1ヶ月を武闘大会のための修練に費やし、ついに当日を迎えた。空は青々と染まり、雲一つない。射し込む日差しにも然程熱は帯びておらず、絶好の日和であった。
 武闘大会の舞台となる特別魔術演習場は、魔法学校の敷地の一番外れに位置する大規模なスタジアムである。最大2万人を収容できるようだが、魔法学校の全校生徒が1500人に満たないのに対して、随分と大規模なものである。どうやら対外向けに貸し出すこともあるらしい。公式な使用頻度はこうした学校行事のみだが、非常に整備が行き届いている様子だった。
「あのデグニス・ドラーゲル侯爵のことですわ。おそらく容赦はしてきませんわよ」
 ミーシャはどこから入ったのか、スタジアムの控え室に姿を現した。片手には仮面のようなものを携えている。どうやらそれで顔を隠して観戦するつもりらしい。確かに顔は隠せるが、それを被れば怪しさ満点の見た目である。
 紫暢のことが心配でいてもたってもいられず、あれほど拒んでいた外出を決断したのだ。それを知ってか知らずか、紫暢の目は真っ直ぐ前をを向いていた。
「覚悟の上だ」
「またその目ですの……。貴方、無理をするつもりですわね?」
「そんなことないって」
 紫暢はおざなりに視線を背ける。ミーシャはそれを見て頬を膨らまし、両手で紫暢の両頬を掴んだ。
「いいですの? 少しでも危なくなったらその時点で棄権すること」
「分かりました……」
「よろしい」
 紫暢は中途半端なところで棄権するつもりは毛頭なく、あくまで自分の信念を貫くつもりだった。しかし同時に、これほど心配してくれるミーシャのため、無様で凄惨な結果を見せるわけにはいかない、と気合を入れた。



「ふはは。逃げずにやってきたことだけは褒めてやろう」
 デグニスの表情には余裕がありありと浮かんでいる。スタンドの観客も同様で、嘲弄や軽侮の視線を俺に向け、味方になり得るはずの人間ですら、異様なその空気に飲まれている。
 完全アウェーというのはこのことを言うのだろう。
 デグニス・ドラーゲルの名前が呼ばれ、大歓声が響き渡る。しかしそれは決して本心からのものではなく、ドラーゲル侯爵家という有力貴族の登場が煽ったものに過ぎず、作り物特有の無機質さを孕んでいた。
「聞こえるか? これが俺の勝利を願う敬虔な平民達の声援よ。誰も貴様の勝利など願っていない。そしてこれからそこに無様な屍を晒すことになるのだからな」
 デグニスは下品な高笑いとともに、水を得た魚のような饒舌を見せ、壮快な気分に身を浸している。自分がどれほど嫌われているのか分からないのか、と冷笑を向けたいのはグッと堪えた。
 程なくして、試合が開始される。
『上げてから落とす、相手に絶望感を味合わせるのが趣味の男だ』
 マーガレット先生の言葉を反芻する。上げてから落とすということは、デグニスはまず俺の土俵へとわざわざ降りて戦ってくれるということになる。意表をついてダメージを与える。それがこの戦いにおける第一の矢であった。
 開始の笛が鳴らされると同時に、デグニスは腰から剣を抜いて距離を詰めてくる。大口を叩くだけあって、その動きはかなり洗練された腕前である事を容易に推察させた。だがそれには“学生としては”という枕詞が付いている。
 魔法が主流となっているルメニアでは、剣術自体が衰退文化のような扱いである。剣に魔法をエンチャントして扱うことはあっても、剣術が魔法を凌駕する手段はほぼ存在しないに等しかった。
 それゆえに、剣術という面においては、比較するまでもなくマーガレット先生より遥かに劣っている。短い期間とはいえ、マーガレット先生の動きに目を慣らし、ひたすら自らを研鑽してきた。魔法での身体強化を経ているそれなりの実力者であったとしても、反応力はきちんと働いていた。
「それは……。見たことがある。そうだ、王流剣術か! なぜ貴様のような人間が王家にしか許されぬそれを……!」
 未熟とはいえ、ミーシャちゃんから叩き込まれた王流剣術をマーガレット先生の指導によって昇華させたことが大きいのだろう。
 ミーシャちゃんが可憐な見た目にそぐわずも剣術を会得しようとしたのは、魔法が使えないからだと思う。周囲の誰もが魔法を使えるのに、自分だけは使えない。周囲から認められるために、自分なりに考えついた自己研鑽だったのかもしれない。
 本人は「剣術はもう長いことやっていないですわ。自分に才能がないと気付くまで、三年かかりましたの」と苦笑いしていたが、努力しても認められない、底無し沼のような現実に嵌ってしまったのだ。
 当初は守勢に立たされながらも、徐々に対応して動きが掴めてきた。そして遂に一撃がデグニスの肩先に届く。皮膚を浅く切り裂いた感覚があった。
「ぐっ……!」
 疼痛に怯んだ一瞬の隙を見逃さず、背中から追撃しようとする。しかしその瞬間、目の前を閃光が覆った。
 鈍痛が腹に染み渡り、気づくと俺は地面を勢いよく転がっていた。閃光のせいか頭がクラつき、内臓がじわじわと痛み出す。デグニスは少し離れた距離から俺を睨みつける恰好になっていた。その表情には苛立ちが浮かび上がり、両腕が顫動している。苦悶に顔を歪めながら、体勢を立て直そうと試みる。しかし、うまくバランスをとれず片膝をついた。
「貴様、散々俺のことをコケにしてくれたな! この身体を傷つけたこと、万死に値する! 無駄な抵抗をしたこと、死ぬまで後悔させてやろう!」
 序盤の油断している時にダメージを与える作戦が、失敗に終わってしまったことを瞬時に悟った。そして悔恨の念がとめどなく気道を通過していく。
 デグニスの顔は未だかつてないほどに紅潮しており、屈辱感からか激憤に震えている。
 これはまずいかもしれない、と本能が警告を示した。
「食らえ!」
 その直後、苦鳴の声が腹から漏れ出る。上級の土魔法を持っているデグニスは、容赦なく幾つもの鋭利な岩を大群で差し向けてきた。本能的な回避すらも通用せず、生成された岩の初弾が左腕を突き刺す。
 鮮血が吹き出し、顔に飛来する。金属臭い血味に身体が拒否反応を起こし、初めて痛覚が全身を覆った。
 膝から崩れ落ちそうになるのを堪え、不敵な笑みで強がって見せる。
 それが更に激情を煽ったのか、額に欠陥を浮かべ、今度は自らの右手に土を纏わせ、俺の腹に重い一撃を打ち込んだ。
 その時点で、俺は満身創痍だった。指の一本を動かすことすら、もはや自分の管轄外になりつつある。
 それでも、俺は諦めまいと全身に力を込める。勝者と敗者、両者の関係性は既に確固たるものとなっていた。しかしデグニスの瞳は不完全燃焼という様子で、戦闘不能を宣告しようとしかけた審判を視線で牽制する。
 異様な空気に、スタジアムは騒然としていた。