ふわふわ。ぽとぽと。
雪が、降っている。
真っ赤になった手で雪を受け止める。じわっと溶ける。溶けた水がまた冷えて手が冷たい。
今度はコートの裾を引っ張って黒い生地に雪を受け止める。今度はそのまま乗っかるけども、ちっとも「雪の結晶」の形じゃない。本当にあんな、綺麗な形をしてるのかしら。この中にあの形が詰まってるのかしら。

ピロリン。
ポケットのスマホが鳴った。
彼からだ。
『ごめんっ!残業…』
何度その文面を見ただろう。ため息をついてスマホをポケットにしまう。
またスマホが鳴ったけど、どうせ弁解のメールだ。無視してそのまま歩き出す。
仕事が忙しいのはよく分かる。いつもだったら埋め合わせを絶対してくれるから不満はなかった。彼は、樹は、きっと知らないからこんなことが言えるのだ。今日がなんの日かなんて眼中にないのだ。
街に溢れるイルミネーションとクリスマスツリー。流れる陽気なクリスマスソング。うんざりする。そう、今日はクリスマス。でもそれだけじゃない。私が生まれてちょっど24年目になる日だ。埋め合わせとかじゃないのだ。今日、ということに意味があるのに。
恋人や家族連れで賑わう街の中を俯きながら歩く。もしかして。もしかしたら、社内で気になる人がいたりするのかな。やめよう。考えたって悲しくなるだけだ。それにそんなこと考えるなんて、信用してないのと同じよ。
どうしようかな。今日。友達は彼氏という過ごすらしいし。東京じゃ珍しい、せっかくのホワイトクリスマスなのに。ぼっちなんて笑っちゃう。
まさか彼氏持ちなのに誕生日・クリスマスがぼっちなんてね。思ってもなかった。せっかくちょっと気合い入れておしゃれしたのに。樹のばか。
ふと、ひときわ綺麗な飾りが施された美容室が目に入る。無意識に髪を触ると樹がしょっちゅう言っている、「ロングが好み」という言葉を忠実に守ったロングだ。
切ろうかな。と思った。なんとなくふわふわした気持ちで美容室に入った。

カランカラン。
「ありがとうございました!」
明るい美容師さんの声に見送られて美容室を出る。
首がスースーする。寒い。でもマフラーが巻きやすい。
何か、髪と共に切り落として来たような気分になる。軽くなった気持ちにも、何か失ってしまったような気持ちにもなる。
コツ、コツとブーツのヒールを鳴らしてゆっくり歩く。
さて。家に帰ろう。帰って、一人でダラダラしよう。メイクも落として、部屋着に着替えてぬくぬくして。クリスマスのテレビ番組を見て、適当なものを食べよう。1人を満喫しよう。

しばらく家でのんびりしているとき、テレビに飽き始めたのでスマホをいじろうとした。電源を入れた途端、ロック画面にLINE通知がきていた。さっき鳴ってたやつだろうと思ってスワイプして消そうとしたらなぜか数字が見えた。9時、と。え?
慌ててタップしてLINEの樹とのトーク画面を開く。

『夜9時に、丘で待ち合わせでいい?』
さっきの通知はこれだった。でももう一つ、数分前に来ていたメッセージ。
『来るまで絶対待ってるから。』  と。
時計を見ると9時10分。あっ、と声が漏れる。
行かなきゃ。行かなきゃ。
ノーメイクだけど、ジャージにダウンだけど。サンダルに足を突っかけて、紙袋を持って、私は走り出した。
あ、連絡しなきゃ。
そう思ったけど私はスマホを部屋に投げ捨てていた。取りに帰る時間も惜しい。
信号にやきもきして、寒さも感じずに、学生時代の陸上部を体に復活させて、いや、ちょっと衰えはしたけど、とにかく、走った。ただ、紙袋だけは優しく抱えて、なるべく揺れないようにして。
雪は均等に降り続ける。走っていても肩に積もって行く雪が時間の経過を感じさせて焦りを感じる。丘の麓の階段につく。
「はぁっ、はあっ。」
膝に手をつく。あと少し。あと少し。そこでフッと笑いが漏れた。なんで私は、誕生日の真冬の夜にジャージで雪の中走ってるんだ。こんな必死になってるんだ。重い足を持ち上げて、軽い心について行かせる。

「いつきーっ!」
精一杯の大声で叫ぶ。彼の名前を呼ぶ。
私は、来たぞと。わたしは、ここにいる。と。
彼がこっちを振り返った。
「わあ。髪、切ったね。」
「樹が好み、ロングって言ってたから。」
「なにそれ。でも残念だったね。俺の好みはショートだよ。」
「は?いっつもいっつもロングって言ってたじゃん。」
「うん。そうだったね。でも十数秒前にショートになった。」
「またそういうこと言う。」
「って言うか琴葉なら坊主でも好み。」
「何言ってんの。」
口では言っときながら、今が夜でよかったと思った。顔が熱い。絶対赤い。
「ごめんね。琴葉。」
「なにが?」
別に心当たりがないんじゃなくて、何に対してってこと。
「残業ばっかで。誕生日まで開けれなくて。」
「ううん。今空いてる。」
「今度から絶対ドタキャンしないから。」
「この間も言ってた。」
「ごめん。」
「いいよ。」
私は綺麗に雪が積もった丘の上に寝転んだ。空が丸く見える。周りに建物がなくて、そう、まるで…
「スノードームみたい。」
「随分おっきいね。」
「うん。幸せ。」
「小さいと幸せじゃない?」
「ううん。年中楽しめるもの。」
「良かった。」
そう言って、樹は私の視界の前に小さな包みを差し出した。
「メリークリスマス。」
「メリークリスマス。」
私も紙袋を渡す。
「開けていい?」
「ダメって言ったら?」
「開ける。」
「じゃあいいよ。」
「やった。」
スマートな形の腕時計。オンボロの樹の腕時計の代わりにと思って。
「うわぁ。ありがとう!」
ニコニコ笑う樹の笑顔はかわいい。
私も自分の包みを開ける。スノードーム。小人と、大きなもみの木が施されたシンプルなスノードーム。
「あのさ。」
樹の声が硬い。
「何?別れ話なら聞かないよ?」
樹は笑わなかった。え?
「付き合うのはやめたい。」
「…っえ?」
「誕生日プレゼント、受け取って。」
小さな、小さな箱。ドキドキした。なんだろう。分かったけど、自分自身にさえ、分かんないふりをする。
そっとその箱を開ける。そこには、小さなダイヤモンドのついた指輪。
「結婚、してください。」
私はきっと、この瞬間を忘れない。
「はい。喜んで。」
大きな大きなスノードームで。君と将来を約束したこの日を。