「お待たせ致しました。ハイティーセットになります」
「わあ……!」

 わたしの選んだサンドイッチに、スコーンに、ケーキ。それらが綺麗に並んだケーキスタンドは、世界一の宝箱のよう。
 カップにきっちり蒸らした紅茶を注げば、華やぐ香りを纏い、テーブルの上はあっという間にわたしだけの特別な空間になった。

「あ、ありがとうございます……すごい……!」
「ふふ。素敵なティータイムをごゆっくりお楽しみくださいね」

 店員さんは軽く会釈すると、そのままお店の奥へと行ってしまった。
 一人残されたわたしは、念願のティーセットを前に思わず息を飲む。目の前の宝物を、食べて崩してしまうのがもったいない。
 けれどそんな気持ちとは裏腹に、わたしの手は待ちきれないとばかりに皿へと伸びた。

「……いただきます」

 塩を一振りしたサンドイッチの塩味は疲れた身体に染み渡るし、たまごはふわふわで仄かに甘く柔らかい。
 まだ温かいスコーンは半分に切られていて食べやすく、ひとくち頬張るごとにジャムとクロテッドクリームを交互につけて食べた。
 紅茶は淹れたての熱さを緩和するように、ミルクをたっぷり入れてかき混ぜる。ストレートでもミルクティーでも楽しめるフレーバーにした。

「おいしい……」

 食べ進める途中で、ふと六花ちゃんのように写真に残せばよかったと思い出すけれど、気付いた時にはほとんど食べ終えていたし、見るとスマホの充電も切れてしまっていた。

「……」

 真っ黒な画面に反射して映る自分の顔は、今まで見たこともないくらい満ち足りている。
 死活問題だと思っていたスマホの充電。時間がわからないことへの焦りも、会社から連絡があっては困るという危機意識も、帰り道への不安も、すぐに思考の外へと追いやる。

 今はこんなにも素敵なティータイムを、何者にも邪魔されたくなかった。

「食べちゃうのが、もったいない……」

 最後に残ったケーキを食べ終えれば、この夢の時間が終わってしまう。そんな寂しさを感じながら、わたしはポットからすっかり濃くなった紅茶のおかわりを注ぐ。

 時間の経過によって色が深まったお茶は、少し渋みを伴う。空から落ちてきた星屑みたいな煌めきの砂糖を入れてくるくるとかき混ぜては、カーテンの隙間から覗く夜明けの近い空を見上げて、一息吐いた。

「お客様」
「は、はいっ!?」

 ぼんやりとしている最中不意に声がして、思わずびくりと肩が跳ねる。視線を上げると、店の奥から店員さんがひょっこりと顔を覗かせ、そのままスカートを揺らしながらこちらに近づいてきた。
 その手には、可愛らしい小さな包みが乗せられている。そして透明な袋の中には、クッキーが数枚詰め込まれているようだった。

「あの、これ。せっかく焼いたんですけど……とーっても美味しく焼けたんですけど! 今夜は他にお客様もいらっしゃいませんし……良ければ、こちらお持ちになってください」
「……クッキー、ですか? え、でも……」
「おいしいクッキーがあれば、お家に帰ってからも素敵なティータイムが過ごせるでしょう?」
「……!」

 他にお客が居ないからと破棄するなら、どう考えてもケーキの方が日持ちしないしその対象だろう。それなのに、敢えて持ち帰りやすくいつでも食べられるクッキーを包んでくれたのは、終わりを惜しむわたしへの気遣いに他ならない。
 店員さんの優しさに、じんわりと心があたたまる。

「ありがとうございます……あの、良ければクッキーも、クッキーに合う茶葉も、買わせてください……」
「えっ、いえいえ! そんなつもりじゃ……!」
「わたしが、欲しいんです」

 小さく首を振り、申し出る。遠慮や申し訳なさから来るものではない、わたしの本心だった。

「……でも、やっぱり紅茶は種類がたくさんあってイメージし辛いから……選ぶの、手伝ってくれますか?」
「……! はい、喜んで!」

 少しずつ味わいながらケーキを食べて、すっかり冷めた紅茶を飲んで、メニューの文字を追いながら紅茶談議をする時間。楽しそうな店員さんの笑顔を見て、わたしもつられて微笑む。

 そうしてあっという間に、夜は終わりを迎えていた。

「あの、たくさんありがとうございました……すっごく美味しくて、幸せな時間でした」
「それは良かったです! お家でも、紅茶とクッキー楽しんでくださいね」
「はい……いろいろ落ち着いたら、また食べに来ます。絶対に」
「ふふっ、ありがとうございます。またのお越しをお待ちしてますね」

 お店を出ると、世界はすっかり朝に染まっていた。
 早朝の少し冷える澄んだ空気は心地好く、薄水色の空は眩しくて、こんな風に空を見るのはいつぶりだろうと考える。そして、いつも俯いてばかりいたのだと気付いた。

「……よし、帰ろう」

 スマホの充電は切れていて、ポケットの中。普段なら怖いだけの見知らぬ町の景色は、今は朝日に照らされ新鮮に映る。
 わたしはクッキーと茶葉の入った紙袋を抱えて、新しい朝の中をのんびりと歩く。

 すっかり履き潰した古びた靴は、まるで硝子の靴のように背筋を伸ばさせて、夜通し起きていて疲れているはずの身体も、今にも踊り出したくなるくらいに不思議と軽くなった気がした。


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