少女の姿をした誰かは、『氷龍刀 雪華』を片手に平然と御前と晶斗の様子を窺っていた。琉斗はその一部始終を見た後、手を口にあててクスクスと笑い始めた。すると、少女が少し困った様子で言った。
「・・・・・・兄上、笑うのやめてくださいよ。こっちも恥ずかしいんですから。」
「いや、すまん。でも、なんで女装なんてしたんだ?確かに分からなかったけど、それは無理がある。」
そう言いながら笑いが収まってない兄に、女装した少年 —— 玲斗は不満げな表情で困ったように言った。
「琴葉の案ですよ。あの子は本当に色々と実力を隠しているなと改めて感じましたよ。」
「そうみたいだな。」
兄弟の久しぶりのようでないような会話に、父親は目を白黒させていたが、全てを理解したように言った。
「・・・・・・玲斗、お前か?」
「父上、すみません。兄上には事前に話していたんですけど、黙っていました。お久しぶりです。」
「いや、そうではない。」
ハッキリとそう言われたので玲斗が少しキョトンとしていると、父親は少し戸惑ったような声で言った。
「・・・・・・お前、能力を使えるようになっていたのか?」
そう言われてやっと気がついたのか、玲斗はバツの悪そうな表情をしながら被っていた鬘を取り外した。茶髪を結った鬘の下からふんわりとした黒髪が露わになる。少し首を振って癖を直すと、静かに言った。
「実はそうだったようです。僕もハッキリとは分からないんですけど、琴葉が言ってたことには、僕は能力を使うための器みたいなモノがまだ未発達だったため、能力が開花するのに少し時間がかかっただけではないかと。」
「そうか。玲斗はこの家では唯一の『氷』の能力者だな。・・・・・・見ただろう、紬。」
玲斗の開花を目にした父親は少し嬉しそうな表情になって、得意げに玲斗を虐めていた張本人の方を向く。
御前は追い出したはずの玲斗が、能力を開花させ戻ってくるとは思わなかったようだ。悔しそうに三人を睨みつけて、怒りでワナワナと震え出した彼女は晶斗の前から飛び出し、父親に短刀を向けて襲いかかった。不意打ちの攻撃に遅れをとった父親だったが、いち早く気がついた琉斗が勢いよく飛び出して、『水龍刀 霧雨』で短剣の軌道を逸らした。
が、それにニヤリと笑った御前が無理やり体制を立て直して、琉斗の胸元に向かって短刀を突きつけた。その行動に玲斗や父親が動こうとしたが、距離があり間に合わない。ここまでか、と琉斗が思ったその時だった。
急に、下の方から誰かが御前の手を蹴り上げた。御前は短刀を持つ手に奔った鋭い痛みに思わず手を離すと、その反動で短刀はクルクルと上に飛んで、天井に突き刺さった。痛む手を庇いながらフラフラと下がった御前は、再度琉斗の方を見た時、驚いたように目を見開いた。
それもそのはず ———
「・・・・・・少し演技を入れてみましたが、気づかれなかったようですね。うまくいきました。」
そう言って立ち上がったのは、先程まで毒によって倒れたはずの少年だった。しかし、少年の声は大人びた少女の口調に変わっていた。少年に成りすましていたのは、玲斗に従う幼き従者 —— 琴葉だった。
皆が驚いた表情で見ている中で、玲斗が脱ぎ捨てたローブを着てから片手を顔の前で振った。その瞬間、術で変えていた少年の顔の輪郭がボヤけて、幼い美形の少女の顔に戻った。そして、被っていた鬘を取ると、太陽光の下でキラキラと輝く銀髪の髪が風で靡いて揺れた。ぼんやりとその一連を見ていた御前は、ハッとしたように言った。
「あ、貴女、誰なのよ!私の手に怪我させたのよ、それに報いる罰を受ける覚悟はできているのよね。」
それを鋭利な瞳で受けた琴葉は、その視線で固まった御前の言葉を完全に無視して琉斗達の方に向いた。
「琉斗様、大丈夫ですか?旦那様もお怪我はありませんか?」
「私はどうでもいい。それよりも琉斗を・・・・・・」
「僕はなんともありません。ギリギリ助かりました。ありがとう、琴葉。」
「いえ、私は使命を貫いただけです。」
「琴葉っ!」
短刀を突きつけられた二人の様子を確認し終えた琴葉は、自分を呼ぶ声に振り返る。すると、人の目を気にせずに玲斗が抱きついてきた。フワリと香った彼の匂いに、彼女の滅多に動かない表情が揺れた。
しかし、すぐに真顔に戻ると、彼を見上げて言った。
「玲斗様、周りが見ている中でこんなことをするのは、正直気恥ずかしいですよ。」
その言葉にハッとした玲斗は、顔を真っ赤にさせて彼女を解放してくれたが、それでも切なそうな瞳で言った。
「ごめん。でも、心配したよ。
急に倒れて死んだふりしても、心の準備できてなかったから怖かった。」
「すみません、確証できる自信がなかったので。あ、でも、あれ毒がちゃんと入ってますよ。」
「え、う、嘘でしょ⁈やめてよ、勝手に死ぬなんて。」
「それも大丈夫ですよ。苦しんでた演技をしてた時に、ちゃんと解毒剤を飲んでいたので。」
ほら、とでも言うように、彼女は解毒剤が入っていた紙を見せ、玲斗の目の前で両手を開閉して全然無事なことを見せてはきたが、肝心の彼の顔は、心配そうな表情からムッとした表情に変わった。
「ちょっと、心配した意味なかったじゃん。」
目の前でコロコロと表情を変える玲斗に、琴葉は少し表情を和らげると彼の耳元に近づいて、いつもの口調とは全く違う優しい口調で囁いた。
「大丈夫です。貴方が行く場所には何処にでも行くつもりですから。」
「っ⁈」
その言葉で玲斗の顔は真っ赤になって、咄嗟に視線を逸らした。その様子を見ながら表情を戻した琴葉は、さらに眼光を鋭くするとその様子を唖然として見ていた御前と晶斗の方を向いた。そして、凄まじい目線で二人を牽制しながら、微笑ましい様子で二人を見守っていた父親に尋ねた。
「・・・・・・旦那様、そろそろあの事を明かしてもよろしいでしょうか?」
「うむ、そうだな。手加減はしなくていいぞ、動けない程度で頼もう。」
「承知いたしました。」
そう言って琴葉は、静かに琉斗と玲斗の前に立つと、徐に右手の指を鳴らした。すると、橋の向こうの袂に植えてある藤の蔓がゆっくりと橋へと伸びて、欄干を蔦って休憩場の方まで成長していく。そんな異様な光景に驚いている琉斗、玲斗は、この後に起こった事により一層驚きが増した。
休憩場に伸びてきた藤の蔓は、床をユルユルと這っていき、琴葉、琉斗や玲斗の足元を外れながら真っ直ぐに進んでいく。そして、御前と晶斗の元に辿り着いた途端、勢いよく二人に巻き付き始めた。
一瞬でグルグルに拘束されて、晶斗の手から刀が抜け落ちた。カラン、と音を立てて床に落ちた刀を器用に巻き取った蔓は、またゆっくり伸びて琴葉の右手にそれを置く。
琴葉は玲斗に刀を預けて、手に絡まってきた蔓を指で可愛がる。蔓はサワサワと嬉しそうに葉を揺らしながら、捕らえた二人を空中に吊り上げて、ピタリと動きを止めた。二人が蔓を解けないのを見ると、余程頑丈に縛られているようだ。身動きしながら御前が琴葉を鋭く睨むが、彼女はそれを完全に無視した。
そして、唯一事情を知っている父親が近づいてくると、一歩下がって軽く礼をした。琉斗と玲斗は思考が停止したかのようにその様子を見ていたが、隣に立った父の姿に何かを言おうと口を開きかけて、呆れたような様子の父親に遮られた。
「落ち着け。後で説明するから、今はこっちに集中させてくれ。」
そして、形相を変えずに琴葉を睨み続ける御前と、悔しそうに唇を噛んでいる晶斗に目線を写して父親は言った。
「紬、お前は琉斗と玲斗を愚弄したまでではなく、本格的にこの家を乗っ取ろうと企んでいたとはな。今日を境にお前と離婚し、実家に戻って出家することを命ずる。晶斗、母親に甘え過ぎる所は目を瞑っていたが、今回に関してはそうもいかぬ。母親の計画に加担したあげく、兄を追い出そうとするとはな。お前は息子としての縁を切り、聖職者として生きることを命ずる。これが父としての最後の命だ。」
「使用人の分際で私を怪我させたその娘には、罰を受けさせないつもりですか。」
御前はよほど琴葉を嫌っているようだ。憎たらしいという目で彼女を睨みつけているが、全然興味なさそうな表情で真剣に父親の話を聞いている。苦笑顔でそれを見ていた琉斗と玲斗は、御前の言葉を聞いた父親がフッと笑ったのを見て驚いた。彼は少し笑った後に、サラッととんでもないことを話し始めた。
「彼女に罰とかはない。正しい行動を行っているし、能力者の逸材を傷つけるのも良くないからな。」
その言葉に双子は驚いて琴葉を見て、御前と晶斗は呆気に取られた。そんな中で、張本人は無表情で淡々と任務をこなしている。しかし、少しも反対や反応を示さないので、父親の言葉があながち間違いではないのは確かだ。
琉斗と玲斗は能力者と出会う機会がなかったので、意外な人が能力者だったことを純粋に驚いていた。だが、彼女にも一理はあった。現れたり消える時に出てくる花吹雪、急成長して人の命を聞く蔓。異次元な能力は、きっと彼女自身の力の一つだろう。
二人がそう納得していると、父親が柏手を打った。すると、屋敷で待機していた警備の者が現れて、蔓で捕らえられていた御前と晶斗を連行していく。御前は抵抗せずに大人しくしていたが、琴葉の横を通り過ぎようとした時に少し立ち止まって睨みつけると言った。
「・・・・・・無礼者がっ!」
しかし、琴葉は無愛想のまま、鋭い視線を彼女に送ると言った。
「・・・・・・無礼者はどちらでしょう。余裕をこいている暇があったのなら、少し策を練ったほうが良かったのでは?前回のみならず、今回もご立派な敗北でしたね。反抗したいのでしたら、牢の中で聞きましょう、元奥方様。」
琴葉に言いくるめられた御前は、これ以上は何も言えずに警備の者に連れられて去っていった。晶斗も悔しそうに琉斗を見ていたが、諦めたのか何も言わずに連れて行かれた。家族が無事だったのに安心していた玲斗は、ゆっくりと目の前がぼんやりしてきたのを理解した。その時には全てが真っ暗になって、彼は意識を失った。
次の日、玲斗も琉斗も自室で横になっていた。昨日の事件の後に疲労によって卒倒したらしく、父親や使用人たちにかなり心配をかけてしまった。琴葉は仕込まれていた毒の効果が飲んだ解毒剤でそんなに出なかったようで、今は琉斗と玲斗の世話に付きっきりだが、護衛も怠ることはなかった。
事件の後、御前と晶斗は殆どは父親の命令通りの罰を受けることになり、滝川家の波乱すぎる後継ぎ問題事件はこれで幕を閉じたのだった。