蜘蛛の形をした妖、または大蛇の妖、他様々な異形の妖らが一目散に出口目掛けて飛び出していく。
そして最後に一人残った妖“時雨”は、不知火の炎でようやく覆っていた全ての氷が溶け、身体が少しずつ動くようになっていた。
不知火の炎は妖によって溶けるスピードが違うと言われている──古書の記述によっては、それは人間の心に一番近しき者がより遅いとも書かれていた。
時雨は自分の指先を二、三回ゆっくりと動かしてみる。
それから炎に包まれる洞窟内を見渡し、即座に今自分が置かれている状況を把握した。
─── つばき……
まるで昨日のことのようにあの時の光景が鮮明に蘇ってくる。
凍刀と言うものは厄介なものだな。
……いくら刻が過ぎようとも、思考や身体が止まろうとも、記憶は消し去ってはくれぬ。
いや、だからこそ、いくら過去を振り返ったところで今更、椿が戻ることはない、ならば今は感傷に浸っている場合ではないのだ。
やっと永い氷漬けから這い出たこのチャンス、活かさない理由はない。
どの時代でも、ただ俺は俺のするべきことを実行するのみ──
そう心に強い信念を抱いた瞬間、時雨の身体から白い靄のようなものが一斉に吹き出してきた。
まるで自身が飲み込まれてしまうほどにその靄は時雨の身体を覆っていく。
そして靄が出ている間、全体に広がっていた不知火の炎は時雨を中心としてまるで引き波のように消し失せていった。
〝ワォゥ──────ッ〟
その胸に響くような鳴き声が合図かのように、それまで覆っていた靄が一気に晴れていき、瞬く間に銀色の綺麗な毛並みをした凛々しい狼が現れたのである。
それはあっという間の出来事──
気高く目を見張ってしまうぐらいの美しい狼に変化した時雨は途端に俊敏な動きを見せ、一瞬の隙に他の悪妖らを追い越し久しぶりの外界へと飛び出していく。
真っすぐ速いスピードで行き着いた先、山頂を見渡せる崖まで来た辺りで下界を見下ろす。
そして鼻をぴくぴくと動かし現代の臭いをかぎ分ける。
以前とはまるで違った臭いがするが…あれからどのぐらいの月日が経ったのか。
──椿の娘、桜は……あの後、生き抜いたのだろうか…
再度、辺り一面に鳴き声を響き渡らせた時雨は、遥か遠くに感じたことのある微かな匂いを嗅ぎわけ自分の行き先を定める。
そして意を決したようにその険しい崖を一目散に駆け下りて行ったのだった。