リィン・フォローズは、現状を理解できなかった。
 後方を確認できないまま、自分以外の何者かに引きずられ――つまり拉致されたリィンは、自分がどこに連れ去られるのか、最悪のパターンしか想像していなかった。
 ついさっき吹き飛ばした相手の仲間が、自分に仕返しをしに来たのか。このエド女でのルールを叩き込みに来たのか。いずれにせよ、頭に浮かぶのは、死かより酷い末路か。

 果たして、待っていたのはどちらでもなかった。
 明後日の方向への大行進が終わったのは、校舎の裏の裏だ。リィンが一度だって近寄ったこともないような、物置代わりの倉庫がある庭だった。
 庭と言っても、中庭のように花壇や噴水などで彩られてはいない。古びた分厚いマットや木箱、使われなくなった机が山積みになり、何に使われるか一切不明な樽、木製の柵、その他諸々の置物が乱雑に置かれている。

 連れ去られたリィンは、庭に三つ置かれた椅子のうち、一つに座らされていた。
 木製のカップを人数分置いた勉強机を挟んで向かい側に座っているのは、恐らく拉致事件の首謀者である女子生徒。号令を発した者であるのは間違いない。
 さらに彼女の後ろには、リィンの両手を掴んで引きずった張本人が二人、腕を組んで立っている。まるでリィンを品定めするかのようにじっと彼女を見つめているのだ。

「……あのぅ」

 理解不能の状況を打破するべく、リィンはおずおずと言った。
 返ってきたのは、向かいに座っている金髪の少女の言葉だ。

「どしたの? あ、もしかして、ハイプラチナコーラは嫌いだった? 真紅紅茶の方がいい? 欲しいドリンクがあったら言ってね、買ってくるから!」

 だが、リィンの百倍も快活な声は、百分の一も回答に掠めていなかった。
 ちなみにハイプラチナコーラとは、二人分のカップに入った、紫色の泡立ったドリンクを指す。近頃都市部で流行っている飲料で、爽やかな後味が特徴。真紅紅茶も同じく、毒々しい真っ赤な見た目とは裏腹に柔らかい甘さで、女性に大人気のドリンクである。
 ただ、どちらでも今のリィンには関係がない。第一、返答にすらなっていない。

「い、いえ、嫌いじゃないです。どうしてここに連れてこられたのかって……」
「そうだ、自己紹介がまだだったね! あたしはエマ・パーカー、よろしく!」

 にっかりと笑った彼女の言葉は、またもや状況の発展に貢献しなかった。

 誰も聞いていないのに自己紹介を始めたエマは、やや痩せ気味の体形で、背はリィンより少し低め。明るい金髪を後部でまとめて、前髪を三つの塊に分けている。頭頂部からはブーメランのような長い毛が生えており、前髪の左側を黒のヘアピンで留めている。
 童顔で眉が太く、金色の目は垂れ気味。リィンとは違って、ブレザーの代わりに学校指定の黒い運動用ジャージを着用。履いているのは黒のショートソックスと革靴。
 胸のサイズはリィンより控えめ。両手に包帯を巻いているのは、いつ喧嘩になってもいいからだろうか。首に流行りのビーズネックレスをかけて、右耳に十字架を模したピアスをつけている。総評として、どう見ても品行方正な生徒とは言い難い外見だ。

 だからといって、目の前の少女が、どうにも悪人であるとも思えない。なのでリィンはつい、笑った口元の八重歯が光る少女に挨拶を返した。

「え? えっと、リィン・フォローズです」
「リィン、いい名前! 猶更(なおさら)気に入っちゃった! ちなみに、こっちの二人はあたしの仲間のカーン姉妹、エルフ族だよ。二人とも、挨拶してあげて」

 エマがそう言うと、腕を組んでいた二人のエルフとリィンの視線が合った。

「ダイアナよ、ダイって呼ばれてるわ。よろしくね、リィン」

 リィンから見て右側、ダイアナは明るい調子で、ひらひらと左手を振った。
 所謂出るところが出た体形で、リィンやエマよりも背が高い。暗めの青い髪はセミロングで、前髪はショートボブ風、もみあげはやや長め。そばかすがあるが、同年代よりやや大人びた顔立ち。黒色の目は眠たげで、眉は短め。
 ブレザーの代わりに着ている紺色のパーカーと白のハイソックスはもとより、どう見ても学生がお小遣いでは買えないはずの高級品の靴を履いているのには、もう言及する気すら起きない。

「ジェーンよ、ジーンって呼ばれてるわ。ねえ、エマ、本気で彼女に託すつもりなの?」

 リィンから見て左側、ジェーンは少し怪訝な顔つきで、エマに問いかけた。
 髪の色から体形、顔つきから服装、何から何までダイアナと瓜二つ。首にかけた紐付きの黒縁の眼鏡を除けば、声すら違わない二人を見て、リィンは二人が双子であると理解した。
 ただし、ジェーンはダイアナと違って、少しばかり懐疑(かいぎ)的な性格でもあるようだ。リィンの拉致にも否定的な素振りだが、エマは彼女を見てにかっと笑った。

「うん、もう決めちゃった! 二人も見たでしょ、中庭の喧嘩と、パンチを」
「ぱ、パンチ?」

 困惑するリィンに向き直ったエマの目は、子供のように輝いていた。

「凄かったよ、キョーレツな一発! しかもぶっ飛ばしたのはジョンソン・テイムズソンって、クズだけど、エド女じゃあぼちぼちのやり手なんだよ!」

 聞かなければ良かった。リィンは心の底からそう思った。
 自分にとって嫌な相手をやっつけてしまったくらいにしか思っていなかったのに、乱暴な人間がひしめくエド女でもやり手と称されるほどの生徒だったとは。怖い相手と因縁を作ってしまったかと思うと、リィンは頭を抱えたい気分だった。

「そ、そんな人を私、やっつけちゃったんですか。どうしよう……」
「大丈夫、大丈夫! あいつはゆすりの常習犯だし、ああなって当然だって! むしろあんなクソ野郎、鼻が潰れてせいせいしちゃった! サイコーだったよ、ナイスナイス!」

 一方でエマは、微塵も気にしていなかった。
 よくやったと言わんばかりに、うつむくリィンの両肩を掴んで、ぶんぶんと揺らしながら褒め称えた。首の据わっていない幼児のように、がくがくと首を揺らすばかりのリィンを見かねて、ジェーンがエマに耳打ちした。

「エマ、本題に入ってあげたら? この子、連れて来られた理由が気になるみたいよ」
「おっと、すっかり忘れてた! そんじゃ、単刀直入に言っちゃおっか」

 肩から手を離し、机に乱暴に手を置いて、エマはリィンの目を見ながら告げた。

「リィンちゃん――あたし達と一緒に『エド女の頂点』、取っちゃわない?」