仕事や恋に傷ついた夜に、足が向く不思議な飲食店。それがイタリア料理店「ボルジア」だ。
 このリストランテを訪れる客は、クセあり店主の語りと、美味しい食べ物に、疲れた心を癒されて――なんて、ベタでありがちなストーリーを期待しない。飲み食いで癒される程度の傷は傷のうちに入らないのだ。唾を付けときゃ自然に治る。
 店は一見さんお断りの完全予約制だ。オーナーシェフのスペイン系イタリア人父子は口数が少なく愛想がない。二人が作る料理は旨くなく……いや、むしろ途轍もなく不味い部類に属する。それが何とコース料理で来るのだ。前菜、スープ、主菜、そして食後のデザートとエスプレッソコーヒーまで胃の腑に納めたら、客の気力と体力は極限まで低下する。しかも高い。店を出ると客は皆「もう二度と来ない」と誓う。そして手土産の白い粉が入った包みを隠し持ち帰路に就くのだ。
 そう、誰もが二度と来たくない店それが「ボルジア」だ。
 この店の客は復讐者である。仕事や恋など理由は異なるが、自分を傷つけた相手に報復する手段を求め、この店にやって来る。手土産の白い粉は毒薬だ。悪名高きボルジア家秘伝の猛毒カンタレラ、これが目当てなのだ。
 それなら毒だけ入手すれば良い、と思われることだろう。だが、この店で出される料理を食べることが大切だった。
 この料理にはカンタレラの毒性を薄めたものが入っている。そのコースを摂取することで食べた者はカンタレラに対する抵抗性や一時的な耐性を獲得するのだ。
 カンタレラは雪のように白く味の良い粉薬であり、飲食物に混入する手段が一般的だったが、食物への意識が高まった現代においては経口摂取は困難な場合がある。そもそも、犠牲者のグラスに粉を入れているところを目撃されたら、それこそ命取りだ。
 そこで最近は毒殺対象者のスマホに水で溶かしたカンタレラを塗布して皮膚接触で体内に毒を入れる方法やアロマオイルまたは空気清浄機を用いた呼吸器への浸潤が主流だ。飲食物での毒物投与と同様に、これらの方法でも司法解剖で毒殺の証拠は検出されない。
 かくして憎い相手は死に、客の心の傷は癒されるのだ。
 不味くて高いという飲食店では致命的な問題点があるにもかかわらず、このリストランテ「ボルジア」の客たちの満足度は高くリピーターが多いのは、そういった理由による。