〜 1 〜
とある時空の世界には、歴史ある能力者の家柄が多く存在した。
その中でも強い権力を持つ家は、王家以外は存在していない。
強いて言うなら『双力』の家柄だった。
『双力』はその名の通り、二つの力を持つ者、その家系では当たり前のような存在だった。
——— そんな家系に、彼のような無能力者が生まれてくるまでは。
雪が溶け始めた時期、『双力』の家系「滝川家」に双子が生まれた。
新たな力の主の子供が二人も誕生したことにより、家中が歓喜で満ち溢れた。
二人はそれぞれ「琉斗」「玲斗」と名付けられた。
「琉斗」には水のように清らかな心を持つ子になってほしい、
「玲斗」は氷のように何もかも受け入れる冷静さを持つ子になってほしいと、
二人の父親は穏やかに言った。
やがて兄の琉斗は『双力』の片割れである『水』の力を持ち、次期当主として期待をいっぱい受け取っていたが、弟の玲斗は力を持たない無能力者だった。玲斗は毎日のように「兄のようになりたかった、力が欲しかった。」と落ち込んでしまい、父は勿論使用人たちも心配した。「いつか必ず神はきっと力をくださるだろう。」と、そう口にするしか彼を励ます方法などなかった。
二人の母親は出産後に亡くなり、父親は死による悲しみから、彼女の喪が開けた直後に新たな妻を娶った。次の妻は前妻の妹でとても傲慢で気高く、その性格上、夫から「妻」として見られていなかった。それもあっていつも癇癪を起こしては使用人たちを困らせていた。特に実姉が産んだ双子を忌み嫌っていて、自分の実の子供が生まれると、一層八つ当たりが激しくなって、二人はいつも傷だらけでボロボロだった。極め付けは玲斗が無能力者であることを皮肉った挙句、彼を冷遇して罵っていた。食事も与えられず、服を買ってもらうこともなく、自分の部屋からも追い出された。その日以降彼は一人孤独に生きることとなった。 ——— あの事件が起きるまでは。
ある日、玲斗は家の敷地の端にある大蔵の地下にいた。そこが唯一の彼の居場所で、後妻が忌み嫌っている場所でもあった。後妻が来ることは滅多にないため、玲斗が無事に過ごせるように父が整えてくれて、父や兄なども後妻の目が届かない時にこっそり様子を見に来てくれていた。
玲斗はこの広い地下で、一人のんびりと暮らしていた。天井近くの壁に空気口があるので普通の空気は吸えるし、生活に必要なものは一通り揃っている。さらにここには囲炉裏があるので、食材があれば料理もそこそこ作れる。その煙は特殊な術で霧散するので、誰もが気味悪い蔵に誰かが住んでいるなんて考えもしないだろう。彼にとって自由で幸せで、毎日快適な生活だった。
だが、一つ寂しいことがある。父や兄が最近になって、自分を見に来てくれる回数が少なくなっていた事だった。兄の琉斗は次期当主になるために日々修行を行っていて来れること自体が少ないし、父も最近は業務などで忙しくて会うことも極端に少なくなった。父はそのことを見越して、随分前から彼に専用の従者をつけてくれた。万が一、彼に何かあった時に役にたつ優秀な従者を。
「・・・・・・玲斗様、入ってもよろしいでしょうか?」
一人ぼんやりと考え事にふけていた玲斗は、自分を呼ぶ大人しい声で思考から舞い戻ってきた。木箱で作ってある寝床兼座卓の場所(今後からは『木箱』)から飛び起きると、身だしなみを整えながら慌てて言った。
「・・・・・・琴葉、大丈夫だ。君以外は最近来ないのだから、早く入ってくれ。」
「承知いたしました。」
その声と共に地上に唯一繋がる扉が開いて、誰かが入ってきた。その人が扉を潜り抜けると、勝手に閉まって鍵がかかった。この扉には知る人しか解くことのできない高度な魔術がかかっており、その扉を開けられる者は彼の父親と兄とこの人だけだ。足首まで隠れるローブにフードを目深に被った誰かは木箱に腰掛ける玲斗に向かって一礼すると、おもむろにフードを下ろした。すると、ふんわりと甘い花の香りがして、隠されていた顔と髪が顕になった。
僅かに空気口から差し込む光に煌めく、この世界では見たことないほどの美しく長い銀髪。その髪を後ろで一つに結い上げ、顔は玲斗自身も認める美形で小顔。その容姿は幼く見える少女だが、その年齢を感じさせないほど鋭利で冷ややかな灰色の目が無愛想な彼女によく似合う。
彼女の名は、花蝶 琴葉。十になったばかりで、屋敷に来たのもまだ日が浅い。しかし、隠者のような気配や能力を持ち、少女らしからぬ知識や実力があるらしい。父が前の遠征途中に立ち寄った農家の養子として住んでいたのを、その容姿と才能を見越して引き取ったらしい。それから数ヶ月間下積みで使用人として働いていたが、二ヶ月前くらいに玲斗専属の従者として格上げされた優秀な少女だ。
玲斗自身も彼女を気に入って、自ら料理を振舞ったり、彼女に教師となってもらって勉強をしたりしている。彼も兄並みの才能は持ち合わせているので、彼女に「玲斗様は勉学・武術共に、旦那様や琉斗様に匹敵するほどの実力があります。・・・・・・弟君の晶斗様は劣ってる点が多いのに、なぜあれほど奥方様は押しているのかが理解することができません。」とまで言われた程だ。(最後は皮肉のようにも聞こえたけど。)
さて話を戻そう。
彼女はローブの内側から野菜や果物などぎっしり詰まった籠を取り出して玲斗に差し出すと言った。
「・・・・・・旦那様からの今週分の差し入れです。そして、琉斗様から極秘で手紙をいただいているのですが、今お読みになりますか?」
「兄上が文を?・・・・・・一体何が書かれてるのか楽しみだ。」
そう言って籠を受け取った彼は立ち上がって、部屋の隅に置いてある『冷蔵魔蔵庫』に歩み寄った。『冷蔵魔蔵庫』は現代でいう冷蔵庫なのだが、普通のとは少し違う。普通、地下は電気が通ってないと電化製品は使えないのだが、この『冷蔵魔蔵庫』は魔力だけで動く大型魔道具といってもいいだろう。
その上、冷凍・冷蔵もしっかりしているので便利だ。壊れても魔石(魔力が籠った石)部分を変えればいいので、直すのも簡単で庶民にもかなり役立っている。
玲斗は籠に入っていたものを『冷蔵魔蔵庫』(今後からは『冷蔵庫』)に全部入れると、琴葉の方に振り返って片手を差し出した。その行動が理解できなかったのか、彼女はキョトンとしている(表情は変わらないが)ので、玲斗は体ごと振り返ると差し出す手をそのままに言った。
「ごめん、兄上の手紙を渡してくれって意味だったんだけど。」
その言葉に無言で頷いた彼女は、懐から丁寧に四つ折りされた紙を取り出して彼に手渡した。手紙を受け取った玲斗は、開いて内容をざっと目で通した。読み進めていくうちに彼の表情はみるみる表情が曇っていった。そして、遂にはそれを綺麗に戻すと、琴葉に手紙を受け取らせて不満そうな表情で木箱の上に座った。キョトンとした(表情は無愛想なまま)彼女は、受け取った手紙をゆっくりと開いて黙読した。
内容はこうだ。
『やあ、玲斗。随分会ってないけど、元気にしているかい?
僕は毎日稽古や勉強で大変だけど、そこそこ頑張っているよ。
父上も御前に振り回されているけど、今のところ何も言ってないから安心して。
あと、父上も「今度会いにいく」って言ってたから不安になりすぎるなよ。
何かあっても琴葉がいるし、僕や父上だってお前の味方だ。
さて、今回内密でこの手紙を送ったのには訳がある。
義弟の晶斗と御前についてだ。御前はやはり玲斗が出ていったと思い込んでいるようだ。
玲斗を排除したのを良い気にして、僕まで後継の座から追い出そうとしているようでもある。
晶斗は確かに『水』の能力持ちだが、能力に対して勉学・礼儀・体力は比例してないらしい。
(これは僕の師匠から聞いただけだから、どこまで本当かはよく分かんないけどね。)
御前も野心的だから注意してるけど、一番問題なのは今まで無関心だったはずの晶斗だ。
最近、だらけていた勉学を真面目に取り組み始めたという噂を使用人たちの口から聞いた。
そして、僕に対してかなり攻撃的な口調になったのも疑わしい。
多分、御前に唆されて、真面目に当主になろうと考え始めたのかもしれない。
晶斗は御前に甘えているところがある。
御前に頼めば何でも解決すると思っているのが丸わかりだ。
そこを御前は利用して、晶斗を後継にして僕も追い出そうとしている動きをするかもしれない。
現状では一切動いてないけど、これはこの家にとっても父上の威厳にとっても危機的事態だ。
父上には話してあるし、師匠にも様子見してもらっていて、無対策ではないから安心して。
でも、もし僕が追い出されたら、玲斗自身もかなり危険な状況になるから気をつけてね。
僕だって無力じゃないんだ。とことん自分の不安要素は取り除く覚悟はある。
玲斗も、琴葉を通じて何かしら力を貸してくれ。
・・・・・・本当にごめん、長々と。本当に何かあったら連絡してくれ。
ではまた次の手紙で会おう。 琉斗』
琴葉は読み終えると静かに手紙を閉じて、木箱に座って彼女の様子を見ていた玲斗に視線を向けた。彼は深いため息を吐くと、不機嫌そうな声で言った。
「兄上が不穏な御前の動きを察知して、知らせてきた。今回は、家族を巻き込んでの大事になりそうな気がする。御前もそうだけど、晶斗の行動もなんだか怪しいところが多すぎる。それを踏まえて、琴葉、お願いがあるんだけど・・・・・・。」
「・・・・・・お願いとは、なんでしょうか?」
「・・・・・・兄上を守って欲しいんだ。」
「琉斗様を、ですか?」
キョトンとした琴葉に難しい顔で頷いた玲斗は、自分の手を軽く握ると申し訳なさそうに俯いた。
「僕はここから動けないし、できたとしても御前に気づかれる。なら、使用人見習いだった琴葉なら、気づかれることないし、怪しまれることもない。兄上に新たな厄介者が付いたとしか思われないよ。」
そう言って表情を曇らせる玲斗に、琴葉の滅多に動かない表情が少し驚いたような表情になった。しかし、すぐに元の無表情に戻ると、静かだけどハッキリとした声で言った。
「いえ、私ではなく、玲斗様が動くのがいいかと。」
「・・・・・・琴葉、僕の話聞いてた?」
「聞いていますよ。ですが、その心配はありません。」
そう言った彼女は何かを取りに扉から出て行く。キョトンとしていた玲斗は、数分後に戻ってきた彼女が、両手に色々抱えているのを見て驚いた。左手には何冊も積まれた書物を軽々と持ち、そして右手に持っていたのは玲斗にも見覚えがある物だった。
「琴葉、それは・・・・・・」
「はい。滝川家に伝わる宝刀の一つ『水龍刀 霧雨(すいりゅうとう きりさめ)』の対なる刀、『氷龍刀 雪華(ひょうりゅうとう せっか)』です。・・・・・・玲斗様の名は、この刀の主となるために授けられたもの、だと旦那様からお聞きしております。どうぞ、これをお手に取ってください。」
「本気で言ってるのか?これを触れても、僕に力は、また家族に迷惑を・・・・・・」
「まだおっしゃるつもりですか?」
彼女の言葉に驚いた玲斗が顔を上げると、やはり表情は変わらないものの声に自然と重みがかかっていた。彼女はその年齢にそぐわない鋭利な瞳と辛辣な言葉で彼を説得し始めた。
「貴方が無能力者だから、と差別するのもおかしいのですけど、それに加えて、玲斗様自身の心が弱いからではありませんか?自分で自身に蓋をして、機会を逃していると思ったことはないのですか?「家族に迷惑がかかるから。」とか言って、結局は自分の弱さが出てしまわないか不安でいるからではありませんか?そんなことでは、神も貴方に力を授けることはできないと思います。いえ、できないとハッキリ言えるでしょう。もっと自分に自信を持っても良いのでは?いえ、自信を持ってください。いつも私は言ってるではありませんか。『玲斗様には、当主や琉斗様並の実力をお持ちになっている』と。」
彼女の辛辣だがはっきりとした言葉に、玲斗は少し戸惑っていた。だが迷いが解けたのかゆっくりと立ち上がると、彼女から『氷龍刀 雪華』を受け取った。そして、琴葉が書物を両手で持って見守る中、彼はゆっくりと鞘から刀を抜いた。
その瞬間、白い光が辺り一面を照らして、急に空気の温度が数度下がった。玲斗と琴葉がその様子を見ていると、光が徐々に治まってきて鞘から抜いた刀の等身がようやく見えた。しかし、等身は随分長い間使われてなかったのかボロボロに錆びていた。それでも玲斗は諦めずに、ただ一心に「もし僕の願いを叶えられるのなら、貴方の持つ能力を授けてください」と強く願い続けた。
すると、刀の先に冷たい霊気が集中していくのを感じ取った琴葉は、ローブの中から白墨を取り出して、玲斗の周りを一周する円を描く。彼女が円を描き終えて彼から離れると同時に、刀から溢れ出た冷気で空気が一掃され、地下の空間がその反動で揺れた。その錆びていた刀身が刀の先よりゆっくりと色が変化していくのを、持っていた玲斗は確信した。
冷気が収まった時には、白銀色が鈍く光る鏡のような色の霊刀が玲斗の手に握られていて、琴葉が引いた円の周りには鋭く尖った氷の柱が幾重にも連なって立ち並んでいた。玲斗は驚いたように刀を見つめて、それからゆっくりと離れた所に立つ琴葉を見る。彼女はその様子に少し表情を緩めると、恭しく片膝をついて座った。慌てた玲斗が立ち上がらせようとするより早く、彼女が頭を下げて言った。
「おめでとうございます、玲斗様。貴方は確かに『氷』の力を持つ方です。たった今、『氷龍刀 雪華』が貴方のことを選びました。」
「・・・・・・僕が、『氷』の使い手?」
「そうです、貴方が追い出される必要は無くなりました。この家では「唯一」の『氷』の使い手を追い出す事はできません。『双力』の名家、滝川家家訓に反する行為です。」
その言葉に安堵したのか、玲斗の表情が少しだけ穏やかになって、強張っていた体の力を抜いた。
「もうこれで、力がない、と御前に言わせない。」
そう言って彼は『氷龍刀 雪華』の柄をしっかりと握り締めると、決意するように一息ついた。
「・・・・・・琴葉。」
「はい、なんでしょう。」
琴葉が顔を上げると、玲斗は極めて冷静を保ちながら彼女を見下ろしていた。その決意の目に期待しながら、彼女は彼の命令が下されるのを待った。玲斗は軽く『氷龍刀 雪華』を振るって、彼女や自分に当たらないように注意を払いながら氷の柱を薙ぎ払うと、蘇った刀が硬い氷を全て粉々にしていく。その勢いで空中に舞い上がって降り注ぐ割れた氷の欠片を見ながら、彼は静かに命じた。
「兄上に極秘の手紙を送ってくれるか?今日の夕方ぐらいに渡しとくから。」
「旦那様には送らないのですか。」
父親のことを懸念してか、そんなことを尋ねてきた彼女に、玲斗はやんわりと首を振って微笑むと言った。
「父上には次会った時にご報告するよ。今は気分的にも状態的にも、後がいいかなって。」
「・・・・・・承知しました。」
そう言ってふわっと彼女のローブが靡いた時には、琴葉の姿はどこからか溢れ出した花吹雪と共に、その部屋から姿を消していた。玲斗は癖のない黒髪が花吹雪で翻ったので少し驚いたようだったが、すぐにクスクスと笑い始めて『氷龍刀 雪華』を鞘に収める。
そしてふと琴葉から香っている花の香りを感じて振り向いたが、そこに彼女の姿は当然なく、代わりに木箱の上には真新しい剣帯と先程彼女が持っていた書物たちが置いてあった。剣帯の上に丁寧に書かれた手書きのメモが置いてあって、そこにはこう記されてあった。
『剣帯は旦那様が前もって玲斗様にお作りしていたものです。
「もしも、あの宝刀の力を解放したら渡して欲しい」と、
命令を受け持っておりましたので、お渡しいたします。
そして、書物は琉斗様からの贈り物です。
「また読みたいものあれば、僕にいつでも頼んでね。」と、
嬉しそうに仰っていたのもお伝えしますね。
何かまだ欲しいものがあれば何なりとお呼びください。
未熟者ですが頼りになれるように頑張ります。 琴葉』
これも文字通り前もって書いておいてあったのだろう。素っ気なくも何処か温かみのある文に、彼女らしさを感じ取れた。玲斗はそのメモを四つ折りにすると、兄の手紙と共にしまっておく。早速剣帯と刀を身に付ける彼の頬は、少し赤く染まっていた。
それを隠すように、夕暮れ時の冷たい風が空気口から入り込んできて、彼の熱をもった頬を優しく撫でた。夜はまだ終わる気配はしない。
* * *
家の中が静まり返った夜、玲斗の双子の兄 ——— 琉斗は寝巻きに着がえて上着を羽織ると、長机の上に置いていた書物の一冊を寝台の上の灯台近くで読んでいた。彼にとって日課のようなもので、誰もいない静かな部屋にはそれを咎める人もいないので、自由に本などを読むことができる唯一の時間だった。
随分前から開け放っていた障子から冷たい風が吹きこんできた。その時、彼は急にパッと顔を上げた。
風に紛れ込んでいる霊気を読み取り、それがこの部屋の様子を窺っているのを感じ取って、彼はさも不愉快そうに眉を顰めた。
書物を閉じて元の場所に置くと、近くに立て掛けて置いてあった『水龍刀 霧雨』を手に取って鞘から抜き放とうとした時だった。また部屋に吹き込んできた風に煽られて沢山の花びらが舞い込んできた。その花吹雪と共に颯爽と現れた誰かは、軽々と窓枠を飛び越えて部屋の中にフワリと着地した。そして、身だしなみを少し整えた後、静かに言った。
「・・・・・・琉斗様、私です。琴葉です。」
そう言って前に進み出てきた姿を見ると、差し込む月明かりに照らされる深くフードを被ったローブ姿、幼いが鋭い目線を持つ大人びた少女 ——— 琴葉だった。
それにホッとした琉斗は静かに刀を下ろして、元の位置に戻した。灯台の光に照らされた琉斗の持っていた刀を見て、琴葉は表情を崩さずに言った。
「『水龍刀 霧雨』ですか。・・・・・・旦那様からですか?」
「ああ、うん。もうそろそろ持っていいだろう、って父上に言われて。それで、どうしたの。こういう話をするために、こんな時間帯に来たわけではないんだろう?待って、まさか・・・・・・」
実の双子の弟の身に何かあったのか、と血相を変えて先を言おうとした琉斗を遮るように、彼女は首を振った。そして、懐から丁寧に四つ折りされた紙を取り出して彼に渡しつつ言った。
「いえ、今回は玲斗様から極秘の手紙をお届けに来ただけです。・・・・・・あと、玲斗様から伝言をもらってまして、『兄上、書物をわざわざありがとう、大切に読ませていただくね。』とおっしゃってました。」
「そうか、『もう読みおわったやつだから、気軽に読んでくれていいよ。使う予定がなさそうだから別に雑に扱っても構わない。』とでも言っておいてくれ。本当にそういうところは、弟は生真面目過ぎるとは思うんだよな。まあ、いいか。・・・・・・結構早くに返事がきたな。僕はもっと遅いと思ってたのに。」
そう言って琴葉から受け取った琉斗は、ヒラヒラと指に挟んだ手紙を揺らしながら苦笑する。やはり琉斗の方は、こう言うところは玲斗とは違って余裕があり、落ち着いているように見える。
そして彼は、彼女が落ち着きない雰囲気で何かを言いたがっている様子(表情は変わらないが)にすぐに気がついた。先程までのんびりしていた雰囲気がスッと引き締まって、静かな声で問いただした。
「何、他にもなんかあったの?君らしくないね。」
その言葉に彼女は戸惑うように視線だけを動かしていたが、意を決して口を開こうとした。しかし、何か言えない事情でもあったのか、すぐに口を閉ざすと首を振った。
「・・・・・・いえ、なんでもないです。伝言、玲斗様にきちんとお伝えしますね。では私はこれで。」
そう言って一礼すると、琴葉はどこからともなく舞い上がってきた花びらと共に、一瞬のうちに姿を消していた。風によって花びらは障子の外に舞い去ってしまったが、僅かにその花の香りが部屋に充満していた。それに煽られた黒髪を手で直しながら淡く笑っていた琉斗は、ふと彼女の言いたがってたことは何かを考えていたが、無愛想な彼女からは全く予測できなかった。
琉斗は渋々考えるのを諦めると、双子の弟からの手紙を開いて静かに読み始める。障子から差し込んでいる月明かりが、手紙に書かれた衝撃的な内容に少しずつ険しくなっていく琉斗の表情を、片面だけ映し出していた。——— これから起こる波乱な予感を知っているかのように。
〜 2 〜
それから数週間後、朝早くから玲斗がそわそわと部屋中を歩き回っていた。すると、窓から風が花吹雪を舞い散らしながら部屋に入ってきて、その中から一瞬のうちにして琴葉がローブを翻しながら姿を現した。彼女はローブの内にしまっていた風呂敷に包んだ何かを見せると、彼は緊張した面持ちで頷いた。
それを見てから風呂敷を開いた琴葉は、物置棚にしている所から屏風を取り出し立てると、玲斗は彼女を隔てたその屏風の後ろで風呂敷の中身に着替え始める。その間に琴葉が風呂敷のもう一つの中身の準備をし始めた。
数分後、着替え終えた玲斗が真っ赤な顔で屏風の後ろから進み出る。琴葉が頷いて問題ない意思を伝えると、彼はオズオズと彼女の前に座った。琴葉はもう一つの中身 —— 化粧道具の一つを手に取ると、彼の顔に素早く化粧をしていく。薄く丁寧に施していく彼女は、最後に何かを彼の頭に被せた。
そして、自身が持っていた手鏡を渡すと、玲斗は恥ずかしそうにしながら受け取って覗き込む。そこには美しい顔の誰かがそこにいた。それに驚く玲斗を見ながら、琴葉はフードを下ろすと次の準備を始めた。
今日は、滝川家にとって重要な日であった。『次祭』とも呼ばれている行事で、表向きはただの宴会だが、この日で後継者の座が、長男:琉斗か、三男:晶斗に決まるのだ。御前も息子を後継に就かすべく、努力し計画を練った。勿論、後継者争いに巻き込まれなかった次男:玲斗も、兄を助けるために計画を事前に手紙で兄には打ち上げていた。
この一日で吉か凶か出てくるのだ。いつも平和な長男派も三男派も今日一日は敵同士だ。
琉斗は今朝から事前に用意した正装に着替えていると、人の気配を感じ取って部屋の入り口の方を見た。すると、引き戸の扉が叩かれた。
「・・・・・・琉斗様、私です。入ってもよろしいですか?」
「琴葉か、入って。」
引き戸がゆっくりと開かれると、そこには茶髪を高く結い長いローブで身を包んだ美しい少女と、それに付き従う小柄な従者がいた。あの極秘の手紙によれば、この二人が琴葉と玲斗だとは手紙で聞いているが、正直分からない。しかし、自分を守ろうと自ら出てきてくれた弟を惨めにはさせたくない。
その美しい少女は静かにゆったりとした動作でお辞儀をし、従者も主にならって礼をした。
「顔を上げてくれ。えっと、二人のことはなんと呼べばいいんだ?」
「お嬢様はユウ様と、私は蓮で構いません。」
「ユウ殿と、蓮か。その時はよろしく頼む。」
『その時』とは、御前や何者かに狙われた時だ。二人が頷くのを確認すると、腰に付けた『水龍刀 霧雨』を確認して引き戸を開けた。
長い廊下を巡って、父親の書斎の前を通る。父の気配はないようだ。客間を抜けて、居間の横を通る。近くにある厨房を抜けた先に園庭があり、広く大きな池がある。その中心にある休憩場が今回の合戦場の舞台だ。
父親と後妻、そして三男の晶斗がすでにそこにいて琉斗が来るのを待っていた。橋を渡った琉斗たちは、父親の前まで歩み寄る。琉斗が父親の少し前まで行って礼をすると言った。
「長男の琉斗、ただいま御前に参上いたしました。少し遅れたようで、申し訳ないです。」
「いや、私たちが早かったのだ。気にするでない。で、後ろの二人は?」
父親の目線が琉斗の後ろに従える二人に移ったので、琉斗は分かりやすく丁寧に説明した。
「そちらの女性は、僕の師匠の教え子の一人、ユウ殿。こちらの男性は、ユウ殿に従える従者の蓮です。二人とも、僕の理解者ですのでご一緒でもよろしいでしょうか?」
「うむ、いいだろう。ユウ殿、蓮よ、よろしく頼もう。」
「承知いたしました。」
「承りました。」
落ち着いた声で少女が、はっきりとした声で少年が頷いて彼らが席に着くと、父親が銀の盃を掲げた。
そして、御前や子供達がそれぞれの盃を片手に持ったのを確認しながら、屋敷中に響くような声で高々と宣言した。
「これより、『次祭』を執り行う。各々、次期当主のために意見を頼んだぞ。」
それに頷いた彼らは盃に入った飲み物を飲もうとした。これが合戦開始の合図になるのだ。
すると、琉斗と少女の背後で見守っていた少年が、ハッとしたように琉斗の持つ盃を見た。いきなり琉斗の手から盃を奪い取るとその中身を飲み干した。全員が呆気に取られて見ている中で、彼は急に首に手を当てて苦しみ出した。そして、両手を口に当てて仰向けに倒れると、少し痙攣した後にピクリとも動かなくなった。少女が大声で悲鳴をあげると、彼を抱き起こす。
「れ、蓮、蓮ってば!」
しかし、彼の手はダランと地に落ちていた。その様子を見て、今にも泣きそうな様子で彼女は責め立てた。
「酷いですわ!いくらなんでも気にくわないから、玲斗様を毒殺しようとするなんて!何も関係ないはずの蓮を巻き込んで!こんなことするのは、晶斗様を推している人だけですわ!」
「ユウ殿、落ち着いてくだされ。」
静かに宥める父親を見遣りながら、御前はさも不愉快そうな声で抗議をする。
「私がやったと思っているのですか?はっ、どうかしてますわ。旦那様、このような事で騒ぎ立てる方は、今すぐに追いやった方が身のためですわ。」
「奥方様は、黙っていてください!それとも、貴女がやったのですか?言い逃れしようとして、先程の言葉を述べたようにも聞こえますが?」
少女の言葉に、近くにいた琉斗は唖然としたように御前を見つめて、当の本人はサアッと青ざめた。しかし、彼女を止めるように晶斗がスッと立ち上がって御前の前に立った。
「ご令嬢、何か勘違いをしているのでは?毒を兄上に盛ったのならば、疑うべきなのは母上ではなく料理人の方々でしょう?何故、いの一番に母上をお疑いになったのですか?」
「そ、そうね。流石は我が息子。怒りで思考を疎かにするところだったわ。ユウ殿、何故私を一番に疑うのですか?貴女が調理人に命じて、私たちを陥れようとしたんでしょう!」
「琉斗様を毒殺する理由もないですし、毒を入れたなら従者も知ること。蓮は私がしないことを一番よく知っていますし、もし私が入れたのなら、彼が私を逆らった行動をすることはありえません。・・・・・・私は琉斗様に毒を入れてないと誓えます。」
そう言って琉斗を見た彼女に、彼は深く頷いて唇を噛み締めた。そして、自身が飲もうとした盃を手に取って見た途端に、彼の表情が変わった。チラッと御前や晶斗の表情を見ながら立ち上がると、父親に盃を渡しながら言った。
「父上、この盃の色が変わっています。」
「何⁈」
父親が急いで受け取った盃を確認すると、銀でできた盃の底の方が黒ずんでいた。毒が入っていたという決定的な証拠だった。表情が険しくなった父親に重ねて琉斗は言った。
「ユウ殿と蓮は、ここに来る前に真っ直ぐ僕の部屋に案内されてきました。厨房は近くを通っただけなので、毒を入れる隙も命令もできるはずありません。彼女は僕の隣に座っていましたが、父上の合図とともに自身の盃を真っ先に取っていたのを見ていたので、僕が持っていた盃に誰にも気づかれることなく毒を入れるのは無理です。なので、彼女自身が毒を入れるのは大変難しいかと思います。」
「そうか、確かに。その感じであると、必然的に・・・・・・」
そう言って視線を琉斗から御前と晶斗に移すと、視線を鋭くさせて言葉を続けた。
「この二人しかいないわけか。ガッカリしたぞ、紬に晶斗。」
その言葉に御前はみるみるうちに焦りの表情が見えてくるが、晶斗はまだ冷静な表情を保ったまま母親を宥めると、父親と対峙して言った。
「父上、なぜ僕達を責めるのでしょうか?先に言わせてもらいますが、毒を入れたのは母上でも僕でもありません。僕の憶測にすぎませんが、料理人の誰かではないかとは思えないのですか?」
「それはないと思います。」
ここで少女が少年の体をしっかり支えながら、それでも御前と晶斗を鋭い目線で見た。
「ここに来るまでに通り過ぎてきた人々の態度から、琉斗様を信頼しているのが私もよく分かるほどでした。料理人の方々もそうでした。厨房を通り過ぎる時に何人かが挨拶してくださいましたが、彼らが毒を入れれば、奥微笑んでいる気配を感じるはずです。それが一切なかったのです。なので、その考えは間違ってると思います。」
「そうだったか、ご協力感謝する。」
そう言って父親は毒が盛られた盃に手をかざした。すると、霊気が集中して毒の成分が銀の盃から浮かび上がる。(実は父親は元『水龍刀 霧雨』の使い手だった『水』の能力者である。)一箇所に集まった毒の水球が、ユラユラと空中で揺れた時には一直線に御前の方に飛んで行った。
そして御前の周りを何周かすると、御前の胸元から小瓶が飛び出て、その蓋が取られると毒の水が勢いよく入って、またすぐに蓋が閉まった。そのまま父親のもとに飛んでいき、盃を持った手とは反対の手の中に落ちた。琉斗・晶斗・少女が呆然と見ている中、父親は鋭い視線で御前を見ていた。
「やはりお前だったか、紬。玲斗の件は口を出すことはできなかったが、今回はそうもいかぬ。我が正室でお前の姉君の子供がそんなに憎いのか!琉斗と玲斗は正室の忘れ形見、これ以上の手出しは許さん。」
御前は始めはぼんやりと見ていたが、次第に表情が豹変していくと、最後には狂気じみた声で笑い出した。そんな様子に晶斗は戸惑い、琉斗の眼光はさらに鋭くなり、少女の顔から感情が失くなった。御前は笑い終えると、先程のか弱い女性の演技とは打って違う楽しそうな声で言った。
「ああ、やっぱり旦那様は、縁起の悪い双子の方を味方するのですね。私や我が息子のことなんて眼中にはなかったのですね。まあ、良いでしょう。楽しいお遊びはここまで。皆さんを恐怖に陥れてあげるわ。私と私の大切な息子を侮っていた、いえ、雪姉様だけを待遇していた『後悔』に落として上げましょう!」
彼女が晶斗を自身の近くに引き寄せてから手をあげると、池の中や屋敷の屋根に隠れていたのだろう忍びの大群が現れた。それには、父親も多少の焦りの表情を見せる。小瓶と盃を懐に入れると、腰に差していた刀を抜いた。琉斗も少女を庇える位置に素早く移動すると、腰に差していた『水龍刀 霧雨』を抜き放つ。それを躊躇なく御前に切先を向けて構えた。
しかし、一筋縄ではいかないことは最初から分かっていた。御前の前に立った晶斗が、腰に差していた刀を抜き放って兄に威嚇する。御前も懐から小刀を取り出して抜き、二人に向かって切先を向けて言った。
「さあ、どうするのですか?他勢相手に切り抜けることはできませんよね?今すぐ我が息子の晶斗を当主にする、と宣言してください。そうすれば、皆は刀を下ろしますし、誰も傷つかずに済みます。」
「断れば?」
ここで父親が目線だけ彼女に向けながら聞くと、御前は無言でニッコリ笑った。ここで全員斬り殺すとでも言っているのだろう。目が笑ってないし、表情が狂気で満ちている。
その時、琉斗に守られていた少女がふとクスクスと声をあげて笑い始めた。床に従者を寝かせると立ち上がって着ていたローブを脱ぎ捨てる。その腰にかかる剣帯に差していた刀 ———『氷龍刀 雪華』を抜き放った。騒然とした周りの空気を尻目に、彼女はそれを構えて渾身の一撃を繰り出した。
『氷華旋盤 霜降り』
その言葉と共に冷たい霊力が勢いよく解き放たれ、御前が忍ばせていた忍者達が沸き出た冷霧に吹かれると一瞬で凍りついた。そして空中を彼女が刀剣で一閃すると、氷漬けされた者達は全員粉々に砕け散った。よく見ると池は氷を張っていて、家族がいる休憩場にも所々に霜が降りていた。周りの空気も霊力によってすっかり冷えきっている。
少女の姿をした誰かは、『氷龍刀 雪華』を片手に平然と御前と晶斗の様子を窺っていた。琉斗はその一部始終を見た後、手を口にあててクスクスと笑い始めた。すると、少女が少し困った様子で言った。
「・・・・・・兄上、笑うのやめてくださいよ。こっちも恥ずかしいんですから。」
「いや、すまん。でも、なんで女装なんてしたんだ?確かに分からなかったけど、それは無理がある。」
そう言いながら笑いが収まってない兄に、女装した少年 —— 玲斗は不満げな表情で困ったように言った。
「琴葉の案ですよ。あの子は本当に色々と実力を隠しているなと改めて感じましたよ。」
「そうみたいだな。」
兄弟の久しぶりのようでないような会話に、父親は目を白黒させていたが、全てを理解したように言った。
「・・・・・・玲斗、お前か?」
「父上、すみません。兄上には事前に話していたんですけど、黙っていました。お久しぶりです。」
「いや、そうではない。」
ハッキリとそう言われたので玲斗が少しキョトンとしていると、父親は少し戸惑ったような声で言った。
「・・・・・・お前、能力を使えるようになっていたのか?」
そう言われてやっと気がついたのか、玲斗はバツの悪そうな表情をしながら被っていた鬘を取り外した。茶髪を結った鬘の下からふんわりとした黒髪が露わになる。少し首を振って癖を直すと、静かに言った。
「実はそうだったようです。僕もハッキリとは分からないんですけど、琴葉が言ってたことには、僕は能力を使うための器みたいなモノがまだ未発達だったため、能力が開花するのに少し時間がかかっただけではないかと。」
「そうか。玲斗はこの家では唯一の『氷』の能力者だな。・・・・・・見ただろう、紬。」
玲斗の開花を目にした父親は少し嬉しそうな表情になって、得意げに玲斗を虐めていた張本人の方を向く。
御前は追い出したはずの玲斗が、能力を開花させ戻ってくるとは思わなかったようだ。悔しそうに三人を睨みつけて、怒りでワナワナと震え出した彼女は晶斗の前から飛び出し、父親に短刀を向けて襲いかかった。不意打ちの攻撃に遅れをとった父親だったが、いち早く気がついた琉斗が勢いよく飛び出して、『水龍刀 霧雨』で短剣の軌道を逸らした。
が、それにニヤリと笑った御前が無理やり体制を立て直して、琉斗の胸元に向かって短刀を突きつけた。その行動に玲斗や父親が動こうとしたが、距離があり間に合わない。ここまでか、と琉斗が思ったその時だった。
急に、下の方から誰かが御前の手を蹴り上げた。御前は短刀を持つ手に奔った鋭い痛みに思わず手を離すと、その反動で短刀はクルクルと上に飛んで、天井に突き刺さった。痛む手を庇いながらフラフラと下がった御前は、再度琉斗の方を見た時、驚いたように目を見開いた。
それもそのはず ———
「・・・・・・少し演技を入れてみましたが、気づかれなかったようですね。うまくいきました。」
そう言って立ち上がったのは、先程まで毒によって倒れたはずの少年だった。しかし、少年の声は大人びた少女の口調に変わっていた。少年に成りすましていたのは、玲斗に従う幼き従者 —— 琴葉だった。
皆が驚いた表情で見ている中で、玲斗が脱ぎ捨てたローブを着てから片手を顔の前で振った。その瞬間、術で変えていた少年の顔の輪郭がボヤけて、幼い美形の少女の顔に戻った。そして、被っていた鬘を取ると、太陽光の下でキラキラと輝く銀髪の髪が風で靡いて揺れた。ぼんやりとその一連を見ていた御前は、ハッとしたように言った。
「あ、貴女、誰なのよ!私の手に怪我させたのよ、それに報いる罰を受ける覚悟はできているのよね。」
それを鋭利な瞳で受けた琴葉は、その視線で固まった御前の言葉を完全に無視して琉斗達の方に向いた。
「琉斗様、大丈夫ですか?旦那様もお怪我はありませんか?」
「私はどうでもいい。それよりも琉斗を・・・・・・」
「僕はなんともありません。ギリギリ助かりました。ありがとう、琴葉。」
「いえ、私は使命を貫いただけです。」
「琴葉っ!」
短刀を突きつけられた二人の様子を確認し終えた琴葉は、自分を呼ぶ声に振り返る。すると、人の目を気にせずに玲斗が抱きついてきた。フワリと香った彼の匂いに、彼女の滅多に動かない表情が揺れた。
しかし、すぐに真顔に戻ると、彼を見上げて言った。
「玲斗様、周りが見ている中でこんなことをするのは、正直気恥ずかしいですよ。」
その言葉にハッとした玲斗は、顔を真っ赤にさせて彼女を解放してくれたが、それでも切なそうな瞳で言った。
「ごめん。でも、心配したよ。
急に倒れて死んだふりしても、心の準備できてなかったから怖かった。」
「すみません、確証できる自信がなかったので。あ、でも、あれ毒がちゃんと入ってますよ。」
「え、う、嘘でしょ⁈やめてよ、勝手に死ぬなんて。」
「それも大丈夫ですよ。苦しんでた演技をしてた時に、ちゃんと解毒剤を飲んでいたので。」
ほら、とでも言うように、彼女は解毒剤が入っていた紙を見せ、玲斗の目の前で両手を開閉して全然無事なことを見せてはきたが、肝心の彼の顔は、心配そうな表情からムッとした表情に変わった。
「ちょっと、心配した意味なかったじゃん。」
目の前でコロコロと表情を変える玲斗に、琴葉は少し表情を和らげると彼の耳元に近づいて、いつもの口調とは全く違う優しい口調で囁いた。
「大丈夫です。貴方が行く場所には何処にでも行くつもりですから。」
「っ⁈」
その言葉で玲斗の顔は真っ赤になって、咄嗟に視線を逸らした。その様子を見ながら表情を戻した琴葉は、さらに眼光を鋭くするとその様子を唖然として見ていた御前と晶斗の方を向いた。そして、凄まじい目線で二人を牽制しながら、微笑ましい様子で二人を見守っていた父親に尋ねた。
「・・・・・・旦那様、そろそろあの事を明かしてもよろしいでしょうか?」
「うむ、そうだな。手加減はしなくていいぞ、動けない程度で頼もう。」
「承知いたしました。」
そう言って琴葉は、静かに琉斗と玲斗の前に立つと、徐に右手の指を鳴らした。すると、橋の向こうの袂に植えてある藤の蔓がゆっくりと橋へと伸びて、欄干を蔦って休憩場の方まで成長していく。そんな異様な光景に驚いている琉斗、玲斗は、この後に起こった事により一層驚きが増した。
休憩場に伸びてきた藤の蔓は、床をユルユルと這っていき、琴葉、琉斗や玲斗の足元を外れながら真っ直ぐに進んでいく。そして、御前と晶斗の元に辿り着いた途端、勢いよく二人に巻き付き始めた。
一瞬でグルグルに拘束されて、晶斗の手から刀が抜け落ちた。カラン、と音を立てて床に落ちた刀を器用に巻き取った蔓は、またゆっくり伸びて琴葉の右手にそれを置く。
琴葉は玲斗に刀を預けて、手に絡まってきた蔓を指で可愛がる。蔓はサワサワと嬉しそうに葉を揺らしながら、捕らえた二人を空中に吊り上げて、ピタリと動きを止めた。二人が蔓を解けないのを見ると、余程頑丈に縛られているようだ。身動きしながら御前が琴葉を鋭く睨むが、彼女はそれを完全に無視した。
そして、唯一事情を知っている父親が近づいてくると、一歩下がって軽く礼をした。琉斗と玲斗は思考が停止したかのようにその様子を見ていたが、隣に立った父の姿に何かを言おうと口を開きかけて、呆れたような様子の父親に遮られた。
「落ち着け。後で説明するから、今はこっちに集中させてくれ。」
そして、形相を変えずに琴葉を睨み続ける御前と、悔しそうに唇を噛んでいる晶斗に目線を写して父親は言った。
「紬、お前は琉斗と玲斗を愚弄したまでではなく、本格的にこの家を乗っ取ろうと企んでいたとはな。今日を境にお前と離婚し、実家に戻って出家することを命ずる。晶斗、母親に甘え過ぎる所は目を瞑っていたが、今回に関してはそうもいかぬ。母親の計画に加担したあげく、兄を追い出そうとするとはな。お前は息子としての縁を切り、聖職者として生きることを命ずる。これが父としての最後の命だ。」
「使用人の分際で私を怪我させたその娘には、罰を受けさせないつもりですか。」
御前はよほど琴葉を嫌っているようだ。憎たらしいという目で彼女を睨みつけているが、全然興味なさそうな表情で真剣に父親の話を聞いている。苦笑顔でそれを見ていた琉斗と玲斗は、御前の言葉を聞いた父親がフッと笑ったのを見て驚いた。彼は少し笑った後に、サラッととんでもないことを話し始めた。
「彼女に罰とかはない。正しい行動を行っているし、能力者の逸材を傷つけるのも良くないからな。」
その言葉に双子は驚いて琴葉を見て、御前と晶斗は呆気に取られた。そんな中で、張本人は無表情で淡々と任務をこなしている。しかし、少しも反対や反応を示さないので、父親の言葉があながち間違いではないのは確かだ。
琉斗と玲斗は能力者と出会う機会がなかったので、意外な人が能力者だったことを純粋に驚いていた。だが、彼女にも一理はあった。現れたり消える時に出てくる花吹雪、急成長して人の命を聞く蔓。異次元な能力は、きっと彼女自身の力の一つだろう。
二人がそう納得していると、父親が柏手を打った。すると、屋敷で待機していた警備の者が現れて、蔓で捕らえられていた御前と晶斗を連行していく。御前は抵抗せずに大人しくしていたが、琴葉の横を通り過ぎようとした時に少し立ち止まって睨みつけると言った。
「・・・・・・無礼者がっ!」
しかし、琴葉は無愛想のまま、鋭い視線を彼女に送ると言った。
「・・・・・・無礼者はどちらでしょう。余裕をこいている暇があったのなら、少し策を練ったほうが良かったのでは?前回のみならず、今回もご立派な敗北でしたね。反抗したいのでしたら、牢の中で聞きましょう、元奥方様。」
琴葉に言いくるめられた御前は、これ以上は何も言えずに警備の者に連れられて去っていった。晶斗も悔しそうに琉斗を見ていたが、諦めたのか何も言わずに連れて行かれた。家族が無事だったのに安心していた玲斗は、ゆっくりと目の前がぼんやりしてきたのを理解した。その時には全てが真っ暗になって、彼は意識を失った。
次の日、玲斗も琉斗も自室で横になっていた。昨日の事件の後に疲労によって卒倒したらしく、父親や使用人たちにかなり心配をかけてしまった。琴葉は仕込まれていた毒の効果が飲んだ解毒剤でそんなに出なかったようで、今は琉斗と玲斗の世話に付きっきりだが、護衛も怠ることはなかった。
事件の後、御前と晶斗は殆どは父親の命令通りの罰を受けることになり、滝川家の波乱すぎる後継ぎ問題事件はこれで幕を閉じたのだった。
〜 3 〜
さて、時は後継ぎ事件から二年後まで流れる。十六になった玲斗は、あの事件後に地下室から元の部屋に戻された。それまで御前の命で冷たく接していた使用人達も、彼に優しく接するようになった。
同じく十六になった兄と共に勉学・武術に励み、その兄にも劣らない秀でた才能に、父親や兄のみならず先生や使用人たちも驚いた。使用人たちにも弟の実力を認められて、琉斗は物凄く嬉しそうだ。それでも次期当主としての任務は怠らず、二人は滝川家の人気者へと成長していた。
そして、この事件で大活躍した彼女を忘れてはいけない。琴葉は今年で十二となり、まだ幼さが残るものの美しい少女へと成長していた。同年代の少女の中ではスラリと背が高い方だが、今育ち盛りの琉斗たちと比べると差があるので、ついつい二人は彼女を幼い子のように可愛がってしまう。
思春期真っ只中のはずだが、温厚な態度を取るので彼女を嫌がる者は少ない。表情も柔らかくはなったが、時々無愛想になってしまうこともあり、苦戦している姿が使用人たちにとって可愛いと話題にもなっている。玲斗たちにとっても微笑ましく、とても平和な光景だった。
話を元の時間に戻そう。暖かな春の訪れを感じる今日この頃、長年屋敷で働く庭師と共に花の手入れを手伝っていた琴葉は、ふと自分を呼ぶ声が聞こえたような気がしたので顔を上げた。そして、縁側でキョロキョロと彼女を探す玲斗とその側で同じく辺りを見渡す琉斗の姿を見つけた。
彼女は庭師に一言話してから、縁側にいる二人の元に驚異的な跳躍力で舞い降りた。ふんわりとローブを翻しながら舞い降りてきた彼女に、ちょっと驚いた二人だったが少ししてフッと笑みを漏らした。
「こんな感じじゃ、琴葉には追いつかないね。」
そう言ったのは、書物を片手にクスクス笑っている琉斗。
「兄上、琴葉はそう簡単には抜かせませんよ。本当にずるいなあ。」
今度は琉斗と同じ書物を持ちながら、琴葉の髪に触れて儚く笑う玲斗が言った。琴葉はキョトンとしながらローブのフードを目深に被ると静かに言った。
「何かご命令でも?」
「いや、父上の所に行くついでに顔を見にきただけ。そういえば、最近ずっと玲斗が会いたがってたからなあ。」
「あ、兄上⁈」
突然の琉斗の言葉に、玲斗は顔を真っ赤にして少し慌てる。状況が読めずにキョトンとしている琴葉に、玲斗はまだ冷静さの欠けない口調で弁解した。
「ずっと前までは毎日顔を合わせていたから、少し寂しかっただけ。あ、兄上も人が勘違いするようなことをサラッと言わないでください!」
「あ〜、ハイハイ。」
「全然感情こもってませんよ、兄上。」
二人のやり取りを微笑ましく見守りながら、琴葉はゆったりと言った。
「私へのご用が済んだのでしたら、そろそろ、旦那様の所に行ったほうがいいのではないでしょうか?」
「あ、すっかり忘れてた。」
「兄上、行きましょう。ありがと、琴葉。じゃあ、また後で。」
そう言ってバタバタと駆けていく二人を見送る彼女だったが、ふと考え込むと右指を鳴らす。その瞬間、ローブの内側から花びらが吹き出すと、一瞬にして姿を消した。花びらたちは風に乗ってフワリと舞い上がると、父親の書斎に駆けていく二人の後をゆっくり追って行った。
一方、父親は書斎である書類と睨めっこしていた。時々視線を逸らしたり、深いため息を吐いたり、頭を抱えたりしながらも睨んでいた。すると、書斎の扉がトントンとノックされたので、彼は慌ててその書類を仕舞い込む。
「入れ。」
そうぶっきらぼうな声で言うと、控えめな音を立てて扉が開かれた。
入ってきたのは双子の愛息子達の琉斗と玲斗だった。片手に書物をそれぞれ持っているので、授業終わりに寄ってきたのだろう。だが、二人とも何やら真剣そうな表情で自分を見てくるので、戸惑った彼は慌てて聞いてみた。
「ど、どうした?何か私の顔についていたか?」
「いえ、ただ・・・・・・何か隠していませんか?」
その琉斗の言葉に父親の体はビクッときたが、何も言わずに聞き流そうと視線を逸らす。しかし、勘が鋭い玲斗にはその行動で全てが一瞬でバレた。兄に視線を送った玲斗の様子で勘づいた琉斗はため息をつくと、辺りを見渡して原因を探り始めた。玲斗も目線で探し始めたが、隠し事に繋がりそうな物は見つからない。
父親がホッとしていると、扉の隙間から花びらたちが現れる。その場で旋風を巻き起こすと、中から颯爽と琴葉が姿を現した。唖然とした三人を見ながら、彼女はゆっくりと父親の机に近づいていく。無愛想だが呆れたような表情で、問題の書類が仕舞われていた所を見つけ出すと引き出した。
それを見た父親の表情がサッと変わったことにより、隠し事が何か分かった二人は琴葉に無言で感謝する。しかし、なぜその場所が分かったのだろう。そう思っていた二人の心を読んだかのように、静かに書類を琉斗に渡しながら彼女は言った。
「ちょっと何かありそうなのを感じたので、お二人が着くよりも先に来て様子を伺っていたのです。なので、その書類を睨んでいたことも、お二人が来てからそれを仕舞っていたのもお見通しです。」
その言葉に苦虫を噛んだような表情になる父親を、双子は苦笑しながら彼女が渡した書類を一緒に覗き込むように見ていたが、やがて二人の表情がだんだん険しくなっていくと、次第にワナワナ震え始める。
そして、物凄い形相で父親を見るとやはり視線を逸らされたが、隣に立つ琴葉の痛い視線に彼はため息を吐くと渋々語り始めた。
「・・・・・・二人共は、神獣剣士を知っているか?」
その言葉に彼らは『何を言ってるのか』というように頷いた。その説明を父親の隣で聞いている琴葉が、念の為に重要なことを取り出して話してくれた。
「神獣剣士は神獣の加護を受け、人々を襲いし悪の存在『妖』と闘う能力者の剣士。特に優秀で強力な力を持つ強き戦士の三人は『三大剣士』と呼ばれる。重要なのは、その剣士が排出されるのは能力者の名家であることですよね。」
「そう、その通りだ。」
彼女の言葉に、父親はコクコクと相槌を打った。
「・・・・・・ちなみに、前に話すことができなかったのでこの際に言っておきますね。」
そう言って彼女はローブを肩に掛け直すと、着ている服が姿を現した。丈夫そうな紺色の女性隊士服に膝上ぐらいまである長いスカートを履き、細い足をラインにピッタリ合う白いタイツに長い革ブーツを履いている。そして、左腰に差している不気味な気配を感じる脇差が自然と目に留まる。静かにその姿を見遣っている琉斗と玲斗は、大体彼女が言いたいことがわかった。
「父上、すごい人を玲斗の護衛にしてたのですか?」
「琴葉の実力だとそんな感じだとは感じてたけど、まさか神獣剣士の一人だったとは。」
二人でそう言っているのを父親は苦笑しながら聞いている。しかし、二人がギロッと睨んだので、ショゲショゲとして縮こまった。一方、琴葉はなんでもないと言う感じの表情で、睨んでいる双子を見ながら言った。
「・・・・・・お二人は、私が『花』の能力を持っているのはご存知ですよね。まあ、そんな感じです。」
そう言う彼女に、琉斗も玲斗も納得したように笑って頷いた。彼女がローブの位置を戻すと、また父親に目線を送った。その無言で送る威圧の視線に怖気ついた父親は、逸れた話を戻すように話し始めた。
「彼女が神獣剣士であると聞いて、私が自ら首都にある本部まで行って頼んで、琴葉を玲斗の護衛として連れてきた。その時に、その本部から『随分前から我が家から剣士が出てきてないこと』について連絡を受けたのだ。我が家も能力者の名家の一員なので受けようとは思ったのだが、琉斗は次期当主になったばかりだから行かせるのはどうかと思ったり、玲斗はまだ戻ってきたばかりで大変なのではとか思ったりして、返事に悩んでいたのだ。・・・・・・二人共、相談できなくて、本当にごめんな。」
「父上・・・・・・」
父親の自分達を案じた本音に、琉斗も玲斗も口篭って黙り込んでしまう。琴葉もそれを聞いて考えこんでいたが、ふと父親の考えを覆すような考えを口にした。
「・・・・・・お二人が共に神獣剣士になることはできないのですか?」
その言葉に三人は驚いて固まっていたが、真っ先に立ち直った父親が反対した。
「な、何を言っているんだ、琴葉。我が後継と唯一の『氷』の使い手を見捨てる気か!」
「・・・・・・そう言うわけではありません。」
そう言って父親の近くから離れた彼女は、琉斗と玲斗の隣に立った。彼女の静かに閉じた目がゆっくり開いた時、その目には少女らしくない鋭利な光が差していた。それは父親を蹴落とすような眼力で、隣にいる二人を強張らせるほどだった。少女は敵を見ているような辛辣で冷めた口調で、父親に畳み掛けていく。
「ではお聞きいたしますが、お二人を行かせずにどうするおつもりでしたか?今、旦那様が行っても年齢的にも限界がありますし、万が一に当主を失えば、家が没落してしまう可能性もあるのです。そして、ご子息二人に戦いの経験を学ばせなければ、のちに大きな戦争事が起きた時にどうするのですか?役に立たなければ、後は潰されていくだけです。今後のためにも、家を潰すわけにはいきませんよね?」
彼女の力強い説得に、父親も少し悩み始める。そこで彼女は少し表情を緩めて、隣で表情を強張らせている自分の主たちを見遣りながらハッキリと自分の意見を述べた。
「二人の『力』を磨くためにも、修行の一環として行かせたほうがいいと思います。勿論、護衛としてでもありますが、私も一旦現役復帰して同行させてもらいます。それでもダメでしょうか?」
琴葉の言葉に悩みに悩んでいた父親は、行く本人の意見も聞こうと思ったのか、琉斗と玲斗に視線を送った。その視線を受けて二人は顔を見合わせたが、気持ちが定まっていたのか頷きあうと代表で琉斗が言った。
「琴葉の言うとおりだと思います。ここで「滝川家」の名に泥は塗りたくありません。どうか行かせてください。必ず無事に帰ってくることを僕らは誓います。」
そう言って二人がほぼ同時に頭を下げると、琴葉もそれに見習って頭を下げた。三人の様子を見て、父親も意思を固めたようだ。当主らしい鋭い目線に変えると、はっきりとその場にいる三人に宣言した。
「滝川家当主、滝川 小竜(しょうりゅう)が命ずる。王家の命令に従い、我が息子の琉斗、玲斗を神獣剣士として行かせ、また神獣剣士の花蝶 琴葉を現役復帰させることを、只今ここで宣言する。本部にも私からこの事をしっかり伝えておこう。」
その言葉に三人がしっかり頷くのを確認した父親は、ふと思い出したように言った。
「さて琴葉、いつ旅立つつもりだ?」
その言葉に顔をあげた琴葉は、いつにも増して渋い顔になる。顔を上げた琉斗たちや父親が驚く中、彼女は懐から一通の手紙を取り出して掲げながら言った。
「実はそろそろ復帰することを、予め本部に送っていたのですが、『西の領土の当主の元にすぐに行ってほしい』との連絡が昨日来たんです。なので、西の方を巡りながら都に向かう予定なので、明日中には出発しようかと。」
「明日か、了解した。・・・・・・必要なものを揃えなければな。」
そう言って柏手を打って側用人を呼ぶと、琉斗達の隊士祝いの準備をするように言う。それに頷いた彼に続いて、琴葉も必要なものを揃えさせるために静かに礼をしてついて行った。半分はそれだと思うが、もう半分は家族の最後になるはずの会話を邪魔しないようにしてくれたのだろう。
彼女がその場を去っていくと、家族しかいない書斎には重い沈黙が流れていた。やっと元通りになれたのに、また離れ離れになる悲しみと、父親に何もできていない後悔が重なった重く苦しい沈黙だった。
しかし、一番最初に口を開いたのは、一番辛い思いでいるはずの父親だった。彼は重いため息をついて寂しそうに言った。
「お前たちも、もう旅立ちの日か。まあ、そうだな。二人共、十六になったんだな。」
「・・・・・・そうですね、もうそんな歳です。」
琉斗が相槌を打つと、それに続いて玲斗も静かに頷いた。だが、寂しそうな表情で頷いている琉斗とは違い、表情は暗くてずっと唇を噛んでいた。幼い頃に蔵に閉じこもってから、父には迷惑をかけていた。やっと出られたので、父に恩返しをするつもりだったのに、父に何も出来ずに旅立とうとしている自分に腹立たしかったのかもしれない。しかし、それを表情一つで読み取った父親は、儚く笑って言った。
「覚えてないだろうが、お前たちの母親はすごく繊細な人でな。自分のことより相手のことを気にする人だった。玲斗のようにな。お前たちを産んだ後に衰弱し、起き上がれなくなって翌日に死ぬ時まで、ずっと私のことやお前たちの未来ばかりを心配していた。『自分の家系に迷惑はかけていないか』とか『もし、息子たちが貴方より先に死んでしまったらどうしよう』とか、そんなことばかり言ってた。」
「・・・・・・母上が?」
恐る恐る聞いた玲斗に、父親は頷いた。そして、昔を思い出すかのように目を細めながらふと笑って言った。
「そういえば、彼女が亡くなる前にこんなことを言っていたな。
———— その日は季節外れの霙がシトシトと降っていた。
お前たちの母 ——— 雪は上半身を起こして外を見ていた。
この時にはもう死期が迫っていたのを、彼女は分かっていたのだろうな。
俺は彼女の隣で彼女が今にも死にそうな顔になっているのを心配しながら見ていた。
だが、彼女はそんな状態にも関わらず、「最後のお願い」とか言って私を困らせた。
本当に最後のお願いになるとは、この時は微塵も思っていなかった。
彼女は外から私に目線を移して、うっすらと笑って言った。
『旦那様、ごめんなさい。
私はもう長くないし、これであの世へ行くことでしょう。
ですが、一つだけ心残りがあるのです。私の愛しい息子たちのことです。
琉斗と玲斗はこれからいろんな困難に立ち会うでしょう。
二人は成長して、貴方の役に立ちたいと、強く思っているでしょう。
そんな時に後悔しないように、後押ししてほしいのです。
二人の意思を尊重してほしいのです。
そして二人が強くなり、人に優しくなり、
人々に尊敬されるような子に育つことが、私の願いです。』
本当はもっと違うことを言って、彼女を励ましたかった。
そんなこと言うな、とも言いたかった。
だが、この時俺はこう言うしかできなかった。
『分かった。尽力尽くして願いを叶えよう。』
その言葉を聞いた彼女は優しく笑うと、私にそっと寄りかかってきた。
彼女が体重をかけてきたので驚いた俺は彼女を支えようとしたが、
その腕の温もりが消えかかっていることに気がついて彼女の顔を見た。
彼女は安らかに眠っていた。私に息子たちとお前たちへの願いを残して。
・・・・・・母はずっとお前たちを愛していた。
お前たちに期待してくれていた。そのことを忘れずにいてくれ。」
確実に重い話ではあったが、母親が残した強い思いを感じ取った二人はしっかりと頷いた。すると、父親は不意に立ち上がって二人の元に歩み寄っていく。そして、二人を引き寄せて強く抱きしめると言った。
「大きくなったな、琉斗、玲斗。私がお前たちに言えることはもう何もない。くれぐれも気をつけて行ってくるんだぞ。絶対に帰ってくると約束してくれ。それが私の願いであり、母親の・・・・・・雪の願いだからな。」
「「はい、父上。」」
二人がハッキリと返事をした時、父親は抱く我が子たちの後ろに彼らの母親の姿を見た。彼は一瞬驚いた後、二人に気がつかれないようにそっと呟いた。
「・・・・・・雪、私は君の願い通りに動けているだろうか。」
その言葉が聞こえたのか、母親は苦笑した。そして、二人の様子を見ながら嬉しそうにしている。そして、静かな雪の如く優しく笑って、彼の頭に響くような声で返してきた。
『貴方は十分やってますよ、焦らず、慌てず、ゆっくり見守っていってください。』
その言葉に彼が嬉しそうに彼女に微笑んで頷いた時、彼女の姿は刻然と消えていた。それが幻想だったのか、本物だったのかは分からない。しかし、琉斗と玲斗のことを誰よりも案じていて、家族を一番愛していた彼女の言葉は、なぜか重く深く彼の心に染み渡っていったのを感じていた。
次の日の朝、滝川家はいつも以上にドタバタしていた。琉斗と玲斗が剣士として出陣する時を迎えていたからだ。
お付きとして同行する琴葉は、いつも通りフードを目深に被って、足首まで掛かるローブを身に纏って着慣れた隊服を隠すようにしている。彼女はぼんやりとドタバタ走りまわっている使用人たちの影を追いながら、静かに主役たちを今か今かと待ち侘びていた。
すると、騒がしい使用人たちの向こう側から、ふと見慣れた三人が近づいてくるのに気がついた彼女は静かに姿勢を正した。使用人たちも同様に姿勢を正し両端にはけると、彼らに一礼した。
軍服に身を包んだ当主の父親は、堂々としていて威厳ある姿であった。いつになく思い足取りで歩く父に続いて、隊士服に着替えた琉斗と玲斗が歩いてくる。
琉斗は紺色の男性隊服に、水を連想させるような色の羽織を着ている。玲斗は同じく紺色の隊服に淡い色の袿を羽織り、首には白いマフラーを巻き風に靡かせている。
三人が屋敷の入り口にいる琴葉の元に歩み寄ると後ろを向いた。先程まで彼らを通すために道を作っていた使用人たちが横一列に並び直すと、それぞれが悲しそうな声をあげた。
「琉斗様、玲斗様、お気をつけて!」
「ご子息方、きっと戻ってきてくださいね!」
「いつでも帰ってきてください、ずっと待ってますから!」
その言葉に二人の胸が暖かくなると同時に、彼らとも当分会えなくなることが寂しくも感じた。不意に後ろから握られた手の温もりに驚いて振り返ると、二人を見上げている琴葉の姿があった。「大丈夫、会えますよ。」とでも言ってくれてるかのようにギュッと手を握ってくれる彼女に、二人は笑みを浮かべながらお互いの顔を見合わせて頷くと、使用人たちに顔を戻して言った。
「ありがとう、皆さん。頑張ってきますね。」
「ちゃんと帰ってくるから、心配しないでね。」
彼らの優しい言葉に、使用人たちはまだ寂しそうな表情で頷いた。すると、今まで黙って聞いていた父親が二人の前に歩み寄ってくると、それぞれの肩に手を置いて優しい声で言った。
「琉斗、玲斗、今回の旅は自分の実力を高める良い機会だ。成長して、私なんて追い抜かしていってくれ。そして、人を街を国を、全てを守れるような剣士となって必ず帰ってこい。」
ポンポンと肩を叩きながら言う父親に、昨日で話し合ったことを思い出して暗い表情になった二人の手を、またギュッと握ってくれる琴葉に目線を移した父親は、今度はハッキリと言った。
「・・・・・・琴葉、お前には本当に世話になった。二人のことを頼んだぞ。」
「御意、お二人のことは必ずやお守りいたします。」
そう言って頷く彼女に期待を寄せた父親は、使用人たちの方に何か合図を送った。何かを用意していたのか、一人の使用人が小さな箱を持って来る。琉斗が箱を受け取ると、玲斗と琴葉が近づいてきた。一番背の低い琴葉に見えるように身を屈めた琉斗は、同じく身を屈めた玲斗と箱を見ている琴葉が見守る中、ゆっくりと箱を開いた。
中には三色の紐飾りが並んでいた。二つは青色と水色の玉飾りがそれぞれ付いている銀色の紐で、一つは花型に結われた紅色の紐だ。琴葉の目がキラキラ輝き、琉斗と玲斗は驚いたように父を見上げた。
父親が嬉しそうな表情になると、使用人たちの数人も嬉しそうに笑った。父親に頼まれて、この日のために作ってくれたのだろう。しかし、箱を持ってきた使用人が嬉しそうに言った言葉を聞いて、双子だけでなく琴葉も驚いた。
「よかったですね、旦那様。頑張ってお作りした甲斐がありましたね。」
「えっ?父上が作った?」
言ったのは玲斗で、琉斗も琴葉も同じ心情だろう。父親はそんな彼らを見て、慌てたように言った。
「いや、その、・・・・・・お前たちの無事を祈っての気休めだ。」
照れくさそうにそっぽを向く父に呆気に取られた息子たちは、箱にある紐のうちの花形に結ったものをヒョイっと取った琴葉の手に気がつく。ローブの左側を払って脇差を取り出すと、その肢の部分に縛りつけた。取れないようにしっかりと結ぶと、剣帯に差し戻した。
それを一通り見た琉斗・玲斗も箱からそれぞれ気に入った紐を手に取った。琉斗は青色の玉飾りのを、玲斗は水色の玉飾りのを取って、少し話し合った後に刀の塚の穴に通して固結びをした。綺麗なお守りに思わず見惚れていた二人に、琴葉が太陽の位置を確認しながら言った。
「琉斗様、玲斗様、そろそろ行きましょう。西部まで距離ありますから。」
その言葉に気を引き締めた二人は琴葉と共に歩き出して、門のところまで見送る父親と使用人たちの方を向いた。名残惜しそうな表情の人々を見た途端、まだここにいたい思いが二人の中に過ぎったが見て見ぬふりをして言った。
「父上、お元気で。」
「ちゃんと手紙書きますね。」
「ああ、気をつけてな。」
その言葉に頷いた二人は、琴葉を促して屋敷の外に新たな一歩踏み出した。数歩歩いたところで振り返ると、二人は屋敷の皆に手を振った。父親をはじめ、何人かの使用人たちが手を振り返してくれた。それを見て二人は、早朝の冷たい空気を感じながら先導してくれる琴葉に付いて行く。
屋敷が見えなくなった所でもう一度振り返った二人は、自分たちが父と今は亡き母の願いを叶えることを胸に誓う。そして、少し先を歩いている琴葉との距離が開いた事に気がついて、二人はもう後ろを振り返ることはなく慌てて駆け出した。———— 三人の壮大たる大戦記は、まだ始まったばかりである。