リコは部員の中でも大人しい部類の生徒だった。
日頃から、イチカが騒いで俺がツッコむのを静かに笑って眺めていた。小動物みたいに小さくて、かわいらしい、穏やかな人だった。
誰かが死ぬとか、そんな悪ノリをするような人じゃないのに。
「……いやいやいや。リコまで無理してイチカたちに付き合わなくていいよ……」
「ほんとだよ。〝映像が降りてきたの。誰だかわからないけど、ナイフでひと刺しされる場面が〟」
「〝えっ、こわ!〟」
「〝俺かなー、やだなー〟」
「いやいやいや……。うそはうそでも、そんな不吉なうそはやめろよ……」
なんなんだ、このおかしなノリは。どうなってるんだ?
イチカならともかく、しっかり者のユウダイや冗談すら言わないリコまで変なことを言い出している。とても正気とは思えない。
混乱している中、手元の発泡酒が目に入り、疑問が解けた気がした。
「……もういいから。全員飲み過ぎ。ちょっと頭冷やせよ」
ぱんぱん、と手を叩いた。ここまでぐだぐだになるくらいならそろそろ解散するべきだろう。三人の体調も心配だ。
そのとき、どこからかドアベルの音が鳴った。
俺の部屋ではない。三人の家のどれかのようだ。ユウダイが反応して立ち上がった。
「〝あ、ちょっと待って。誰か来た。今夜お袋でかけてるんだよな〟」
「〝う……ちょっと吐きそうかも。お水飲んでくるね〟」
イチカも立ち上がり、カメラの向こうへと姿を消す。空っぽになったふたつの空間を眺め、残されたリコを見ると、とろんとした表情でサワーを飲んでいた。
ふたりきりになってしまった。
唐突なこの状況に、急に緊張し出してしまう。今までの飲み会ではもう少し部員が集まっていたから、誰かが席を外してもふたりきりになるなんてことはなかった。今までは放っておいてもなされていた会話を、今は自分がつながなればいけない。
密かに焦っていると、リコが不意に笑い出した。
「……なに?」
「なんか、楽しいな。高校の頃に戻ったみたい」
その笑顔は月日が経っても変わらない眩しさで、俺もつい笑みが溢れてしまった。
「たしかにな。いっつもくだらない話してたよな」
「イチカちゃんとヒロキくんのかけ合い、好きだったなぁ。痴話喧嘩みたいで」
「やめろよ。俺はウザかった」
「ヒロキくんはさ、なにか秘密ないの?」
ぎく、と肩が揺れた。
告白大会。せっかく逃れられたと思ったのに、覚えていたらしい。
でも秘密なんて思いつかないし、うそを言うにもそれなりのエネルギーを使う。イチカたちのノリにはついていくのはだるかった。
「俺はいいよ。秘密なんてないから」
「ふふ。本当に? ヒロキくんの秘密、聞いてみたいのに」
「いや、ないよ。本当にない」
リコの大きな瞳が、画面越しの俺を捉えて離さない。その目を見ていると、急に高校時代の彼女を思い出した。
俺とイチカが言い争っていると、そっと寄ってきて楽しそうに俺たちを眺めていたこと。
一緒に食材の買い出しに行って、ついでに公園に立ち寄り逆上がりを教えたこと。
リコといる時間は、静かで、穏やかで、平穏で。
いつだって、やさしい時間だった。
「そういえば、秘密……あったわ」
つい口走ってしまった。
俺は今、余計なことを言おうとしている。
いつユウダイたちが戻ってくるかわからないのに。
こうしてる間だって、俺たちの会話はふたりに聞かれているかもしれないのに。
……それに、こんな、秘密。
今さら言っても、迷惑なだけなのに……。
「なに?」
わくわくした表情でリコが俺を見つめている。
俺さ、とつぶやき、少し間をおいてから、ゆるゆると口を開いた。
「……本当は、高校の頃から……。リコの、こと」
「〝うわっ!〟」
突然どこからか大きな声がして、俺の言葉は途中で途切れてしまった。
ユウダイだ。声のあとに、どすんとなにかが床に落ちる音がする。画面には映っていないけれど、おそらく、ユウダイが倒れた音。
イチカが飛んできて、右下の画面から顔を出した。
「〝なに? どうかした?〟」
「いや、ユウダイが……。ユウダイ? なにかあったか?」
「〝逃げんな、キムラユウダイ!〟」
ドスの効いた声が聞こえた。明らかにユウダイではない、第三者だ。
唐突な部外者の乱入に、どうしたらいいのかわからなくなる。
「〝随分探したぜ。こんなところに逃げ込んでたとはな! 返済終わるまで、もう逃さねぇぞ!〟」
事態を飲み込み、さっと血の気が引いた。
「え、え……? ……まさか」
本当に、二千万の借金が?
まさか、マグロ漁船?
そういえば、今日のユウダイはいつもの自分のマンションではなく実家から飲み会に参加していた。もしや、借金取りから逃げてきたのだろうか。
混乱して画面を見つめるものの、玄関にいるユウダイの姿は確認できない。
「ユウダイ! 大丈夫か!」
「〝やだ、どうしよう……〟」
「〝ユウダーイ!〟」
叫び声がしてモニターの右下を見ると、イチカが両手を前に突き出していた。眉間に皺を寄せ、尋常ではない様子でなにかをつぶやいている。
そしてしばらくして、気合いを入れるように再度叫んだ。
「〝はっ!〟」
画面がパッと光り、イチカの姿が見えなくなる。
そして次の瞬間には、ユウダイがイチカの横に転がっていた。
「〝うおっ。……あぁ、ありがとうイチカ〟」
「〝お安いご用よ〟」
「は? は? なに?」
事態を飲み込めない。
まさか、本当にイチカには超能力が?
テレポーテーション?
ユウダイの部屋で、ちくしょう、どこ行きやがった、と声がする。画面の端で男がきょろきょろとユウダイを探していた。リビングの奥なのでよく見えないが、スーツにサングラスといういかにもな男だ。
こちらには気づいていない。でも見つかるのは時間の問題だろう。
そのうち男はイライラしたように、テーブルや棚を蹴り出した。
「〝出てこい、キムラユウダイ!〟」
部屋を荒らしている。むしゃくしゃしているのもあるだろうし、金目のものを探しているのかもしれない。
激しい音とともに、画面外に置いてあった段ボールの破片が飛んできた。その中に入っていたらしい小さな箱が、宙を舞ってカメラの前に落ちる。
パッケージには『切れ味バツグン! ラクラク包丁研ぎ』と書かれていた。
「〝イチカちゃん!〟」
今度はリコが叫んだ。
イチカは殴られたらしいユウダイの頬をおしぼりで冷やしていた。
「〝お願い、私をユウダイくんの部屋に連れていってちょうだい!〟」
「〝え、どうして? 危ないわ!〟」
「〝いいのよ! お願い!〟」
イチカは迷ったものの、また両手をこちらに向け集中する。画面が光り、次の瞬間にはリコはスーツの男と対峙していた。
「〝誰だ、てめぇ〟」
「〝もうやめて。それ以上ユウダイくんの夢を壊すのは許さないわ……!〟」
リコの手には包丁が握られていた。ワープ前に自分の家のキッチンから持ってきたものだろう。
スーツの男はそれを認めると、ふっと笑みを浮かべ、内ポケットからナイフを取り出した。
その瞬間、先ほどのリコの言葉が思い出された。
〝近々、この四人の中の誰かが死んでしまいます〟
〝ナイフでひと刺しされる場面が〟
え。
まさか。
……死ぬのは、まさか……。
「リコ」
自分が危機に陥っているわけじゃないのに、走馬灯のようにまた高校の頃の景色が頭をよぎった。
部室のカーテンにくるまり、無邪気に遊んでいるリコ。
イチカと一緒に、アプリのゲームをしてはしゃいでいるリコ。
思えば、俺の青春はリコの笑顔に占められていた。スポットライトなんて当たらない高校生活だったけれど、彼女がそばにいたことですべては輝いて見えた。たとえその笑顔が、俺だけのものじゃない、部員全員に向けられたものだったとしても。
スーツの男がナイフを持ち直す。リコは震えながらも、包丁を強く握りしめる。
なんで。
どうして。
——こんなの、嫌だ。
「やめろ!」
叫びも虚しく、ナイフはリコの体へと吸い込まれていった。
日頃から、イチカが騒いで俺がツッコむのを静かに笑って眺めていた。小動物みたいに小さくて、かわいらしい、穏やかな人だった。
誰かが死ぬとか、そんな悪ノリをするような人じゃないのに。
「……いやいやいや。リコまで無理してイチカたちに付き合わなくていいよ……」
「ほんとだよ。〝映像が降りてきたの。誰だかわからないけど、ナイフでひと刺しされる場面が〟」
「〝えっ、こわ!〟」
「〝俺かなー、やだなー〟」
「いやいやいや……。うそはうそでも、そんな不吉なうそはやめろよ……」
なんなんだ、このおかしなノリは。どうなってるんだ?
イチカならともかく、しっかり者のユウダイや冗談すら言わないリコまで変なことを言い出している。とても正気とは思えない。
混乱している中、手元の発泡酒が目に入り、疑問が解けた気がした。
「……もういいから。全員飲み過ぎ。ちょっと頭冷やせよ」
ぱんぱん、と手を叩いた。ここまでぐだぐだになるくらいならそろそろ解散するべきだろう。三人の体調も心配だ。
そのとき、どこからかドアベルの音が鳴った。
俺の部屋ではない。三人の家のどれかのようだ。ユウダイが反応して立ち上がった。
「〝あ、ちょっと待って。誰か来た。今夜お袋でかけてるんだよな〟」
「〝う……ちょっと吐きそうかも。お水飲んでくるね〟」
イチカも立ち上がり、カメラの向こうへと姿を消す。空っぽになったふたつの空間を眺め、残されたリコを見ると、とろんとした表情でサワーを飲んでいた。
ふたりきりになってしまった。
唐突なこの状況に、急に緊張し出してしまう。今までの飲み会ではもう少し部員が集まっていたから、誰かが席を外してもふたりきりになるなんてことはなかった。今までは放っておいてもなされていた会話を、今は自分がつながなればいけない。
密かに焦っていると、リコが不意に笑い出した。
「……なに?」
「なんか、楽しいな。高校の頃に戻ったみたい」
その笑顔は月日が経っても変わらない眩しさで、俺もつい笑みが溢れてしまった。
「たしかにな。いっつもくだらない話してたよな」
「イチカちゃんとヒロキくんのかけ合い、好きだったなぁ。痴話喧嘩みたいで」
「やめろよ。俺はウザかった」
「ヒロキくんはさ、なにか秘密ないの?」
ぎく、と肩が揺れた。
告白大会。せっかく逃れられたと思ったのに、覚えていたらしい。
でも秘密なんて思いつかないし、うそを言うにもそれなりのエネルギーを使う。イチカたちのノリにはついていくのはだるかった。
「俺はいいよ。秘密なんてないから」
「ふふ。本当に? ヒロキくんの秘密、聞いてみたいのに」
「いや、ないよ。本当にない」
リコの大きな瞳が、画面越しの俺を捉えて離さない。その目を見ていると、急に高校時代の彼女を思い出した。
俺とイチカが言い争っていると、そっと寄ってきて楽しそうに俺たちを眺めていたこと。
一緒に食材の買い出しに行って、ついでに公園に立ち寄り逆上がりを教えたこと。
リコといる時間は、静かで、穏やかで、平穏で。
いつだって、やさしい時間だった。
「そういえば、秘密……あったわ」
つい口走ってしまった。
俺は今、余計なことを言おうとしている。
いつユウダイたちが戻ってくるかわからないのに。
こうしてる間だって、俺たちの会話はふたりに聞かれているかもしれないのに。
……それに、こんな、秘密。
今さら言っても、迷惑なだけなのに……。
「なに?」
わくわくした表情でリコが俺を見つめている。
俺さ、とつぶやき、少し間をおいてから、ゆるゆると口を開いた。
「……本当は、高校の頃から……。リコの、こと」
「〝うわっ!〟」
突然どこからか大きな声がして、俺の言葉は途中で途切れてしまった。
ユウダイだ。声のあとに、どすんとなにかが床に落ちる音がする。画面には映っていないけれど、おそらく、ユウダイが倒れた音。
イチカが飛んできて、右下の画面から顔を出した。
「〝なに? どうかした?〟」
「いや、ユウダイが……。ユウダイ? なにかあったか?」
「〝逃げんな、キムラユウダイ!〟」
ドスの効いた声が聞こえた。明らかにユウダイではない、第三者だ。
唐突な部外者の乱入に、どうしたらいいのかわからなくなる。
「〝随分探したぜ。こんなところに逃げ込んでたとはな! 返済終わるまで、もう逃さねぇぞ!〟」
事態を飲み込み、さっと血の気が引いた。
「え、え……? ……まさか」
本当に、二千万の借金が?
まさか、マグロ漁船?
そういえば、今日のユウダイはいつもの自分のマンションではなく実家から飲み会に参加していた。もしや、借金取りから逃げてきたのだろうか。
混乱して画面を見つめるものの、玄関にいるユウダイの姿は確認できない。
「ユウダイ! 大丈夫か!」
「〝やだ、どうしよう……〟」
「〝ユウダーイ!〟」
叫び声がしてモニターの右下を見ると、イチカが両手を前に突き出していた。眉間に皺を寄せ、尋常ではない様子でなにかをつぶやいている。
そしてしばらくして、気合いを入れるように再度叫んだ。
「〝はっ!〟」
画面がパッと光り、イチカの姿が見えなくなる。
そして次の瞬間には、ユウダイがイチカの横に転がっていた。
「〝うおっ。……あぁ、ありがとうイチカ〟」
「〝お安いご用よ〟」
「は? は? なに?」
事態を飲み込めない。
まさか、本当にイチカには超能力が?
テレポーテーション?
ユウダイの部屋で、ちくしょう、どこ行きやがった、と声がする。画面の端で男がきょろきょろとユウダイを探していた。リビングの奥なのでよく見えないが、スーツにサングラスといういかにもな男だ。
こちらには気づいていない。でも見つかるのは時間の問題だろう。
そのうち男はイライラしたように、テーブルや棚を蹴り出した。
「〝出てこい、キムラユウダイ!〟」
部屋を荒らしている。むしゃくしゃしているのもあるだろうし、金目のものを探しているのかもしれない。
激しい音とともに、画面外に置いてあった段ボールの破片が飛んできた。その中に入っていたらしい小さな箱が、宙を舞ってカメラの前に落ちる。
パッケージには『切れ味バツグン! ラクラク包丁研ぎ』と書かれていた。
「〝イチカちゃん!〟」
今度はリコが叫んだ。
イチカは殴られたらしいユウダイの頬をおしぼりで冷やしていた。
「〝お願い、私をユウダイくんの部屋に連れていってちょうだい!〟」
「〝え、どうして? 危ないわ!〟」
「〝いいのよ! お願い!〟」
イチカは迷ったものの、また両手をこちらに向け集中する。画面が光り、次の瞬間にはリコはスーツの男と対峙していた。
「〝誰だ、てめぇ〟」
「〝もうやめて。それ以上ユウダイくんの夢を壊すのは許さないわ……!〟」
リコの手には包丁が握られていた。ワープ前に自分の家のキッチンから持ってきたものだろう。
スーツの男はそれを認めると、ふっと笑みを浮かべ、内ポケットからナイフを取り出した。
その瞬間、先ほどのリコの言葉が思い出された。
〝近々、この四人の中の誰かが死んでしまいます〟
〝ナイフでひと刺しされる場面が〟
え。
まさか。
……死ぬのは、まさか……。
「リコ」
自分が危機に陥っているわけじゃないのに、走馬灯のようにまた高校の頃の景色が頭をよぎった。
部室のカーテンにくるまり、無邪気に遊んでいるリコ。
イチカと一緒に、アプリのゲームをしてはしゃいでいるリコ。
思えば、俺の青春はリコの笑顔に占められていた。スポットライトなんて当たらない高校生活だったけれど、彼女がそばにいたことですべては輝いて見えた。たとえその笑顔が、俺だけのものじゃない、部員全員に向けられたものだったとしても。
スーツの男がナイフを持ち直す。リコは震えながらも、包丁を強く握りしめる。
なんで。
どうして。
——こんなの、嫌だ。
「やめろ!」
叫びも虚しく、ナイフはリコの体へと吸い込まれていった。