すらりと伸びた高身長に紺色のスーツ、さらさらと流れる金色の髪がよく似合う彼は満場一致でイケメンだった。

 ただし、独特すぎる口調のせいで未だモテた試しがないという愚痴を以前、雷志は直接本人の口より耳にしたことがあった。

 残念なイケメン――それが彼の総評にして、仕事仲間だから世の中がなにが起きるかわからない。


「――、んで? お前がここにいるってことは仕事の類か?」

「いやいや、今日はあっしも非番でしてね。特に何もやることがないので、こうしてのんびりと散歩でもしているところなんですよ」

「お前もかよ。いい歳した大人が、そろいもそろってやることもなく公園でのんびりとすごす。外見だけみたら完全にニートのそれだな」

「へっへっへ。違いありやせん。ですがこれでもあっしらはきちんと仕事をしていますからね。そこんとこは、胸を張っていいと思いますぜ、ダンナ」

「違いない」


 このまま続くかと思われた談笑は、不意に終わりを告げることとなる。

(なんだ、あいつ……?)


 朝から男二人して、仕事もせずに公園にいる。

 理由がどうであれ、同じように公園ですごす輩がいたとしてもそれはなんら不思議ではない。

 雷志があえて疑問視したのは、視線の先にいる男の挙動不審さが酷く目立ったからに他ならない。

 トレンチコートを着込み、周囲を嫌に警戒する様は、例え己でなくとも怪しいと思おう。

 しかし、自分には差して関係のない話だ。例え今から、仮にあの不審者がとんでもない事件を起こそうとしていても、そこに介入するのは警察であって自分の役目ではない。

 未然に防げばもちろん、英雄としてその功績を称えられるやもしれぬし、SNSで広まれば一気に有名人になることも夢ではない。

 雷志は、そう言った名声に一寸の興味もない男であった。

 よって彼の性格上、不審者の言動をあえて見過ごすことにした。

 いつもであれば、そうしていたが……。


(あいつが向かったのって、もしかして……)


 嫌な予感が脳裏をよぎる。

 誰かが、殺人とは宝くじに当たるようなものだ。と言ったのをなんとなく雷志は思い出す。

 それはありえないことだ。たまたま行き先がそうであるだけで、現実となる可能性は天文学的確率に近しい。

 だから杞憂だ。

 気にする必要は――。


「……仕方ないな。俺、ちょっと用事思い出したから行ってくるわ」

「おや、それじゃああっしもそろそろ」

「因みに、今から何をしに行くんだ?」

「へぇ、久しぶりにスロットでも打ちにいこうかと」

「またギャンブルかよ。それですっからかんになったばっかりだろうによ」

「へっへっへ。こいつだけはどうも切れそうにない縁でございまして。それじゃあ、あっしはこれで」


 独特な笑みと共に去っていく後姿を見送りもせず、昭光はさっき来た道を急いで戻る。

 一度生じた不安は、ごくわずかなものであったが時間と共にどんどん肥大化し留まることを知らない。


(少しばかり、急ぐか……!)


 人気がまだまばらな中を、雷志は一陣の疾風と化した。

 一秒でも早く、あの不審者に追い付かねば取り返しのつかないことになりかねない。

 その不安は最悪な形で、彼の目前で現実と化してしまった。


「おいおい……派手にやりすぎだろ」


 入り口付近は火の海だった。

 散らばったガラス片とむせ返るほどのガソリンの臭いから察するに、火炎瓶の類だろう。

 大量に用意されていたらしく、緑豊かな景観も今や赤々とした炎に包まれている。

 出入口では、先の警備兵が横たわっていた。

 ボディーアーマーのおかげか、袈裟掛けに鋭利な刀傷こそあれど、命に別状はない。


「――、おいおい。アンタ、いくらなんでもこれはやりすぎってもんじゃないか?」

「……」

「おーい、聞こえてるかー? 聞こえてるんだから返事ぐらいしたらどうなんだー?」

「……」

「おい無視かよ。ったく、人の話を満足に聞こうとしない奴は嫌いだぞ、俺」

「……」

「よし決定。とりあえず警察が来る前に俺、お前のこと一発殴るわ」


 依然として黙したままの不審者であるが、不意に身体をぐるりと反転させる。

 およそ、正気のある人間とは言い難かった。

 目は血走り、涎をだらだらと垂らす口からは獣のごとく荒々しい呼気が繰り返される。

 その在りようは目にも耳にも、大変けがらわしいことこの上なし。

 そして、だらりと下がった右手にある一振りのナイフより滴る赤い汁は、もはや何か確認するまでもない。

 距離があるにも関わらず、鼻腔をつんと刺激する濃厚な鉄のような臭いがよい証拠だ。

 なるほど、と雷志は納得した。

 もはや男に他者の声はおろか、まともに思考する能力さえも残っておるまい。

 理性なき今、男を突き動かす原動力は凄まじい本能のみ。

 であれば雷志がするべきことは決まっていて、地面に転がっていた鉄棒をひょいと拾った。


(この手の得物は、使ったことがないんだが……)


 かと言って、白昼堂々光物を用いるわけにもいくまい。

 一応、一見すると救いようのない不審者であるが助かる道はある。

 そのためには彼を徹底して叩く必要があった。


「まぁ、あれだ。起きたらめちゃくちゃ激痛でのた打ち回るだろうけど、そこは犬に嚙まれたとでも思って諦めてくれ」


 その言葉が開戦を告げる合図となった。

 いったいどこからかような声が出るのか。奇声に近しい絶叫は人というよりかは獣の咆哮と言ってもよかろう。

 どかどかと地を蹴って襲いくる姿は、正しく猛獣そのもの。

 雷志はそれを静かに、眉一つ微動だにすることなく見据える。

 敵手との距離はおよそ5m前後。不審者の得物はナイフ――刃渡りは、一尺(約30.3cm)と長め。

 明らかに銃刀法違反者で、だからこそ正当防衛として十分に成り立つので雷志に加減という配慮は一切消失した。

 ナイフという武器を前にすれば、確かに大抵の人間は恐怖を憶えよう。

 包丁でさえも十二分に凶器と化すのに、ましてやコンバットナイフとなると明確な武器として勝手に認識してしまうがために、余計思考は混濁し冷静な判断力を失う。

 雷志が恐れを抱かないのは、そこには才も技も不審者にはなかったから。

 つまり、ドがつくほどの素人相手に恐れ屈するほど、軟な生き方を彼はしてきていない。

 それ故に、鉄棒をぶんと豪快に振るい不審者の手からナイフを弾き落すと、くるりと返した凄烈な一打を顎に叩き込んだ。

 ぐしゃり、という不快感極まりないその音には、さしもの雷志も思わず眉間にシワをくっと寄せてしまう。

 肉を弾き、骨をも砕いた感触が嫌でも手中に伝わる。

 自分がしたことが、否が応でも理解させられる。――それについては、さして特になんの感慨もないが。

 大の字の形でどしゃり、と崩れた男に雷志は傍らに寄り添った。


 そして――。


 程なくして、けたたましいサイレンの音が遠くより反響するのを雷志ははたと見やった。

 ようやく警察とかがきたらしく、ならば後はそちらの本業なのでもう己がすべきことはない。

 餅は餅屋、せっかくの休日をこれ以上無駄に費やしたくはなかった。

 この後も予定は……大してないのは相変わらずだが、とにもかくにも自由を奪われてなるものか。

 時は金なり。過ぎ去った時間はどう足掻こうと二度と戻らないのだから。

 踵を返してその場から早々に立ち去ろうとした、直前。雷志は何気なく振り返った。

 そこには誰もいない。いるのは重傷者二名と容疑者のみ。

 視線は自然と上へと延び、そして――あの娘だ。ガラス窓突き破らんとする勢いでべったりと顔を寄せ、こちらを見やるその表情(かお)には、驚愕と困惑の感情(いろ)が色濃く滲んでいる。

 よくよく見やれば他の従業員だろう、にしては女性の比率は圧倒的すぎる気がしないでもないが――ざっと目視しただけでも優に20人以上はいよう、女性から見守られる中、今度こそ雷志はその場から立ち去った。


(なんだか、モテ期がきたみたいで悪くないな)


 がやがやと野次馬らが事件現場へと向かう光景を横目に、雷志はそんなことをふと思った。