにも異常がありません。とても健康です」

「健康だけど見えない?」

「そうです、おかしいんです。ディーンさまは先天性の盲目ということですが、これは病気ではありません。何か他の、違うものによって見えなくされているんだと思います」

 

 メイベルに分かるのはそこまでだった。

 絶対に病気ではない。

 自信を持って言える。



「そうか……僕の目は、どうしてしまったんだろうね」



 ディーンは少しうつむいた。

 治癒魔法が使えると豪語したことで、期待をさせてしまっただろうか。

 メイベルは強気に出た自分のことを後悔した。



「違うよ、メイベルの気持ちはありがたかった。どうか萎れてしまわないで」



 見えるはずがないのに、ディーンはメイベルの心を読む。

 空気から何か伝わっているのだろうか。

 ディーンは手すり付きの椅子の線を辿り、メイベルの手を見つける。

 そっと握りしめて、温もりを分け与える。



「嬉しかったよ。僕のためを思ってくれたことが。そして治癒魔法が使えることを、告白してくれてありがとう」



 本当は隠しておくはずだったのでは? とディーンは聞いた。

 メイベルの答えは決まっている。



「親族には話してもいいのです。ディーンさまは……」



 顔が熱い。

 きっと真っ赤になっている。

 メイベルはディーンの手を握り返す。

 

「私の夫となる方ですから」



 メイベルが言い切ると、ディーンはハッと目を見開き、そしてメイベルに負けない勢いで顔を赤くした。

 また森から鳥の鳴き声が聞こえる。

 秋の高い空に吸い込まれていく。

 しかし、二人はもう寒くはなかった。



 ◇◆◇



 侍従は王への報告のあと、先代王の執務室へ向かった。

 今日のディーンとメイベルのお茶会の中で、不思議に思ったことがあったからだ。

 ジョージはそんなこともあるんだなと、軽く流していたが。

 ディーンの父親である先代王は、違う反応をする気がした。

 事前に面会の約束をとっていなかったので、侍従はかなり待った。

 それでも伝えるべきことだと判断した。

 ジョージが即位してからも、先代王はある程度の権限を握り、執務を行っている。

 その仕事の隙間時間に、なんとか謁見の許可が出た。

 

「話を聞こう。ディーンのことだな」

「はい、本日ディーンさまは、婚約者のリグリー侯爵家メイベルさまとお会いになりました。そのときにメイベルさまが治癒魔法をディーンさまの目にかけられたのです」

「何? メイベル嬢は治癒魔法の使い手か?」

「そのようです。しかし、ディーンさまの目が見えるようにはなりませんでした」

「そうか。以前も治癒魔法の使い手を探し出し、試したことはあった」

「ところがメイベルさまは、不思議なことをおっしゃったのです。ディーンさまの目はとても健康である。これは病気ではなく、他の何かによって見えなくされていると」

「病気ではない?」

「メイベルさまはとても魔力量が多い方です。きっと以前の治癒魔法の使い手よりも、分かることがあったのではないでしょうか」



 先代王は椅子の背にもたれ、熟考し始める。

 

「分かった。知らせてくれたことに感謝する」



 侍従は深く頭を下げて、先代王の前を辞した。

 先代王の言葉を聞く限り、伝えて良かったことのようだ。

 侍従はホッと胸をなでおろし、ディーンの住む離宮へと戻る。



 先代王はすぐに魔法師団長を呼んだ。

 魔法師団長とは、この国の魔法使いのトップを意味する。

 国に所属する魔法師、魔法剣士、魔法研究員などを率いて、統括している。

 当代の魔法師団長は若く、しかし才能にあふれた人物だ。

 長い白髪をたなびかせ、溶岩のように赤い目を光らせ執務室へやってきた。

 

「お呼びと伺いました」

「相談がある。ディーンのことだ」



 先代王は侍従の持ってきた話を魔法師団長に伝えた。



「儂はこれまで、ディーンの盲目は病気だと思っていたので、最先端の医療ばかりを試していた。しかし、もっと先に思いつかねばならないことがあった。――呪いの可能性だ」

「光属性よりも珍しい闇属性の使い手がかける呪い、のことですね?」

「もしかしたらディーンの目が見えないのは、呪いのせいかもしれない。なんとか出来ないか」

「……呪いは発動させた者を見つけるのが解呪のためには必要不可欠。先代王、呪われる心当たりがおありのようですね?」



 苦渋にゆがむ先代王の顔を見て、魔法師団長は問いかける。

 先代王にとって、それはずっと背負ってきた業だった。



「そうだ、心当たりがある。側妃フロリタの生んだディーンを呪うほど恨んでいる人物……」



 小国出身であったがゆえに、先代王の側妃になることを拒めなかった王女フロリタ。

 だが、フロリタには恋人がいた。

 無理やり別れさせられた幼馴染の護衛騎士、名前はセリオ。



「きっと彼だろう」
 先代王は正妃と愛し合って結ばれた。

 しかし正妃には魔力がなく、生まれた王子ジョージの魔力量は少なかった。

 これを危惧した臣下たちから、魔力量の多い側妃を娶り、魔力量の多い王族を残すべきだと意見が上がる。

 そもそも臣下たちの反対を押し切って、魔力のない正妃と結婚した先代王だった。

 そう何度も意見に反対することが出来ず、臣下たちが選んでつれてきた小国クルス国の王女フロリタを側妃として迎えた。

 正妃を愛していた先代王は、義務として嫌々フロリタを抱いた。

 子が出来るまでの我慢だと思った。

 

 そしてフロリタは子を孕む。

 やっと解放されると先代王は喜んだ。

 きっと正妃も長らく苦しんだだろう。

 もう魔力のない自分を責めなくていい。

 これまで以上に正妃を大事にし、決して生まれる子に嫉妬しないよう配慮した。

 魔力量が中ほどの先代王と、魔力量が多いフロリタとの子だ。

 ジョージよりも魔力量が少ないことは考えられない。

 そして実際に、魔力量の多いディーンが生まれたのだが。



 先代王はディーンの生まれた夜を思い出す。

 外は大雨で、雷も鳴っていた。

 出産日を過ぎても陣痛がこなかったフロリタに、その日、無理やり人の手で陣痛を起こしたのだ。

 かなり母体が危険であると先代王に声がかかったのは、陣痛が始まってずいぶん経ってからだった。

 ジョージのときが安産だったので、先代王には危険という言葉がピンときていなかった。

 取りあえず向かった側妃の部屋で、先代王は大量の血にまみれたフロリタの姿を見ることになる。



「なんだ……これは?」



 お下がりください、血で汚れます、と注意する産婆を押しのけ、先代王はフロリタへ近づいた。

 うめき声をあげ苦しむフロリタが、しきりに誰かを呼んでいた。



「気をしっかり持て!」



 先代王は手を握り、意識がもうろうとしているフロリタを励ます。

 握り返された先代王の手は、骨が折れるかと思うほど軋んだ。



「うぅ……セリオ……セリオ……ごめんなさい」



 涙を流しフロリタは繰り返し謝っている。



(誰だ、セリオとは?)



 疑問に思ったが、事態は一刻を争う。



「すぐに生まれる、大丈夫だ!」



 先代王は正妃のときのように、とにかく安心させなくてはと思った。

 しかしすでに、フロリタは死出の旅路へ向かっていた。

 焦点の定まらぬ瞳で、空を見つめる。



「セリオ、愛しい人……どうか幸せに……」



 先代王の手を力強く握っていたフロリタだったが、その手がパタリとシーツへ落ちる。

 先代王を一度も見なかったフロリタ。

 その瞳が最期に見ていたのは、己の愛する人だったのだろうか。

 そして先代王は初めて、フロリタに恋人がいたことを知る。

 魔法大国であるウィロビー王国から側妃の打診を受けて、小国クルス国が断れるはずがない。

 フロリタは恋人セリオと別れさせられ、嫁いで来たのだ。

 それを、先代王は義務だけで抱いた。

 子さえ孕めばいいと、いい加減な抱き方をした。

 フロリタも感情を持つ人間であると、どうして気がつかなかった。

 悲劇の主人公は自分たちだと、正妃と慰め合っていたが。

 悲劇の主人公はここにもいたのだ。

 フロリタとセリオ。

 引き裂かれた二人。

 先代王が愛を貫いたせいで、フロリタの愛は壊された。



 おぎゃああああ!!



 フロリタが息を引き取ったことで、産婆が容赦なく赤子を引っ張りだした。

 血だらけの体を湯に浸けられ、ほわあほわあと泣く赤子。

 魔力量の多いことはすぐに分かった。

 臣下たちは王子であることを喜んだ。

 もしジョージに不都合があっても、替えがあると。

 しかし、そう上手くはいかない。

 医師により、赤子は目が見えていないと診断された。

 そして産んだフロリタも、もうこの世にはいない。

 臣下たちは静まり返った。

 ザアザアと振り続ける豪雨と、血だらけで死んだフロリタの体を照らす雷光。

 白い御包みの中で、ぽっかりと開いた赤子の瞳は、先代王と同じ緑色だった。

 先代王はその光景が、いまだに脳裏から離れない。

 自分たちの犯した罪の末路がそこにあった。

 

 先代王はその後、臣下にセリオについて尋ねた。

 臣下はしぶしぶ、フロリタの元婚約者だったと口を割った。

 ウィロビー王国に側妃としてフロリタを連れてくるため、セリオとの婚約を解消させたのだ。

 フロリタとセリオは幼馴染として小さな頃から仲良く育ち、自然とお互いを思い合うようになった。

 セリオはクルス国では高位の貴族であるにも関わらず、いつもフロリタのそばに居たいからと護衛騎士になった。

 国中がそれを知っていて見守っている、そんな恋仲だったという。

 まもなく結婚という幸せな時期に、二人は引き裂かれた。

 セリオはフロリタを連れて国外へ逃げようとしたところを、捕まえられて牢に繋がれた。

 その隙に、臣下たちはフロリタをこの国へ連れてきたのだ。

 それからセリオがどうなったのか、臣下にも分からないという。

 先代王は頭を抱えた。

 なんてことをしてしまったのかと。

 自分が適当に扱ったフロリタは、セリオの大切な人だった。

 王女であることも高位貴族であることも捨てて、二人は駆け落ちするほどに愛しあっていたのだ。

 罪の深さに震えた。

 

 フロリタが生んだ王子は、ディーンと名付けられる。

 先代王はせめてもの罪滅ぼしに、ディーンの目が見えるよう手を尽くした。

 国に数人いるかいないかという治癒魔法の使い手を探したり、医療の発達した国から医師団を招いたり、最先端の医薬品にだって惜しみなく金を注いだ。

 だが違ったのだ。

 ディーンの目は健康で、見えないのは呪いのせい。

 そう、自分たちのせいだった。



「魔法師団長、セリオの行方を追ってくれ」

「かしこまりました」

 

 魔法師団長は特殊魔法持ちだ。

 それも世になかなか生まれない、千里眼の使い手だった。

 見たいと思うものを、望む限りあまねく見ることが出来る。

 セリオの探索にはおあつらえ向きだった。



「探す地域を絞るために、もう少し情報を集めます。どうか今しばらくのお時間をいただきたく思います」

「分かった。なるべく早く頼む」



 魔法師団長が執務室を出ていったあとも、先代王は考えに沈んだ。

 セリオ――どんな気持ちで愛する女が生む子を呪ったのか。

 その子には確かに、愛する女の血も流れているというのに。

 ディーンは、真っ直ぐな金髪だったフロリタとそっくりの髪を持つ。

 瞳の色こそ先代王と同じだが、顔つきは繊細で美しく、フロリタを彷彿とさせた。

 

「もし、正妃が儂以外の男に嫁ぎ、子を孕んだとしたら……」



 子を呪うだろうか?

 それともその子に流れる、正妃の血を愛することが出来るだろうか?

 答えは永遠に出そうになかった。



 ◇◆◇



 魔法師団長は魔法師たちを集め、諜報活動を命じる。

 クルス国の王女だったフロリタの元婚約者、セリオについての情報を得るために。

 透視、読心、遠耳……。

 ありとあらゆる特殊魔法の使い手が、一気にクルス国を調べ上げる。

 セリオが表舞台にいたのは20年以上も前だ。

 王女の恋人として、庶民にも恋物語が伝わっていた護衛騎士の身分は、駆け落ちをしようとしたことではく奪されただろう。

 元々は高位貴族だっただろうが、一族からは犯罪者として放逐されたかもしれない。

 だが、呪いが継続しているのなら、必ず発動させた人物は生きている。

 セリオの親族を辿り、当時の裁判記録を見直し、こぼれる噂話を拾う。

 優秀な魔法師たちにより、牢に繋がれた以降のセリオの、20年の溝が埋められていく。

 おそらくこの地域にいるだろうと絞られてからは、魔法師団長が千里眼でしらみつぶしに捜索した。

 セリオが闇魔法の使い手であることは発覚している。

 あとは本人の居場所さえ分かれば――。



「いたぞ。すぐに遠距離移動ができる魔法師を呼んでくれ。現地へ向かう」

 魔法師団長がセリオを発見したのは、先代王が依頼をしてから3週間後のことだった。
 遠距離移動の使い手と一緒に、魔法師団長もセリオのもとに向かう。

 現地で緊急事態が発生したときにも、自分がいれば迅速に指示が出せるからだ。

 魔法師団長たちが飛んだ先は、田舎の小さな病院の入院患者専用病棟だった。

 そこに、20年前は時の人だったセリオが、静かに横たわっていた。



「話せますか?」



 魔法師団長はベッドに近づき、やせ細って老いたセリオに尋ねる。



「……誰だ?」



 か細いながらも返事が来たので、魔法師団長は話せると解釈する。



「フロリタさまの生んだ赤子を、呪いましたか?」



 名乗りもせずに単刀直入に質問する魔法師団長に、ちょっとセリオは面食らったようだ。

 しかしその内容に心当たりがあったのだろう。

 少しだけ顔を歪めた。



「遅かったじゃないか。もっと早くに、捕まえに来てくれると思っていたのに」



 ぼそぼそとした気力のないしゃべり方。

 もしかしたら、かなり重い病気なのかもしれない。

 ますます魔法師団長は切り込んでいく。

 早くこの会話を終わらせた方が、セリオのためだと考えたからだ。



「もう十分でしょう。解呪してください」



 せっかちな魔法師団長に、セリオが小さく笑った。



「誰かは知らないが、ウィロビー王国の人だよな? どうか俺の話を聞いてくれ」



 長く話せるとは思えない、しわがれた声で願われた魔法師団長は、取りあえずうなずいた。

 それを見て、セリオはごくりと唾を飲み込み、乾いた唇を舐め、話し出す。



 ――それは長らく苦しんだセリオの、懺悔だった。

 順風満帆だと思われたフロリタとの将来に、ある日突然大きな影が覆いかぶさった。

 己の力ではとても太刀打ちできない魔法大国に、愛するフロリタを奪われたのだ。

 一時は牢で囚われていたセリオだったが、悲恋を知った国民の嘆願もあり、フロリタには手を出さないという契約魔法を結んで釈放される。

 フロリタからは、どうか私を忘れて幸せになってと、一言だけ書かれた手紙が残されていた。

 だが聞くつもりはなかった。

 セリオは一矢報いたかった。

 大国という権力に物を言わせて、フロリタとセリオを引き裂いたウィロビーの王族に。

 幸いなことにセリオは闇魔法の使い手だ。

 誰の力を借りずとも、呪うことが出来る。

 しかし、セリオの魔力量は少なく、単独では呪いの効力も弱い。

 そこで、かけた呪いを保持し続ける魔道具を用意した。

 湾曲した万華鏡のような形をしたそれに、セリオは数か月かけて魔法を重ねてかけ続けた。

 呪いの発動条件は血を捧げること。

 万華鏡のレンズに、血をこすりつけるだけでいい。

 だがセリオは、魔道具が完成してから迷い出した。

 魔道具にかけた闇魔法は、王族の血が流れる赤子への呪いだ。

 フロリタが妊娠したことを知り、頭に血が昇った結果だった。

 これを発動させることで、フロリタは悲しむだろうか。

 フロリタはどんな赤子であれ、きっと愛するだろうから。

 それを思うとセリオはつらかった。

 本来ならば、フロリタはセリオの子を生むはずだった。

 この国で、温かい家庭を築くはずだった。

 セリオはさんざん泣いたあと、魔道具に血を捧げた。

 呪いに気がついたウィロビーの魔法剣士に、殺されることを夢見て。



 フロリタが、赤子を生むと同時に世を儚んだと知らされる。

 ウィロビー王国からは多額の弔慰金がクルス国に贈られた。

 愛する女の死が、クルス国を潤す金になった。

 セリオはますます希死念慮に囚われた。

 手っ取り早く解呪するには、呪いを発動させた者を殺せばいい。

 セリオが死ねば、フロリタの生んだ赤子にふりかかった呪いは解ける。

 早く、早く、俺を殺してくれ。

 実は魔道具に再度セリオの血を捧げれば、呪いは解ける。

 だがセリオはフロリタのもとに逝きたくて、その頃に魔道具を手放してしまった。



 待てど暮らせど、ウィロビー王国からの追手は来ない。

 セリオは自死だけは出来なかった。

 もし自死を選べば、死後にフロリタと同じ世界へ逝けない。

 自死を選んだものは、次の生の輪廻から外されるのだ。

 この世では結ばれなかったフロリタと、せめて来世で結ばれたかった。

 だからセリオは待ち続けたのだが。



「ようやくか、遅いんだよ」



 セリオは病魔に侵され寝たきりとなり、このベッドの上で死を待つだけとなっていた。

 もうすぐフロリタのもとへ逝ける。

 その希望だけが頼りだった。

 それなのに、そんなときになって、ようやく追手が現れたのだ。

 笑いたくもなる。

 どうしてもっと早くに来てくれなかったのかと。

 これまでに、さんざん後悔した。

 フロリタの生んだ赤子は、大きくなった今も呪いに苦しんでいるだろう。

 こんなに長く呪いが続くのなら、セリオは呪わなかったかもしれない。

 きっとフロリタには怒られる。



「あなたは死ぬことを望んでいるのですね」



 話を聞き終わった魔法師団長はそう判断した。

 間違ってはいないだろう。

 しかしこれは難しい問題だ。

 魔法師団長は先代王の判断を仰ぐことにした。

 このまま、セリオの望むように死を与えるのか、それともセリオが手放した魔道具を探すか。

 どちらにしても、セリオの命はそう長くないように思えた。



 ◇◆◇



 魔法師団長からの連絡を受けた先代王は、深いため息をついた。

 やはり、そうだった。

 呪ったのはセリオだった。

 しかし話を聞いてみると、セリオも苦しんだようだ。

 すぐに追手が来て殺されるものと思っていたのに、予想以上に長生きしてしまったのだ。

 その間、自分がかけた呪いを後悔し続けて、魔道具を手放したことを後悔し続けて。

 呪いは不幸しか生まなかった。



「出来れば魔道具を探し出し、セリオの血を捧げ解呪してもらいたい。しかし、その前にセリオの寿命が尽きるというのならば仕方なし」



 魔法師団長にはそう伝えた。

 死にたがっていたセリオには申し訳ないが、魔法師団長の手を汚させるのも酷だ。

 本当に罪深いのは自分たちなのだから。



 先代王からの指示を受け、魔法師団長たちは魔道具を探し始める。

 セリオから魔道具の特徴を聞き出し、誰もが分かるよう絵にした。

 手分けをして聞き込みさせるため、魔法師だけでなく魔法剣士や魔法研究員にも声をかけた。

 そしてセリオには監視をつけた。

 刻一刻と手がかりのないまま時間は進む。

 

 魔法師団長たちがセリオを訪問してから8日後、セリオが息を引き取った。



「フロリタ……待たせたね」



 そう呟き、逝ったのだという。



 ◇◆◇

 

 セリオが逝った瞬間に、呪いは解けた。

 そしてそれは、ディーンとメイベルが向き合い、ちょうどお茶を飲んでいるときだった。



「え? 見える?」



 ディーンの言葉にメイベルは顔を上げる。

 それまでケーキに夢中になっていたのだ。

 いつもは合わない二人の視線がぶつかる。

 ディーンの緑の瞳が、しっかりとメイベルの青い瞳を捕まえた。

 何が起きているのか。



「メイベル、唇にケーキがついてる」



 ふっと笑ったディーンが、自分の左端の唇をトントンと指さして教えた。



「え? 見えてるんですか?」



 メイベルは混乱した。

 慌て過ぎて、持っていたフォークをケーキ皿に落としてしまう。

 カチャンと耳障りな音がした。

 しかしそれに気を取られるでもなく、ディーンの腕がゆっくり伸びてくる。

 そっとメイベルの唇をなぞり、ついたクリームを指ですくう。

 そしてディーンはそれを舐めた。

 

「これはキャラメルソース……キャラメルってこんな色をしていたんだ」



 感心しているディーン。

 それどころではないメイベルと侍従。

 侍従は転びそうになりながら、王城へ向かって走っていった。

 おそらく誰かに報告をするのだろう。

 メイベルがその姿を目で追っていると、離れたはずのディーンの腕が戻ってきた。



「メイベル、こっちを見て。もっと顔を見せて」



 そんな甘い言葉に、メイベルが逆らえるはずもなかった。