目が覚めたのは、翌日の朝。自分の1Kのアパートの布団の中だった。いつ帰ったのか。一応出る前には畳んで押し入れに入れている布団をどうやって敷いたのか。

昨夜は蒸し暑かったからか、ご丁寧に足首から先だけ出るように綺麗に布団の裾を折り返し、何故か豪快な大の字になって寝ていた。
なにより不可解なのは枕元にあった物だ。お盆の上に、お茶と何故か鼻炎用の薬瓶。ティッシュを敷き詰めた洗面器まである。

「どう考えても、自分で用意したとは思えないんだけど……」

表面張力でかろうじて水がグラスに張り付いているお茶を飲もうと、体を起こした時、思わず変な悲鳴を上げてしまった。

「な、なに」

紙袋がが歩いている。
あれは昨夜、喫茶店で買ってきたドリップ珈琲が入っている紙袋だ。その紙袋から二本の黒いズボン姿の足が生えてちょこちょこと玄関からこちらに近づいてくるのだ。

気持ち悪い。

不気味さが恐怖へと変わって、腰が抜けてお尻歩きですら動けない。

「おや、起こしてしまいましたな」

紙袋が喋った。そう思ったが、違った。喋ったのは首から下はスーツ姿で顔はねずみだ。紙袋に押されてずれた人形用サイズのシルクハットを指先で突きながら戻す。
重たそうに「よっこらせ」と僕の布団の前までやって来ると紙袋を床に置くと、甲高い早口で喋り始めた。

「寝ている間に失礼しようと思っていましたが、あれこれと準備している間に起こしてしまって。申し訳ない」

細長い髭を灰色の指先でつるりと撫でながら「私は、あの店ではちゅうさんと呼ばれております。優希殿」と頭を下げる。

「昨夜は私もあの店におりました。気付かれていないようでしたが、優希殿の足のすぐ傍におりました。おはぎさんが酷く心配していたので、忘れ物を届けるついでに様子を見てくると申し出たのです。いやはや、驚かせてしまいました」
 
ちゅうさんは「中身は珈琲ですかな。ずっと良い香りがしておりました。私は鼻が利くもので、決して中身は見ておりません」と言うと、更に「見ておりません」と繰り返しながら、しっかりと閉じたホッチキスの針を指さした。

「ありがとう、ございます」

会釈しながら、目の前の異様な光景に頭がくらくらして、もしかして僕はやっぱりまだ夢の中にでもいるんじゃないかと、頬をつねって……やっぱり痛い。

「では私はこれで――おっと。おはぎ殿から伝言をお預かりしております」

うっかり、と平手で額を叩いて軽い音を鳴らし、首元のえんじ色の蝶ネクタイを締め直す。

「次はもう少し消化の良い物でも用意するよ。またおいで。待ってるよ……との事です」

「待ってる、ですか。初対面なのに」

あんな醜態を晒して迷惑をかけたのに。
思い出すだけで、穴があったら入りたい。一生出てきたくない気分だ。
布団の端を握り、ひとつ息を吞んで口を開いた。

「行きません」

俯いたままの僕に、ちゅうさんは静かに、今度はゆっくりとした口調で言う。

「私は優希殿からのお返事を聞くお役目は預かっておりませんので。これで失礼致します。お大事に」

歩幅の狭い駆け足の後、窓辺にひょいと飛び上がり足を止めた。

「おはぎさんのお料理は、色んな者の心を溶かします。人だけではなく、私たちのような存在も」

「人、だけでなく……」

「私のような人からは忌み嫌われる者たちの居場所でもありますゆえ……」

ちゅうさんは、こちらを振り返ると

「私は優希殿と共に食事をしたいと思っております」

そう言って、僅かに開いた窓の隙間からするりと飛び出して行ってしまった。