日中であればツバメが丘で一番人通りの多い商店街も、この時間ともなると僕を含めた仕事や学校帰りの人がまばらにいるだけだ。

商店街の左手に建つアパートの一階は文房具店や書店が並び、それらは灰色のシャッターで締め切られ、赤やオレンジ、ピンクの電飾で飾られたスナックからは反響した酔っぱらいの歌い声が漏れて、商店街を一気に昭和色に染める。

そんな商店街を一直線に抜け、ゆるくカーブした道なりに進むと通称「あじさい通り」と呼ばれる通りに出る。

さっきまでの賑やかな夜の商店街の雰囲気とは打って変わり、ここは物音も無く虫の声と風が起こす葉擦れの音だけ。
しっとりとした雨上がりの土と葉の匂いが満ちて、目の前を一匹のたぬきが古い民家の生垣の隙間に潜り込んで消えた。

ここ、珈琲喫茶かたつむりと書かれた看板の店の前に立つと、ふわりと香ばしい珈琲の香りが漂う。

「いらっしゃい。あら、久しぶりですね」

重い木製ドアを開き、出迎えてくれた店主の女性からいつものドリップ珈琲を三袋購入し、紙袋をビジネスバッグに仕舞って店を出た。

ここの店主は気さくで良い人だ。いつも隣に連れ立っていた美咲が一緒にいなくても、どうしたのかなど聞いてこない。
気を使っている感じも無く、普段通りに挨拶を交わし、珈琲の会計を済ませている間も今日は新しいお菓子を作ったのだとか、新メニューを作るから良かったらまた来てみてくださいなどと嬉しそうに話すだけで、和やかに店を出ることができた。

「さて」

右手の腕時計に目をやると、ちょうど九時だ。草陰からリィリィと虫の声が耳に心地良い。
明日は休みだし、このまま帰っても待ってくれている人などいない。

「あぁ、駄目だな」

鼻の奥がつんとして、慌てて夜空を仰いでひとつ深呼吸をした。

ちょっと散歩して帰ろう。

鞄を肩にかけ直し、一年中咲き乱れている不思議なあじさい沿いに建つ、レトロな赤いポストを左に曲がる。
閉店準備をする店主の女性が、半分だけ閉めかけたカーテンの隙間からにっこり微笑んで手を振っていた。