「・・・・・・琴葉、僕の話聞いてた?」
「聞いていますよ。ですが、その心配はありません。」
そう言った彼女は何かを取りに扉から出て行く。キョトンとしていた玲斗は、数分後に戻ってきた彼女が、両手に色々抱えているのを見て驚いた。左手には何冊も積まれた書物を軽々と持ち、そして右手に持っていたのは玲斗にも見覚えがある物だった。
「琴葉、それは・・・・・・」
「はい。滝川家に伝わる宝刀の一つ『水龍刀 霧雨(すいりゅうとう きりさめ)』の対なる刀、『氷龍刀 雪華(ひょうりゅうとう せっか)』です。・・・・・・玲斗様の名は、この刀の主となるために授けられたもの、だと旦那様からお聞きしております。どうぞ、これをお手に取ってください。」
「本気で言ってるのか?これを触れても、僕に力は、また家族に迷惑を・・・・・・」
「まだおっしゃるつもりですか?」
彼女の言葉に驚いた玲斗が顔を上げると、やはり表情は変わらないものの声に自然と重みがかかっていた。彼女はその年齢にそぐわない鋭利な瞳と辛辣な言葉で彼を説得し始めた。
「貴方が無能力者だから、と差別するのもおかしいのですけど、それに加えて、玲斗様自身の心が弱いからではありませんか?自分で自身に蓋をして、機会を逃していると思ったことはないのですか?「家族に迷惑がかかるから。」とか言って、結局は自分の弱さが出てしまわないか不安でいるからではありませんか?そんなことでは、神も貴方に力を授けることはできないと思います。いえ、できないとハッキリ言えるでしょう。もっと自分に自信を持っても良いのでは?いえ、自信を持ってください。いつも私は言ってるではありませんか。『玲斗様には、当主や琉斗様並の実力をお持ちになっている』と。」
彼女の辛辣だがはっきりとした言葉に、玲斗は少し戸惑っていた。だが迷いが解けたのかゆっくりと立ち上がると、彼女から『氷龍刀 雪華』を受け取った。そして、琴葉が書物を両手で持って見守る中、彼はゆっくりと鞘から刀を抜いた。
その瞬間、白い光が辺り一面を照らして、急に空気の温度が数度下がった。玲斗と琴葉がその様子を見ていると、光が徐々に治まってきて鞘から抜いた刀の等身がようやく見えた。しかし、等身は随分長い間使われてなかったのかボロボロに錆びていた。それでも玲斗は諦めずに、ただ一心に「もし僕の願いを叶えられるのなら、貴方の持つ能力を授けてください」と強く願い続けた。
すると、刀の先に冷たい霊気が集中していくのを感じ取った琴葉は、ローブの中から白墨を取り出して、玲斗の周りを一周する円を描く。彼女が円を描き終えて彼から離れると同時に、刀から溢れ出た冷気で空気が一掃され、地下の空間がその反動で揺れた。その錆びていた刀身が刀の先よりゆっくりと色が変化していくのを、持っていた玲斗は確信した。
冷気が収まった時には、白銀色が鈍く光る鏡のような色の霊刀が玲斗の手に握られていて、琴葉が引いた円の周りには鋭く尖った氷の柱が幾重にも連なって立ち並んでいた。玲斗は驚いたように刀を見つめて、それからゆっくりと離れた所に立つ琴葉を見る。彼女はその様子に少し表情を緩めると、恭しく片膝をついて座った。慌てた玲斗が立ち上がらせようとするより早く、彼女が頭を下げて言った。
「おめでとうございます、玲斗様。貴方は確かに『氷』の力を持つ方です。たった今、『氷龍刀 雪華』が貴方のことを選びました。」
「・・・・・・僕が、『氷』の使い手?」
「そうです、貴方が追い出される必要は無くなりました。この家では「唯一」の『氷』の使い手を追い出す事はできません。『双力』の名家、滝川家家訓に反する行為です。」
その言葉に安堵したのか、玲斗の表情が少しだけ穏やかになって、強張っていた体の力を抜いた。
「もうこれで、力がない、と御前に言わせない。」
そう言って彼は『氷龍刀 雪華』の柄をしっかりと握り締めると、決意するように一息ついた。
「・・・・・・琴葉。」
「はい、なんでしょう。」
琴葉が顔を上げると、玲斗は極めて冷静を保ちながら彼女を見下ろしていた。その決意の目に期待しながら、彼女は彼の命令が下されるのを待った。玲斗は軽く『氷龍刀 雪華』を振るって、彼女や自分に当たらないように注意を払いながら氷の柱を薙ぎ払うと、蘇った刀が硬い氷を全て粉々にしていく。その勢いで空中に舞い上がって降り注ぐ割れた氷の欠片を見ながら、彼は静かに命じた。
「兄上に極秘の手紙を送ってくれるか?今日の夕方ぐらいに渡しとくから。」
「旦那様には送らないのですか。」
父親のことを懸念してか、そんなことを尋ねてきた彼女に、玲斗はやんわりと首を振って微笑むと言った。
「父上には次会った時にご報告するよ。今は気分的にも状態的にも、後がいいかなって。」
「・・・・・・承知しました。」
そう言ってふわっと彼女のローブが靡いた時には、琴葉の姿はどこからか溢れ出した花吹雪と共に、その部屋から姿を消していた。玲斗は癖のない黒髪が花吹雪で翻ったので少し驚いたようだったが、すぐにクスクスと笑い始めて『氷龍刀 雪華』を鞘に収める。
そしてふと琴葉から香っている花の香りを感じて振り向いたが、そこに彼女の姿は当然なく、代わりに木箱の上には真新しい剣帯と先程彼女が持っていた書物たちが置いてあった。剣帯の上に丁寧に書かれた手書きのメモが置いてあって、そこにはこう記されてあった。
『剣帯は旦那様が前もって玲斗様にお作りしていたものです。
「もしも、あの宝刀の力を解放したら渡して欲しい」と、
命令を受け持っておりましたので、お渡しいたします。
そして、書物は琉斗様からの贈り物です。
「また読みたいものあれば、僕にいつでも頼んでね。」と、
嬉しそうに仰っていたのもお伝えしますね。
何かまだ欲しいものがあれば何なりとお呼びください。
未熟者ですが頼りになれるように頑張ります。 琴葉』
これも文字通り前もって書いておいてあったのだろう。素っ気なくも何処か温かみのある文に、彼女らしさを感じ取れた。玲斗はそのメモを四つ折りにすると、兄の手紙と共にしまっておく。早速剣帯と刀を身に付ける彼の頬は、少し赤く染まっていた。
それを隠すように、夕暮れ時の冷たい風が空気口から入り込んできて、彼の熱をもった頬を優しく撫でた。夜はまだ終わる気配はしない。
* * *
家の中が静まり返った夜、玲斗の双子の兄 ——— 琉斗は寝巻きに着がえて上着を羽織ると、長机の上に置いていた書物の一冊を寝台の上の灯台近くで読んでいた。彼にとって日課のようなもので、誰もいない静かな部屋にはそれを咎める人もいないので、自由に本などを読むことができる唯一の時間だった。
随分前から開け放っていた障子から冷たい風が吹きこんできた。その時、彼は急にパッと顔を上げた。
風に紛れ込んでいる霊気を読み取り、それがこの部屋の様子を窺っているのを感じ取って、彼はさも不愉快そうに眉を顰めた。
書物を閉じて元の場所に置くと、近くに立て掛けて置いてあった『水龍刀 霧雨』を手に取って鞘から抜き放とうとした時だった。また部屋に吹き込んできた風に煽られて沢山の花びらが舞い込んできた。その花吹雪と共に颯爽と現れた誰かは、軽々と窓枠を飛び越えて部屋の中にフワリと着地した。そして、身だしなみを少し整えた後、静かに言った。
「・・・・・・琉斗様、私です。琴葉です。」
そう言って前に進み出てきた姿を見ると、差し込む月明かりに照らされる深くフードを被ったローブ姿、幼いが鋭い目線を持つ大人びた少女 ——— 琴葉だった。
それにホッとした琉斗は静かに刀を下ろして、元の位置に戻した。灯台の光に照らされた琉斗の持っていた刀を見て、琴葉は表情を崩さずに言った。
「『水龍刀 霧雨』ですか。・・・・・・旦那様からですか?」
「ああ、うん。もうそろそろ持っていいだろう、って父上に言われて。それで、どうしたの。こういう話をするために、こんな時間帯に来たわけではないんだろう?待って、まさか・・・・・・」
実の双子の弟の身に何かあったのか、と血相を変えて先を言おうとした琉斗を遮るように、彼女は首を振った。そして、懐から丁寧に四つ折りされた紙を取り出して彼に渡しつつ言った。
「いえ、今回は玲斗様から極秘の手紙をお届けに来ただけです。・・・・・・あと、玲斗様から伝言をもらってまして、『兄上、書物をわざわざありがとう、大切に読ませていただくね。』とおっしゃってました。」
「そうか、『もう読みおわったやつだから、気軽に読んでくれていいよ。使う予定がなさそうだから別に雑に扱っても構わない。』とでも言っておいてくれ。本当にそういうところは、弟は生真面目過ぎるとは思うんだよな。まあ、いいか。・・・・・・結構早くに返事がきたな。僕はもっと遅いと思ってたのに。」
そう言って琴葉から受け取った琉斗は、ヒラヒラと指に挟んだ手紙を揺らしながら苦笑する。やはり琉斗の方は、こう言うところは玲斗とは違って余裕があり、落ち着いているように見える。
そして彼は、彼女が落ち着きない雰囲気で何かを言いたがっている様子(表情は変わらないが)にすぐに気がついた。先程までのんびりしていた雰囲気がスッと引き締まって、静かな声で問いただした。
「何、他にもなんかあったの?君らしくないね。」
その言葉に彼女は戸惑うように視線だけを動かしていたが、意を決して口を開こうとした。しかし、何か言えない事情でもあったのか、すぐに口を閉ざすと首を振った。
「・・・・・・いえ、なんでもないです。伝言、玲斗様にきちんとお伝えしますね。では私はこれで。」
そう言って一礼すると、琴葉はどこからともなく舞い上がってきた花びらと共に、一瞬のうちに姿を消していた。風によって花びらは障子の外に舞い去ってしまったが、僅かにその花の香りが部屋に充満していた。それに煽られた黒髪を手で直しながら淡く笑っていた琉斗は、ふと彼女の言いたがってたことは何かを考えていたが、無愛想な彼女からは全く予測できなかった。
琉斗は渋々考えるのを諦めると、双子の弟からの手紙を開いて静かに読み始める。障子から差し込んでいる月明かりが、手紙に書かれた衝撃的な内容に少しずつ険しくなっていく琉斗の表情を、片面だけ映し出していた。——— これから起こる波乱な予感を知っているかのように。