いや、間違いなく過去は素晴らしい校舎であることだけは、リィンにも分かっていた。どこかの貴族達が社交場として使う宮殿のような外見は、紛れもなく聖エドワーズがかつて、学びの園であった証拠である。
しかし、少し古びた木造校舎の、教室の端の机で頭を抱えている彼女の周りにあったのは破壊された他の机や椅子。
落書きだらけの壁や砕かれた窓ガラス、乱雑に積まれた用具品。
ここだけではない。学校のいずれも、どこもかしこも、スラムのようだった。
だが、何よりもリィンにとって恐ろしかったのはクラスメートだ。
彼女のように、縁が白い濃紺色のブレザーとワイシャツ、淡い赤色のネクタイ、赤色のチェック柄のプリーツスカートの指定制服を着ている生徒は半分に満たず、私服をだらしなく着ている。その半分だって、ピアスやネックレスを当然のように身に着けている。
一応、リィンも精一杯のお洒落のつもりで、黒地に赤と白のボーダーの入ったニーソックスを履いている。あくまで、校則に則った範囲内ではあるが。
髪は金、緑、紫、中には七色に染めている者もいる。皆一様に口が悪く、死ね、殺すは当たり前。人間族、亜人であるエルフも獣人族も関係なし。
「何見てんだゴルァ!?」
「あァ!? テメェがガン飛ばしてんだろうが殺すぞ!」
てきとうな難癖をつけて隣の席に座る生徒に突っかかれば、即座に相手が拳を顔に叩き込み、気づけば数人を巻き込んだ大喧嘩。リィンの目の前で机が飛んでいき、窓ガラスを粉砕してグラウンドへと落ちてゆく様を何度見たことか。
「雑魚が! 魔法を使ってこの程度か、オラァ!」
始末が悪いのは、彼女達がご丁寧に魔法女子高校らしく魔法を使った喧嘩をすることだ。殴る度、蹴る度に魔法が発動した際の光が煌めくので、リィンはすぐに分かった。
「熱ぢぃ、やりやがったなこのクソアマッ!」
もっとも、リィンの知る魔法はこんなものではない。杖や魔導書を使い、火や水を放ち、人の為、世の為に貢献する。深呼吸と共に緑色の風をまとい、後押しと鋭さを得た拳でクラスメートが参ったと言うまで殴りつけるなど、魔法の正しい使い方とは思えない。
あまりに恐ろしい光景を目撃してしまったリィンは、ただひたすら、この地獄が夢であることを願い続けるばかりだった。
(本当に、どうして、どうしてこんなところに……)
当然、夢は醒めなかった。
それどころか、彼女は翌日、寮の近くに住まう近隣住民から、ある事実を聞くこととなる。
この『聖エドワーズ魔法女子高校』は、決して優雅に魔法を学ぶ学校ではない。
総生徒数約二百五十名の『聖エドワーズ魔法女子高校』、通称『エド女』は、学校があるアクワン王国南部の都市、ハルディア・シティの内外問わず、時には国外からも名うての悪童が集まる王国屈指の不良魔法校だったのだ。
他校で手に負えない極悪女子、親に見放された暴君、学生社会に馴染めない一匹狼。
魔法界隈では表に出せない連中の行き着く先の、どん詰まりもどん詰まりだったのだ。
偏差値は底辺中の底辺。
試験はあってないようなもの。
トラブルや退学沙汰は日常茶飯事。
中には街の自警団が総出になる事態に発展するケースもあるらしい。卒業しても、残るのは悪名か、せいぜい魔法学校卒業の証明書くらいである。
おかしい、自分が入学するのはもっとまともな学校だったはず。
リィンは入学時に、両親が市の役場に提出した書類を見返した――。
彼女が入学する予定だった学校は、『聖エドワルド魔法女学園』。
両親が役場に提出した書類に書かれた名前は、『聖エドワーズ魔法女子高校』。
つまりリィンは、両親のうっかりのせいで、地獄に叩き込まれたのである。
昔から、両親のドジは知っていた。駆除に必要な道具を忘れていくのはしょっちゅうだったし、酷い時には山岳地帯からリィンを連れ返るのを忘れた時もあった。
そんな両親だが、リィンが山を下りる前に、大規模な駆除作戦に呼び出されていた。既に国を離れており、すぐに問い詰めることはできなかった。だから、役場に行った際も、両親が同伴していないの一点張りで、編入の取り消しは許可されなかった。自分ももっとしっかりしておけばよかったという後悔と、都会の人間の冷たさ、融通の利かなさを思い知らされた。
右も左も分からない街で一人ぼっち、学校は不良校、頼れる相手は国の外。
ただでさえ内向的なリィンは、学校に行っても、本を読むか、個室のトイレに隠れて食事を摂るだけだった。周囲の危険人物とは、頼まれても話す気にはなれなかった。
残念ながら、リィンが努めて距離を取るような相手連中はそうではなかった。
「はいはーい、ちょっと外出ろよオイ」
「え、何を……きゃあっ!?」
編入してきてから少し経ったある日、いつものようにトイレで、購買部で買ってきた白パンを食べていた彼女は突如ドアを蹴破られ、制服を掴まれて外に引きずり出された。
何事かと思う間も抵抗する間も与えられないまま、リィンは壁に叩きつけられた。
彼女を襲ったのは、見ず知らずの女子生徒五人組。猫耳と猫尾の獣人が二人、人間が三人。リィンに触れているのは獣人で、体格の良い顎の突き出た獣人だ。
全く接点もなかったのに、リィンは胸倉を掴まれて怒鳴りつけられた。
「便所飯してるとこ悪いけど、アンタ、噂の編入生だよね? ちょっとあたし達にさぁ、お金、貸してくんない?」
意味が分からなかった。お金の貸し借りなど深い仲でこそできる行為で、見ず知らずの相手に貸す理由はない。胸倉を掴むような相手には猶更ない。そもそも両親が毎月仕送りをしてくれる金額もそう多くない、の三拍子。
「あの、ないんです。貸せるほど、お金なんて持ってないんです」
この行為がリィンの力や性格を試すテストであり、彼女が使い勝手の良い道具かを確かめる過程でしかないとは露ほども思わず、リィンは正直にそう言った。
すると、五人同時に態度が一気に豹変した。
「何だとゴラァ! ふざけんじゃねえよ!」
「財布持ってんだろ、さっさと出さねえとぶん殴るぞ!」
このリアクションは明らかにまずかった。
五人が一斉に喚き、一層強い力でリィンを壁に押し付けた。
しかし、少し古びた木造校舎の、教室の端の机で頭を抱えている彼女の周りにあったのは破壊された他の机や椅子。
落書きだらけの壁や砕かれた窓ガラス、乱雑に積まれた用具品。
ここだけではない。学校のいずれも、どこもかしこも、スラムのようだった。
だが、何よりもリィンにとって恐ろしかったのはクラスメートだ。
彼女のように、縁が白い濃紺色のブレザーとワイシャツ、淡い赤色のネクタイ、赤色のチェック柄のプリーツスカートの指定制服を着ている生徒は半分に満たず、私服をだらしなく着ている。その半分だって、ピアスやネックレスを当然のように身に着けている。
一応、リィンも精一杯のお洒落のつもりで、黒地に赤と白のボーダーの入ったニーソックスを履いている。あくまで、校則に則った範囲内ではあるが。
髪は金、緑、紫、中には七色に染めている者もいる。皆一様に口が悪く、死ね、殺すは当たり前。人間族、亜人であるエルフも獣人族も関係なし。
「何見てんだゴルァ!?」
「あァ!? テメェがガン飛ばしてんだろうが殺すぞ!」
てきとうな難癖をつけて隣の席に座る生徒に突っかかれば、即座に相手が拳を顔に叩き込み、気づけば数人を巻き込んだ大喧嘩。リィンの目の前で机が飛んでいき、窓ガラスを粉砕してグラウンドへと落ちてゆく様を何度見たことか。
「雑魚が! 魔法を使ってこの程度か、オラァ!」
始末が悪いのは、彼女達がご丁寧に魔法女子高校らしく魔法を使った喧嘩をすることだ。殴る度、蹴る度に魔法が発動した際の光が煌めくので、リィンはすぐに分かった。
「熱ぢぃ、やりやがったなこのクソアマッ!」
もっとも、リィンの知る魔法はこんなものではない。杖や魔導書を使い、火や水を放ち、人の為、世の為に貢献する。深呼吸と共に緑色の風をまとい、後押しと鋭さを得た拳でクラスメートが参ったと言うまで殴りつけるなど、魔法の正しい使い方とは思えない。
あまりに恐ろしい光景を目撃してしまったリィンは、ただひたすら、この地獄が夢であることを願い続けるばかりだった。
(本当に、どうして、どうしてこんなところに……)
当然、夢は醒めなかった。
それどころか、彼女は翌日、寮の近くに住まう近隣住民から、ある事実を聞くこととなる。
この『聖エドワーズ魔法女子高校』は、決して優雅に魔法を学ぶ学校ではない。
総生徒数約二百五十名の『聖エドワーズ魔法女子高校』、通称『エド女』は、学校があるアクワン王国南部の都市、ハルディア・シティの内外問わず、時には国外からも名うての悪童が集まる王国屈指の不良魔法校だったのだ。
他校で手に負えない極悪女子、親に見放された暴君、学生社会に馴染めない一匹狼。
魔法界隈では表に出せない連中の行き着く先の、どん詰まりもどん詰まりだったのだ。
偏差値は底辺中の底辺。
試験はあってないようなもの。
トラブルや退学沙汰は日常茶飯事。
中には街の自警団が総出になる事態に発展するケースもあるらしい。卒業しても、残るのは悪名か、せいぜい魔法学校卒業の証明書くらいである。
おかしい、自分が入学するのはもっとまともな学校だったはず。
リィンは入学時に、両親が市の役場に提出した書類を見返した――。
彼女が入学する予定だった学校は、『聖エドワルド魔法女学園』。
両親が役場に提出した書類に書かれた名前は、『聖エドワーズ魔法女子高校』。
つまりリィンは、両親のうっかりのせいで、地獄に叩き込まれたのである。
昔から、両親のドジは知っていた。駆除に必要な道具を忘れていくのはしょっちゅうだったし、酷い時には山岳地帯からリィンを連れ返るのを忘れた時もあった。
そんな両親だが、リィンが山を下りる前に、大規模な駆除作戦に呼び出されていた。既に国を離れており、すぐに問い詰めることはできなかった。だから、役場に行った際も、両親が同伴していないの一点張りで、編入の取り消しは許可されなかった。自分ももっとしっかりしておけばよかったという後悔と、都会の人間の冷たさ、融通の利かなさを思い知らされた。
右も左も分からない街で一人ぼっち、学校は不良校、頼れる相手は国の外。
ただでさえ内向的なリィンは、学校に行っても、本を読むか、個室のトイレに隠れて食事を摂るだけだった。周囲の危険人物とは、頼まれても話す気にはなれなかった。
残念ながら、リィンが努めて距離を取るような相手連中はそうではなかった。
「はいはーい、ちょっと外出ろよオイ」
「え、何を……きゃあっ!?」
編入してきてから少し経ったある日、いつものようにトイレで、購買部で買ってきた白パンを食べていた彼女は突如ドアを蹴破られ、制服を掴まれて外に引きずり出された。
何事かと思う間も抵抗する間も与えられないまま、リィンは壁に叩きつけられた。
彼女を襲ったのは、見ず知らずの女子生徒五人組。猫耳と猫尾の獣人が二人、人間が三人。リィンに触れているのは獣人で、体格の良い顎の突き出た獣人だ。
全く接点もなかったのに、リィンは胸倉を掴まれて怒鳴りつけられた。
「便所飯してるとこ悪いけど、アンタ、噂の編入生だよね? ちょっとあたし達にさぁ、お金、貸してくんない?」
意味が分からなかった。お金の貸し借りなど深い仲でこそできる行為で、見ず知らずの相手に貸す理由はない。胸倉を掴むような相手には猶更ない。そもそも両親が毎月仕送りをしてくれる金額もそう多くない、の三拍子。
「あの、ないんです。貸せるほど、お金なんて持ってないんです」
この行為がリィンの力や性格を試すテストであり、彼女が使い勝手の良い道具かを確かめる過程でしかないとは露ほども思わず、リィンは正直にそう言った。
すると、五人同時に態度が一気に豹変した。
「何だとゴラァ! ふざけんじゃねえよ!」
「財布持ってんだろ、さっさと出さねえとぶん殴るぞ!」
このリアクションは明らかにまずかった。
五人が一斉に喚き、一層強い力でリィンを壁に押し付けた。