少女の姿をした誰かは、『氷龍刀 雪華』を片手に平然と御前と晶斗の様子を窺っていた。琉斗はその一部始終を見た後、手を口にあててクスクスと笑い始めた。すると、少女が少し困った様子で言った。
「・・・・・・兄上、笑うのやめてくださいよ。こっちも恥ずかしいんですから。」
「いや、すまん。でも、なんで女装なんてしたんだ?確かに分からなかったけど、それは無理がある。」
そう言いながら笑いが収まってない兄に、女装した少年 —— 玲斗は不満げな表情で困ったように言った。
「琴葉の案ですよ。あの子は本当に色々と実力を隠しているなと改めて感じましたよ。」
「そうみたいだな。」
兄弟の久しぶりのようでないような会話に、父親は目を白黒させていたが、全てを理解したように言った。
「・・・・・・玲斗、お前か?」
「父上、すみません。兄上には事前に話していたんですけど、黙っていました。お久しぶりです。」
「いや、そうではない。」
ハッキリとそう言われたので玲斗が少しキョトンとしていると、父親は少し戸惑ったような声で言った。
「・・・・・・お前、能力を使えるようになっていたのか?」
そう言われてやっと気がついたのか、玲斗はバツの悪そうな表情をしながら被っていた鬘を取り外した。茶髪を結った鬘の下からふんわりとした黒髪が露わになる。少し首を振って癖を直すと、静かに言った。
「実はそうだったようです。僕もハッキリとは分からないんですけど、琴葉が言ってたことには、僕は能力を使うための器みたいなモノがまだ未発達だったため、能力が開花するのに少し時間がかかっただけではないかと。」
「そうか。玲斗はこの家では唯一の『氷』の能力者だな。・・・・・・見ただろう、紬。」
玲斗の開花を目にした父親は少し嬉しそうな表情になって、得意げに玲斗を虐めていた張本人の方を向く。
御前は追い出したはずの玲斗が、能力を開花させ戻ってくるとは思わなかったようだ。悔しそうに三人を睨みつけて、怒りでワナワナと震え出した彼女は晶斗の前から飛び出し、父親に短刀を向けて襲いかかった。不意打ちの攻撃に遅れをとった父親だったが、いち早く気がついた琉斗が勢いよく飛び出して、『水龍刀 霧雨』で短剣の軌道を逸らした。
が、それにニヤリと笑った御前が無理やり体制を立て直して、琉斗の胸元に向かって短刀を突きつけた。その行動に玲斗や父親が動こうとしたが、距離があり間に合わない。ここまでか、と琉斗が思ったその時だった。
急に、下の方から誰かが御前の手を蹴り上げた。御前は短刀を持つ手に奔った鋭い痛みに思わず手を離すと、その反動で短刀はクルクルと上に飛んで、天井に突き刺さった。痛む手を庇いながらフラフラと下がった御前は、再度琉斗の方を見た時、驚いたように目を見開いた。
それもそのはず ———
「・・・・・・少し演技を入れてみましたが、気づかれなかったようですね。うまくいきました。」
そう言って立ち上がったのは、先程まで毒によって倒れたはずの少年だった。しかし、少年の声は大人びた少女の口調に変わっていた。少年に成りすましていたのは、玲斗に従う幼き従者 —— 琴葉だった。
皆が驚いた表情で見ている中で、玲斗が脱ぎ捨てたローブを着てから片手を顔の前で振った。その瞬間、術で変えていた少年の顔の輪郭がボヤけて、幼い美形の少女の顔に戻った。そして、被っていた鬘を取ると、太陽光の下でキラキラと輝く銀髪の髪が風で靡いて揺れた。ぼんやりとその一連を見ていた御前は、ハッとしたように言った。
「あ、貴女、誰なのよ!私の手に怪我させたのよ、それに報いる罰を受ける覚悟はできているのよね。」
それを鋭利な瞳で受けた琴葉は、その視線で固まった御前の言葉を完全に無視して琉斗達の方に向いた。
「琉斗様、大丈夫ですか?旦那様もお怪我はありませんか?」
「私はどうでもいい。それよりも琉斗を・・・・・・」
「僕はなんともありません。ギリギリ助かりました。ありがとう、琴葉。」
「いえ、私は使命を貫いただけです。」
「琴葉っ!」
短刀を突きつけられた二人の様子を確認し終えた琴葉は、自分を呼ぶ声に振り返る。すると、人の目を気にせずに玲斗が抱きついてきた。フワリと香った彼の匂いに、彼女の滅多に動かない表情が揺れた。
しかし、すぐに真顔に戻ると、彼を見上げて言った。
「玲斗様、周りが見ている中でこんなことをするのは、正直気恥ずかしいですよ。」
その言葉にハッとした玲斗は、顔を真っ赤にさせて彼女を解放してくれたが、それでも切なそうな瞳で言った。
「ごめん。でも、心配したよ。
急に倒れて死んだふりしても、心の準備できてなかったから怖かった。」
「すみません、確証できる自信がなかったので。あ、でも、あれ毒がちゃんと入ってますよ。」
「え、う、嘘でしょ⁈やめてよ、勝手に死ぬなんて。」
「それも大丈夫ですよ。苦しんでた演技をしてた時に、ちゃんと解毒剤を飲んでいたので。」
ほら、とでも言うように、彼女は解毒剤が入っていた紙を見せ、玲斗の目の前で両手を開閉して全然無事なことを見せてはきたが、肝心の彼の顔は、心配そうな表情からムッとした表情に変わった。
「ちょっと、心配した意味なかったじゃん。」
目の前でコロコロと表情を変える玲斗に、琴葉は少し表情を和らげると彼の耳元に近づいて、いつもの口調とは全く違う優しい口調で囁いた。
「大丈夫です。貴方が行く場所には何処にでも行くつもりですから。」
「っ⁈」
その言葉で玲斗の顔は真っ赤になって、咄嗟に視線を逸らした。その様子を見ながら表情を戻した琴葉は、さらに眼光を鋭くするとその様子を唖然として見ていた御前と晶斗の方を向いた。そして、凄まじい目線で二人を牽制しながら、微笑ましい様子で二人を見守っていた父親に尋ねた。
「・・・・・・旦那様、そろそろあの事を明かしてもよろしいでしょうか?」
「うむ、そうだな。手加減はしなくていいぞ、動けない程度で頼もう。」
「承知いたしました。」
そう言って琴葉は、静かに琉斗と玲斗の前に立つと、徐に右手の指を鳴らした。すると、橋の向こうの袂に植えてある藤の蔓がゆっくりと橋へと伸びて、欄干を蔦って休憩場の方まで成長していく。そんな異様な光景に驚いている琉斗、玲斗は、この後に起こった事により一層驚きが増した。
休憩場に伸びてきた藤の蔓は、床をユルユルと這っていき、琴葉、琉斗や玲斗の足元を外れながら真っ直ぐに進んでいく。そして、御前と晶斗の元に辿り着いた途端、勢いよく二人に巻き付き始めた。
一瞬でグルグルに拘束されて、晶斗の手から刀が抜け落ちた。カラン、と音を立てて床に落ちた刀を器用に巻き取った蔓は、またゆっくり伸びて琴葉の右手にそれを置く。
琴葉は玲斗に刀を預けて、手に絡まってきた蔓を指で可愛がる。蔓はサワサワと嬉しそうに葉を揺らしながら、捕らえた二人を空中に吊り上げて、ピタリと動きを止めた。二人が蔓を解けないのを見ると、余程頑丈に縛られているようだ。身動きしながら御前が琴葉を鋭く睨むが、彼女はそれを完全に無視した。
そして、唯一事情を知っている父親が近づいてくると、一歩下がって軽く礼をした。琉斗と玲斗は思考が停止したかのようにその様子を見ていたが、隣に立った父の姿に何かを言おうと口を開きかけて、呆れたような様子の父親に遮られた。
「落ち着け。後で説明するから、今はこっちに集中させてくれ。」
そして、形相を変えずに琴葉を睨み続ける御前と、悔しそうに唇を噛んでいる晶斗に目線を写して父親は言った。
「紬、お前は琉斗と玲斗を愚弄したまでではなく、本格的にこの家を乗っ取ろうと企んでいたとはな。今日を境にお前と離婚し、実家に戻って出家することを命ずる。晶斗、母親に甘え過ぎる所は目を瞑っていたが、今回に関してはそうもいかぬ。母親の計画に加担したあげく、兄を追い出そうとするとはな。お前は息子としての縁を切り、聖職者として生きることを命ずる。これが父としての最後の命だ。」
「使用人の分際で私を怪我させたその娘には、罰を受けさせないつもりですか。」
御前はよほど琴葉を嫌っているようだ。憎たらしいという目で彼女を睨みつけているが、全然興味なさそうな表情で真剣に父親の話を聞いている。苦笑顔でそれを見ていた琉斗と玲斗は、御前の言葉を聞いた父親がフッと笑ったのを見て驚いた。彼は少し笑った後に、サラッととんでもないことを話し始めた。
「彼女に罰とかはない。正しい行動を行っているし、能力者の逸材を傷つけるのも良くないからな。」
その言葉に双子は驚いて琴葉を見て、御前と晶斗は呆気に取られた。そんな中で、張本人は無表情で淡々と任務をこなしている。しかし、少しも反対や反応を示さないので、父親の言葉があながち間違いではないのは確かだ。
琉斗と玲斗は能力者と出会う機会がなかったので、意外な人が能力者だったことを純粋に驚いていた。だが、彼女にも一理はあった。現れたり消える時に出てくる花吹雪、急成長して人の命を聞く蔓。異次元な能力は、きっと彼女自身の力の一つだろう。
二人がそう納得していると、父親が柏手を打った。すると、屋敷で待機していた警備の者が現れて、蔓で捕らえられていた御前と晶斗を連行していく。御前は抵抗せずに大人しくしていたが、琴葉の横を通り過ぎようとした時に少し立ち止まって睨みつけると言った。
「・・・・・・無礼者がっ!」
しかし、琴葉は無愛想のまま、鋭い視線を彼女に送ると言った。
「・・・・・・無礼者はどちらでしょう。余裕をこいている暇があったのなら、少し策を練ったほうが良かったのでは?前回のみならず、今回もご立派な敗北でしたね。反抗したいのでしたら、牢の中で聞きましょう、元奥方様。」
琴葉に言いくるめられた御前は、これ以上は何も言えずに警備の者に連れられて去っていった。晶斗も悔しそうに琉斗を見ていたが、諦めたのか何も言わずに連れて行かれた。家族が無事だったのに安心していた玲斗は、ゆっくりと目の前がぼんやりしてきたのを理解した。その時には全てが真っ暗になって、彼は意識を失った。
次の日、玲斗も琉斗も自室で横になっていた。昨日の事件の後に疲労によって卒倒したらしく、父親や使用人たちにかなり心配をかけてしまった。琴葉は仕込まれていた毒の効果が飲んだ解毒剤でそんなに出なかったようで、今は琉斗と玲斗の世話に付きっきりだが、護衛も怠ることはなかった。
事件の後、御前と晶斗は殆どは父親の命令通りの罰を受けることになり、滝川家の波乱すぎる後継ぎ問題事件はこれで幕を閉じたのだった。
〜 3 〜
さて、時は後継ぎ事件から二年後まで流れる。十六になった玲斗は、あの事件後に地下室から元の部屋に戻された。それまで御前の命で冷たく接していた使用人達も、彼に優しく接するようになった。
同じく十六になった兄と共に勉学・武術に励み、その兄にも劣らない秀でた才能に、父親や兄のみならず先生や使用人たちも驚いた。使用人たちにも弟の実力を認められて、琉斗は物凄く嬉しそうだ。それでも次期当主としての任務は怠らず、二人は滝川家の人気者へと成長していた。
そして、この事件で大活躍した彼女を忘れてはいけない。琴葉は今年で十二となり、まだ幼さが残るものの美しい少女へと成長していた。同年代の少女の中ではスラリと背が高い方だが、今育ち盛りの琉斗たちと比べると差があるので、ついつい二人は彼女を幼い子のように可愛がってしまう。
思春期真っ只中のはずだが、温厚な態度を取るので彼女を嫌がる者は少ない。表情も柔らかくはなったが、時々無愛想になってしまうこともあり、苦戦している姿が使用人たちにとって可愛いと話題にもなっている。玲斗たちにとっても微笑ましく、とても平和な光景だった。
話を元の時間に戻そう。暖かな春の訪れを感じる今日この頃、長年屋敷で働く庭師と共に花の手入れを手伝っていた琴葉は、ふと自分を呼ぶ声が聞こえたような気がしたので顔を上げた。そして、縁側でキョロキョロと彼女を探す玲斗とその側で同じく辺りを見渡す琉斗の姿を見つけた。
彼女は庭師に一言話してから、縁側にいる二人の元に驚異的な跳躍力で舞い降りた。ふんわりとローブを翻しながら舞い降りてきた彼女に、ちょっと驚いた二人だったが少ししてフッと笑みを漏らした。
「こんな感じじゃ、琴葉には追いつかないね。」
そう言ったのは、書物を片手にクスクス笑っている琉斗。
「兄上、琴葉はそう簡単には抜かせませんよ。本当にずるいなあ。」
今度は琉斗と同じ書物を持ちながら、琴葉の髪に触れて儚く笑う玲斗が言った。琴葉はキョトンとしながらローブのフードを目深に被ると静かに言った。
「何かご命令でも?」
「いや、父上の所に行くついでに顔を見にきただけ。そういえば、最近ずっと玲斗が会いたがってたからなあ。」
「あ、兄上⁈」
突然の琉斗の言葉に、玲斗は顔を真っ赤にして少し慌てる。状況が読めずにキョトンとしている琴葉に、玲斗はまだ冷静さの欠けない口調で弁解した。
「ずっと前までは毎日顔を合わせていたから、少し寂しかっただけ。あ、兄上も人が勘違いするようなことをサラッと言わないでください!」
「あ〜、ハイハイ。」
「全然感情こもってませんよ、兄上。」
二人のやり取りを微笑ましく見守りながら、琴葉はゆったりと言った。
「私へのご用が済んだのでしたら、そろそろ、旦那様の所に行ったほうがいいのではないでしょうか?」
「あ、すっかり忘れてた。」
「兄上、行きましょう。ありがと、琴葉。じゃあ、また後で。」
そう言ってバタバタと駆けていく二人を見送る彼女だったが、ふと考え込むと右指を鳴らす。その瞬間、ローブの内側から花びらが吹き出すと、一瞬にして姿を消した。花びらたちは風に乗ってフワリと舞い上がると、父親の書斎に駆けていく二人の後をゆっくり追って行った。
一方、父親は書斎である書類と睨めっこしていた。時々視線を逸らしたり、深いため息を吐いたり、頭を抱えたりしながらも睨んでいた。すると、書斎の扉がトントンとノックされたので、彼は慌ててその書類を仕舞い込む。
「入れ。」
そうぶっきらぼうな声で言うと、控えめな音を立てて扉が開かれた。
入ってきたのは双子の愛息子達の琉斗と玲斗だった。片手に書物をそれぞれ持っているので、授業終わりに寄ってきたのだろう。だが、二人とも何やら真剣そうな表情で自分を見てくるので、戸惑った彼は慌てて聞いてみた。
「ど、どうした?何か私の顔についていたか?」
「いえ、ただ・・・・・・何か隠していませんか?」
その琉斗の言葉に父親の体はビクッときたが、何も言わずに聞き流そうと視線を逸らす。しかし、勘が鋭い玲斗にはその行動で全てが一瞬でバレた。兄に視線を送った玲斗の様子で勘づいた琉斗はため息をつくと、辺りを見渡して原因を探り始めた。玲斗も目線で探し始めたが、隠し事に繋がりそうな物は見つからない。
父親がホッとしていると、扉の隙間から花びらたちが現れる。その場で旋風を巻き起こすと、中から颯爽と琴葉が姿を現した。唖然とした三人を見ながら、彼女はゆっくりと父親の机に近づいていく。無愛想だが呆れたような表情で、問題の書類が仕舞われていた所を見つけ出すと引き出した。
それを見た父親の表情がサッと変わったことにより、隠し事が何か分かった二人は琴葉に無言で感謝する。しかし、なぜその場所が分かったのだろう。そう思っていた二人の心を読んだかのように、静かに書類を琉斗に渡しながら彼女は言った。
「ちょっと何かありそうなのを感じたので、お二人が着くよりも先に来て様子を伺っていたのです。なので、その書類を睨んでいたことも、お二人が来てからそれを仕舞っていたのもお見通しです。」
その言葉に苦虫を噛んだような表情になる父親を、双子は苦笑しながら彼女が渡した書類を一緒に覗き込むように見ていたが、やがて二人の表情がだんだん険しくなっていくと、次第にワナワナ震え始める。
そして、物凄い形相で父親を見るとやはり視線を逸らされたが、隣に立つ琴葉の痛い視線に彼はため息を吐くと渋々語り始めた。
「・・・・・・二人共は、神獣剣士を知っているか?」
その言葉に彼らは『何を言ってるのか』というように頷いた。その説明を父親の隣で聞いている琴葉が、念の為に重要なことを取り出して話してくれた。
「神獣剣士は神獣の加護を受け、人々を襲いし悪の存在『妖』と闘う能力者の剣士。特に優秀で強力な力を持つ強き戦士の三人は『三大剣士』と呼ばれる。重要なのは、その剣士が排出されるのは能力者の名家であることですよね。」
「そう、その通りだ。」
彼女の言葉に、父親はコクコクと相槌を打った。
「・・・・・・ちなみに、前に話すことができなかったのでこの際に言っておきますね。」
そう言って彼女はローブを肩に掛け直すと、着ている服が姿を現した。丈夫そうな紺色の女性隊士服に膝上ぐらいまである長いスカートを履き、細い足をラインにピッタリ合う白いタイツに長い革ブーツを履いている。そして、左腰に差している不気味な気配を感じる脇差が自然と目に留まる。静かにその姿を見遣っている琉斗と玲斗は、大体彼女が言いたいことがわかった。
「父上、すごい人を玲斗の護衛にしてたのですか?」
「琴葉の実力だとそんな感じだとは感じてたけど、まさか神獣剣士の一人だったとは。」
二人でそう言っているのを父親は苦笑しながら聞いている。しかし、二人がギロッと睨んだので、ショゲショゲとして縮こまった。一方、琴葉はなんでもないと言う感じの表情で、睨んでいる双子を見ながら言った。
「・・・・・・お二人は、私が『花』の能力を持っているのはご存知ですよね。まあ、そんな感じです。」
そう言う彼女に、琉斗も玲斗も納得したように笑って頷いた。彼女がローブの位置を戻すと、また父親に目線を送った。その無言で送る威圧の視線に怖気ついた父親は、逸れた話を戻すように話し始めた。
「彼女が神獣剣士であると聞いて、私が自ら首都にある本部まで行って頼んで、琴葉を玲斗の護衛として連れてきた。その時に、その本部から『随分前から我が家から剣士が出てきてないこと』について連絡を受けたのだ。我が家も能力者の名家の一員なので受けようとは思ったのだが、琉斗は次期当主になったばかりだから行かせるのはどうかと思ったり、玲斗はまだ戻ってきたばかりで大変なのではとか思ったりして、返事に悩んでいたのだ。・・・・・・二人共、相談できなくて、本当にごめんな。」
「父上・・・・・・」
父親の自分達を案じた本音に、琉斗も玲斗も口篭って黙り込んでしまう。琴葉もそれを聞いて考えこんでいたが、ふと父親の考えを覆すような考えを口にした。
「・・・・・・お二人が共に神獣剣士になることはできないのですか?」
その言葉に三人は驚いて固まっていたが、真っ先に立ち直った父親が反対した。
「な、何を言っているんだ、琴葉。我が後継と唯一の『氷』の使い手を見捨てる気か!」
「・・・・・・そう言うわけではありません。」
そう言って父親の近くから離れた彼女は、琉斗と玲斗の隣に立った。彼女の静かに閉じた目がゆっくり開いた時、その目には少女らしくない鋭利な光が差していた。それは父親を蹴落とすような眼力で、隣にいる二人を強張らせるほどだった。少女は敵を見ているような辛辣で冷めた口調で、父親に畳み掛けていく。
「ではお聞きいたしますが、お二人を行かせずにどうするおつもりでしたか?今、旦那様が行っても年齢的にも限界がありますし、万が一に当主を失えば、家が没落してしまう可能性もあるのです。そして、ご子息二人に戦いの経験を学ばせなければ、のちに大きな戦争事が起きた時にどうするのですか?役に立たなければ、後は潰されていくだけです。今後のためにも、家を潰すわけにはいきませんよね?」
彼女の力強い説得に、父親も少し悩み始める。そこで彼女は少し表情を緩めて、隣で表情を強張らせている自分の主たちを見遣りながらハッキリと自分の意見を述べた。
「二人の『力』を磨くためにも、修行の一環として行かせたほうがいいと思います。勿論、護衛としてでもありますが、私も一旦現役復帰して同行させてもらいます。それでもダメでしょうか?」
琴葉の言葉に悩みに悩んでいた父親は、行く本人の意見も聞こうと思ったのか、琉斗と玲斗に視線を送った。その視線を受けて二人は顔を見合わせたが、気持ちが定まっていたのか頷きあうと代表で琉斗が言った。
「琴葉の言うとおりだと思います。ここで「滝川家」の名に泥は塗りたくありません。どうか行かせてください。必ず無事に帰ってくることを僕らは誓います。」
そう言って二人がほぼ同時に頭を下げると、琴葉もそれに見習って頭を下げた。三人の様子を見て、父親も意思を固めたようだ。当主らしい鋭い目線に変えると、はっきりとその場にいる三人に宣言した。
「滝川家当主、滝川 小竜(しょうりゅう)が命ずる。王家の命令に従い、我が息子の琉斗、玲斗を神獣剣士として行かせ、また神獣剣士の花蝶 琴葉を現役復帰させることを、只今ここで宣言する。本部にも私からこの事をしっかり伝えておこう。」
その言葉に三人がしっかり頷くのを確認した父親は、ふと思い出したように言った。
「さて琴葉、いつ旅立つつもりだ?」
その言葉に顔をあげた琴葉は、いつにも増して渋い顔になる。顔を上げた琉斗たちや父親が驚く中、彼女は懐から一通の手紙を取り出して掲げながら言った。
「実はそろそろ復帰することを、予め本部に送っていたのですが、『西の領土の当主の元にすぐに行ってほしい』との連絡が昨日来たんです。なので、西の方を巡りながら都に向かう予定なので、明日中には出発しようかと。」
「明日か、了解した。・・・・・・必要なものを揃えなければな。」
そう言って柏手を打って側用人を呼ぶと、琉斗達の隊士祝いの準備をするように言う。それに頷いた彼に続いて、琴葉も必要なものを揃えさせるために静かに礼をしてついて行った。半分はそれだと思うが、もう半分は家族の最後になるはずの会話を邪魔しないようにしてくれたのだろう。
彼女がその場を去っていくと、家族しかいない書斎には重い沈黙が流れていた。やっと元通りになれたのに、また離れ離れになる悲しみと、父親に何もできていない後悔が重なった重く苦しい沈黙だった。
しかし、一番最初に口を開いたのは、一番辛い思いでいるはずの父親だった。彼は重いため息をついて寂しそうに言った。
「お前たちも、もう旅立ちの日か。まあ、そうだな。二人共、十六になったんだな。」
「・・・・・・そうですね、もうそんな歳です。」
琉斗が相槌を打つと、それに続いて玲斗も静かに頷いた。だが、寂しそうな表情で頷いている琉斗とは違い、表情は暗くてずっと唇を噛んでいた。幼い頃に蔵に閉じこもってから、父には迷惑をかけていた。やっと出られたので、父に恩返しをするつもりだったのに、父に何も出来ずに旅立とうとしている自分に腹立たしかったのかもしれない。しかし、それを表情一つで読み取った父親は、儚く笑って言った。
「覚えてないだろうが、お前たちの母親はすごく繊細な人でな。自分のことより相手のことを気にする人だった。玲斗のようにな。お前たちを産んだ後に衰弱し、起き上がれなくなって翌日に死ぬ時まで、ずっと私のことやお前たちの未来ばかりを心配していた。『自分の家系に迷惑はかけていないか』とか『もし、息子たちが貴方より先に死んでしまったらどうしよう』とか、そんなことばかり言ってた。」
「・・・・・・母上が?」
恐る恐る聞いた玲斗に、父親は頷いた。そして、昔を思い出すかのように目を細めながらふと笑って言った。
「そういえば、彼女が亡くなる前にこんなことを言っていたな。
———— その日は季節外れの霙がシトシトと降っていた。
お前たちの母 ——— 雪は上半身を起こして外を見ていた。
この時にはもう死期が迫っていたのを、彼女は分かっていたのだろうな。
俺は彼女の隣で彼女が今にも死にそうな顔になっているのを心配しながら見ていた。
だが、彼女はそんな状態にも関わらず、「最後のお願い」とか言って私を困らせた。
本当に最後のお願いになるとは、この時は微塵も思っていなかった。
彼女は外から私に目線を移して、うっすらと笑って言った。
『旦那様、ごめんなさい。
私はもう長くないし、これであの世へ行くことでしょう。
ですが、一つだけ心残りがあるのです。私の愛しい息子たちのことです。
琉斗と玲斗はこれからいろんな困難に立ち会うでしょう。
二人は成長して、貴方の役に立ちたいと、強く思っているでしょう。
そんな時に後悔しないように、後押ししてほしいのです。
二人の意思を尊重してほしいのです。
そして二人が強くなり、人に優しくなり、
人々に尊敬されるような子に育つことが、私の願いです。』
本当はもっと違うことを言って、彼女を励ましたかった。
そんなこと言うな、とも言いたかった。
だが、この時俺はこう言うしかできなかった。
『分かった。尽力尽くして願いを叶えよう。』
その言葉を聞いた彼女は優しく笑うと、私にそっと寄りかかってきた。
彼女が体重をかけてきたので驚いた俺は彼女を支えようとしたが、
その腕の温もりが消えかかっていることに気がついて彼女の顔を見た。
彼女は安らかに眠っていた。私に息子たちとお前たちへの願いを残して。
・・・・・・母はずっとお前たちを愛していた。
お前たちに期待してくれていた。そのことを忘れずにいてくれ。」
確実に重い話ではあったが、母親が残した強い思いを感じ取った二人はしっかりと頷いた。すると、父親は不意に立ち上がって二人の元に歩み寄っていく。そして、二人を引き寄せて強く抱きしめると言った。
「大きくなったな、琉斗、玲斗。私がお前たちに言えることはもう何もない。くれぐれも気をつけて行ってくるんだぞ。絶対に帰ってくると約束してくれ。それが私の願いであり、母親の・・・・・・雪の願いだからな。」
「「はい、父上。」」
二人がハッキリと返事をした時、父親は抱く我が子たちの後ろに彼らの母親の姿を見た。彼は一瞬驚いた後、二人に気がつかれないようにそっと呟いた。
「・・・・・・雪、私は君の願い通りに動けているだろうか。」
その言葉が聞こえたのか、母親は苦笑した。そして、二人の様子を見ながら嬉しそうにしている。そして、静かな雪の如く優しく笑って、彼の頭に響くような声で返してきた。
『貴方は十分やってますよ、焦らず、慌てず、ゆっくり見守っていってください。』
その言葉に彼が嬉しそうに彼女に微笑んで頷いた時、彼女の姿は刻然と消えていた。それが幻想だったのか、本物だったのかは分からない。しかし、琉斗と玲斗のことを誰よりも案じていて、家族を一番愛していた彼女の言葉は、なぜか重く深く彼の心に染み渡っていったのを感じていた。
次の日の朝、滝川家はいつも以上にドタバタしていた。琉斗と玲斗が剣士として出陣する時を迎えていたからだ。
お付きとして同行する琴葉は、いつも通りフードを目深に被って、足首まで掛かるローブを身に纏って着慣れた隊服を隠すようにしている。彼女はぼんやりとドタバタ走りまわっている使用人たちの影を追いながら、静かに主役たちを今か今かと待ち侘びていた。
すると、騒がしい使用人たちの向こう側から、ふと見慣れた三人が近づいてくるのに気がついた彼女は静かに姿勢を正した。使用人たちも同様に姿勢を正し両端にはけると、彼らに一礼した。
軍服に身を包んだ当主の父親は、堂々としていて威厳ある姿であった。いつになく思い足取りで歩く父に続いて、隊士服に着替えた琉斗と玲斗が歩いてくる。
琉斗は紺色の男性隊服に、水を連想させるような色の羽織を着ている。玲斗は同じく紺色の隊服に淡い色の袿を羽織り、首には白いマフラーを巻き風に靡かせている。
三人が屋敷の入り口にいる琴葉の元に歩み寄ると後ろを向いた。先程まで彼らを通すために道を作っていた使用人たちが横一列に並び直すと、それぞれが悲しそうな声をあげた。
「琉斗様、玲斗様、お気をつけて!」
「ご子息方、きっと戻ってきてくださいね!」
「いつでも帰ってきてください、ずっと待ってますから!」
その言葉に二人の胸が暖かくなると同時に、彼らとも当分会えなくなることが寂しくも感じた。不意に後ろから握られた手の温もりに驚いて振り返ると、二人を見上げている琴葉の姿があった。「大丈夫、会えますよ。」とでも言ってくれてるかのようにギュッと手を握ってくれる彼女に、二人は笑みを浮かべながらお互いの顔を見合わせて頷くと、使用人たちに顔を戻して言った。
「ありがとう、皆さん。頑張ってきますね。」
「ちゃんと帰ってくるから、心配しないでね。」
彼らの優しい言葉に、使用人たちはまだ寂しそうな表情で頷いた。すると、今まで黙って聞いていた父親が二人の前に歩み寄ってくると、それぞれの肩に手を置いて優しい声で言った。
「琉斗、玲斗、今回の旅は自分の実力を高める良い機会だ。成長して、私なんて追い抜かしていってくれ。そして、人を街を国を、全てを守れるような剣士となって必ず帰ってこい。」
ポンポンと肩を叩きながら言う父親に、昨日で話し合ったことを思い出して暗い表情になった二人の手を、またギュッと握ってくれる琴葉に目線を移した父親は、今度はハッキリと言った。
「・・・・・・琴葉、お前には本当に世話になった。二人のことを頼んだぞ。」
「御意、お二人のことは必ずやお守りいたします。」
そう言って頷く彼女に期待を寄せた父親は、使用人たちの方に何か合図を送った。何かを用意していたのか、一人の使用人が小さな箱を持って来る。琉斗が箱を受け取ると、玲斗と琴葉が近づいてきた。一番背の低い琴葉に見えるように身を屈めた琉斗は、同じく身を屈めた玲斗と箱を見ている琴葉が見守る中、ゆっくりと箱を開いた。
中には三色の紐飾りが並んでいた。二つは青色と水色の玉飾りがそれぞれ付いている銀色の紐で、一つは花型に結われた紅色の紐だ。琴葉の目がキラキラ輝き、琉斗と玲斗は驚いたように父を見上げた。
父親が嬉しそうな表情になると、使用人たちの数人も嬉しそうに笑った。父親に頼まれて、この日のために作ってくれたのだろう。しかし、箱を持ってきた使用人が嬉しそうに言った言葉を聞いて、双子だけでなく琴葉も驚いた。
「よかったですね、旦那様。頑張ってお作りした甲斐がありましたね。」
「えっ?父上が作った?」
言ったのは玲斗で、琉斗も琴葉も同じ心情だろう。父親はそんな彼らを見て、慌てたように言った。
「いや、その、・・・・・・お前たちの無事を祈っての気休めだ。」
照れくさそうにそっぽを向く父に呆気に取られた息子たちは、箱にある紐のうちの花形に結ったものをヒョイっと取った琴葉の手に気がつく。ローブの左側を払って脇差を取り出すと、その肢の部分に縛りつけた。取れないようにしっかりと結ぶと、剣帯に差し戻した。
それを一通り見た琉斗・玲斗も箱からそれぞれ気に入った紐を手に取った。琉斗は青色の玉飾りのを、玲斗は水色の玉飾りのを取って、少し話し合った後に刀の塚の穴に通して固結びをした。綺麗なお守りに思わず見惚れていた二人に、琴葉が太陽の位置を確認しながら言った。
「琉斗様、玲斗様、そろそろ行きましょう。西部まで距離ありますから。」
その言葉に気を引き締めた二人は琴葉と共に歩き出して、門のところまで見送る父親と使用人たちの方を向いた。名残惜しそうな表情の人々を見た途端、まだここにいたい思いが二人の中に過ぎったが見て見ぬふりをして言った。
「父上、お元気で。」
「ちゃんと手紙書きますね。」
「ああ、気をつけてな。」
その言葉に頷いた二人は、琴葉を促して屋敷の外に新たな一歩踏み出した。数歩歩いたところで振り返ると、二人は屋敷の皆に手を振った。父親をはじめ、何人かの使用人たちが手を振り返してくれた。それを見て二人は、早朝の冷たい空気を感じながら先導してくれる琴葉に付いて行く。
屋敷が見えなくなった所でもう一度振り返った二人は、自分たちが父と今は亡き母の願いを叶えることを胸に誓う。そして、少し先を歩いている琴葉との距離が開いた事に気がついて、二人はもう後ろを振り返ることはなく慌てて駆け出した。———— 三人の壮大たる大戦記は、まだ始まったばかりである。
〜 一 〜
ここは、風が吹き荒れる西の荒れ野の土地。風が荒々しく吹き付ける中、とある旅人たちがゆっくりと道なき道を歩いている。その中で一番小柄な人が道を先導し、その人の後を追うように残りの二人は歩いていた。神獣剣士として旅を始めた「滝川家」の双子兄弟:琉斗と玲斗、二人の従者として旅を共にしている若き神獣剣士:花蝶 琴葉だ。
三人は数ヶ月前に滝川家領地を出て、本部の命令の元に西部の地までやって来たのだった。
琴葉が貰った手紙にはこう書いてあった。
『西の領主を務めている元剣士と定期連絡を行っているが、数年前から消息が途絶えている。
二〜三年ならまだしも、途絶えてから約七年が経過した。
何人か剣士を送ったが、何か起こったのか全員消息不明だ。
復帰してすぐで悪いが、新人二人を連れて様子を見に行ってくれ。』
琴葉は琉斗と玲斗の初任務にしては内容が重いのではないかと考えたが、二人はやる気に満ち溢れていたし任務はいたってシンプルなので大丈夫だろうと改めた。二人はここ二年間は勉学・武術共に猛特訓を繰り返していたので、剣技の腕は格段に上がっていた。
また、旅をしながらの数ヶ月間は琴葉に教わりながら、剣技の特訓をしていたので通常の新人以上の実力はつけていた。そして、琉斗の『水』、玲斗の『氷』の能力も鍛錬で格段に上がって、家宝刀『水龍刀 霧雨』や『氷龍刀 雪華』の剣術も鋭く強くなっていった。道々で会う弱い闇の妖は倒せるようにもなって、琴葉は手出しをしないようにしていた。
彼女はやはり並大抵以上の実力者なので、やはり才能も桁外れている。彼女の刀剣は『脇差 幻花』と言うが、その名の通り幻のような奇妙な動きも可能なので、彼女が味方で良かったと二人は思ってしまうことが多い。しかし、二人はまだ彼女が刀剣を使う姿は見たことがない。道々での戦いはほとんど二人に任せていて、自身が抜く必要もないからなのかもしれない。
さて、話を戻そう。
三人は西部の土地に来てから何度目かの丘を越えた時、フードを目深に被った姿の琴葉が、風に煽られてバタバタ旗めくローブを抑えながら、静かに先の方を指を挿して言った。
「・・・・・・見つけました。あれが、西部の街です。」
琉斗と玲斗は彼女が示した大きな風車が立ち並ぶ街を、驚いたのと少し疲れたのが織り混ざった表情をしながらしばし眺める。
「僕らの初任務場所にしては、結構大きい街だね。こりゃあ一筋縄ではいかないかもな〜。」
のんびりとした口調で言ったのは、紺色の隊服にまるで水のような色で重ねて染めた羽織を着る兄の琉斗。長旅でよっぽど疲れたのか、その場にしゃがみ込んでいる。
「琴葉、領主の屋敷は何処にあるか分かる?」
続いて冷静な口調で琴葉の方を見るのは、同じく紺色の隊服に薄い色の袿を羽織る弟の玲斗。首に巻いている白いマフラーが風に旗めいている。玲斗の言葉に琴葉は首を振ると申し訳なさそうに言った。
「・・・・・・ごめんなさい、そこまでは。」
「琴葉は復帰したばかりなのを忘れたのか、玲斗。」
「あ、そうでした。ごめん、琴葉、気がつけなかった。」
「いえ、謝られることはありません。・・・・・・噂でもここまで大きな街とも聴いてませんから。」
「「えっ?」」
異口同音で聞き返す二人に、彼女は一度視線を外す。強風に吹かれて取れかけそうなフードを再度被りなおした。そして、先程指で示した街を見やると、冴えた口調で言った。
「あの街は元々そんなに大きな街ではなく、他の場所に点々と小さな町が存在していたそうです。領主から連絡が途絶えた七年前におそらく何か異変などがあったのでしょう。小さな町に住んでいた人々が集結して、一つの大きな街を創り出した可能性はあると思います。問題は領主とも関わりがありそうな大きな異変が、なぜ本部のある首都まで届かなかったのか。・・・・・・「妖」との縁がないとは言えませんね。」
彼女の明確な推理に、琉斗・玲斗は納得したように頷きながらその街を見る。
「琴葉の言葉が正しければ、この街には『妖』が住み着いていそうだな。まずは、領主の存在が無事かどうかちゃんと確認して、そこからこの街の大改革について掘り下げていけばいいね。」
琉斗がのんびりとだがハッキリとした口調で言うと、それに同情するかのように玲斗は風で解けかけたマフラーを巻き直すと、冷酷で鋭い視線を街に向けて言った。
「それが一番かと。じゃあ、行こうか。」
その言葉に二人は頷くと、琉斗はゆっくりと立ち上がった。
そして、琴葉が先導するように先を歩き始めて、二人はその後について行く。風は三人を歓迎するかのように、さらに強く吹きつけていた。
街に入った三人は、街を見て心底驚いた。店や家はともかく、人も物も行き交っていて、前に何かあったとかは微塵も感じない。静かに人々の様子を見ていた琉斗は、相変わらずのんびりとした口調で言った。
「なんだろう、普通の街並み風景な気がするんだけど?二人とも何ともなさそう?」
その言葉に玲斗だけでなく、無愛想のままの琴葉も頷いた。静かに辺りを見渡す彼女は、違和感ない街の雰囲気に無愛想な表情をさらに険しくさせながら言った。
「とても嫌な感じがします。この街自体に違和感が何もないことが、異変があったことを感じないことが、やけに気になります。」
「琴葉が言うことなんだから、やっぱり何かあったんだろうな。」
そう言って玲斗は琴葉の表情を窺いながら、優しくフードの中に吹き込んだ風で乱れた彼女の髪を整えてくれた。その手にされるがままになっていた彼女は、ふと自分たちの方に近づいてくる気配に警戒心を強めて、バッと後ろを振り返った。二人も少し遅れて気配を感じて、後ろを向いた。
そこには初老の凛々しい老人が立っていた。少し表情を曇らせている小柄な老人は、自身に険しい目線を向けてきた三人に一礼するとそっと話してきた。
「大変無礼ながらお聞きいたしますが、皆様方は神獣剣士の方々でよろしいでしょうか?」
「そうですが?」
自分たちを『神獣剣士』だと真っ先に気がついたので、ますます三人は警戒心を強める。一方、龍斗の言葉に安堵したような様子の老人は、恭しく礼をすると言った。
「私は、領主家のもとで長年仕えています、永峯というものでございます。以後、お見知り置きを。」
「領主家の?領主家の方が一体何の御用で僕らのとこに?」
いつも冷静な態度をとる玲斗も、予想外のことが起きまくってか、少し動揺したような声で尋ねた。小柄な老人はその言葉に険しい表情になったので、琉斗と玲斗は驚く。すると、静かな口調で老人は言った。
「申し訳ありません、今ここでは話せません。もしよろしければ、領家の屋敷にて説明いたしますので。」
必死になって言ってくる永峯に、琴葉が少しだけ警戒心を解いて二人を見上げた。
二人は強張っていた体を正して頷きあうと、代表して琉斗が穏やかな調子に戻って言った。
「分かりました、伺わせていただきます。」
「ありがとうございます、ではこちらです。」
嬉しそうな表情で頷いた永峯は、そう言って歩き始めた。しかし、彼が小柄で人並みに紛れてしまうので、彼の事を追うのも一苦労だ。琉斗が必死に永峯を追う後ろで、琴葉も背が低いので人並みを潜り抜ける事すら大変そうだ。
不満そうな目になっている彼女に後ろで彼女を追っていた玲斗が気がつくと、彼は彼女の手を繋いで離れないようにした後、自分から前に出て歩き始める。時々、振り返って彼女が追えているか確認して、彼女の歩くペースに合わせながら歩き、先で永峯を追う兄の気配をしっかり辿っていた。
しばらくしてようやく人並みから抜けた二人は、随分先で歩く琉斗が止まったのを見た。辺りを窺っていた彼が、駆け寄ってきた二人に気がついて目の前に聳え立つ門を見て言った。
「大分離れた所にあるんだね。でもさっき見てきた建物たちより遥かに大きいよ、この屋敷。」
無言で頷いた琴葉が、ボソッと呟いた。
「・・・・・・ここが多分領主のお屋敷でしょう。」
そして、その時になって初めて、永峯の姿がないのに首を傾げていると、それに気がついた玲斗が代弁して聞いた。
「兄上、永峯さんはどこに?」
「ああ、屋敷の中だよ。合わせたい人がいる、とかなんとか言ってサッサと入って行ったよ。」
そう言った琉斗の言葉が終えるか終わらないうちに、門が音をたてて開いた。そこから永峯が出て来ると、後ろにいる誰かに何か促した。すると、静々とした動作で現れたのは、鶯色の羽織に袴姿の少女だった。
ふんわりした茶色の髪を後ろで二つ結びで結い上げ、剣帯を着けた腰には、細めで軽そうに見える刀を携えている。少し真剣そうな表情で三人を見ていた彼女だったが、不意に表情を緩めると言った。
「初めまして、ようこそ我が屋敷へ!と言っても、私はいつもこんな感じだから、誰でも敬語とか使わないことが多いのでごめんなさい。私は小鳥遊 風花、この領主の娘で、歳は十二。以後よろしく!」
意外とハイテンションな自己紹介に、琉斗たちもパチクリとした目を向ける。一番先に立ち直ったのは、無愛想で受け流していた琴葉で、いつも通りの冷静な口調で自身の自己紹介をした。
「・・・・・・こんにちは、風花。私は、花蝶 琴葉。このお二人に従える従者で、歳は同じく十二。よろしくね。」
「よろしくね、琴葉!同い年の子が来るなんて珍しいから、なんか変な感じがする。」
そう言ってオロオロしている風花に琉斗と玲斗は苦笑しながら、互いに名乗っていく。
「僕は、滝川 玲斗。『双力』の名家「滝川家」の次男、歳は十六。こちらこそよろしく。」
「僕は、滝川 琉斗。玲斗の双子の兄で長男、歳は十六。まあ、仲良くやっていこう。」
自己紹介が済むと、それまで風花の後ろで静かに立っていた永峯が前に出てきて言った。
「琉斗様、玲斗様、そして琴葉様、わざわざこの老いぼれの訴えに耳を傾けてくださり、誠に感謝申し上げます。この領家は七年前から窮地に立たされています。どうか、お力をお貸しください。」
その言葉に穏やかだった琉斗と玲斗の視線が、急にガラリと変わって険しくなった。
「七年前?あの手紙にもあった通りだ。」
「永峯さん、この領地で一体何があったのですか?」
二人の言葉に頷くと、彼は門を開いて風花と共に三人を領家の屋敷に招き入れた。庭を抜けて静々と廊下を進んでいく永峯の気配は、なぜか凄く重い。
後ろを歩く風花は、彼の纏う重い雰囲気に眉を顰めると言った。
「ねえ、なんで爺様、あんなに暗い雰囲気なの?」
「私にもこればかりは分かんない。風花の方が詳しそうに見えるけど、分からないものなの?」
「う〜ん、私も爺様が何考えているかは読むの苦手だなあ。」
珍しく琴葉が敬語を崩して話している。風花とは同い年だから気を使わず話せるだろうし、とても親しみやすいのだろう。
和気あいあいと話す二人を見ていた琉斗は、ふと隣で何か考えこんでいる弟の姿が目に入った。真っ直ぐに歩けずフラフラとした足取りの彼が、人や物にぶつからないように見てあげながらも小声で尋ねた。
「どうした?何か気になることでもあった?」
「え、あ、いや、そういうわけではないですけどね。」
そう言って淡い笑みを浮かべる玲斗だが、どこかその表情は固い。それを一瞬で見抜いた琉斗は、徐ろに彼の頬に手を伸ばすと、片方をグイッとつねった。不意打ちでそれを喰らった玲斗は、慌てたような声をあげた。
「イタッ⁈に、兄上、何するの⁈」
「あ、ごめん。だけどお前は顔に出過ぎ、一発で隠してるの丸分かりだ。」
「やっぱりバレたか〜。無理だな、兄上騙すのは。」
そう言いながら苦笑した玲斗は、前で風花と話しながら視線だけを後ろに向ける琴葉にも気がついた。離れていたにも関わらず、気配で察してきた彼女にはすごいことだと思う。玲斗は辺りを見渡しながら、琉斗に小声で言った。
「視線を感じるんだ、屋敷中を見張っているような。」
「視線だって?」
琉斗は微量の力を操作して視線を探っていくが、全然分からないようだ。玲斗は不満げに視線を探っている兄に苦笑しながら、視線を再度探った。そして、的確に位置を特定した。
「そうだね、この屋敷の二階で見ているね。鋭い目線で睨んでいるのが、逆に悪目立ちしてるよ。」
「ふ〜ん、玲斗は視線に敏感なのかい?」
「分からないや。でも、ずっと暗いあそこにいたから、自然に音とか目線に敏感になっただけかも。」
「・・・・・・そうか。」
昔のことを出してきた玲斗に、あからさまに嫌そうな声の琉斗。前の事件を思い出したくないのだろうか、表情が物凄く曇っている。琴葉が眉を顰めてそれを控えさせるので、琉斗は表情をすぐに戻した。
「・・・・・・じゃあ、誰が監視なんてしているんだ?」
その質問が琉斗の口から飛び出してきた時、一人前で歩いていた永峯の足が止まった。
その目の前には大きな部屋の扉が立っていた。しかし、その彼の視線は鋭く曇っている。
「ここです。お入りください、風花様、剣士様がた。」
そう促されてその部屋に入ると、若い女性たちがせかせかと動いている。その中で年寄りの女性が、入ってきた風花たちを見て軽く礼をしてくる。そして、他の使用人であろう女性たちに合図をして外に出ていく。その時に永峯は険しい表情で何かを見ていて、玲斗は真横を通り過ぎていく年寄りの女性に何かを感じたのか目線で探っていた。彼女たちが部屋に外に出ると、永峯がピシャッと勢いよく扉を閉めた。
その間に風花は徐に琴葉の手を引いて自分の隣に座らせると、琉斗と玲斗にも座るよう促しながら自身は前座の方に座った。二人はゆっくりと綺麗にされた畳の上に座り、永峯も二人の少し後ろで腰を下ろした。しかし、永峯は浮かない顔をしていて、玲斗も鋭い視線で辺りを見渡している。その様子に風花はちょっと不機嫌そうな表情で声をあげた。
「ちょっと爺様、玲斗さん、なんでそんな顔しているのよ。やめなさいよ、こっちがイライラしてくるじゃないの。」
それにも反応せず、ずっと無言の二人に流石にムッとした風花は、プルプル震え出したと思ったら、急に立ち上がって怒涛の一声をあげた。
「・・・・・・ちょっといい加減にして!」
その声と共に、今まで感じなかった風花の霊力が一気に爆発した。彼女から突如放たれた突風が、彼女の前の方に座っている三人に襲いかかった。思考からようやく舞い戻った永峯と玲斗が気がついた時には、『水龍刀 霧雨』を抜いた琉斗が前に出て一閃で暴風を受け止めていた。
『水龍羅刃 雲隠れ』
その言葉と共に涼やかな霊力を纏った刀が突風にぶつけられた。しかし、刀は確かに風を切っているはずなのに、その刀の周りから少しずつ雲が湧き出している。風は呆気なく雲に姿を変えて、琉斗たちのところに降り注いで消えた。琉斗たちのところには、突風のカケラすらも通らなかった。
風花は自分の霊力にはたいして驚いてはなかったものの、それを受け止めきった琉斗に感心したような目線を向けている。その間に琴葉が移動して二人に説明していたようだった。玲斗と永峯が申し訳なさそうな表情なので、風花は機嫌を直した。永峯が深々と頭を下げた。
「すみませぬ、風花様。この爺が不覚だったようで、どうかお許しを。」
「別にいいわよ。・・・・・・私も短気すぎたかも、ごめんなさい。」
風花の怒りも収まって一区切りがついたので、改まったようにまた近くに座った琴葉が風花に聞いてきた。
「・・・・・・で、話って何?」
「あっ、そうだった。爺様、お願いしてもいい?」
「承知でございます。」
風花に促された永峯は静々と前へ出ていくと、それぞれの剣士の顔を見渡しながら過去について語り始めた。その話は壮大であり、大変残酷で恐ろしいものであった。
「小鳥遊家のご嫡男であり元神獣剣士であった風磨様は、十六年前に領家『白虎家』の一人娘:華様とご結婚されました。その翌年に嫡男の風樹様を、その翌年に長女の楓様、そのまた翌年に次男の辰樹様をご出産なさり、十二年前に風花様をお産みになりました。二年後に三男の翔也様も産まれ、家族七人で仲睦まじく暮らしていらっしゃいました。・・・・・・七年前に、あのような恐ろしい事件が起きるまでは。」
永峯の話を聞く限り、まだ恐ろしい事件というものが三人にはよく分からなかった。永峯は一息ついてから話を続けた。
「その事件は、旦那様が街の偵察から帰ってきた夕方ごろに起きました。私たちがちょうど所用でその場を離れていた時、皆さんは応接間でいつも通り家族団欒をしていました。その応接間の方でガラスが割れた音がして、奥方様の大きな悲鳴が聞こえたのです。近くで仕事をしていた私は、それを何もかもを放っぽり出して駆けつけたのですが全てが遅かった。旦那様と奥方様は子供達を抱えて倒れていて、辺りは血の海でした。そのお二人の下には翔也様を庇った風樹様、それぞれを庇いあった楓様と辰樹様のお姿が。幸いお子様方の息はありまして、大怪我もありませんでした。ですが・・・・・・大量出血によって風磨様と華様はお亡くなりに。」
「・・・・・・なるほど。」
そこで琉斗が相槌を打ち、玲斗は頷き、琴葉は静かに二人を見た。三人とも同じ所で気がついたようだ。
琉斗が、意味ありげな視線を風花に送りながら永峯に尋ねた。
「では、永峯さん。・・・・・・風花はどこにいたんですか?先程の話だと、風花の姿がないようにも聞こえますが。」
「そういえばあの時、風花様のお姿がありませんでした。風花様は随分後に一人の召し使いが泣いていた所を発見したと聞きましたが、どこで見つけたかもその召使いは定かではなかったようです。もしや、お前が風花様を殺し、そのお姿を偽造し旦那様や奥方様を殺害したあの化け物なのか⁈」
そう言って風花の方に顔を向けた永峯に、風花は眉を顰めて首を傾げている。そして、ゆっくりと首を振って否定すると、先程までのほんわかした雰囲気は消え去ったような瞳で永峯を睨んだ。そんな彼女が発した言葉は、永峯の説明を覆すようなとんでもないことだった。
「・・・・・・爺様、あなたはその時いなかったでしょ?確か、前から酷くなっていた腰痛の療養のために、少し離れた町に行ってたじゃない。なんでその日の状況をあなたが知ってるの?私たち兄弟は丁度『かくれんぼ』をしていた最中で、ずっと壊れた大時計の中に隠れていたから見つからなかった。中が暗いから見えにくくなってるのを私知ってたから。私は大時計のガラス戸から親が殺されたのを見ていたし、ショックを受けて動けずにいたのを召し使いのお姉さんが見つけてくれたの。よくも大切な人に化けて悠々と大嘘つけるわね、妖ごときが。」
「・・・・・・やっぱりね。」
風花の言葉に琉斗はそっと『水龍刀 霧雨』に手をかけて、玲斗は鋭い目線で永峯を見て、琴葉は静かにその様子を見ている。風花はその腰に差している綺麗な刀剣を見ながら言った。
「しかも、爺様はここにはいないわ。・・・・・・さっきまでいたけどね。爺様、いるんでしょ!」
そう大声で彼女が呼ぶと静かに引き戸が開き、先程いた年寄りの女性が静々と現れた。そして、永峯を睨んでいる剣士三人に一礼すると、彼女は静かに目を伏せながら言った。
「・・・・・・風花お嬢様、お呼びでしょうか。おや、其奴はどなたでしょうか。」
老婆の声ではない、老人の声でその人は声を発した。彼女、いや彼は不機嫌そうに永峯を見ていて、ふと風花を見た。琉斗と玲斗はそれに腰を浮かし、琴葉は相変わらず静かに状況を見ている。風花はため息を吐くと、面倒くさそうに言った。
「爺様の姿をした化け物よ。あ、あとあの方たち呼んできて、これ見せるわ。」
「そういうことがあるかと思いまして、お呼びしております。・・・・・・皆様、お客様ですよ。」
その声に静々と入ってきたのは、風花にどこか似ている人々だった。二人の青年、その後ろに隠れた幼い少年に、その子に寄り添う女性は先程の話を聞いていたのか表情を曇らしている。その四人に琉斗と玲斗が戸惑っていた時、ずっと黙っていた琴葉が不意に声をあげた。
「・・・・・・風花の兄弟?」
「そう、長兄の風樹兄様、姉の楓姉様、次兄の辰樹兄様、そして弟の翔也。」
風花がそう言って説明すると、それぞれで頭を下げる。そして、まず最初に口を開いたのは長兄の風樹だった。
「風花、先程の話を聞かせてもらった。そこの爺様の姿をした極悪人が、あの妖なのか?」
「兄様、本物はこちらにいるでしょう。・・・・・・聞かなくても一目瞭然です。」
風樹の声を返したのは、長女の楓。静かに怒っているのが声に染み渡っていて、また何とも怖い。次に次兄の辰樹が、一触即発の空気にそぐわないのんびりとした口調で話し始める。
「へえ〜、永峯の姿を真似るなんて、君も堂々としてるねえ〜。」
のんびりと言ってるが、目が笑ってない。ギラギラと光る目で妖を見ているので、思わず琉斗と玲斗は武者震いをする。最後に口を開いたのは、長兄の後ろで隠れている末弟の翔也だ。
「・・・・・・父上と母上の仇を、ここで撃たせてもらいます。」
おずおずしたような様子だが、ハッキリとした口調で言った。
「お覚悟はよろしいかしら。」
風花は差している刀剣を持つと、そう言って立ち上がった。兄弟たちの目にはどこにも迷いがないようだ。永峯、いや妖は突然の展開に目を見張っていたが、やがてくつくつ笑いだすとそれは大笑いに変わっていった。
「やはり見破られるか。流石は『神獣剣士』の血筋の家だ。しかし、私に勝てるかは、別だ!」
その次の瞬間永峯の姿は消え、キンッと何かと何かがぶつかる音がした。琉斗と玲斗が視線をそちらに向けると、妖と琴葉が対峙しあっていた。琴葉の後ろには本物の永峯が庇われていた。その状況から先程の音は、永峰を狙った妖の鋭い爪を琴葉の刀が防いだ音だったようだ。永峯はすっかり腰を抜かした様子で、小鳥遊兄弟は、長兄と次兄が長女と末弟を庇っていた。
疾風の如く駆け抜けた妖の姿は、先が二本に分かれた尾をもち、その名を『猫又』という。
〜 二 〜
「ははっ、やはり神獣剣士であって、この攻撃は通用せぬか。」
「・・・・・・」
さも愉快げに笑う妖 —— 猫又と無言で対峙している琴葉は、不意に愛刀『脇差 幻花』を滑らし、相手の腕の軌道をずらしつつ懐に潜り込んだ。慌てた猫又が間髪入れずに攻撃を仕掛けようとするが、琴葉の方が上手だった。勢いよく回し蹴りで敵の腹を蹴り上げ、それにはどうすることもできなかった猫又が、風花の頭上を飛んで窓を突き破った。
そのままだだっ広い草原に落ちていくのを見た琴葉は、唖然とそれを見ている琉斗と玲斗に目線で合図し、自身も窓から飛び降りていった。琴葉の合図に気がついた二人はそれに従い、小鳥遊兄弟と動けずにいる永峯に言った。
「永峯さん、皆さん、別の部屋で避難していてください。今ここにいるのは危険です。」
「風花、ここは危険だ。その刀を持って、下がってた方がいい。」
小鳥遊兄弟は二人の言葉に従って、動けずにいる永峯を助け起こしていたが、風花はムッとしたように言った。
「嫌。」
その言葉に兄弟たちは間髪入れずに風花に言った。姉以外は。
「・・・・・・今は我儘を突き通す暇はないぞ、風花。」
「お前、何言ってるか分かってる?『危険だ』って言われたばっかだぞ。」
「お姉ちゃん、ダメだよ。危険すぎるよ。」
長兄、次兄、末弟と、次々と反対派が募る中、姉の楓は三人とは全く違う返答をした。
「風花、あなた言ってたね。『父様みたいになる』って、あれは嘘ではないのね?」
「うん、嘘じゃないよ、楓姉様。」
「・・・・・・なら、止めないわ。」
「ちょっ、楓、何言ってるのか分かってるのか。」
楓の言葉に、兄の風樹が慌てて止めようとしたが、彼女はハッキリと言い切った。
「あなたが決めたんだから、最後までやり切ること。それは忘れちゃダメだからね。」
「うん、分かってるよ、楓姉様。ありがとう。」
そう言って立ち上がった風花の目には、迷いなどが一切ない澄み切った眼がそこにあった。彼女は腰に刀剣を差すと、ハッキリとした口調で兄弟たちの様子を眺めていた琉斗と玲斗に言った。
「お願い、私に力を貸してください!」
その言葉に彼らの表情はガラッと変わって険しいものとなったが、彼女の真剣さのせいか分からないが、同じタイミングで笑みを浮かべて互いに顔を見合わせた。
「真剣そのものだな。」
「そうですね。・・・・・・そこまで言うんだったら、僕らは何も言わないよ。」
そう言った玲斗が窓枠から外を見る。だだっ広い草原では猫又と琴葉が一対一で、壮絶な争いを繰り広げている。しかし、琴葉の方が有利ではある。軽々と全ての攻撃をかわしている琴葉に対し、猫又は彼女の鋭い攻撃をいくつか避けられずにいるので、所々切り傷があった。でもこれ以上、琴葉に頼っていてはダメだ。彼女だって限界はある。
「風花はここを飛び降りるのぐらいは簡単だよね?」
「失礼な、そのくらいできます。」
琉斗と風花が妙な言い合いをするのを苦笑して見る玲斗は、戦っている琴葉の視線が一瞬だけこちらに向いたのに気がついた。無言で窓枠からヒラリと飛び降りた玲斗に続いて、琉斗が窓枠に手をかけると、それの後に続こうとした風花に一言こう言った。
「無理だと思ったら、周りを頼れ。・・・・・・お前は一人じゃないからな。」
それに無言で頷いた彼女は、ヒョイと飛び降りた琉斗の後に続いて窓から外を見る。先に降りた玲斗が琴葉と入れ替わりで猫又と戦うのが見え、先程飛び降りた琉斗もすぐに合流した。琴葉は琉斗と玲斗に敵を任せているようで、見下ろしている風花を逆に見上げていた。
怖さをグッと我慢した彼女がいざ飛び降りようとした時、足音が後ろから聞こえた。ちょっと振り返ると、弟の翔也が白い肩掛けを持ってきている。何も言わずに差し出す弟を見た後、その後ろで真剣そうに見ている兄達と信頼しているような目線の姉、そして彼らに支えてもらいながら静かに笑って見送る永峯の姿を見た。
それを見た瞬間、ガラリと彼女の目の色が変わった。静かに弟から受け取った肩掛けを身につけた彼女は静かに言った。
「・・・・・・行ってきます。」
それに応える人は誰もいなかったが、誰もが信じてくれていた。風花は今度は振り返らずに、窓から飛び降りた。
肩掛けを靡かせて降りてきた風花が着地するのを見た琴葉は、隣に並んだ彼女に相手の攻撃範囲の情報を伝えた。
「・・・・・・まず、相手は遠距離攻撃には弱くて、近距離攻撃を得意としている。魔力が弱いから魔法攻撃は比較的に少ない。遠距離で少しずつ弱らせてから、一気に叩くつもり。」
「中距離攻撃はアリ?」
「ものによるかも。」
その言葉に風花は頷いて、ゆっくりと刀を構えた。不意に琴葉がその刀を見て、ちょっと驚いた風に言った。
「・・・・・・それ、『嵐剣 疾風(あらしけん しっぷう)』?」
「えっ、この剣のこと知ってるの⁈」
「『風』の能力者が使っている剣だったから知ってただけ。風花は『風』の使い手なのね。」
「うん。兄様たちや姉上、翔也は無能力者だから、私だけかも。」
ちょっと表情を曇らせた風花に、琴葉は少し表情を緩めると、優しげな声で彼女に聞こえるように言った。
「凄いね、自分だけなんて誇りを持てるじゃない。」
「!」
その言葉に驚いた表情をした風花は、少し考え込んだ後に微笑んだ。何か吹っ切れたような笑みに、琴葉も表情を少し緩めた。そして、ゆっくりとしまっていた刃を構えた。体制をなるべく低くした二人は、敵に気づかれないよう動き出した。
さて、一度風花が窓から飛び降りるのに躊躇っていた時まで遡る。
琴葉が猫又の爪の連続攻撃を弾ききった所に、玲斗が駆けつけた。そのまま『氷龍刀 雪華』を抜き放った彼は、琴葉と入れ替わりで懐に飛び込んだ。
『氷華旋盤 氷山峰(ひょうかせんばん ひょうざんほう)』
彼が猫又に突きを放ったと同時に、霊気が迸った。一直線に小高い氷の峰が次々とでき、後方に飛ばされた敵との距離が大分離れた。猫又が着地体制を取ろうとした時、ふと氷の峰の上を駆けて距離を詰めて来た剣士を見つけた。軽々と駆けてくる玲斗に猫又は不吉に微笑むと、鋭い爪を伸ばして構えを取ると高らかに言った。
「遅えよ、《乱れ斬り 不変(ふへん)》!」
その声と共に、無数の斬撃が襲ってくる。体制を低くして走る玲斗は、そのまま剣を構えると低く呟いた。
『氷華旋盤 霰吹雪(あられふぶき)』
すると、細かい氷の粒が降り注いでいき、無数の斬撃に当たって斬撃の速度が遅くなり、降り続ける霰吹雪の中で全てがことごとく破られた。その只中を駆け抜けた玲斗は、氷の峰の端に辿り着いた。
ちょうど同じ頃に地に着地した猫又は、彼が刃をかざしたのが目に入った。慌てて避けた猫又の残像に霰吹雪が駆け巡った。それと同時に峰から降りた玲斗が刃を一振りすると、峰の向こう端から無数の斬撃を加えられていたのか砕け散った。
『氷華旋盤 雹針(ひょうばり)』
その言葉と共に一旦空中に浮かんだ氷の針が一ヶ所に集まると、猫又めがけて飛んできた。避けきれなかった何本かに四肢に裂傷をつけられたが、奴が動きを止める様子はなかった。深々と地面に刺さった針を見て、猫又は笑う。
「ふっはははっ。流石は神獣剣士、お前を改めて見直したぞ。しかし、これはどうかな?」
それとともに手をかざした猫又の動きに合わせて、先程突き刺さった氷の針が浮かび上がった。構えを変えた玲斗が身構えた時、猫又を中心にグルグルと風が渦を巻き始めた。それに飲み込まれる氷の針たち。
「《乱れ渦 毒針》!」
勢いよく回る渦から玲斗に針が襲いかかってきた。それには流石に表情を変えた玲斗は、少し後ろに下がって構え直すと、余計な力を抜いて意識を集中させた。そして、不意にカッと見開いた時、周りの温度は数度低くなった。
『氷華旋盤 冷霧(れいぎり)』
その言葉とともに彼の持つ刀から霧がブワッと渦巻いた。そして、勢いよく彼を飲み込むどころか、迫ってきた針までも飲み込んでしまった。そのまま猫又までも飲み込んでいった。辺り一面が濃霧に包まれている。
「くそっ、どこだ⁈」
猫又は完全に霧に視界を遮られて、玲斗の姿は見えなくなっていた。その霧に紛れてふと猫又の背後から、誰かが近づいていた。その人は刀を構え直すと、静かに呟いた。
『水龍羅刃 大白波(おおしらなみ)』
刀から水が迸ると、大きな波を作り出して猫又に迫っていく。猫又がそれに気がついた時には、大波が頭上から降り注いだ。ちょうどその時には霧が晴れて、何が起こったのか猫又にも少しずつわかっていた。
大波を叩きつけられて地面に平伏した彼は、目の前に立つ少年が先程まで戦っていた少年ではないことにようやく気づいた。色重ねした羽織を着た少年 ——— 琉斗だった。玲斗は彼から少し後ろの方に立っていて、放たれた針を粉々にしたようだったが、所々擦り傷があった。全て避け切ることは難しかったが、大きな怪我はないようだった。
「無茶しすぎだぞ、玲斗。後で琴葉に怒られるぞ?」
不意に振り返った琉斗が言うと、玲斗は荒い息を吐きながらもキッパリと言った。
「・・・・・・別に平気。僕は僕らしく戦うから。」
「そうか。まあ、いいかな。」
曖昧な返事を返して琉斗は猫又の方に向き直った。同じく玲斗も兄の横に並ぶと静かに構え直した。猫又は驚いたような顔をしていたが、不意に笑い始めた。
「ふふ、ふはははっ、君たち兄弟か。しかも、双子の。非常に不憫だ。」
その言葉に二人の気配が豹変した。琉斗は静かになり、玲斗は激昂している。しかし、先に動いたのは静かに怒る兄の方だった。一瞬で間合いに滑り込んだ彼は、静かな目で猫又を見ると呟いた。
『水龍羅刃 波打ち(なみうち)』
一瞬のうちに一撃を入れると、後ろに下がった。その隙を狙って猫又は攻撃を入れようと爪を伸ばしたが、瞬く間に斬撃が繰りだされて爪を粉々にした。玲斗は唖然としながら、兄が自分の隣に降り立つのを見ていた。怒りの矛も収まってしまった。兄は目に怒りを露わにしながら、猫又の方を見て言った。
「お前に僕らの苦しみなど分からないだろ、もう嘲笑うのをやめろよ。」
「ふふふっ、なんだ?・・・・・・八つ当たりかよ。」
その言葉に二人は怒りを露わにした。玲斗が怒号する前に、猫又の後ろから誰かが飛びかかった。
『鳥河疾風 巴千鳥(ちょうかしっぷう ともえちどり)』
疾風がその場を駆け抜けて、何羽もの風の鳥が猫又を斬りつけた。思わずその衝撃に膝をついた猫又は振り返る。少し距離をとって着地したのは、二つ結びの髪が揺れる少女 ——— 風花だった。険しい顔で彼女は静かに言った。
「八つ当たりじゃない、家族を思う気持ちよ!」
そう言って構え直す風花を見て、猫又はニヤリと笑った。裂傷だらけの体を起こすと、嘲笑ったように言った。
「家族?壊れて無くなるだけの脆い関係がなんだっていうんだ?君だって、君たちだって本当はそうだろう?そうなんだろう?」
その言葉にグッと怒りが込み上げてくる三人は、猫又の背後から誰かが背を蹴り上げるのを見た。間髪入れずに襲ってきた鋭い痛みと強力な突きに、なすことなく吹き飛ばされた猫又は長いローブが翻るのを視界の端で捉えた。
「・・・・・・家族も仲間も大切なもの、尊きもの。バカにする奴は許さない。」
短くそれだけを言ったのは、長いローブを翻して玲斗たちの目の前に立つ琴葉だ。フードの内に隠された瞳は冷静だが鋭く、虎の目を見ているようにも感じる。静かな視線で吹き飛ぶ彼を見た彼女は、不意に姿を消した。
『幻花術 花吹雪(げんかじゅつ はなふぶき)』
静かな声で唱えられた言葉を誰もが耳にした時には、彼女の足は猫又の落下地点から数メートル離れた所に降りていた。「何が起こった」と猫又が思ったその時、その肩から脇腹にかけて深い切り傷がついて血が一気に飛び散った。
「くっ、・・・・・・『乱れ切り 八方柱』!」
痛みを堪えながら猫又が地に足が着いた途端、四方八方に爪の攻撃が迸った。間一髪で避け続ける三人に対して、琴葉は軽々と飛び上がって向かってきた爪の攻撃の柱に刃をきらめかした。
『幻花術 藤壺(ふじつば)』
自分の方向に向かってきた爪の攻撃を包み込むように藤の太い蔦が伸び上がる。包んで大きな球状になると、花を咲かせて花びらと共に攻撃まで散っていった。それを見た風花は『嵐剣 疾風』を構え直すと、襲う爪の攻撃を見据えた。
『鳥河疾風 台風の目(たいふうのめ)」
その瞬間、暴風が襲ってきて琉斗・玲斗は踏ん張って耐え、琴葉はフードを抑えながら彼女の放った技を見ていた。彼女を中心に風が渦を巻き、全ての爪の攻撃を飲み込んでは次々と破壊した。殺傷力と吸引力が凄まじい技だ。
「ふふん、どんなもんよ。」
颯爽と降りてきた風花が自慢げにふんぞり返って鼻を鳴らすので、琉斗と玲斗は同時に吹き出し、琴葉もゆっくり表情を崩して笑った。風花はそれにムッとしたようだったが、しばらくして朗らかに笑った。
少しの間笑い声が草原に響き渡っていたが、地を踏む足音が聞こえると同時にピタリとやんだ。負傷をしているがまだ奴は立っている。
「憎い、憎い、お前ら全員憎い。神獣剣士が憎い、国家が憎い、王が憎い、全てが憎い!我が心身共々傷つけたのは、お前らだけだ。・・・・・・お前ら全員切り刻んでやるううううううっ!」
「あら、おあいにくさま。私だってあんたが憎い。お父様とお母様をあんな風にして傷つけたやつを、私は一生許す気はないわ。あなたを私がここで皆さんと共に討ってみせる。」
その風花の言葉に頷くように、それぞれが刀を構え直した。
その瞬間四人の霊力が爆発して凄まじい勢いで彼らを包み込んだ。燃え上がる霊力が四人の力を強化しているようだ。
「行くよ、琴葉!」
「・・・・・・ええ、これで終わらせます。」
互いに頷き合って駆け出した二人を見据えながら、琉斗と玲斗は同時に構えた。
「いけるか、玲斗。」
「はい、いつ何時でも。」
その言葉と共に二人の霊力が徐々に形を変化させて、二対の龍に姿を変えた。高らかに咆哮した龍たちはゆっくりと狙いを定めた。二人は背中合わせで二つの刃を交差させると、風花と琴葉に狙いを定めている猫又を睨んだ。
『双龍千磐 雲霞(そうりゅうせんばん くもがすみ)』
二匹の龍は大地の中を泳ぎながら厚い雲を生み出していく。やがて駆けている風花たちに追いつき、あっという間に飲み込んで見えなくしてしまった。雲は猫又の周りを包み込んでいき、彼の辺りは何も見えなくなった。
二対の竜は天高く飛び上がると、猫又めがけて急降下していく。それに気がついた猫又は、闇のオーラで結界を張り巡らす。しかし、龍たちの勢いを止められず、結界は破壊され水龍の水柱に閉じ込められて氷龍の吐息でそれは凍りついた。
猫又は壊そうと闇のオーラを大爆発させて、内側から少しずつ氷柱を壊していく。琉斗と玲斗は力を使い果たして地に膝をついていたが、互いに支え合ってその様子を見ている。でも、厚い雲によってその姿は猫又には見えてない。
「うおおおおおおおっ!」
バキンと鋭い音がして、氷柱が粉々に砕け散った。その瞬間、紫色の炎が猫又を包み込んだのを、感の良い玲斗が気がついた。唇を強く噛み締めた玲斗の様子で何事かを気がついた琉斗は、猫又の姿が徐々に変貌していく所を見てしまった。
白い髪が長く伸び始めて猫耳が鋭く尖り、目は細くなって赤くなり全身が毛で覆われた。手を地について獣のような唸り声をあげた化け物の姿が、跪く二人の目にはっきりと映った。変貌して本当の姿を露わにした猫又に唖然とその様子を見ていた二人は、猫又が大地を蹴りあげたのをハッキリ見て、慌てて刀を構え直す。
雲を抜けようとしてか、先程よりも素早い動きで走り続ける彼は、だいぶ焦りを見せていた。そのため周囲を読むことが劣ってしまっていた。
四方八方に走り抜ける獣姿の猫又を上空から見つけ出したのは琴葉だった。変貌したのにはあんまり驚いていないようで、ちょっと厄介そうな目線で見ながら同じく飛び上がって敵を探す風花に言った。
「・・・・・・風花、いたよ。」
「へ?ど、どこどこ?」
キョロキョロあっちこっちと視線を彷徨わす彼女に、クスッと笑った琴葉が獣姿の猫又を指で指し示すと、その姿に驚愕したような表情で琴葉と猫又を見比べた。
「あれがそうなの⁉︎全く見た目変わってるし、雰囲気変わってない?」
「見た目は獣化したからでしょ。・・・・・・でも、確かに纏ってる空気が重くなってる。」
「マジですか。う〜、これいけるかな。」
その言葉を聞いた琴葉は、気を引き締めて刀を構えると静かに言った。
「『いけるか』じゃないよ、『できなきゃダメ』なの。ここで負けてどうするの?」
鋭くもいつもの辛辣さよりも柔らかい言葉に風花もハッとしたように頷くと、剣を構え直して鋭く言い返した。
「ごめん、つい弱気になった。・・・・・・でも、今度は外さない!」
そう言うと剣から凄まじい魔力が包み込んで、厚雲がその魔力の暴風に煽られて波打っている。それでも、猫又は気がついていないようだった。ローブが煽られるのを感じながらフードを下ろした琴葉は、銀髪が綺麗に旗めくのをそのままに急降下した。それを風花の作り出した風が彼女の全身を包み込んで、さらに急降下のスピードをあげた。
ようやくそこで上から落下してくる人の姿を発見した猫又は、闇のオーラを全開にして迎え撃つが、琴葉にとってはどうでもよかった。愛刀をしっかり握り締めると、目を鋭く光らせる。その間に風花は厚雲を暴風で掻き混ぜて、猫又の動ける範囲を少しずつ狭めていく。そして、猫又が完全に身動きが取れなくなった時、琴葉は刀をかざした。
『花鳥風月 鏡月雲河(かちょうふうげつ きょうげつうんが)』
猫又は長く伸びた爪で琴葉の刀を防ごうとするが、肩までザックリへし折られてしまった。地に降り立った勢いのままで振り返った瞬間をとって、背中を縦横無尽に斬りつけた。猫又の意識が琴葉に逸れた機会を間にとって、風花が勢いよく降りてきて首元を狙って刃を振るった。
固くなっているはずの首は、風花の風の魔力の勢いでいとも簡単に破られて勢いよく血飛沫と首が舞った。ドサっと言う音と共に転がっていった首は、晴れ晴れした空を見上げるような格好でやっと止まった。
しばらくして猫又の体は徐々に光に包まれながら消滅していったが、転がった首はやり残したことがあるのか残ったままでいた。猫又は空を見上げながら、近くに歩み寄ってきた風花と琴葉の気配を感じて話し始める。
「・・・・・・俺、何してるんだろう。こんなことしても意味ないの、分かってたのに。」
「あなたは許されない。誰もがそう思ってる。」
思わずキツイ口調でそう言った風花に、そっと寄り添いながらも宥める琴葉は後ろから歩み寄る気配を感じて振り返るが、誰だか分かると何事もなかったように視線を猫又に戻した。歩み寄った人は風花の肩に手を置いて言った。
「・・・・・・風花、君の言い分もわかるけど、今は彼の話を聞いてあげよう。」
のんびりと琉斗がそう言うと、琴葉の後ろに立つ玲斗も頷いた。その間にもぼんやりとした様子でで空を見る猫又から言葉は紡がれていたので、剣士たちは耳を傾けた。
「兄さん、ごめん。俺、兄さんの言う通りに俺はできなかったよ。俺は人をいっぱい傷つけたし、いっぱい殺してしまった。兄さんを殺した『人間』のように俺はなってしまった。兄さんの望んでいた理想の『妖』には、俺はなれなかったよ。・・・・・・ごめん、兄さん。」
それだけを言い残すと、猫又の首は体と同じく光に包まれてゆっくりと消滅していった。その光の粒子がどこから吹いてきた風に飛ばされていくのを、四人は静かに見守っていた。
「彼も昔は家族思いの心優しい妖だったのだな。」
「そのようですね。家族を失って、その相手をものすごく恨んでいたのでしょう。」
ポツリと琉斗と玲斗がそう言って顔を見合わせると、琴葉も頷いてくれる。風花は静かに天を見上げて言った。
「・・・・・・あいつはあいつなりの理由があったのね。」
それぞれが天を見上げるとしんみりした空気を打ち払うように、
風が草原内に吹き込んで洗い流していった。
〜 三 〜
「・・・・・・皆さん、この度は風花の頼みを聞いてくださりありがとうございました。」
あの事件から数日後、琉斗・玲斗・琴葉の三人はまた小鳥遊家に訪れていた。そこには風花をはじめとする領家の人々や使用人たちが集まっていた。その中から代表して、上段に座る風樹が礼をする。それに合わせて人々が礼をするので、あまり慣れてなかった三人は困惑したように笑って、琉斗が代表して話した。
「皆さん顔をお上げください。僕らは風花の願いを聞いて、その補助をしただけで、全て風花が成し遂げたこと。彼女は立派な英雄であり、立派な剣士です。だから彼女を褒めてあげてください。」
そう言って微笑む琉斗に、兄弟たちは皆頷いて風花の方に視線を向けた。風花は腕を組みながらも照れくさそうにそっぽを向いている。その素直じゃない姿に、玲斗は微笑み、琴葉は優しくその様子を見守る。ほのぼのした雰囲気となったが、不意に兄弟たちの近くに座っていた永峯が少し前に出てきて兄弟たちに話しかけた。
「皆様、今日は頼みがあるのでしょう?そろそろ話してもよろしいのでは?」
「あら、そうだったわ。すっかりほのぼのとしていて、忘れてしまうとこだったわ。」
楓はそう言って困ったように微笑むと、風樹は真剣な表情になり、辰樹は目を細くし、風花が視線と姿勢を正し、翔也が心配げに兄姉と剣士たちを見比べる。三人はそれぞれの顔を見合わせた。あの後に何かがあったのだろうか。少し間をあけてから、ゆっくりと風樹が話し出した。
「皆様方は、これからどうされるおつもりですか?」
その言葉に双子兄弟は顔を見合わせると、同時に琴葉を見た。彼女は静かに頷いて口を開いた。
「・・・・・・特にこれといった用事もないですので、首都に向かうつもりです。」
その言葉に琉斗は納得したようにしみじみと頷いた。
「あ、確かに。まだ俺ら、剣士登録してないんだっけ。」
『神獣剣士となった者は、必ず首都へ赴き剣士登録をすること』、これは神獣剣士になるための大事なことだということを、二人は琴葉から聞いていた。しかし、今回の事件時はまだ二人は登録していないので、もしかしたら失格扱いを受ける可能性もある。玲斗はそのことを懸念しながらも言葉を続けた。
「そうでしたね。どのくらいで出発するの?」
「できれば早く。・・・・・・明日ぐらいでも。」
そう言って首を傾げて考えこんでいる琴葉や、彼女の回答にちょっと悩む双子兄弟たちの話を遮るように、翔也がその中で恐る恐る手を挙げた。
「すみません、その話に割り込むようですが、その、頼みがあるのです。」
それに琉斗の眉がピクリと動いて視線を兄弟たちに向けると、腕を組み直して呟いた。
「そういえば、そんなこと言ってたな。」
「頼みとは何ですか?」
玲斗の言葉に答えたのは、それまでのんびりと話の行方を見ていた辰樹が答えた。
「それがね、うちの風花のことだよ。」
「風花、ですか?・・・・・・もしかして。」
それを聞いて何かに気がついた琴葉に頷くように、辰樹は話を続けた。
「そう、風花を剣士として連れてって欲しいんだよ。」
その言葉に琉斗はゆっくりと視線を細くし、玲斗は視線を逸らして考え込む。琴葉は勘づいていたのか分からない表情で、ゆっくりと話を続けさせた。
次に口を開いたのは、オズオズとしている翔也だ。
「あの後にゆっくりと兄弟同士で考えさせてもらって気づいたんです。僕らは風花姉さん意外に、亡き父の意思を継げる人がいないことを。父の剣を持てる人が、父の力を継いだ者が風花姉さんだと。」
それには三人も頷いて同意はした。風花からは聞いていたことであり、確かに剣は風花を認めているのだ。
でも、それだけで剣士になれるとは限らない。琉斗と玲斗の事は琴葉から直接本部に連絡をしてあるので、何かあった時は直接本部から対応が来るが、風花はそれがない。つまり本部にまだ認めてもらえてないのだ。認められてない人は、果たして剣士と名乗っていいものなのか。剣を振るっていいものなのか。基準が難しい。
「僕らがいいと言っても、本部がどう言うか。」
琉斗がその懸念を伝えると、兄弟たちは困ったように顔を見合わせた。不穏な雰囲気に永峯は心配そうにしている他の使用人たちを下がらせると、悩み顔の兄弟たちを心配げに見つめている。その様子に流石に琉斗も玲斗も困り顔になって顔を見合わせた。しかし、その沈黙を破ったのは、意外にもずっと黙りこくっていた風花だった。
「兄様方、姉様、翔也、もういいよ。私がすぐに剣士になれるとは限らないし、これ以上は琉斗さんと玲斗さんを困らせるだけだよ。・・・・・・だから、この話はこれでおしまい。」
「風花、本当に諦めてしまうの?父上の意志を継ぐのでしょう?」
楓がそう言って思いとどまらせようとしたが、風花は首を縦には振らなかった。再び兄弟内で重い沈黙が流れて、永峯は不安そうに兄弟たちの様子を伺っている。琉斗と玲斗は困り顔のまま一部始終を聞いていたが、ふと誰かが服の裾を引いてきたので同じ方に振り返ると、何か言いたげな琴葉が近くに寄ってきた。
近くに寄ってくれた二人に、珍しく小さな声で耳元に囁かれた内容は驚愕的だったけど、この状況をどうにかするには琴葉の案に賭けてみるしかなかった。頷き合った三人は、困り果ててしまっている兄弟たちに視線を向けた。
「皆さん、ちょっといいでしょうか?」
「いや、こっちこそ無理なお願いをしてすみません。今回の件は諦めますので。」
琉斗が話しかけたが、風樹がそう言って弱々しく笑った。まともに話を聞いてはくれない雰囲気に、琉斗と玲斗は困ったように顔を見合わせる。すると、それまで様子を伺っていた琴葉が重々しく口を開いた。
「・・・・・・すぐに夢を諦めるつもりですか?」
小鳥遊兄弟もその場に居合わせた永峯も、慣れている琉斗と玲斗も、一瞬で凍りついた空気に、突如として鳥肌と震えに襲われた。いつの間にか閉ざされていた琴葉の瞳が、再び開いた時には少女らしくない鋭利な光が差し込んでいた。そして、急な彼女の変化に驚く人々を端から眺めながら、威圧感のある声で捲し立てた。
「・・・・・・なぜ諦めてしまうのですか?まだ、できるかどうか確定してないのに。風花を応援しているはずなのに、なぜそんなことで失望しているのですか?おかしいですよね、本人が諦めたからって数回しか止めないのも。本当は諦めて欲しくて、こんなことをつらつら並べ立てているのですか?」
「琴葉っ⁉︎」
「流石にそれは言い過ぎだよ。」
「琉斗様、玲斗様、少し黙っていてください。」
辛辣な言葉に琉斗と玲斗も困り顔で小鳥遊兄弟の間に割って入るが、鋭い琴葉の視線と言葉を受けて黙り込んだ。彼女は再び兄弟たちを見ると、今度は風花に向けて鋭く言い放った。
「風花、あなたには失望した。なんで諦めちゃうの?せっかくお兄さん達が一生懸命頼み込んでたことを、一度断れたからってすぐ辞めてしまうの?さっきまでの威勢は、一体どこに行ってしまったのかしら。」
「それは・・・・・・」
「お兄さん方もそう。」
口篭った風花をよそに、今度琴葉は小鳥遊兄弟を見る。雰囲気の変わった少女の鋭い視線に、無意識に彼らの背がすっと伸びてもっと空気が冷え切った。
「まず、風樹さん。なんで新領主を務めるあなたが、そんな弱気な態度でいるんですか。そこは強気で行かないと後が持つことはないでしょう。次に楓さん。一度思いとどめられなかっただけで、言うのを諦めてしまうのですか?本当に行かせたいのなら、何度でも説得するべきです。そして、翔也君。君は風花に期待しすぎだよ。君だって立派な領主一家の一人だから、自分でできることをしっかり見出していってほしい。」
兄弟たちは鋭くも明確な意見にそれぞれ頷いていたが、不意に辰樹が非常に不愉快そうな声で言った。
「ねえ、琴葉ちゃん。俺は?」
「辰樹さん、絶対何言ったってあなたは聞き流すでしょう?あなたはまず物事を頼みすぎないようにしましょう。正直、そっちの方が不愉快なんですよ。」
苦虫を噛んだような顔をする辰樹に、不安そうだった滝川兄弟も、表情を曇らせていた永峯も、琴葉の言葉に深く反省していた辰樹以外の小鳥遊兄弟も皆一斉に吹き出した。どんよりしていた部屋の空気は、それで一気に明るくなっていく。辰樹は不満げにそっぽを向いていたが。
あの暗い雰囲気を創り出した琴葉は、何事もなかったように目を閉じていて、再び開くと元の何を考えているか分からない瞳に戻っていた。一通り笑い終えた後、琴葉は静かに琉斗と玲斗に目で合図を送る。
琉斗たちもそれに慣れた様子で頷くと、また小鳥遊兄弟と向き合った。
「さて、風樹さん。そろそろ本題に入ってもいいでしょうか?」
「ああ、もちろん。琴葉ちゃんのおかげで吹っ切れたよ、なんでも話を聞こう。」
琉斗の確認に風樹は先程の弱々しさが消えて、ハッキリとした口調で返すことができた。その返事に頷いた琉斗を見ながら、玲斗が後を継いで言った。
「先程、僕たちで話し合った結果ですけど、どうにかできるかもしれません。ちょっと時間がかかるかもしれないですけど、それでもいいなら早速始めたいんです。」
少し身を寄せ合って会話をし始めた小鳥遊兄弟は、やがて元の座っていた位置に戻ると、代表して風樹が頷いた。それを見た後、ゆっくりと玲斗は計画を説明し始めた。最初はその計画に小鳥遊兄弟も永峯も驚きの連続だったが、聞いていくうちにその内容を深く理解することができた。
「 ———— という感じですが、どうでしょうか?」
一気にまとめて説明した玲斗は、最終確認のように聞いてきた。琉斗はゆっくりと玲斗の息を整えさせて、全員の様子を窺った。琴葉は相変わらず静かで、永峯も静かだったが何度も頷いていた。それは兄弟たちも同様だった。
「それでいいのでしたら、ぜひお願いしたいですわ。」
代表して楓が頷くと、他の兄弟たちも頷いた。それに肯定した琉斗は、静かに座り続ける琴葉に視線を送った。
「・・・・・・承知いたしました。」
一体、彼らは何をするつもりなのだろう。それは、この場にいる彼らしかまだ知らないのだった。
* * *
あれから数週間経ったある日、小鳥遊家中が大騒ぎになっていた。永峯や使用人たちが慌ただしく動き回っている。廊下に溢れる人々を少し離れた場所からぼんやりと眺めながら、同じくそれを見ている自分の主を交互に見比べて、琴葉はフードを下げながら言った。
「・・・・・・なんか琉斗様と玲斗様が送られた時と似てる気がします。」
「確かにこの光景はそうかも。琴葉はこれを見ながら待っててくれたよね。」
のんびりと左隣で腕を頭の後ろに組む琉斗がそう答えると、腕を組んで見守る玲斗もぼんやりと言った。
「そうですね。」
三人でぼんやりと人並みを見ていると、その中から小柄な少年がこっちに向かって駆け寄ってきた。小鳥遊兄弟の末弟、翔也だ。今日のことがあってか、彼もしっかりとした正装をしている。
「あ、皆さん!探しましたよ。」
「お、どうかした?」
琉斗がヒラヒラ手を降りながらのんびりと返答する。それに苦笑した彼は、人並みの向こう側を指差して言った。
「兄様方と姉様方がお待ちになっています。是非とも一番に見せたいとかで。」
そう言って早く見せたい様子の彼に、今度は琉斗と玲斗が苦笑した。二人は顔を背けて笑いを堪えているようだ。琴葉は相変わらずフードを深く被って表情が見えなかったが、ふと翔也の方に顔を向けて言った。
「・・・・・・風花の調子はどう?相変わらず?」
「あ、はい。いや、それ以上かもしれない。知らせがあった後、眠れてなかったと思います。」
「そう。じゃあ、宿先では寝かせなきゃ。」
「そうですね、ありがとうございます。」
翔也が頭を下げると、ふと笑いを堪えられた琉斗と玲斗が彼を見て、穏やかな声で言った。
「風花については、心配いらないよ。僕らいるし。」
「手紙が書けるようになったら、ちゃんと返事を送るから。大丈夫だよ。」
「はい、本当にありがとうございます。」
ペコペコ頭を下げる翔也に微笑んでいた琉斗と玲斗は、琴葉に軽く裾を引っ張られたのに気がついて、二人の間にいる彼女を見下ろした。彼女は真っ直ぐ人並みに右人差し指を指したので、二人は彼女の指す方に視線を向けた。そこには人並みを掻き分けながら誰かを探す長女、楓の姿があった。楓も正装していて、いつもは降ろしていた髪も高く結い上げている。不意に目が琉斗たちに定まると、ホッとしたように近づいてきた。
「翔也、何してるの?すぐに帰ってこないから、心配して探したのよ。」
「ごめんなさい、ちょっと話し込んでいました。」
シュンとした様子で深々と謝った翔也に対して、楓は穏やかに苦笑しただけだ。琉斗たちに手招きして、彼女は彼を連れて少なくなった人並みを通り抜ける。静かに進む彼女の足に迷いは感じとれなくなった。翔也もオドオドせず、意見を言うようになった。琴葉の言葉は鋭いながらも的確で正確なので、人は変わっていけるのだ。
「そうそう、僕、一つ気になったことがあってさ〜。」
「気になったこと、ですか。」
琉斗と玲斗がそんな話を始めたので、間にいる琴葉も耳を澄ませる。琉斗は表情を曇らせるとボソッと呟いた。
「辰樹さん、今日は見かけないね。」
その声色の変化に気づいたのか、玲斗が視線を送る。その時、琴葉が表情を曇らせたことは気づかれなかった。
「確かに。事件後しばらくは、廊下の端々で会うこと多かったですよね。一体、どうしたんでしょう。」
キョトンとした様子で考え込んだ二人に、その間で神妙な面持ちで聞いていた琴葉が静かに口を開いた。
「・・・・・・それ、私のせいかもしれません。」
「「は?」」
琴葉の突然の白状に、異口同音の声が琴葉の双方から飛んできた。二人が琴葉に視線を向けると、それを言うのも拒絶しているような、その名前さえも言いたくないような渋い顔になっているのにようやく気がついた。それで勘のいい玲斗は、何があったか一瞬で分かってしまった。
「・・・・・・辰樹さん、琴葉にちょっかい出してたんでしょ?」
「はい。だから、『これ以上、近づいて来ないでください。』と言ってしまって。多分、それで。」
珍しく物静かに話し始める琴葉に、琉斗と玲斗も辰樹の悪戯心に苦笑した。まさかそんなことになっていたとは。
「まあ、今回は確実に辰樹さんが悪いね。」
「そうですね。琴葉はこういうの苦手だからね。」
同意するように腕を組みながら頷く琉斗と、穏やかな表情で優しく琴葉の頭を撫でている玲斗は、前で楽しそうに話していた楓と翔也が振り返ったのに気がついた。二人は話を聞いていたのか、顔を見合わせて話し始める。
「辰樹は琴葉ちゃんのことを兄様に話してたよ。でも辰樹が悪かったのか、兄様に説教されて反省中。」
「あ、確かに。珍しくしょげてましたよね。」
どうやら兄弟たちも知っていたらしい。辰樹のしょげた顔を誰もが想像して、苦笑した。すると不意に声がした。
「うるせえ。そして遅え。」
大広間の扉の前で腕を組んで寄りかかる辰樹が不機嫌そうに言った。その隣に共に待っていた長男の風樹がいて、眉をピクリと上げると口悪い弟の肩を叩き、辰樹は痛みに顔を顰める。思わず琉斗と玲斗が苦笑して、琴葉は笑わないように視線をあらぬ方向にやった。それにムッとしながらも、辰樹は扉をノックした。
「おい、風花。皆さん、きてくださったぞ。」
「は〜い。」
嬉しそうな風花の声がして、その少し後に扉がゆっくりと開かれた。風花は琉斗、玲斗、琴葉と同じ紺色の隊服を見に纏い、肩には戦いの時に身につけた白い肩掛けを身につけている。耳の後ろの方で結われた髪には鶯色の紐飾りを付けていて、腰には『嵐剣 疾風』を携えている。その場でクルリと一周した風花は気恥ずかしそうな表情だ。
「いいんじゃない?なんか前の戦いの時より凛々しくなった?」
「はい。なんだろう、キリッとしたというか。う〜ん、どう言えばいいのかな?」
「・・・・・・大人っぽいとか、勇ましいとかですか?」
「そう、それだ。ありがとう、琴葉。」
彼女について語り合う剣士三人に、気の強い風花も気恥ずかしそうに顔を伏せた。その耳は真っ赤になっている。
「よかったな、風花。剣士になれて。」
不意に風樹がそう言った。風花は頷いて、あの日三人がした提案を思い出した。
『琴葉が文通で本部と連絡する時に、僕らや風花のことを剣士登録できるか聞くのはどうでしょうか。』
この提案に誰もがビックリしたが、いざやってみるとわずか十日で話はついた。風花は琴葉から話を聞いただけだったが、手紙には簡素にこう書いてあったという。
『嵐剣の使い手が剣士になってくれるのは、こちらとしてもありがたい。
剣士登録はこちらでしておくので、活動を始めてくれていい。 』
そんなに手厚くしてくれるなんて、何も分からない自分にとっては感謝しきれないほどだ。また手紙の続きには、風花が慣れるように琉斗たちと共に行動することを許可する文もあった。同い年の琴葉がいてくれることは、風花にとって嬉しい限りであった。この仲間に自分も参加できることは、彼女にとっては支えとなり力になりそうだ。そんなことを考える風花に、琉斗たちが近づいてきて琴葉が話しかけてくる。
「風花、次は東南の地に向かうよ。そこの領主が危機に晒されているらしいの。」
何も考えずに頷いた風花は、視線を外して思案している風樹を見て首を傾げたが、兄は何も言わずに笑うだけだ。他の兄弟の方も見たが、三人とも兄とは違って兄弟同士で話し合っていて、琴葉の声を聞いてはないようだ。
「さ〜て、そろそろ行こうか。」
「そうですね。また遠くに向かうのですから、時間かかりますよね。」
琉斗と玲斗がそう言って来た道を戻り始めた。琴葉と風花が仲良く話しながらそれについていく。何やらぶつぶつ呟いている風樹が続き、他の兄弟たちもそれに続いた。先程まで騒がしかった廊下には、今は人一人もいない。それどころか、庭の方が騒がしくなっていることに風花は気がついた。
庭で待つ使用人たちは、風花たちが外に出てくると手を叩いたり歓声を上げて祝福した。慣れている琉斗たちや知っていた小鳥遊兄弟は慣れたように手を振り返したり、様子を見ていたが、何も聞かされていなかった風花は驚いたように辺りを見渡し、やがてはにかんだように微笑んだ。そんな使用人たちから一歩前に進み出たのは、まとめ役を勤めている爺様こと永峯だ。
「風花様、いずれか戻ってこられることを爺は心から望んでおります。」
「分かってるよ、爺様。必ず帰ってくるし、時々手紙だって出すから安心して。」
涙目で今にも泣きそうな永峯に苦笑している風花は、見守っている兄弟たちに向き直ると誰もが笑い合った。
「風樹兄様、この家をお願いします。」
「ああ、任せろ。」
「楓姉さん、爺様をお願いします。」
「ええ、もちろんよ。」
「辰樹兄さん、元気でいてね。」
「お前もな。」
「翔也、兄さんたちをお願いね。」
「分かってるよ、姉さん。」
兄弟に別れの挨拶を済ませた風花は、門で待っている琉斗たちに駆け寄った。
「じゃあ、行くか。」
「皆、行ってきます!」
琉斗と風花の声で四人となった剣士たちはゆっくりと門の外に足を踏み出した。手を振る小鳥遊家の人々と共に、風が祝福するように吹きつけた。 ——— これからの旅に幸福を呼び寄せるように。
* * *
風が吹く。 天高く強く風が吹く。 森が騒ぐ。 葉を震わせて森が騒ぐ。
道は歌う。 足音噛み締め道は歌う。 草はそよぐ。 音に耳すませ草はそよぐ。
笛は鳴く。 澄み渡る音で笛は鳴く。 僕は走る。 守り抜くために僕は走る。
君はわかるか 僕の思いを 君は知るのか この悲劇さえ