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「隼瀬くん、卒業式はどうするの?」
今日も部屋に訪れて来た永谷さんが、僕にそう尋ねる。
「卒業式?」
「そうだよ、三日後にある卒業式。」
「え、三日後なの?」
案外近くに迫ってきていた。でも結局僕は出られないだろう。短期間の入院だとしても、高校の入学式も間に合わないだろう。あの時と同じだ。
「私はギリギリ退院出来るから出られるけど、隼瀬くんはどうするの?」
「うーん、どうしよう。先生に相談してみるね」
僕は曖昧ながらも会話を流すと、永谷さんは頷いてくれた。
「今日も絵、描くんだよね?」
「うん、描こうかな」
僕はそう言いながらスケッチブックに手を伸ばす。
「今日の題材は私が持ってきたよ。これ、描いて欲しいんだけど」
そう言いながら永谷さんは題材を出す。それは、とある風景画だった。
「綺麗。これ、永谷さんが撮ったの?」
「そうだよ。この前家族と行ったんだ。」
「そうなんだ」
一見特別な画では無いが、青い空と白い雲、緑の野原に立つ永谷さんの後ろ姿。
「じゃあ、描いてみるね。」
僕はそう言って鉛筆を持つ。まずは形から。鉛筆を立てて線を描き足す。段々絵が出来上がってくる度、永谷さんは感動の声を上げる。
「うん、こんな感じかな」
僕は満足気にそう言うと、永谷さんは見せて見せてと言ってくるので僕はスケッチブックを永谷さんに渡す。
「すごい!鉛筆とは思えないクオリティだね」
「そうかな」
僕は照れ隠しのため髪の毛をいじる。
「じゃあ明日はもっと違うもの持ってくるね。期待してて!」
「うん、分かった。」
「じゃあね!」
僕は笑顔で手を振る永谷さんに、僕も一緒に手を振る。そして彼女は病室を出ていった。もう一度描いた絵を見直して、訂正する。薄かったところを濃く、足りない線を描き足す。少し訂正しただけでも、見た目が変わるのが絵だ。僕は絵のそこが好きだった。僕はスケッチブックを数枚めくり、数日前に描いたイラストにも訂正をする。自分の絵を見るのは嫌いではない。寧ろ好きだ。自分の絵が上手いとは言わないが、自分の理想をそのままこじつけたのが僕の絵だ。
「あ、そういえば」
僕は数日前に描いたイラストを未完成のまま放置していた気がする。そんなことを思い出してスケッチブックをめくる。
「あった」
見つけたイラストは本当に少ししか描いていなくて、そもそも何を書いていたかすらも覚えていない。でもどうしても完成させたくて、僕はそれっぽいイラストを続けて描く。
「あ、思い出した⋯⋯」
天国だ。僕は天国を描こうとしていたんだ。長い階段と、それを登ろうとしている僕。僕はその続きを描いた。僕の上には、まだ登り続けている誰か。僕より先に亡くなった、誰か。
「描くんじゃなかった」
僕は描き終わったあとに後悔した。もうすぐ自分が死ぬってことが分かった時に速攻で描いたイラストの続きを描いたことに後悔した。もう絵を描くのはやめよう。そう思って布団を深く被った。そして、気がついたら僕は眠ってしまっていた。
目を覚ました。布団を深く被ったまま寝ていたようで、僕は布団を引き剥がす。すると、暗くなった自分の部屋。
「ふっ、はぁ⋯⋯」
欠伸をして、僕はテレビのチャンネルに手を伸ばす。テレビをつけると、芸能人が亡くなっているニュースが流れてきた。
(最近よくあるよな、こういうニュース)
僕はそう思いながらペットボトルの蓋を開け、水を飲んだ。僕は「推し」と呼べるほどの好きなアイドルはいなかったが、元々好きだったアイドルならいる。そのアイドルも、つい先日亡くなった。でも僕は何も思わなかった。結局、僕もそのうち死ぬのだから。
「あ、目が覚めましたか?」
入ってきたのは看護師さんだった。
「すみません、今起きました」
「そう、おはよう。夕飯お持ちしますね」
看護師さんは優しい笑顔と共に部屋を出ていった。運ばれてきた夕飯はいつもと変わらず美味しそうだった。僕は、ずっと卒業式について考えていた。僕は小学校の頃の卒業式に出ていない。理由は単純、病気のせいだ。三月に入って病気が悪化し、長期入院で中学の入学式すら出れていない。今回もどうせ同じだろう。永谷さんが手を打ったところで何も変わらないだろう。僕はそんなことを思いながらご飯を食べた。お皿をさげたあと、また眠気が襲ってきて、直ぐに風呂と歯磨きを済ませるとベッドに入った。そして布団に身を包まれながら目を閉じた。
翌朝。目を開けると眩しい光が飛び込んでくる。僕は欠伸をひとつこぼして顔を洗いに行った。洗面所には空の花瓶がひとつと、コップと歯ブラシのみ。短期入院なのですぐ片付けられるようにしてあるだけだ。
「うわ、ひっどい顔。」
僕はそんな酷い顔を直ぐに洗い流したくて顔をゴシゴシ洗った。そしてタオルで拭いて、ベッドに戻る。また退屈な一日が始まった。でも、勉強はしようと思わない。結局高校に入ってすぐ死ぬんだし、勉強なんてするだけ無駄だった。
コンコン。
軽い音が病室に響く。
「はーい、どうぞ」
僕は声を弾ませて扉に向かってそう言った。そして顔を出したのは、永谷さんだった。
「おはよう、隼瀬くん。調子はどう?」
「うん、今日も平気。永谷さん、今日で退院だよね?」
「そうだよ。明日が卒業式だからね。その時期に合わせてもらったの。隼瀬くんの方ね、私が先生に話したら、いいよって。一緒に卒業式出よう?」
「え、いいよって。でも、問題しか⋯⋯」
「大丈夫。先生にも伝えてあるし、何かあったら私が助けてあげるから。」
彼女は前向きだった。後ろを向いている僕よりも、断然かっこよかった。そんな期待に僕は裏切られなかった。
「分かった。頑張ってみるよ。ありがとう、永谷さん」
僕はそう言って微笑むと、永谷さんも笑ってくれた。
「あと、梨花でいいよ。そんなにかしこまらないで。」
「あ、うん。分かったよ」
突然呼び名を変えろと言われてもすぐ変えられるわけがないが、僕は名前呼びができることに少し喜びを抱いていた。
「それじゃあ今から準備があるから、私出るね。」
「分かった」
彼女はいつものように笑って手を振っていた。僕も振り返した。そして数時間後、梨花は退院した。退院する前に、もう一度僕の部屋に来てくれた。彼女はいつもの服装と違って、私服で、すごく可愛かった。忘れがちだったが、彼女は僕の中学校のマドンナだ。可愛くないわけが無い。僕は明日の卒業式が何だかワクワクしてきた。しかし制服は家なので、僕は携帯を取り出して母にメールを送った。
『明日の卒業式、出れることになったから制服持ってきて』
と。
翌日。僕はワクワクしながら制服の袖に腕を通した。学ランは重いし動きにくいけど、今日は何だか体が軽くて動きやすく感じた。いつもの目眩もしない。健康はばっちりだ。
「それじゃあ先生、十二時前には帰ってきますので。よろしくお願いします」
すっかりスーツ姿になった母と父と共に病院を出た。こうして3人で車に乗るのはとても久しぶりだった。
「隼瀬、身長伸びたなぁ。今日で中学も卒業かぁ。早いな」
単身赴任で家にいることが少ない父は、今日だけ日にちを開けてくれていて、僕は本当に今日卒業式に出られてよかったと思った。学校に近づくにつれて、生徒が増えている。着込んだ制服も、今日だけは新品のように輝いていて見えた。
「おはよー隼瀬!」
車から降りた途端、柊羽に話しかけられた。
「おはよう柊羽」
「おじさんおばさんもおはようございます!」
「おはよう柊羽くん」
「お前本当に膝が⋯⋯ぐふっ!」
僕は咄嗟に柊羽の口を防いだ。
「ほへふふんはよははへ!」
何言っているか僕もわからなかったが、恐らく「何するんだよ隼瀬!」だろうな。
「ごめん母さん、父さん。先行ってるね」
「わかったけど、気をつけなさいよー!」
母の声に、僕はグッと親指を立てて返事をした。
「ちょ、ほんと何するんだよ」
「ごめん、色々事情があって」
「お前、膝悪くないんだな」
「ま、まぁね」
まずい。ここはどうにかして誤魔化さなくては。
「お前ー!俺たち卒練で先生たちにくっそしごかれたんだぞ!!」
「え、ちょ!柊羽、離せって!」
「なんだよー!お前にもあの苦しみを分けてやる!」
柊羽は僕のことをつんつんしながらそう言った。
「早く行かないと間に合わないって!」
「あ、やべっ確かに」
突然柊羽は僕の腕を掴んだ。
「行こうぜ!遅れると今度は殺される!」
「ま、待って!!」
僕は無闇に走れない。走ったら、発作を起こすかもしれない。僕は必死に柊羽を止める。
「あら、おはよう隼瀬くん」
僕の前に現れた女神、梨花だった。
「おはよう梨花。」
「隼瀬?!」
柊羽は驚いたようにこちらを見ていた。
「良かった、今日出られて。体調はどう?」
「うん、全然平気。むしろ元気だよ」
「そう?良かった。それじゃあ、教室で。」
「あ、うん。またね」
僕が手を振ると、彼女も振り返してくれた。一方柊羽は、放心状態のままだった。
「なんでお前が梨花と⋯⋯」
「んー、なんでだろうね?」
僕は少しおどけてみた。すると柊羽はやっと正気に戻ったようで、僕にしがみついてきた。
「なぁ!どうやったら梨花と仲良くなれるんだよぉ!俺、今まで梨花に話しかけてきたけど無視されたの初めてなんだよ!」
柊羽はなかなかモテる。いや、相当モテる。僕が知ってる限りでは、10回以上は呼び出されている気がする。それほどこいつはモテるのだ。ただ、梨花は別のようだった。
「知らないよ⋯⋯まぁ、卒業式終わったら梨花に話しかけに行こう」
「そうする⋯⋯」
柊羽は駄々こねている子供のように僕から引っ付いて離れない。
「今度こそ遅れる。歩いていこう」
僕がそう促すと、柊羽も歩いていってくれた。
「うわ、なんかカオス。」
教室に入ると、みんな笑ったり泣いたりしていた。3年間しか無かったが、それなりの思い出はみんなあるのだろう。
「お前何かないのかよ、思い出。」
「思い出?」
僕が思い出せる範囲の思い出と言ったら、入学式に出れていないことくらいだと思う。正直これ以上思い出があるかと聞かれたらない気がする。
「まぁお前休みがちだったもんな!一番の思い出は俺だろ?」
柊羽が肩を組んで来て、僕はそれを素直に受け止める。
「はいはい、そうですそうです」
僕は適当にそう返事をすると、梨花の姿が目に入った。気がつけば僕は梨花を目で追っていた。
「なぁ、やっぱり好きなんだろ?」
「は?!」
僕は柊羽の言葉に大きな声を出してしまった。
「うるさい。違った?」
「えっ、違うし⋯⋯」
僕は曖昧ながらも首を横を横に振った。
「そうかぁー、そうなんだなぁー。」
柊羽はわざとらしく僕にそう言った。
「離せー!」
僕たちが騒いでいると、先生が教室に入ってくる。
「お前ら、席につけー。」
先生がそう言うと、みんな一斉に席についた。
「おはようみんな。今日は待ちに待った卒業式です。やっとこの学校ともお別れですよ。」
先生はそういった。僕は悲しくもなんともなかった。ただ、卒業式に出られることが嬉しくて。正直のところ、卒業式に参加するのは初めてだった。
「緊張してんの?」
「見ての通りだ。」
きっと僕はここの誰よりも緊張している。
「まぁ落ち着いて行こうぜ。足痛くなったら俺がおんぶしてやるよ。」
「ありがとう」
ニコッと笑いながら言う彼に、僕は恐怖を覚える。
「それじゃあ移動するぞ。出席番号順に並べー。」
先生の言葉で、みんなは廊下に並ぶ。僕もみんなと一緒に廊下に並ぶ。
「隼瀬、足の調子はどうだ?」
「うん。だいぶ良くなったよ。」
そういえば、膝が痛いことにしていたっけな。
「よかったな。今日の卒業式、頑張ろうな。」
「うん、頑張ろう。」
僕がそう言ったのと同時に、列が進み出した。それに着いて行く。本当に、今日は調子がいい。足取りもしっかりしているし、目眩もしない。途中、梨花と目が合う。何時ものように手を振ってくれて、僕も振り返した。
体育館前で待機をする。みんな、身だしなみを整えている。喋っては行けないので、ジェスチャーで会話している人もいた。僕も、ドキドキしている。初の卒業式。僕は緊張しながらも、ワクワクしていた。
「卒業生、入場」
体育館内でアナウンスが流れる。その言葉が流れた途端、みんなの顔に緊張が走った。一組から順番に入っていく。僕たちの組は三組だ。前の二組が入っていく。そして、三組。僕は練習なんて一切出ていない。でも、やらなきゃ行けないことはやって来ている。梨花から厳しい訓練を受けたのだ。ぎこちなさと、緊張をもちあわせて体育館に入場する。保護者の方が、カメラを構えている。僕はそんなこと気にせず、前を向く。隣の子が曲ったタイミングで僕も体の向きを変える。そして、席に向かって歩く。着席する。
「校長先生のお話」
アナウンスの後に校長先生が話し出す。
(あれ?)
突然、僕の体が不調を訴える。一部分が痛いとかそういう訳ではなくて、全身からだるくなって行く感覚。
(なんでこんな時に)
僕は後悔する。元々、卒業式なんて出られるような体じゃないのだ。
「卒業証書、授与!」
そうアナウンスが流れた途端、一組の前列が立ち上がった。
一人一人受け取っていく。正直、とてもじゃないけど立てる状況じゃない。僕は足の上で作っている拳を強く握りしめた。冷や汗が頬を伝う。
(もっと耐えてくれ、頼む⋯⋯!)
自分にそう言い聞かせる。そして、三組が立ち上がる。僕の列が立ち上がったら僕も立ち上がる。その時に倒れないか。卒業式という素晴らしい式を、僕のせいで壊したくない。目の前の列が動き出す。それと同時に、僕達の列は立ち上がった。僕も一緒に立ち上がる。途端、目の前がグラッと揺れた。僕は思わず足が縺れる。が、何とかバランスを取り直して歩く。舞台へ登る階段も、視界がぐわんぐわん回ると、所々引っかかってしまう。先生にも小声で声を掛けられたが、人生、最初で最期の卒業式。僕は最後までやり遂げたかった。だから僕は「平気です」と小声で返して舞台を降りた。舞台の上にいる間、僕の両親と梨花に目が合った。三人とも不安そうな顔をしていたが、僕はヘラッと笑って平気アピールをした。
その後はよく覚えていない。ただ、乗り切ることに必死で。体育館を出たあと、僕は倒れた。みんな混乱していたけど、梨花だけは「よく頑張ったね」と褒めてくれた。他のみんなには梨花からなんとか誤魔化してもらった。僕は保健室に運ばれたあと、いつもの病院へ行くことになった。
「卒業証書授与から具合悪かったでしょう?」
「うん、実はね⋯⋯でも結局受けれてからいっかって。」
「まぁ、そうだね⋯⋯隼瀬くん人生初の卒業式だもんね」
梨花は僕を責めるわけでもなく、いつもの笑顔で笑ってくれた。僕はそんな彼女の姿に申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいだった。
僕は病室の窓際に置いてある卒業証書に目を移す。
お互い無言の空気が流れる。僕はドキドキしていた。今、余命のことを言ってしまうか、それともまだ先にするか。しかし、言うなら今しかない。今しかないのに、僕の口は開かなかった。
「私、そろそろ帰るね。また来る。」
「あ、うん⋯⋯わかった。今日はありがとう」
僕がそう言うと、彼女は一礼して部屋を出て行った。彼女が個室を出た途端、僕は大きなため息をついた。言えなかった、言ってしまえば良かったのに。何故言えなかったんだ。僕の心の底から後悔がふつふつと湧いてくる。
「今じゃなくてもいいよね⋯⋯」
僕は自分にそう言い聞かせて布団を被った。