和気あいあいと話す二人を見ていた琉斗は、ふと隣で何か考えこんでいる弟の姿が目に入った。真っ直ぐに歩けずフラフラとした足取りの彼が、人や物にぶつからないように見てあげながらも小声で尋ねた。
「どうした?何か気になることでもあった?」
「え、あ、いや、そういうわけではないですけどね。」
そう言って淡い笑みを浮かべる玲斗だが、どこかその表情は固い。それを一瞬で見抜いた琉斗は、徐ろに彼の頬に手を伸ばすと、片方をグイッとつねった。不意打ちでそれを喰らった玲斗は、慌てたような声をあげた。
「イタッ⁈に、兄上、何するの⁈」
「あ、ごめん。だけどお前は顔に出過ぎ、一発で隠してるの丸分かりだ。」
「やっぱりバレたか〜。無理だな、兄上騙すのは。」
そう言いながら苦笑した玲斗は、前で風花と話しながら視線だけを後ろに向ける琴葉にも気がついた。離れていたにも関わらず、気配で察してきた彼女にはすごいことだと思う。玲斗は辺りを見渡しながら、琉斗に小声で言った。
「視線を感じるんだ、屋敷中を見張っているような。」
「視線だって?」
琉斗は微量の力を操作して視線を探っていくが、全然分からないようだ。玲斗は不満げに視線を探っている兄に苦笑しながら、視線を再度探った。そして、的確に位置を特定した。
「そうだね、この屋敷の二階で見ているね。鋭い目線で睨んでいるのが、逆に悪目立ちしてるよ。」
「ふ〜ん、玲斗は視線に敏感なのかい?」
「分からないや。でも、ずっと暗いあそこにいたから、自然に音とか目線に敏感になっただけかも。」
「・・・・・・そうか。」
昔のことを出してきた玲斗に、あからさまに嫌そうな声の琉斗。前の事件を思い出したくないのだろうか、表情が物凄く曇っている。琴葉が眉を顰めてそれを控えさせるので、琉斗は表情をすぐに戻した。
「・・・・・・じゃあ、誰が監視なんてしているんだ?」
その質問が琉斗の口から飛び出してきた時、一人前で歩いていた永峯の足が止まった。
その目の前には大きな部屋の扉が立っていた。しかし、その彼の視線は鋭く曇っている。
「ここです。お入りください、風花様、剣士様がた。」
そう促されてその部屋に入ると、若い女性たちがせかせかと動いている。その中で年寄りの女性が、入ってきた風花たちを見て軽く礼をしてくる。そして、他の使用人であろう女性たちに合図をして外に出ていく。その時に永峯は険しい表情で何かを見ていて、玲斗は真横を通り過ぎていく年寄りの女性に何かを感じたのか目線で探っていた。彼女たちが部屋に外に出ると、永峯がピシャッと勢いよく扉を閉めた。
その間に風花は徐に琴葉の手を引いて自分の隣に座らせると、琉斗と玲斗にも座るよう促しながら自身は前座の方に座った。二人はゆっくりと綺麗にされた畳の上に座り、永峯も二人の少し後ろで腰を下ろした。しかし、永峯は浮かない顔をしていて、玲斗も鋭い視線で辺りを見渡している。その様子に風花はちょっと不機嫌そうな表情で声をあげた。
「ちょっと爺様、玲斗さん、なんでそんな顔しているのよ。やめなさいよ、こっちがイライラしてくるじゃないの。」
それにも反応せず、ずっと無言の二人に流石にムッとした風花は、プルプル震え出したと思ったら、急に立ち上がって怒涛の一声をあげた。
「・・・・・・ちょっといい加減にして!」
その声と共に、今まで感じなかった風花の霊力が一気に爆発した。彼女から突如放たれた突風が、彼女の前の方に座っている三人に襲いかかった。思考からようやく舞い戻った永峯と玲斗が気がついた時には、『水龍刀 霧雨』を抜いた琉斗が前に出て一閃で暴風を受け止めていた。
『水龍羅刃 雲隠れ』
その言葉と共に涼やかな霊力を纏った刀が突風にぶつけられた。しかし、刀は確かに風を切っているはずなのに、その刀の周りから少しずつ雲が湧き出している。風は呆気なく雲に姿を変えて、琉斗たちのところに降り注いで消えた。琉斗たちのところには、突風のカケラすらも通らなかった。
風花は自分の霊力にはたいして驚いてはなかったものの、それを受け止めきった琉斗に感心したような目線を向けている。その間に琴葉が移動して二人に説明していたようだった。玲斗と永峯が申し訳なさそうな表情なので、風花は機嫌を直した。永峯が深々と頭を下げた。
「すみませぬ、風花様。この爺が不覚だったようで、どうかお許しを。」
「別にいいわよ。・・・・・・私も短気すぎたかも、ごめんなさい。」
風花の怒りも収まって一区切りがついたので、改まったようにまた近くに座った琴葉が風花に聞いてきた。
「・・・・・・で、話って何?」
「あっ、そうだった。爺様、お願いしてもいい?」
「承知でございます。」
風花に促された永峯は静々と前へ出ていくと、それぞれの剣士の顔を見渡しながら過去について語り始めた。その話は壮大であり、大変残酷で恐ろしいものであった。
「小鳥遊家のご嫡男であり元神獣剣士であった風磨様は、十六年前に領家『白虎家』の一人娘:華様とご結婚されました。その翌年に嫡男の風樹様を、その翌年に長女の楓様、そのまた翌年に次男の辰樹様をご出産なさり、十二年前に風花様をお産みになりました。二年後に三男の翔也様も産まれ、家族七人で仲睦まじく暮らしていらっしゃいました。・・・・・・七年前に、あのような恐ろしい事件が起きるまでは。」
永峯の話を聞く限り、まだ恐ろしい事件というものが三人にはよく分からなかった。永峯は一息ついてから話を続けた。
「その事件は、旦那様が街の偵察から帰ってきた夕方ごろに起きました。私たちがちょうど所用でその場を離れていた時、皆さんは応接間でいつも通り家族団欒をしていました。その応接間の方でガラスが割れた音がして、奥方様の大きな悲鳴が聞こえたのです。近くで仕事をしていた私は、それを何もかもを放っぽり出して駆けつけたのですが全てが遅かった。旦那様と奥方様は子供達を抱えて倒れていて、辺りは血の海でした。そのお二人の下には翔也様を庇った風樹様、それぞれを庇いあった楓様と辰樹様のお姿が。幸いお子様方の息はありまして、大怪我もありませんでした。ですが・・・・・・大量出血によって風磨様と華様はお亡くなりに。」
「・・・・・・なるほど。」
そこで琉斗が相槌を打ち、玲斗は頷き、琴葉は静かに二人を見た。三人とも同じ所で気がついたようだ。
琉斗が、意味ありげな視線を風花に送りながら永峯に尋ねた。
「では、永峯さん。・・・・・・風花はどこにいたんですか?先程の話だと、風花の姿がないようにも聞こえますが。」
「そういえばあの時、風花様のお姿がありませんでした。風花様は随分後に一人の召し使いが泣いていた所を発見したと聞きましたが、どこで見つけたかもその召使いは定かではなかったようです。もしや、お前が風花様を殺し、そのお姿を偽造し旦那様や奥方様を殺害したあの化け物なのか⁈」
そう言って風花の方に顔を向けた永峯に、風花は眉を顰めて首を傾げている。そして、ゆっくりと首を振って否定すると、先程までのほんわかした雰囲気は消え去ったような瞳で永峯を睨んだ。そんな彼女が発した言葉は、永峯の説明を覆すようなとんでもないことだった。
「・・・・・・爺様、あなたはその時いなかったでしょ?確か、前から酷くなっていた腰痛の療養のために、少し離れた町に行ってたじゃない。なんでその日の状況をあなたが知ってるの?私たち兄弟は丁度『かくれんぼ』をしていた最中で、ずっと壊れた大時計の中に隠れていたから見つからなかった。中が暗いから見えにくくなってるのを私知ってたから。私は大時計のガラス戸から親が殺されたのを見ていたし、ショックを受けて動けずにいたのを召し使いのお姉さんが見つけてくれたの。よくも大切な人に化けて悠々と大嘘つけるわね、妖ごときが。」
「・・・・・・やっぱりね。」
風花の言葉に琉斗はそっと『水龍刀 霧雨』に手をかけて、玲斗は鋭い目線で永峯を見て、琴葉は静かにその様子を見ている。風花はその腰に差している綺麗な刀剣を見ながら言った。
「しかも、爺様はここにはいないわ。・・・・・・さっきまでいたけどね。爺様、いるんでしょ!」
そう大声で彼女が呼ぶと静かに引き戸が開き、先程いた年寄りの女性が静々と現れた。そして、永峯を睨んでいる剣士三人に一礼すると、彼女は静かに目を伏せながら言った。
「・・・・・・風花お嬢様、お呼びでしょうか。おや、其奴はどなたでしょうか。」
老婆の声ではない、老人の声でその人は声を発した。彼女、いや彼は不機嫌そうに永峯を見ていて、ふと風花を見た。琉斗と玲斗はそれに腰を浮かし、琴葉は相変わらず静かに状況を見ている。風花はため息を吐くと、面倒くさそうに言った。
「爺様の姿をした化け物よ。あ、あとあの方たち呼んできて、これ見せるわ。」
「そういうことがあるかと思いまして、お呼びしております。・・・・・・皆様、お客様ですよ。」
その声に静々と入ってきたのは、風花にどこか似ている人々だった。二人の青年、その後ろに隠れた幼い少年に、その子に寄り添う女性は先程の話を聞いていたのか表情を曇らしている。その四人に琉斗と玲斗が戸惑っていた時、ずっと黙っていた琴葉が不意に声をあげた。
「・・・・・・風花の兄弟?」
「そう、長兄の風樹兄様、姉の楓姉様、次兄の辰樹兄様、そして弟の翔也。」
風花がそう言って説明すると、それぞれで頭を下げる。そして、まず最初に口を開いたのは長兄の風樹だった。
「風花、先程の話を聞かせてもらった。そこの爺様の姿をした極悪人が、あの妖なのか?」
「兄様、本物はこちらにいるでしょう。・・・・・・聞かなくても一目瞭然です。」
風樹の声を返したのは、長女の楓。静かに怒っているのが声に染み渡っていて、また何とも怖い。次に次兄の辰樹が、一触即発の空気にそぐわないのんびりとした口調で話し始める。
「へえ〜、永峯の姿を真似るなんて、君も堂々としてるねえ〜。」
のんびりと言ってるが、目が笑ってない。ギラギラと光る目で妖を見ているので、思わず琉斗と玲斗は武者震いをする。最後に口を開いたのは、長兄の後ろで隠れている末弟の翔也だ。
「・・・・・・父上と母上の仇を、ここで撃たせてもらいます。」
おずおずしたような様子だが、ハッキリとした口調で言った。
「お覚悟はよろしいかしら。」
風花は差している刀剣を持つと、そう言って立ち上がった。兄弟たちの目にはどこにも迷いがないようだ。永峯、いや妖は突然の展開に目を見張っていたが、やがてくつくつ笑いだすとそれは大笑いに変わっていった。
「やはり見破られるか。流石は『神獣剣士』の血筋の家だ。しかし、私に勝てるかは、別だ!」
その次の瞬間永峯の姿は消え、キンッと何かと何かがぶつかる音がした。琉斗と玲斗が視線をそちらに向けると、妖と琴葉が対峙しあっていた。琴葉の後ろには本物の永峯が庇われていた。その状況から先程の音は、永峰を狙った妖の鋭い爪を琴葉の刀が防いだ音だったようだ。永峯はすっかり腰を抜かした様子で、小鳥遊兄弟は、長兄と次兄が長女と末弟を庇っていた。
疾風の如く駆け抜けた妖の姿は、先が二本に分かれた尾をもち、その名を『猫又』という。