『初恋ホスト』そんな名前のお店があるのを知っているだろうか。
『初恋』と『ホスト』だなんて両極端な気もするけれど、その店は色恋を売りにしているホストにしては珍しい『初恋の想い出を引きずっている人』向けの店らしい。
私が完全予約制で完全招待制のその謎に満ちた店の存在を知ったのは、『初恋』『断ち切り方』なんて拗らせたキーワードでSNSを検索している時だった。
同じような境遇の人の呟きが見付かればいい、何かしら共感出来ればいい。自分一人ではないのだと感じたい。あわよくば傷のなめ合いとばかりに語り合いたい。
そんな軽くも重たいノリで調べていると、不意に『初恋ホスト』について呟いている人を見付けたのだ。
『初恋を断ち切ろうと思って行ったんだけど、逆に沼落ち……。初恋ホストやばい』
『初めての恋はやっぱり特別! 無理に断ち切らなくても、初恋ホストで別腹として楽しみたい』
そんな前向きな投稿がいくつか見つかる。けれどもやはり『初恋』と『ホスト』の関係性が上手くイメージ出来ず、興味本意で店のホームページを調べる。
完全招待制と書かれたトップページにはパスワードを入れる部分があり、それ以外の情報がほとんどなかった。
店のSNSの公式アカウントも存在せず、在籍ホストのアカウントや店の写真すらなくて、ここまで来ると何とも胡散臭い。
先程見掛けた好評価な呟きがサクラの可能性すら浮上して、私はその店のことを考えるのはやめた。
きっと、私には関係のない世界なのだ。
しかし、それからしばらくして、店のことをすっかり忘れた頃。
久しぶりに幼馴染みのリカと遊んだ時、たまたま彼女から「今度サユにおすすめしたいお店があるんだ!」なんて無邪気に誘われたのが、その初恋ホストだった。
渡りに船というよりも、忘れていたタイムカプセルの場所を示されるような、不思議と導かれる感覚。
SNSで見る限り日頃からホスト遊びが好きなリカからの誘い。普段なら断るであろうその提案に、私は気付くと頷いていた。
「……ねえ、リカ。本当に行くの?」
「何を今更。アンケートもちゃんと書いてくれたじゃん」
「それは、そうだけど……」
来店予約時には、『ご来店五日前までに返送してください』と事前に初恋についての事細かな情報をアンケートに書かされる。
本来ホストなんてのは初来店までのハードルが高いからこそ、初回料金を破格にしてまで客を呼び込もうとするらしいのに。
この店に限っては、アンケート記載の手間やら予約やら、何とも来店までのハードルが高い。
ホストの客同士は同担も他担もある意味敵にも関わらず、完全招待制なのも中々だ。
まあ、全部リカからの受け売りでしかないのだけど。
『初恋の相手の名前は? 出会いはいつ? 二人の思い出トップスリーは? 二人だけのニックネームはある?』
予約を代わりにしてくれたリカから転送されてきた、そんな学生時代のプロフィール帳のような物珍しいアンケートに面食らいつつも、個人情報に触れない程度に、私は素直に記入した。
思い出しながら書き込む内、懐かしくて恋しくて、つい涙が出てしまったのは、リカには内緒だ。
私は、学生時代の初恋を引きずって、この年まで彼氏も出来ず来てしまった。
帰省の度に親にも結婚はまだかと暗にプレッシャーをかけられるけれど、どうにかして初恋を昇華させなくては、いつまで経っても前に進めない。
かくして、一度は胡散臭いと記憶から捨て去った、古馴染の紹介でもなければ絶対に行かないであろうその店に、私は恐る恐る足を踏み入れることになったのだ。
「そもそも『行くまで店のこと調べないで』とか怖すぎるから……。予約して招待承認されたんだから、ホームページのパスワードは貰えたのに……」
「えへへ。だって、最初はその方が楽しめるかなーって。そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。初回はちょー安いから!」
「担当とやらのバレンタインにって、アルフォート箱一杯のお札用意してたリカの金銭感覚はちょっと信用ならない……」
「えー?」
店を紹介してくれたリカは、やはり通い慣れているのだろう。毒々しいまでに眩しいネオンに照らされた町で、迷うことなく私を導く。
電車で一本の夜の町。はじめて訪れる新しい建物の地下。光の届かない薄暗い階段を降り、彼女はピンクのネイルが光る可愛らしい指先で、異世界への入り口をそっと開けた。
「いらっしゃいませー……あ、リカちゃん! また来てくれたんだね」
「こんばんはキラくん! やば、今日もイケメン~!」
「マジ? よっしゃ、リカちゃんに褒められるとテンション上がる!」
「……え、あれ。キラくんって、あのキラくん?」
早速出迎えてくれた派手な髪色のホストには、何と無く見覚えがあった。キラくんという珍しい名前と、目鼻立ちのくっきりした顔立ち。
間違いない。目の前の彼には、中学生一年生の頃リカや私と同じクラスだった男子の面影があった。
「えへへ。わたしの初恋、キラくんだったんだぁ……」
「えっ!? 中一で出来た初彼、別の子だったよね!?」
「んー……だって彼、わたしのこと好きって言ってたから……」
数年越しに初めて知る情報に衝撃を受けつつも、そういえばその後わりとすぐに破局していたなと思い出した。
入り口での立ち話もそこそこに、私達はキラくんに案内されるまま席につく。
ホストクラブらしく薄暗い店内を淡く照らす綺麗なライトと、高級そうな座り心地の良いソファー。それからホストでは珍しい、他の席が見えないように配慮されたカーテンに仕切られた空間。
少し低めのテーブルの上に、キラくんの持ってきたゼロの多いメニューが並ぶ。
初回料金について説明を受けつつ、適当に飲み放題メニューからお酒を頼むと、あまり待つことなく氷とグラスが運ばれてきた。
他にお客さんは居ないのだろうか。店のBGMと、何重にもなったカーテンによって半個室になっているせいで、周りの様子は良くわからない。
キラくんがリカの隣に腰掛ける様子を、ちらりと見る。やっぱり彼は、記憶より成長していたけれど、あのキラくんだ。クラス一のお調子者だったから、何と無くいつも目立っていたのを覚えている。
リカがホストにどっぷりなのは知っていたけれど、さらに同級生までホストになっていたなんて、何だか不思議な感覚だった。
「リカちゃん。また来てくれて嬉しい、元気だった?」
「えへへ、元気だよー。久しぶりになっちゃってごめんね?」
「あれ。リカ久しぶりなの? しょっちゅうホストに通ってるイメージだったんだけど……」
「ふふ。わたし、普段は別のお店に担当ぴが居るんだけど……たまに『初恋の思い出』に癒されたくてキラくんに会いに来るんだぁ」
つまり、貢ぎ先が何件もあるということだ。日頃からホストに給料のほとんどをぶち込む生活で疲れているのに、癒しと言いながら同じことをするのは如何なものだろう。
しかしながら、彼女はそんなことを気にした様子もなくにこにこと微笑んでいる。
「俺もリカちゃんに会えて、懐かしくて癒されるよ。実はさ……昔から可愛いなって思ってたんだ」
「ほんと? 嬉しい……! 担当変えしちゃおうかなぁ」
「え、しちゃおしちゃお!」
リカが『担当』と言っていたホストにガチ恋しているのは日頃の会話から明白で、担当変え云々は軽口に過ぎないとわかりきっている。
上辺だけの二人の会話を聞きながら頼んだお酒を一口含んでいると、カーテンのない正面から、不意に黒く大きな人影が現れた。
驚いて視線を上げた先、私を覗き込むようにして来た人物に、思わず目を見開く。ごくりと、アルコールを飲み込む喉が鳴った。
「え……」
「……久しぶり」
そうだ、こんな風に声を掛ける前に私を覗き込む癖。いつも驚いて、ドキドキと鼓動が跳ねた。
「アラタ、くん………?」
「……あー、その。また会えて、嬉しい。来てくれてありがとう、サユ」
記憶より伸びた黒髪、酒焼けしたような低く掠れ気味の声。それでも、優しげで柔らかな微笑みも、照れたように頬を掻く癖も変わらない。
そこに居たのは、記憶の中よりも成長した、私の初恋の彼だった。
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