❀
自宅へ向かう途中桜が舞う道を静かに歩きながら、僕は先日先生から言われた言葉を思い出す。
『あなたはあと一年しか生きられません。』
十五歳にして、僕は死と直面した。正直、信じたくなかった。両親だけに話して、何も知らないままこの世を去れば僕は幸せだったかもしれないのに。
そんなことを考えていたらもう自宅に着いた。僕は玄関の扉に手をかけ開けようとするが、僕が力もこめずに玄関の扉は開いた。実際、扉を開けたのは僕ではなく姉だった。
「あ、隼瀬。おかえり。」
「ただいま。今からバイト?」
「そうだよ、急に変われって言われてさぁ。」
僕の姉、由利は面倒くさそうにそう言うと急いで家を出て行ってしまった。
「気をつけてね。」
僕がそういうと、由莉はこちらを向き親指を上げてニカッと笑った。その姿を見届け僕は玄関を閉めた。
「ただいま」
リビングへ続く扉をあけ、母親に帰宅を伝える。
「おかえり。学校、どうだった?」
「楽しかったよ。」
「そう、よかったわ。」
短い会話だったが、僕は気にせずリビングのソファに腰をかける。今は何も考えたくなかったから僕は寝ることにした。
「寝るの?もうすぐご飯よ。」
「早くない?」
僕は時計を見る。時刻は五時三十分を回ろうとしていた。いつもは、僕の家の夕飯時刻は大体七時だ。
「今日は検診の日だって言ってなかったっけ?」
「そうだっけ。」
ただでさえも気分が沈んでいるというのに、畳み掛けるように検査で僕は首を垂れた。
「今日は早く来てくれって。さっき電話が来たの。」
「そうなんだ。」
机に並べられた食卓も、今は美味しそうとは思えなかった。
「いただきます」
白米、味噌汁、ハンバーグを口にしても美味しいと感じられない。ただのゴムを食べているようで、ご飯が進まなかった。
「無理しなくていいのよ。」
僕の前でご飯を食べていた母が気を遣って声をかけてくれたが、作ってくれた人の前で残すのは気が引けたので「大丈夫だよ」と言ってなんとか平らげた。そして着替えるまもなく僕は病院へ向かった。
病院へ到着後、すぐに診察室へ案内された。
「こんばんは、隼瀬くん。」
「こんばんは。」
挨拶を交わしながら椅子に座る。
「学校終わりだったんだね、お疲れ様。学校はどうだったかい?」
母と全く同じ質問をされたので、僕は全く同じ答えをする。
「楽しかったです。」
「そう、よかったね。」
先生の目線がパソコンに映ったので、僕は診察室を見渡す。
「ごめんね、お母さんと話したいことがあるからちょっとの間外してもらってもいいかな?」
「はい。」
僕は言われるがまま病室を出て、待合室で待つ。何か深刻な話でもしているのだろうか。していたとしても、結局僕は死ぬんだ。もう何も怖くない。
「柳原さん、先生がお呼びですよ。」
「はい。」
話が終わったのか、看護師さんが僕のそばまで来て呼んでくれた。診察室に入ると、先生と僕の母が深刻そうな顔をしていた。
「隼瀬くん、落ち着いて聞いてね。隼瀬くんの病気が悪化していて、すぐに手術しないと突然死を来すんだ。意味がわかるかい?」
「まぁ、はい。わかります。」
「それでね、今すぐにでも入院して欲しいんだ。今日はもう遅いからいいんだけど、明日から行けるかな?」
「はい、大丈夫です。」
「ありがとう。それじゃあ今日はもういいよ。」
「ありがとうございました。」
母がそう言って頭を下げたので僕も乗って頭を下げた。すると、先生も「お大事に」と笑って言ってくれた。
「明日、朝から病院へ行くから準備しておいてね。」
「わかった。」
夜道を車で走りながら僕は答えた。またあの退屈な入院生活が始まるのかと思うと気分が沈んだ。着替えと漫画、スケッチブックだけ持って行こう。
自宅に着くと、僕は自室に行って入院用のバッグを取り出した。中身を全部取り出して先ほど考えていた道具を揃える。
「あとは着替えだけか。」
漫画とか携帯の充電器とかは全部入れたから、あとは一階から着替えを持ってくるだけ。着替えと言っても、私服ではなくパジャマだけれど。取りに行こうと立ち上がった瞬間、扉がノックされる。
「隼瀬。着替え持ってきたよ」
「ありがとう。」
「それと、もう遅いからカバンに詰めたらすぐ寝なさいね。」
「わかってるよ」
適当にそう返事をして扉を閉めた。別に、すぐ寝なくてもどうせ明日は学校じゃないんだし早起きする必要はないから夜更かしをしよう。僕は荷物の入ったカバンをベッドの横に置くと、ベッドに寝転んだ。スマホを取り出して、SNSを開く。下へスライドするたびに様々な情報が頭に入ってくる。なんだか情報が頭に入ってきすぎて疲れたし、もう寝てしまおうか。どうせ明日は暇なんだし、何をしてもいいから今日はもう寝ようと僕は携帯をしまって布団を被った。
「隼瀬ー?そろそろ起きなさーい?」
下から母の声がする。
「はぁい」
僕は眠い目を擦りながら布団から起き上がった。ベッドをおり、部屋を出る。
「おはよー隼瀬。」
「おはよ」
忙しそうにパンを食べている姉に、短く挨拶をする。
「隼瀬、学校は行かないの?」
「今日からまた入院なんだ。」
「そうなんだ。」
姉は声を沈めてそう言った。
「もう時間だ。隼瀬、お大事にね。」
「ありがとう。行ってらっしゃい。」
姉はそのままスクールバッグを持って家を出た。
「そろそろ行くわよ?」
「もう?ちょっと待って」
「早くしなさい。」
「わかった」
僕はご飯をかき込むと着替えを始めた。結局病院に着いたらパジャマに着替えるわけだし、僕は中にパジャマを着て上から上着を羽織った。
「そんな薄着で大丈夫?三月とはいえ、まだ寒いよ?」
「でも病院着いたら結局脱ぐんだし、別にいいよ。」
「そう?ならいいわ。風邪はひかないようにね。」
「はぁい」
僕はそう言いながら着替えて、二階にある入院用のバッグを取りに行った。
「うぁ⋯⋯ッ」
僕は階段で目眩がして盛大に転んだ。
「ちょっと、大丈夫?!」
盛大に転んだ僕を心配して、母が駆け寄ってきてくれた。
「大丈夫。足ぶっただけだから。」
「そう、びっくりさせないでよもう。気をつけてね。」
「うん、ごめんごめん。」
僕は立ち上がって再び二階へ向かった。先ほどの目眩はきっと、悪化した病気のせいだろう。思いたくもない嫌な気持ちが沸々と湧き上がってくる。いや、どうせ一年後死ぬのだからいつ死んだって同じか。
「取ってきた。いこ。」
「え、ちょっと。本当に大丈夫?」
僕の反応か、それとも僕が足を引きずって歩いていたからか。
「大丈夫。なんともないから。俺はもう行けるよ。」
「あらそう?じゃあもう行きましょうか。」
母はそういうと僕の持っている鞄を持ってくれて、車の中まで持っていってくれた。
「今回は個室しか空いてないって。個室でもいいでしょう?」
「うん。むしろ、個室の方がいいかも。」
「そう?よかったわ。付き添いで泊まり込み看病してあげようか?」
「はは、必要ないよ。」
心配症の母っぽくて、僕は吹き出した。僕だって四月で高校生なんだ。舐められちゃ困る。僕は内心そう思いながら母との会話を続けた。初めての入院ではないのに、なんだか緊張する。
「もうすぐ着くからね。」
「うん。」
僕は母の言葉でもう近くに病院があることに気がついた。僕の足元にある鞄の持ち手に腕を通した。
「いいわよ、お母さんが持っていってあげるから。」
「ありがとう。」
僕は通していた腕を取ると、窓に視線を移した。
「ほら、着いたわよ。」
ぼーっとしていたらもう着いていたようで、僕は車のドアに手をかける。車から降りると、僕の鞄を持った母が病院を見上げた。
「またここにお世話になるわね。」
「うん、そうだね。」
確かに、ずっとここにお世話になってる気がしている。
「行くわよ。」
「うん。」
僕は先を歩く母の背を追いかけて、横に並んで歩いた。
「おはよう、隼瀬くん。」
「おはようございます。今日からまたよろしくお願いします。」
僕はそう言いながら頭を下げた。
「また入院になっちゃったけど、今回は長くはないから大丈夫だよ。」
「そうですか。」
正直長くても短くても卒業式にも入学式にも間に合わないからどうでもいい。
「今の時期大事なのにごめんね。」
「いえ。大丈夫です。」
先生は申し訳なさそうに入院手続きをしていた。
「隼瀬くんが今回入院する部屋は二○八号室ね。隣は永谷梨花さんだから。年齢的にも近いし、仲良くできるんじゃないかな。」
「あ、はい。分かりました」
中のパジャマが見えていないか不安で、僕はとりあえず早く病室へ行きたかった。
「それじゃあこの紙を持って病室へ。細かいことは明日話すから、今日はゆっくりしていってね。」
「ありがとうございます」
一通り会話を終えると、僕と母は病室まで向かった。病室の前に着くと、僕は息を吐いた。さっき先生が言っていた永谷梨花。僕はその人物に聞き覚えがあった。僕が通っていた中学校の人気者だった気がする。でも喋ったこともないし、僕もそれほど興味はなかっで流すことにした。
「とりあえずお母さんは今日帰るね。何かあったら先生を頼るのよ。」
「分かった。今日はありがとう」
僕が礼を伝えると、母は笑ってくれた。そして直ぐに部屋を出ていってしまった。僕は上に羽織っていた上着を脱いでハンガーにかけ、すっかりパジャマ姿になった僕は上半身だけ起こしたベッドに座った。すると病室の扉がノックされた。
「失礼します、隼瀬くん。」
入ってきたのは、僕の病気が発覚してからずっとお世話になっている看護師さんだ。
「体調は、良さそうね。それじゃあ点滴入れてるから。よろしくね」
「分かりました。ありがとうございます」
僕がそう伝えると、看護師さんは出ていってしまった。僕は早速暇になってしまったので、鞄の中からスケッチブックを取り出した。何かネタになるものを探しに行こうと点滴と共に個室を出た。僕が入院しているのは四階で、四階には売店とお話が出来そうな椅子がいくつか置いてあるだけで、それ以外は病室だった。僕は椅子に腰をかけて辺りを見渡した。特に目に入ったものはなかったが、窓ガラス越しに見える木を描くことにした。木の間から覗く太陽も忘れず、影も忘れずに、細かいところまでしっかりと描いていく。僕は昔から絵を描くことはが好きで、よく友達からバカにされていた。でもサッカーをしようと誘われたらそっちに行くし、誘われなければ絵を描く。今回の絵だってそうだ。
(うーん、微妙かな)
題材にしたものが悪かったのか、それとも僕の腕が落ちたのか。どちらにしてもあまり良くなかったため考えるのは辞めることにした。そして顔を上げると、廊下を歩く永谷さんの姿。これはまずいと思って僕は逃げるように病室へ戻った。個室に着いてから一息ついて、またベッドへ寝転んだ。今度は上半身も起こさずに一直線に寝転んだ。まだ十二時前で、お昼ご飯すら運ばれてこない時間だ。今度は漫画を取り出して読もうとするが、どうしても永谷さんのことが気になって読むことに集中できなかった。逆にもう寝てしまおうか。それとも、もう一度絵を描こうか。それは却下。集中できないことをしようとしても無駄なだけだ。結局僕は携帯を取りだした。今の時間だと学校はまだ授業中だろうが、映し出されたスマホにはメールがいくつか入っていた。
『今日休みなのか?珍しいな。』
『風邪でも引いた?バカでも風邪って引くのね。』
『今日は風邪ですか?お大事にしてください。』
と、他にも二件入っていた。僕は特別学校が好きってわけではないが、毎日は行っている。
『大丈夫、膝の怪我が悪化したからしばらく休むよ。』
僕は訳のわからない言い訳をして、メールのアプリを閉じた。幼馴染がいるわけではなかったが、特別親しくしてもらっている親友ならいる。その人の名前は一ノ瀬柊羽。
出会いは僕が小学校五年生の頃の話。僕が一人で本を読んでいたときに、人気者の柊羽がこんな僕に話しかけてくれた。嬉しかったけど、当時の僕は冷たい対応をしてしまっていた。
『僕よりも、他のみんなと遊んだ方が楽しいよ。』
と。僕はその言葉を今でも忘れない。でも次の日、彼はまた話しかけてくれた。こうやって、僕は柊羽と仲良くなった。
『見舞い行くよ。家?』
『いいよ、お見舞いなんて。申し訳ないし。』
『なんだよ今更。何持ってきて欲しい?なんか欲しいものある?』
これはまずい。柊羽はくる気満々だ。
『多分、柊羽が来てくれるとき俺いないよ。多分だけど。』
『えぇ!じゃあ何時ならいい?』
本当に困った。そう、僕は自分の病気のことを柊羽に話していない。怖かったとか、悲しかったとかじゃない。ただ、同情されるのが嫌で。
『ごめん、本当に来なくていいから。気持ちだけ受け取っとく。ありがとう』
僕は半強制的にやり取りを終わらせると、携帯を閉じた。
「失礼します。お昼ご飯よ。」
「ありがとうございます。」
やっとお昼ご飯が届いたところで僕はため息をついた。待っていたご飯すらも美味しそうに感じられない。もし柊羽が家に来ていたらどうしよう。お母さんには僕の病気を柊羽に話したと嘘をついている。だから、色々困る。僕はそんなことを思いながらご飯を口に運んだ。でも結局のところ、二、三週間で退院はできるわけだから僕はそんなに重く考えていなかった。しかし、膝の怪我が悪化したから休むと言って、三週間も出てこなかったらさすがに心配するだろうか。僕的には先程のように心配だから見舞いに行く、がいちばん困る。確かに気持ちは嬉しいが、病気のことを何ひとつとして伝えていない僕にとっては苦痛でしかない。毎度なんて言い訳をしようか悩んでしまう。今回はもう病院に行くからの言い訳を使ってしまった。そんなことをぶつぶつ考えていると、昼食はもう無くなっていた。圧倒的僕が悪いけど、食べた気がしない。そして間もなくして看護師が入ってくる。
「お皿、下げますね」
優しい顔つきで入ってきた看護師さんの後ろに、永谷さんの姿があった。僕は早くドアを閉めてくれと思っていたが、永谷さんはこちらに気づくことなく通り過ぎたので僕はほっと心を撫で下ろして、看護師さんにお礼の言葉を告げてベッドへ横になった。僕自身、なんでここに永谷さんがいるかなんて分からない。どこか体の調子が悪いのか、誰かの見舞いに来たのか。彼女に興味もないが気になるので僕は看護師さんに聞こうと思った。とは言っても自ら聞きに行くのは少し面倒だったので、次看護師さんがきた時でいいか。僕はそう思って目を閉じた。
コンコン。
僕はノックの音と同時に目が覚めた。誰かがドアの向こうにいる。僕は覚醒しきっていない頭で理解して、ベッドから起きる。が、瞬く間に地面に伏していた。
「ッ?!」
僕自身も何が起きたかわからない。でも、激しい眩暈がしたのは分かっていた。
「だ、大丈夫ですか?入りますよ!」
ドアの向こうにいる誰かが慌てて中へ入ってくる。
(え、永谷さん⋯⋯?)
中に入ってきた人を薄目で見ながらも、僕の意識は遠のいていった。
「ん⋯⋯?」
目が覚めた。外は真っ暗だった。
「え、夜⋯⋯?」
僕は周りを見渡しながら目を擦った。
「あ、そういえば⋯⋯」
僕は意識がなくなる前のことを思い出す。確か、誰かが僕の部屋を訪ねてきて、僕はそれに出ようとしたら倒れたんだっけ。でも、助けてくれた人って⋯⋯
僕はそれを考えた瞬間、全身に鳥肌が立った。
「永谷さん、だよな?」
信じられなかった。永谷さんに、バレた。いや、そもそも永谷さんは僕のことを知っているのか?あんなに人気者だったのだから、きっと僕のことなんて知らないだろう。そう信じて僕はもう一度目を閉じた。
❀
また目を覚ますと今度は外が明るかった。夜が明けたのだ。僕は体を起こして当たりを見渡す。そういえば、腕に繋がっている点滴が増えた気がする。
「目を覚ましましたか?」
「えっ」
突然隣から声がする。僕は驚いて横を見ると、そこには永谷さんの姿が。
「おはようございます、柳原さん。」
「え、あ⋯⋯」
僕は驚きのあまり声が出なかった。
「す、すみません。人違いでしたか?」
永谷さんはそう言いながら立ち上がったので、僕は慌てて違うよ、と否定を入れた。
「ごめん、違うよ。俺は柳原だけど⋯⋯永谷さん、だよね?」
「良かった、私のこと知ってるのね。私だけかと思った。」
永谷さんは胸を撫で下ろすと、もう一度椅子に座り直した。
「え、えっと。なんでここに⋯⋯?」
僕は今まで謎だった疑問を、本人に直接聞いた。
「私、病気なの。でもそんなに大きくないから。もう治ってて、明後日退院なの。」
「あ、そうなんだ⋯⋯」
永谷さんはやはり病気で、ここに入院していたんだ。
「柳原くんは?」
「俺も、病気で。」
余命宣告を受けているなんて、そんな重い話は今できなかった。
「そうなんだ⋯⋯いつ退院できるの?」
「いつだろう、でもそんなに長くないって。」
「そっか。それじゃあ、退院したら一緒に学校へ行きましょう。」
「えっ?」
僕は情けない声を出した。
「ダメだったかな?」
「いや、ダメじゃないけど⋯⋯同じ高校だっけ?」
「そうよ。私、将来看護師になるの。だから、あの高校。」
「なるほど。」
会話が途切れてしまって、気まずくなる。
「あら」
僕が逃げ出す直前、お母さんが病室に入ってくる。
「何この子、可愛いわね。隼瀬、こんなに可愛い彼女いたの?」
「ええ?!違うよ、友達。」
僕は咄嗟に友達と言ってしまったが、永谷さん本人どう思っているか分からない。
「ああ、えっと、中学が同じな人。顔見知りってくらい」
僕は慌てて修正した。隣で戸惑う母と永谷さんの姿。
「友達じゃないの?」
母がそう聞いてくる。僕が友達と思っていても、永谷さんがどう思っているか分からない。だから安易に友達と言いきれない。
「そうですよ。友達です。ね、隼瀬くん。」
「えっ、あ、はい。そうです」
何故か母にも敬語でそう伝えた。何より嬉しかったのが、中学で一番可愛いと言われていた子が友達。喋ったことは無かったが、こんなにも優しい人とは思っていなかった。
「そうなの、やっぱり友達ね!名前はなんて言うのかしら?」
「永谷梨花です。」
「梨花ちゃんね。かわいい名前。じゃあ、隼瀬をよろしくね。隼瀬、お母さん今から由梨のバイトの送り迎えしなきゃ行けないから出ていくね。」
「うん、分かった。いってらっしゃい」
僕がそう言いながら手を振ると、母も振り返してくれる。
「優しい人ね、貴方のお母さん。」
「そう?怒ると鬼だよ」
「ふふ、面白いね、隼瀬くん」
永谷さんは口元に手を当てて笑った。正直僕は何処が面白いか分からなかったが、永谷さんが笑ってくれるならそれで良かった。
「あ、俺今から検査だ⋯⋯ごめん、永谷さん。助けてくれてありがとう」
「いいえ。偶然だから」
永谷さんはそう言うと椅子から立ち上がった。僕も一緒にベッドから立ち上がる。
「ッうわ」
が、目眩がしてベッドに逆戻り。
「大丈夫?」
「大丈夫、」
まだ目の前がグラグラする。
「診察室まで送るわ。車椅子、いる?」
「いや、大丈夫。歩いて行くから⋯⋯」
目の前がグラグラして気持ちが悪い。早く目眩が治って欲しい。
やっと収まってきた頃、永谷さんはこちらへ心配そうに覗き込んでいる。
「ごめん、大丈夫だから。ごめんね」
僕は二度謝罪をする。
「大丈夫よ。歩ける?」
「うん、大丈夫。」
僕はもう一度立ち上がる。今度は目眩がしなくて、歩けそうだ。点滴を手に取る。
「私が引くよ、点滴。」
永谷さんは僕の手から点滴を奪う。
「ありがとう。」
僕は素直に点滴を永谷さんに渡すと、歩くことに専念する。
「目眩はいつものことなの?」
「いつもの事、なのかなぁ。今日聞いてみるよ」
丁度今から検査なので、その時に聞こうと思った。
「そうなの。そうするといいわ」
永谷さんはそう言って笑った。
「ありがとう、ここまで来てくれて。じゃあ、」
僕は感謝をすると、診察室に入っていく。永谷さんも、笑って手を振ってくれた。
「失礼します」
そう言って入る。
「大丈夫かい?少し遅かったようだけど⋯⋯」
「すみません。あの、少し話したいことがあって」
「うん?いいよ?」
僕の主治医は目を見開いてそう言った。
「ありがとうごさまいます。あの、最近目眩がして。先程も目眩のせいで遅れてしまって⋯⋯」
入院する前も、目眩のせいで階段で転んだ。それもきっと関係ある。
「なるほど⋯⋯じゃあ、詳しい検査をしてみようか。」
「はい、お願いします。」
僕は頭を下げた。
「じゃあ、ここの部屋へ」
「はい」
先生に案内された部屋は、大きな機械があった。僕はこの機械で病気の進行具合を見ている。いつもやっているのに、毎度やる度に緊張する。
「緊張してる?」
先生は困ったように笑いながらそう尋ねる。
「はい、ちょっと」
それに対して僕も笑いながら答える。
「いつか慣れるよ」
「そうだといいんですけどね、」
僕は曖昧ながら答えた。正直、こんなに大きい機械を前に緊張しない方がおかしい。
「それじゃあこれを着て」
主治医は僕に服を渡すと、着替えるように言った。僕はその場で服を脱いで、渡された服に腕を通す。
「それじゃあここに寝転がって。」
先生は僕を誘導する。僕は先生が導くままベッドに寝転がる。先生が僕をベルトで固定すると、「動くよ」と先生が言ったのと同時にウィィンという音とともにベッドが動き出す。
「少し音鳴りまーす!」
先生が声を上げてそう言う。僕は返事をする術が無いのでそのまま聞き流す。
するとどこからがウィーンという音と共に機械が動き出す。
「終わりでーす。ゆっくり動かしますね」
先生はそう言うと機械を動かして寝転がっている僕を光のある元へ出す。
「お疲れ様。もう部屋に戻って大丈夫だよ」
「はい。ありがとうございました」
僕は頭を下げると、部屋から出る。
病室に向かっている途中、談話室の前に花が置かれていることに気がついた。あとで、スケッチブックを持ってここに来よう。僕はそう思って部屋へ向かった。
「あれ、まだ居てくれたんだね」
「うん、少し心配だったから。」
永谷さんは僕が戻るまでずっと待っていてくれた。とても時間がかかったはずなのに。
「今からなにかする予定、ある?」
「あー、うん。あるにはあるけど⋯⋯」
先程決めた予定も、永谷さんと居れるなら取消でも構わない。
「何をする予定だったの?」
「絵を描くことかな。談話室に、とても綺麗な花が飾られてたんだ。」
「隼瀬くん、絵描けるのね。素敵。」
「いや、描けるっていうか、趣味だから」
「じゃあ、そこに行きましょう。私は隣で隼瀬くんが描く絵を見ているわ。いいかな?」
「うん、いいよ。」
「そうと決まれば行きましょう」
永谷さんは僕の手を引く。
「今日はすいてるから、お隣失礼するね」
「うん。分かった」
談話室に着くなり、永谷さんは僕の隣に座った。早速僕は鉛筆を取り出して先程題材にしようとしていた花を見る。花はチューリップだった。ただのチューリップかもしれないが、今の僕にとってはとても綺麗に見えた。
「あれ、描いてるんだね。チューリップかぁ」
僕の集中を途切れさせないためか、永谷さんは僕に話しかけず独り言のように呟いた。永谷さんの心遣いを受け取って、返事はせず黙々と描き続けた。無駄な線は消して、必要な線だけ残す。鉛筆を寝かせて影を描く。
「うん、出来た。」
僕は満足気にそう言うと、永谷さんは興味津々と言ったところで「見たい」と言ってきた。
「いいよ。上手じゃないけど」
僕はそう言ってスケッチブックを永谷さんに渡す。
「すごい、これ、本当に鉛筆?」
「うん、一応。」
僕は色鉛筆を使うのが苦手で、いつも鉛筆で済ませてしまう。
「鉛筆ってすごい⋯⋯ねぇ隼瀬くん。また今度描いて?絵。私が題材持ってくるから」
「うん、いいよ。」
また、という言葉が聞けて僕は嬉しい。
「じゃあ、部屋まで送るよ」
僕はそう言って立ち上がった。
「ありがとう」
永谷さんもそう言いながら立ち上がって、二人で歩いて行った。送ると言っても隣の部屋なので、正直送った気にはならない。
「それじゃあ、おやすみなさい。」
「うん、おやすみ。」
僕達はドアを半開きにさせながらそう言った。中に入って、ドアを閉めるタイミングも同じだったと思う。僕は嬉しくなって、点滴の持ち手を強く握りしめた。ベッドに横になってからまもなく、夕飯が送られてきた。
「ありがとうございます」
僕はお礼を言って箸を手に持った。今回の夜ご飯は、とても美味しそうに見えた。