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 それから数週間後、朝早くから玲斗がそわそわと部屋中を歩き回っていた。すると、窓から風が花吹雪を舞い散らしながら部屋に入ってきて、その中から一瞬のうちにして琴葉がローブを翻しながら姿を現した。彼女はローブの内にしまっていた風呂敷に包んだ何かを見せると、彼は緊張した面持ちで頷いた。

 それを見てから風呂敷を開いた琴葉は、物置棚にしている所から屏風を取り出し立てると、玲斗は彼女を隔てたその屏風の後ろで風呂敷の中身に着替え始める。その間に琴葉が風呂敷のもう一つの中身の準備をし始めた。

 数分後、着替え終えた玲斗が真っ赤な顔で屏風の後ろから進み出る。琴葉が頷いて問題ない意思を伝えると、彼はオズオズと彼女の前に座った。琴葉はもう一つの中身 —— 化粧道具の一つを手に取ると、彼の顔に素早く化粧をしていく。薄く丁寧に施していく彼女は、最後に何かを彼の頭に被せた。

 そして、自身が持っていた手鏡を渡すと、玲斗は恥ずかしそうにしながら受け取って覗き込む。そこには美しい顔の誰かがそこにいた。それに驚く玲斗を見ながら、琴葉はフードを下ろすと次の準備を始めた。


 今日は、滝川家にとって重要な日であった。『次祭』とも呼ばれている行事で、表向きはただの宴会だが、この日で後継者の座が、長男:琉斗か、三男:晶斗に決まるのだ。御前も息子を後継に就かすべく、努力し計画を練った。勿論、後継者争いに巻き込まれなかった次男:玲斗も、兄を助けるために計画を事前に手紙で兄には打ち上げていた。

 この一日で吉か凶か出てくるのだ。いつも平和な長男派も三男派も今日一日は敵同士だ。


 琉斗は今朝から事前に用意した正装に着替えていると、人の気配を感じ取って部屋の入り口の方を見た。すると、引き戸の扉が叩かれた。

 「・・・・・・琉斗様、私です。入ってもよろしいですか?」

 「琴葉か、入って。」

 引き戸がゆっくりと開かれると、そこには茶髪を高く結い長いローブで身を包んだ美しい少女と、それに付き従う小柄な従者がいた。あの極秘の手紙によれば、この二人が琴葉と玲斗だとは手紙で聞いているが、正直分からない。しかし、自分を守ろうと自ら出てきてくれた弟を惨めにはさせたくない。

 その美しい少女は静かにゆったりとした動作でお辞儀をし、従者も主にならって礼をした。

 「顔を上げてくれ。えっと、二人のことはなんと呼べばいいんだ?」

 「お嬢様はユウ様と、私は蓮で構いません。」

 「ユウ殿と、蓮か。その時はよろしく頼む。」

 『その時』とは、御前や何者かに狙われた時だ。二人が頷くのを確認すると、腰に付けた『水龍刀 霧雨』を確認して引き戸を開けた。

 長い廊下を巡って、父親の書斎の前を通る。父の気配はないようだ。客間を抜けて、居間の横を通る。近くにある厨房を抜けた先に園庭があり、広く大きな池がある。その中心にある休憩場が今回の合戦場の舞台だ。

 父親と後妻、そして三男の晶斗がすでにそこにいて琉斗が来るのを待っていた。橋を渡った琉斗たちは、父親の前まで歩み寄る。琉斗が父親の少し前まで行って礼をすると言った。

 「長男の琉斗、ただいま御前に参上いたしました。少し遅れたようで、申し訳ないです。」

 「いや、私たちが早かったのだ。気にするでない。で、後ろの二人は?」

 父親の目線が琉斗の後ろに従える二人に移ったので、琉斗は分かりやすく丁寧に説明した。

 「そちらの女性は、僕の師匠の教え子の一人、ユウ殿。こちらの男性は、ユウ殿に従える従者の蓮です。二人とも、僕の理解者ですのでご一緒でもよろしいでしょうか?」

 「うむ、いいだろう。ユウ殿、蓮よ、よろしく頼もう。」

 「承知いたしました。」

 「承りました。」

 落ち着いた声で少女が、はっきりとした声で少年が頷いて彼らが席に着くと、父親が銀の盃を掲げた。
そして、御前や子供達がそれぞれの盃を片手に持ったのを確認しながら、屋敷中に響くような声で高々と宣言した。

 「これより、『次祭』を執り行う。各々、次期当主のために意見を頼んだぞ。」

 それに頷いた彼らは盃に入った飲み物を飲もうとした。これが合戦開始の合図になるのだ。

 すると、琉斗と少女の背後で見守っていた少年が、ハッとしたように琉斗の持つ盃を見た。いきなり琉斗の手から盃を奪い取るとその中身を飲み干した。全員が呆気に取られて見ている中で、彼は急に首に手を当てて苦しみ出した。そして、両手を口に当てて仰向けに倒れると、少し痙攣した後にピクリとも動かなくなった。少女が大声で悲鳴をあげると、彼を抱き起こす。

 「れ、蓮、蓮ってば!」

 しかし、彼の手はダランと地に落ちていた。その様子を見て、今にも泣きそうな様子で彼女は責め立てた。

 「酷いですわ!いくらなんでも気にくわないから、玲斗様を毒殺しようとするなんて!何も関係ないはずの蓮を巻き込んで!こんなことするのは、晶斗様を推している人だけですわ!」

 「ユウ殿、落ち着いてくだされ。」

 静かに宥める父親を見遣りながら、御前はさも不愉快そうな声で抗議をする。

 「私がやったと思っているのですか?はっ、どうかしてますわ。旦那様、このような事で騒ぎ立てる方は、今すぐに追いやった方が身のためですわ。」

 「奥方様は、黙っていてください!それとも、貴女がやったのですか?言い逃れしようとして、先程の言葉を述べたようにも聞こえますが?」

 少女の言葉に、近くにいた琉斗は唖然としたように御前を見つめて、当の本人はサアッと青ざめた。しかし、彼女を止めるように晶斗がスッと立ち上がって御前の前に立った。

 「ご令嬢、何か勘違いをしているのでは?毒を兄上に盛ったのならば、疑うべきなのは母上ではなく料理人の方々でしょう?何故、いの一番に母上をお疑いになったのですか?」

 「そ、そうね。流石は我が息子。怒りで思考を疎かにするところだったわ。ユウ殿、何故私を一番に疑うのですか?貴女が調理人に命じて、私たちを陥れようとしたんでしょう!」

 「琉斗様を毒殺する理由もないですし、毒を入れたなら従者も知ること。蓮は私がしないことを一番よく知っていますし、もし私が入れたのなら、彼が私を逆らった行動をすることはありえません。・・・・・・私は琉斗様に毒を入れてないと誓えます。」

 そう言って琉斗を見た彼女に、彼は深く頷いて唇を噛み締めた。そして、自身が飲もうとした盃を手に取って見た途端に、彼の表情が変わった。チラッと御前や晶斗の表情を見ながら立ち上がると、父親に盃を渡しながら言った。

 「父上、この盃の色が変わっています。」

 「何⁈」

 父親が急いで受け取った盃を確認すると、銀でできた盃の底の方が黒ずんでいた。毒が入っていたという決定的な証拠だった。表情が険しくなった父親に重ねて琉斗は言った。

 「ユウ殿と蓮は、ここに来る前に真っ直ぐ僕の部屋に案内されてきました。厨房は近くを通っただけなので、毒を入れる隙も命令もできるはずありません。彼女は僕の隣に座っていましたが、父上の合図とともに自身の盃を真っ先に取っていたのを見ていたので、僕が持っていた盃に誰にも気づかれることなく毒を入れるのは無理です。なので、彼女自身が毒を入れるのは大変難しいかと思います。」

 「そうか、確かに。その感じであると、必然的に・・・・・・」

 そう言って視線を琉斗から御前と晶斗に移すと、視線を鋭くさせて言葉を続けた。

 「この二人しかいないわけか。ガッカリしたぞ、紬に晶斗。」

 その言葉に御前はみるみるうちに焦りの表情が見えてくるが、晶斗はまだ冷静な表情を保ったまま母親を宥めると、父親と対峙して言った。

 「父上、なぜ僕達を責めるのでしょうか?先に言わせてもらいますが、毒を入れたのは母上でも僕でもありません。僕の憶測にすぎませんが、料理人の誰かではないかとは思えないのですか?」

 「それはないと思います。」

 ここで少女が少年の体をしっかり支えながら、それでも御前と晶斗を鋭い目線で見た。

 「ここに来るまでに通り過ぎてきた人々の態度から、琉斗様を信頼しているのが私もよく分かるほどでした。料理人の方々もそうでした。厨房を通り過ぎる時に何人かが挨拶してくださいましたが、彼らが毒を入れれば、奥微笑んでいる気配を感じるはずです。それが一切なかったのです。なので、その考えは間違ってると思います。」

 「そうだったか、ご協力感謝する。」

 そう言って父親は毒が盛られた盃に手をかざした。すると、霊気が集中して毒の成分が銀の盃から浮かび上がる。(実は父親は元『水龍刀 霧雨』の使い手だった『水』の能力者である。)一箇所に集まった毒の水球が、ユラユラと空中で揺れた時には一直線に御前の方に飛んで行った。

 そして御前の周りを何周かすると、御前の胸元から小瓶が飛び出て、その蓋が取られると毒の水が勢いよく入って、またすぐに蓋が閉まった。そのまま父親のもとに飛んでいき、盃を持った手とは反対の手の中に落ちた。琉斗・晶斗・少女が呆然と見ている中、父親は鋭い視線で御前を見ていた。

 「やはりお前だったか、紬。玲斗の件は口を出すことはできなかったが、今回はそうもいかぬ。我が正室でお前の姉君の子供がそんなに憎いのか!琉斗と玲斗は正室の忘れ形見、これ以上の手出しは許さん。」

 御前は始めはぼんやりと見ていたが、次第に表情が豹変していくと、最後には狂気じみた声で笑い出した。そんな様子に晶斗は戸惑い、琉斗の眼光はさらに鋭くなり、少女の顔から感情が失くなった。御前は笑い終えると、先程のか弱い女性の演技とは打って違う楽しそうな声で言った。

 「ああ、やっぱり旦那様は、縁起の悪い双子の方を味方するのですね。私や我が息子のことなんて眼中にはなかったのですね。まあ、良いでしょう。楽しいお遊びはここまで。皆さんを恐怖に陥れてあげるわ。私と私の大切な息子を侮っていた、いえ、雪姉様だけを待遇していた『後悔』に落として上げましょう!」

 彼女が晶斗を自身の近くに引き寄せてから手をあげると、池の中や屋敷の屋根に隠れていたのだろう忍びの大群が現れた。それには、父親も多少の焦りの表情を見せる。小瓶と盃を懐に入れると、腰に差していた刀を抜いた。琉斗も少女を庇える位置に素早く移動すると、腰に差していた『水龍刀 霧雨』を抜き放つ。それを躊躇なく御前に切先を向けて構えた。

 しかし、一筋縄ではいかないことは最初から分かっていた。御前の前に立った晶斗が、腰に差していた刀を抜き放って兄に威嚇する。御前も懐から小刀を取り出して抜き、二人に向かって切先を向けて言った。

 「さあ、どうするのですか?他勢相手に切り抜けることはできませんよね?今すぐ我が息子の晶斗を当主にする、と宣言してください。そうすれば、皆は刀を下ろしますし、誰も傷つかずに済みます。」

 「断れば?」

 ここで父親が目線だけ彼女に向けながら聞くと、御前は無言でニッコリ笑った。ここで全員斬り殺すとでも言っているのだろう。目が笑ってないし、表情が狂気で満ちている。

 その時、琉斗に守られていた少女がふとクスクスと声をあげて笑い始めた。床に従者を寝かせると立ち上がって着ていたローブを脱ぎ捨てる。その腰にかかる剣帯に差していた刀 ———『氷龍刀 雪華』を抜き放った。騒然とした周りの空気を尻目に、彼女はそれを構えて渾身の一撃を繰り出した。

 『氷華旋盤 霜降り』

 その言葉と共に冷たい霊力が勢いよく解き放たれ、御前が忍ばせていた忍者達が沸き出た冷霧に吹かれると一瞬で凍りついた。そして空中を彼女が刀剣で一閃すると、氷漬けされた者達は全員粉々に砕け散った。よく見ると池は氷を張っていて、家族がいる休憩場にも所々に霜が降りていた。周りの空気も霊力によってすっかり冷えきっている。