どんなに愛を求めても、それは簡単に手に入れられるほど上手く出来てはいない。この手を伸ばして求めようとすればするだけ、私が欲しかった“愛”はどんどん遠のいてどこか遠くへと行ってしまう。

 わたしは、ただ、誰かに愛されたかっただけなのに。誰かに見つけてほしくて、こんなわたしを受け入れてくれる、そんな誰かに救われたかっただけなのに……。

 愛とは、欲するものではなくて与えられるもの。愛をもらえる人間は、それに相応しい人でないといけないし、それにわたしのような生きていても何の価値もないつまらない人間に、それは一生手に入らないものだと。思っていた───。

 ………あの日、までは。


***


「ねーねー、今日の英語のプリント見せて〜」

「やば、私も終わってなかった‼︎誰か終わってる人いないかな⁉︎絶対鬼北(おにきた)に怒られるー!」

「えー、それだけは絶対にやだあ」


 こういうクラスメイトの言葉に、気軽に「わたしそれ終わってるから見せれるよ」と言えなくなったのは、一体何年前からだろう。

 いつの間にかわたしをとりまく環境や周囲が目まぐるしく変わっていき、気付けばわたしは 一人になってしまっていた。

 私は今、一人寂しく独りぼっちの世界で今日も息を殺し、時が過ぎるのを永遠と待っている。

 こんな生活は、死ぬほどつまらなかった。この世界には楽しいと思えるものなんて何一つなく、逆に息苦しいと思うものは増えていくばかり。

 私は今日も、教室の隅に追いやられた落書きだらけの机で、スマホの通知音を聞いていた───。

 手に持ったスマホのパスコードを解除し、ホーム画面を開く。青色の背景に白い鳥が描かれたアプリをタップし、その通知音の正体を順を追って見て行った。


【学校つらい……。自分が自分じゃないようで、いい子ぶってる自分のことをみんなが好きだと思っていることが、すごく苦しいです】

【どうしたら本当の自分を他人に見せられるんだろう。偽りの自分を壊す勇気が、私にはありません】


 ネットの世界には、ツイッターの呟きの中には、沢山の人たちの不満や悩み、苦しみに楽しさ、それから嬉しさなどの色々な感情が、画面を通して鏡を透かしたようにして溢れ出て見えてくる。

 ツイッターは、一種の捌け口だ。

 自分と同じ悩みを抱えた人たちが、この世界には沢山いた。その悩みに一つ一つ丁寧に返信をしてくれるような、そんな優しい人もいた。

 ……だけどわたしはまだ、その世界に足を踏み込むことが出来ていない。

 自分の苦しみさえ吐き出せないような、そんな弱い人間に、この世界の扉を開けてはいけないような気が、ずっとしていたからだ。

 ガラガラッとした音を立てて、教室の前の方のドアが開き、二年三組の担任が入ってきた。

 友達の席で話に花を咲かせて楽しそうにしていたクラスメイトたちが、皆慌てたようにして自分の席に着いていく。

 みんなが一斉に自分の椅子を引いたからか、ギギギッと金属が床にこすれる鈍い音が響いた。

 わたしはそんな騒がしい教室の中、一人本を広げて担任の石黒(いしぐろ)先生が何か言い出すのを待っていた。


「これからSHR(ショートホームルーム)を始めます」


 独りぼっちのわたしの朝は、こうして始まる。

 この日もただ時が過ぎるのを待ち続けていると、いつの間にか放課後になっていた。

 今日は、まだスクールカースト上位の素行の悪い生徒たちからいつも恒例の陰湿な虐めをされていなくて、面倒事が減って安心していたその矢先───。

 帰ろうと思って下駄箱へ行き、自分のローファーを掴もうとした瞬間。その手は惨めにも、靴を掴むことなく宙を切った。


「はぁ……、」


 わたしは思わず深いため息を吐いた。いつものことながら、こんなことが続くとさすがに面倒だ。その人たちからもっと酷い虐めをこれまでも受けてきたから、こんな陰湿な嫌がらせはまだ可愛いものだった。

 それでも、その虐めは絶対に許されることではないが、……。何も行動出来ず、文句も言えずにいる自分が情けなくて恥ずかしい。

 少し、というよりだいぶ面倒くさいけれど、わたしは教室に帰って一度体育館シューズに履き替え、校内の外へ向かった。

 人気のない校舎裏の、薄汚れた倉庫に足を運ぶ。その倉庫の中には、みんなが飲んだジュースの空き缶などが捨てられているゴミ箱がある。その中に、わたしのローファーは捨てられていた。

 刃物のようなもので切りつけられて、わたしのローファーは見事ズタボロになっていた。だけど、ここで履いて帰らないという選択肢は、わたしにはなかった。

 惨めな気持ちになりながら、帰りの通学路を歩く。この先の我が家に、わたしの居場所なんてものはない。温かい親もいない。

 学校も外もどこも息苦しいばかりで、わたしの居場所はこの世界にどこにも、存在していなかった。

 まるで真っ暗で不気味なトンネルをただ一人歩いているようで、わたしは途端に脱力感に襲われてしまう。

 ……わたしはこの世界には、必要ないんじゃないか。こんなわたしに、生きる意味なんてないんじゃないか。

 ───わたしが死んでも、それに気付く人なんて、この残酷で寂しい世界には、誰一人いないんじゃないだろうか……。

 わたしは、もう限界だったのかもしれない。いや、もう限界を超えていた。もう、楽になっても良いのでは───。

 そんな考えが浮かんだ瞬間、わたしはこのどうしようもない自分自身に、深く深く、絶望した。