馬に跳ね飛ばされた時ですら、まだましな衝撃で済むだろう。証拠として、生徒の体は一度地面にぶつかったのに、全く勢いを殺さずに宙に浮いた。
 そうして二度目の地面との激突に際して、地面を転がりながら、校舎の壁沿いに造られた色鮮やかな花壇に突っ込んだ。ダメージを相殺しきれず、壁に激突し、ヒビを作ってようやく体は停止した。
 顔も、髪も、体も、制服も、構成する全てが悲惨な有様となっていた。
 泡を吹き、白目を剥き、歯が折れ、鼻が折れ、制服が破けていた。
 腕も足も奇妙な方向に曲がり、常に痙攣してすらいた。

 さっきまで生徒だった物体を目の当たりにして、そこにいた生徒約十数名が硬直した。

「何で邪魔するんですか、嫌がらせするんですか! 私、何もしてないじゃないですか!」

 大声で叫ぶのは、リィンだけだった。
 わなわなと体と顔、目を震わせながら両手をぐっと握りしめ、彼女は自分の蛮行に気づかぬまま、邪悪なる行いに言及した。

「あなた達のことなんてちっとも知らないのに……あ、あれ?」

 そうして、ようやく気づいた。さっきまで自分を苛めていた女子生徒が、己の何気ない一撃のせいで、奇抜な花壇のディスプレイの一部になってしまっているのを。
 一瞬だけ、リィンはこんな恐ろしい凶行を誰がやってのけたのかと、本気で考えてしまった。自分にできるはずがないし、また銀髪の少女が助けてくれたのかとも思ったが、拳に残る熱さが彼女に確かに伝えていた。
 眼前に広がる光景は、自分の右手が引き起こした暴虐なのだと。

「だ、大丈夫ですか、姉御!」
「気を失ってる、しかも、鼻の骨がへし折れてるじゃねえか! 保健室に運べ、急げ!」

 彼女の後ろについてきていた生徒が集まって、いじめっ子の残骸を担いで運び出した。



 ――そうして、物語は冒頭に至るのだ。

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい! 私、ええと、そんなつもりじゃ!」

 意図せず行われた最大級の暴力に怖れ、必死に謝るリィンと。

「ほーう、大した奴じゃねえか」

 秘められた素質に感心する、赤髪の少女と。

「せやけど、下品な戦い方やわぁ」

 素人丸出しの戦いに呆れる、黒髪の姫と。
 他の生徒達が視線を集中させる、ニューカマーの登場に。

 ――そしてここから、もう一度、物語が動き出す。



「…………」

 厄介な事態を感じ取り、銀髪の少女は喧しいこの場にいたくないと思ったのか、リィンを一瞥しただけですぐに離れようとした。
 彼女がどこかに行こうとしているのを見たリィンは、どうにかして彼女を引き留めようと、とにかく何でもいいからと声をかけて銀髪の少女に触れようとした。

「ま、待ってください! さっきは……」

 しかし、伸ばそうとした右手は届かなかった。
 というより、伸ばすことすらできなかった。リィンはいつの間にか両腕をしっかりと担ぎ上げられ、上半身の自由が利かなくなっていた。ついでに言えば、下半身も同様の事態に陥っている。

「あれ?」

 自分が、誰かに持ち上げられている。
 そう気づいた時には、何もかもが遅かった。

「よーし、捕獲成功! ダイ、ジーン、アジトまで連行するよーっ!」

 突然後ろから発せられた声と同時に、リィンの体は後方に引っ張られた。
 唯一の可動部位となった頭部を左右に動かしてみるが、声の主は見つからない。やけに明るい声で聞こえてくるのは自分を担いでいる者の声ではない。ついでに言えば、腕を持ち上げているのは一本について一人のようで、計三人が彼女を拉致している。
 どうにか見えるのは、視界の端に映る青色の髪。自分よりも高い背丈。長い耳。
 情報を脳で整理してどうにかして逃げ出そうと考えるより、思考に至るより先に。

「え、ちょっと、誰ですかああああああ――……っ!」

 リィンはとてつもない勢いで、後方に引きずられて校舎の裏に連れ去られてしまった。ものの数秒で、彼女は誘拐犯と共に、完全に姿を消した。
 声が遠くなっていくのを感じて、ようやく銀髪の少女は振り向いた。
 そこにはもう、誰の影もなかった。残るのは中庭の生徒と、観客だけだ。
 どこに行ったのか、と気にはならなかった。ただ一人、邪魔な相手が知らないうちにいなくなっただけだ。

「……フン」

 騒々しい中庭から自分を切り離すように、少女は廊下を歩き去った。