例えるなら、その空はまるで上質な天鵞絨(びろうど)の生地をいっぱいに敷きつめたかのような空だった。

 数多の小さな星の輝きは、小さいにも関わらず存在するどの宝石よりもずっと美しい。

 ぽっかりと浮かぶ白い月は、氷のように冷たくもとても神々しい。

 後少しで今日という日が終わろうとする中、雷志はまだ起きていた。

 元々、就寝する時間が極めて遅い。それこそ午前3時にようやく寝る、なんてことも珍しくなかった。

 眠気が未だ訪れる様子はなく、それまでの間どうしようかと悩んだ先。

 そう言えば、と雷志はスマホを取り出した。


(今日朝に見たあのVtuber、配信ってやってるのかな……)


 何気なく、ふと思い出したVtuberのチャンネルを確認する。

 ちょうど、ライブ配信をしている最中だったらしい。

 時間も五分前とついさっき始まったばかりで、雷志は迷わずリスナーとして入室する。

 彼女を推すか否かは今後決めるとして、純粋にどんな配信スタイルなのか興味があった。

 ふと、チャンネル名を見やり雷志ははて、と小首をひねった。


(赤城……あかね? あれ、これってどっかで見たような……)


 いやいやいやいや。

 まさか、そんなはずがないだろう。

 これは単なる偶然の一致に過ぎない。

 世の中には自分と似たような人間が最低でも5人はいるとも言うぐらいだ。

 ならば似たような、それこそ用いた漢字まで同じ人間がいたとしてもおかしくはない。

 きっと単なる思い過ごしだろう。雷志はそう自らに強く言い聞かせた。


『――、みなのもの。こんかね~でござる! オウカレイメイプロダクション所属、四期生の“赤城あかね”でござるぅ! 今日も一日お疲れ様でござるよ~!』

「……この声、どっかで聞いたことがあるような、ないような……。まぁ、気のせいだろう。多分」

『えっと、“今日なんかすごい事件があったみたいだけど知ってた?”……あ~なんだか、どこかのビルに不審者が入ったとかいう事件らしいでござるなぁ。某はその時、本当にたまたま遠くで見てたでござるけど、本当にやばかったみたいでござるよ』

「……これ、やっぱり確定ってことか? だって、あそこにいただろこいつ……」


 次々と頭の中で勝手にパズルが組み立てられるかのような心境。

 もはや疑いようの余地はなかった。何故厳重な警備が敷かれていたか、社員証を返した際彼女が渋い顔をしたのか。

 これまでに得た情報が一つの答えへとなるのに、そう時間は要さなかった。

 あのビルこそ、かの有名なオウカレイメイプロダクションの本拠地だった。この事実を前にした雷志も、さすがに驚愕せざるを得ない。

 オウカレイメイプロダクション――詳細についてはそこまで彼は知らないが、認知度と触り程度ならば一応知っている。

 所属するタレント数は総勢30名。オウカ、の名を冠するとおり事務所のコンセプトとして和とファンタジーをとても重んじる。

 それ故にVtuberは基本、和のコンセプトのキャラクターデザインであることが多い。

 曰く、年明けに開催されたライブではあっという間にチケットが完売になった。

 それだけ人気を誇る事務所を、よもやこのような形で知ってしまったとして、雷志の胸中に一抹の不安がよぎる。

 意図的でなかったにせよ、互いの顔はばっちりと記憶している。

 第一、厳密な住所を記載していなかった事務所の特定も結果として行ってしまった。

 むろん雷志は、この事実を周囲に言いふらすつもりは毛頭ない。

 それを悪用しようとする気も然り。

 自分はともかくとして、一番被害を被るのはタレントの方である。

 こと、“赤城(あかぎ)あかね”についてはより一層重い処分が下る可能性が高い。

 そも、社員証を落とすという失態さえなければ、かような事態にならなかったのだから。

 最悪の場合、企業に著しい損害を出したとして懲戒免職なんてことも無きにしも非ず。

 そう考えると、さしもの雷志も同情せざるを得ないし、どうにかしてやりたいという気持ちにもなった。

 だが、自分にいったい何がしてやれる? と雷志は自らにそう問いかけた。

 こちらから出向いて、漏洩しないと言えばいいのか?

 ありえないだろう。あんな物々しい警備員を普通に配置するような場所だぞ。

 行ったらいったで、多分ロクな目に遭いそうにない。

 こればかりは勘だが、おれの勘はよく当たる。それはおれが誰よりも理解している。

 だったら、やっぱりこのままほとぼりが冷めるまで黙っておいた方がいいか……。

 きっと、そうした方がいい。


『不審者を、たった一人でやっつけちゃうぐらいとても強い人だったでござったなぁ。某もそこそこやる方ではござるけど、あの御仁は某よりずっと強かったでござるなぁ。さすがの某もついつい、見惚れてしまったでござるよ』

「いや、あれ見惚れてたのか? どっからどう見てもビビってるようにしか見えなかったぞ……?」


 明らかに声のトーンが先と異なる様子は、リスナー達に嫉妬心を駆り立てる。

 曰く、Vtuberのリスナー層は主に男性が大部分を占める。

 というのも、男性Vtuberよりも女性Vtuberの方が多いことはデータとして提出されていて、事務所の大半も女性を主に応募しているぐらいだ。性別を偽ってまでVtuber活動するのは、そうした情勢もある。


《ちなみにだけど、その人ってかっこよかった?》

《男? 女? 足軽さん怒んないから言ってみんしゃい》

《探せぇぇぇぇぇぇ! その御仁の首を打ち取るのじゃぁぁぁぁぁ!(# ゚Д゚)》

《俺らのあかねちゃんを……不届き千万なり!》


「いや、お前らめっちゃ私怨たらたらじゃねーかよ!」


 私怨を微塵も隠そうとしないリスナーのコメントに、さしもの雷志も顔を青くせざるを得ない。

 万が一知られれば、確実に夜道は背後を常に警戒せねばなるまい。

 素人に襲撃されたところでさして問題はないが、常日頃狙われるとなるとさすがに気が滅入る。

 いくら強かろうと、雷志とて元を正せば一人の人間にすぎないのだから。


(絶対に今日のことは口外しないようにしよう……)


 雷志はそう心に強く刻んだ。


『ん~具体的な特徴を言うとコンプライアンスとか肖像権に引っかかっちゃうでござるから、あえてぼかすけど。でも、すごくかっこよかったのは事実でござるな』

「いや本当かよ……」


 初対面の時では、雷志のこの容姿に彼女は若干の怯えがあった。

 彼女だけではない。初対面の相手からは、彼は最初は必ず恐怖されている。

 稀有な髪色に瞳、それらを総合して全身より発する威圧感はどうしても他者を遠ざけてしまいがちになってしまう。

 別に好きでこのような姿形に生まれてきたわけじゃない、と雷志は内心で愚痴を吐いた。

 それはさておき。

 コメントすることもなく、傍観を徹していた雷志の瞳にあるコメントが飛び込む。


《僕、その人と知り合いです》