閉店時間を迎え、すっかり酔ったサユを店の出口まで送り、俺は溜め息を吐く。リカと二人相当酔っていたけれど、大丈夫だろうか。

 せめて駅まで送ってあげられたら、他店のようにアフターが出来たら安心だろう。
 それでも、サユの初恋の相手『アラタ』で居られるのはこの店の中でだけだった。

「あー、リカちゃん相変わらずテンション高くて疲れた……」
「お疲れ。『キラ』もハイテンションなキャラだもんな……」
「そうそう、『クラス一のお調子者』なんて、僕に一番向かないキャラ……」
「あはは……でも、切り替えさすがだよ」
「お前も初回だったけど、上手くやれてたじゃん」
「あー、うん。一応……でも、サユはもう来ないかも」
「えっ、なんで!? 初回後の飲み直しまで入れてくれたのに!」

 午前零時を過ぎた後。魔法の解けた店の片付けをしながら、先程まで同じ卓で絶えずトークを繰り広げていた同僚へと視線を向ける。
 普段比較的クールな彼は、少しテンションが高い。まだ『役』に引きずられているようだった。

「なんとなく……リカはいろいろわかってて、それでも溺れて遊ぶタイプだけど、サユは……今夜だけの夢って、割り切ってそうだった」
「……人の客の分析までしてるのか」
「見てればわかる。まあ、だからリカも、きっとサユに店のシステムについて説明してなかったんだろ。……サユ、最初に『アラタ』を見て驚いてたし」
「あー、確かに。『キラ』のことも本物だと思ってたっぽいし。まあ、お客さんによってはその方が楽しめるしな。店について多少調べりゃわかるけども」

 実際中学の同級生二人して、同じホストクラブで同じ期間に働く可能性なんて、どれくらいの確率だろう。しかもそれが友達二人の初恋の相手だなんて、現実的にあり得ない。

 この店は、完全紹介制の予約制。つまり冷やかし客は来られないし、紹介されるのも『初恋』を引きずっている客であるのが前提だ。

「初恋ホスト、ね……」

 事前にサユ本人からアンケートに書いて貰った情報と、サユを紹介したリカからの情報。
 それを元に、店提携の探偵が調べた、その初恋相手の外見や現在の様子を含む詳細。

 そしてそれを元に『役者の卵』である俺達が、客のニーズに沿った『初恋の相手』を再現してひとときの夢を提供する店。

 俺は本物の『アラタ』ではなく、アラタに偶々顔立ちが似ていたから選ばれたに過ぎない、ただの売れない役者見習いのホストだった。

 間接照明の薄暗い店内では、多少の容姿の違いは髪型やメイクで誤魔化せるし、背だって座っていればよっぽどじゃない限りバレない。
 テーブルが低いのも感覚を狂わせるのにいいし、それでも拘るようなら、最悪シークレットブーツだのクッションを仕込むだの、いくらでもやり方はある。

 そもそも大抵の場合は初恋から年数は経っているのだ、変化があったとしても成長だと言い張れる。

 初恋をいつまでも引きずっている奴は、元々情が深い。
 事前に偽物とわかっていても、言動や癖を寄せていけば酒の力もあって本物だと錯覚するし、そうなれば懐かしさと恋しさから、当時使えなかった分金を落としやすい。

 うっかり役の設定が混ざっても困るから、他店のように同時刻掛け持ちで何人も相手には出来ないものの、一人あたりの単価は恐らく他所よりは高いし、同伴やアフターや営業メールがないから役者としてのレッスン時間も確保出来る。

 客も競うことなく心穏やかに通ってくれるし、初恋ベースだから最初から好感度だって高い。日々の接客も役者としてのスキル向上に繋がるのだから、まさにいいこと尽くめだ。

「いいこと尽くめの、はずなんだけどな……」

 別れ際、シンデレラの魔法が解けるように、階段を踏み締め夢から覚めていくサユの一言が、忘れられない。

『生きてるアラタくんに会わせてくれて、ありがとう』

 俺はホストだ。お客さんの幸せのために、偽物の初恋相手として、時には明るく、時には優しく振る舞う。
 けれど、今回の役は正解が見えなかった。

「生きててよかった、は、地雷ワードだったかなぁ……」

 中三の冬休み。彼は地元から離れ遠くの高校に進学するのに、はじめての一人暮らし用のアパートを内見するため、家族全員が乗った車での移動中、大型トラックと事故に遭ったという。

 遠距離でも交際を続けようと決意した矢先、二度と会うことの叶わない別れをしてしまった二人。
 そんな『アラタ』の存在しない未来を、サユはどう見たのだろう。

 最初の驚き顔は、俺を本物の幽霊とでも思ってくれたのか、死んだ記憶が夢で、生きているのが現実と錯覚してくれたのか。担任の名前を出した辺りで緊張は解けていたようだったから、少しは本物だと感じてくれたのかもしれない。

 けれど、どう足掻いても俺は本物のアラタではないのだ。

 サユからしても、理想と違ったのか、一夜の夢を楽しめたのか、死者への冒涜と感じたのか。傷付けたのか喜んでもらえたのか、いくら考えても答えは出なかった。

 それでも、偽物だとしても。止まったままだったアラタの時が進んだことで、彼女も一歩踏み出す切っ掛けになるといい。
 こっそり繋いだ手に残った傷跡を今後増やさずに、もうアラタの後を追おうとしなくなればいい。

「……でも、サユが生きててよかった。それは、きっと紛れもない『アラタ』の言葉だ」

 演技のための知識は、当然事前に詰め込んだ。けれど知識としてあった担任の名前じゃなく、自然と出てきた担任のあだ名。他にも二人しか知らないことを、時折勝手に話し出した口。

 自分をスクリーンにして、誰かの初恋という遠い日の淡い夢を映す日々。この仕事をしていると、時折映像が実態を持つこともあるのだ。
 一瞬一瞬に全力を尽くす生身の舞台で演じるのを夢見る俺達だからこそ、持ちえる感覚なのかもしれない。

 だからこそこの店は、招待されると閲覧できるホームページに、ホストが役者であることや事前調査への同意云々に関して明記しているにも関わらず、『本物』のようだとリピーターが多い。

 役が憑依する、なんてよく言うけれど。きっとあの瞬間、本当にアラタが俺の身体を使って、サユに会いに来ていたんだと思う。

「よし、鍵閉めるぞー」
「あ……はい。お疲れ様でした」

 ミーティングや片付けを終えて、ようやく店を出る。
 階段を上がり、眠らぬ深夜の町を歩きながら、もう何者でもない俺は置き去りにされたガラスの靴のように透明だ。

「明日は予約がないから……明後日のリピーターの役、改めて詰め込まないと……あー、明日一日で『アラタ』抜けるかな……久しぶりの新役、どっぷりだったもんな……」

 上着のポケットからスマホを取り出して、SNSを開く。店用のアカウントはないものの、俺は役を演じた上で感じたことを呟くためのアカウントを持っていた。
 フォローもフォロワーも居なく、誰と会話するでもない。壁打ち用の、役に応じて口調や一人称すら変わる、怪しい独り言ばかりのアカウントだ。

『初恋は青春の落とし物。それが店のコンセプトだけど……はじめての恋は特別だからこそ、他にはない希望にも喜びにも、悲しみにも切なさにもなる。命の果てまで続く気持ちなら、それは落とし物なんかじゃなくて……人生そのものだ』

 呟きを投稿して、しばらくしてひとつ『いいね』がついた。
 届いたハートマークに、この終わりなんてないような夜の下、見知らぬ誰かも人生をかけた初恋をしているのだと、僅かに頬が緩む。

 十数年前。車の事故に遭ったらしく、身内は居らず事故前の記憶もない俺は、初恋を知らない。
 それがどんなに身を焦がすものなのかも、よくわからなかった。だからこそ、お客さんひとりひとりの想いに憧れて、本当に愛しく感じた。

 役者を目指すことで、この店でたくさんの役を得ることで、様々な記憶や感情に触れる。
 過去を取り戻せなくても、こうしていくことで透明な俺を満たしていけると信じて。

 愛の込められた役の人生をなぞりながら、俺は今日も、不確かな夜を歩いていくのだった。