「アフタヌーンティー?」
「そうそう、ヌン活って流行ってるじゃん。この間彼氏と行ったんだけどさ、その店めちゃくちゃ良くて。灰音も今度行かない?」
「あー……アフタヌーンティーって、確かやってるの昼過ぎから夕方くらいだよね? わたし、その時間帯仕事で……」
「そこは休みの日とかにさ?」
「それが……今月ほとんど休みなくて」
「えっ、なにそれブラックじゃん!」
「本当にごめん。来月のシフト出たらまた連絡するね」

 学生時代からの数少ない友人、六花ちゃん。彼女との通話を終えて、改めてメッセージアプリでごめんねスタンプを送信して、一旦アプリを閉じて溜め息を吐く。

 わたしの数少ない休みの日は、実際病院やら買い出しやら、必要な用事を詰め込みすぎてほとんど埋まっていた。そして空きのある日くらいは、家から一歩も出ずに休みたい。

 誰かと遊ぶのが嫌いなわけじゃない。行ってしまえば楽しいとも思う。けれど『約束がある』と思うだけで、その日までじわじわと何かプレッシャーに似たものを感じるし、出掛ける前のあらゆる不安感は拭えない。

 わたしは人と会うだけで、エネルギーが消耗してしまうタイプだった。
 それがたとえ一人の外出だとしても、起きて着替えて支度をする時点で、服選びや持ち物選び、移動手段の時間やルート確認なんかで、かなりの気力を要するのだ。出来る限り部屋から出たくない、典型的なインドア派だ。

 わたしとは逆に、誰かと居ることで回復する人間が居ることは知っている。誘われれば何も考えず、一時間もせずに身支度ひとつですんなり家を出られる人が居ることも知っている。

 しょっちゅう美味しそうなご飯や新しいお店の写真をSNSに投稿して、友達も多く彼氏も途切れない六花ちゃんは、恐らくそのタイプだ。

 彼女とは対照的な、地味で友達も少ないこんな内向的な人間であるわたしに、今でもこうしてお誘いをしてくれる六花ちゃんの存在はありがたい。けれどその根本的な違いから、何と無く噛み合わないことも増えていた。

 六花ちゃんのことは大事な友達だと思っているし、誘い自体は素直に嬉しい。だから休みたいなんて怠惰な理由を告げずやんわり断わりたくても、嫌われたくないし物凄く言い回しに悩む。
 誘われてすぐ予定を決めて行けないのは完全にわたしの身勝手な理由だから、答えを先延ばしにするのすら申し訳なく思っている。

 それでも社会人になってからは尚更、自由な時間が限られているからこそ、疲れを回復させることを優先させたかった。

 こんな風に、自分に対してすらつらつらと言い訳を並び立てる自分が、心底嫌になる。わたしの頭の中は、常にぐるぐると忙しい。こんなだから疲れが抜けないのだろう。

「アフタヌーンティー……かぁ」

 明日も仕事だ。けれど布団に入っても中々寝付けずに、寝際に手元のスマホで何気なく検索する。六花ちゃんが話していたお店は、行ったことのない町で、少し遠い。そしてやはり、アフタヌーンティーの提供時間帯が限られていた。

「紅茶もケーキも、好きなんだけどな……」

 他にもいくつか検索して、その見るからに特別な空間の写真にうっとりとする。映えるケーキスタンド、お洒落なティーセット、雰囲気のいいお店、美味しそうなケーキにスコーン。どれもとても魅力的だ。

 けれど貴重な回復時間を割いて足を運ぶのはやっぱり躊躇われたし、遠回しに断る空気を纏わせておいて改めて人を誘うにも勇気がいる。かといって、近場を探して一人で食べに行こうという気にもなれなかった。我ながら何とも難儀な性格だ。

 こんなお洒落なお店はきっと場違いで、足を踏み入れたとして、肩肘はって疲れてしまう。テレビの向こうの別世界のような、わたしには縁遠い場所。ケーキやお茶なら、コンビニでだって買える。

 そんな言い訳を重ねて、ほんの僅かに浮かんだ憧れに蓋をして、わたしは数時間後の仕事のために、溜め息混じりに目を閉じた。


*******


 それから数日の激務をこなして、疲労困憊の身体を引き摺りながら、わたしは帰りの電車に乗り込む。
 もうこんな時間だ、電車は既に空いていた。適当な場所に腰を下ろすと、明日はやっと休みだとつい気が抜けてしまう。

 そのまま寝落ちてしまわないようスマホを弄りながら、ふとSNSのオススメに先日話していた六花ちゃんのアフタヌーンティーの写真が流れてきた。

「……いいな」

 保留にして遠回しに断わろうとしたにも関わらず羨ましく感じてしまう自分に、思わず苦笑がもれる。
 写真の中のイチゴタルトは艶やかで、瑞々しくて甘酸っぱそう。立ち込める紅茶の湯気も、きっといい香りがするのだろう。
 あの夜閉じ込めた憧れが、疲れて緩んだ心の中に再び蔓延る。

「……」

 距離的にも時間的にも、仕事帰りに立ち寄れるような場所があれば。気圧されたりすることなく、一人でも気軽に行ける場所があれば。

 そんな理想のアフタヌーンティーを想像しながら、わたしは心地好い振動の電車に揺られた。

「……あ、れ? えっ、うそ、どうしよう……!」

 そして気が付くと、わたしは眠ってしまっていたらしい。慌てて飛び起きて、降りた先の見知らぬ駅で途方に暮れる。

 今から帰りの電車はない。タクシーを使えば帰れるものの、それなら近くの店や宿で時間を潰して始発で帰った方が、きっと安くつく。
 あれこれ考えた末、深々と溜め息を吐いて、わたしはひとまず改札を出た。

 とりあえず、どこかでスマホの充電がしたい。それから、朝までの数時間を過ごせる場所を探さなくては。

「最悪……今日は帰ってすぐ寝ようと思ったのに」

 やっぱり、不相応な夢なんて見るものじゃなかった。憧れを描くのが楽しくて、なんて、まるで子供みたいだ。
 そんな後悔を抱え街灯の少ない道を歩き、じわりと滲む涙を拭いながら、どこかに開いている店はないかと辺りを見渡す。

 すると、暗い道の先で一軒明かりがついているのが見えた。
 もう時計の針はてっぺん近い。こんな時間に開いているなんて、居酒屋か何かだろうか。普段ならそんな賑やかな場所は苦手だったが、緊急事態だ、背に腹は代えられなかった。
 安いメニューを店の人に嫌な顔をされない程度に頼んで、時間を潰そう。スマホの充電をさせて貰えれば御の字だ。

「……何ここ?」

 しかし店の前に辿り着くと、居酒屋とは異なる雰囲気に困惑する。暖簾ではなく重厚なカーテンに遮られよく見えない薄暗い店内、その隙間からほんのり覗くのは、積み重ねられた紅茶の缶に見えた。

 居酒屋でもバーでもなさそうなその店に一瞬躊躇うけれど、扉にかけられた『Open』の文字と、店の看板に掲げられた綺麗な硝子の靴のイラスト。そして窓が開いているのか、どこからか仄かに漂う甘い香りに誘われるように、わたしはそっと扉を開けた。