雨が強く地面を叩き付けている……。
 斎園寺家から連れ去られた花は道中に母の怨念に引き寄せられた異形と遭遇していた。
 それらは狼、鬼などといった恐ろしい姿をしており花と母親の透緒子を取り囲んでいる。
 そのため逃げ場はなくジリジリと迫ってくる異形に後ずさりするしかなかった。
 「何なのよ!!あと少しでこいつを殺せたのに!」
 透緒子がギロリとこちらを睨む。
 やはり美藤家の屋敷牢に自分を入れて殺そうとしていたのだと分かり花は背筋が凍った。
 その間にも異形は二人に距離を詰めてくる。
 異形に襲われた者は深い眠りにつき悪夢を見続け、浄化の力を所有する異能者に助けてもらわない限り目覚めることはない。
 おそらくこの騒ぎはすぐに異能軍や帝、燈夜の耳に届くだろう。
 しかし彼らがここに駆けつける前に異形に襲われるのが先だというのが見て分かる。
 恐怖で足が動かなくなっていると突如、異形が透緒子に視線を向けた。
 「ひぃ!な、何よ!」
 完全に異形は標的を透緒子に移し、狩りの体勢に入っている。
 狙われた透緒子は周囲を見渡すと取り囲む異形達の僅かな隙間を見つけ一目散に駆けて行く。
 当然のように花を見捨てて。
 しかし異形達は逃がすまいと素早い速さで透緒子に襲いかかる。
 「お母様!」
 自分を『異端の子』と虐げていた透緒子も花にとっては実の母親。
 非道な言動をされてきたはずなのに助けようと体が勝手に動いて腕を伸ばす。
 しかしそれも虚しく異形は透緒子を飲み込んでいく。
 「嫌ぁぁー!!」
 透緒子の叫び声が辺りに響き異形に意識を奪われ力無く倒れた。
 異形に襲われた者は悪夢を見続ける。
 しかしそれが三日続くと魂を削られやがて命を落とすと言われている。
 倒れた透緒子の姿はまだ心臓が動いているはずなのにその姿はまるで死んでいるようで花は急いで駆け寄る。
 「お母様!大丈夫ですか!?」
 体を揺するが触れた手は氷のように冷たい。
 どこか安全な場所に運ぼうとするが自分よりも大きい体に加えて身に纏っている着物に雨が吸い込みさらに重くなってびくともしない。
 (異形は人間の悲しみや恨みに吸い寄せられるって聞いたことがある……。もしかしてここに現れているのは私のせい……?)
 透緒子は自分に対してずっと憎しみ続けてきたのだろう。
 由緒ある異能家系の子なのに無能で他の人とは違う髪色をしている花が透緒子にとって汚点だったのだ。
 その怨念が異形を寄せ付けるほど膨れ上がったとしか考えられない。
 もし自分があの日、大人しく未都に簪を渡していればきっとこれほどまでにならなかったかもしれないと後悔が押し寄せてくる。
 苦戦している間にも透緒子の意識を奪った異形は花にも迫ってくる。
 花の中に生まれた不の感情に異形が反応したのだ。
 呻き声を発しながらこちらへ飛びかかってきた。
 (もう駄目……)
 花は逃げることが出来ず襲われる覚悟で瞳をぎゅっと閉じる。
 その時、すぐ近くで空気が切り裂くような音が聞こえた。
 異形が襲ってくる気配も感じられずおそるおそる瞳を開けるとそこには軍服を身に纏った婚約者が立っていた。
 「燈夜様……!」
 燈夜は刀を手にしており自分に襲いかかる異形を倒したのだとすぐに理解した。
 「花!大丈夫か……!?」
 刀を鞘にしまうと燈夜は花に駆け寄り肩を掴む。
 少し痛いくらいだったがそれだけ自分を心配してくれたのだということが伝わった。
 突然連れ去られずっと恐怖で支配されていた。
 その事実を知ったらきっと燈夜はすぐに助けに来てくれると思ったがもしかしたらその前に殺されてしまい愛する人に会えないかもしれないと半分諦めていた。
 しかし信じていた僅かな希望が叶い、安堵で体から力が抜けるのが分かった。
 やはり死ぬのは怖い。
 燈夜の隣にいたいと望んだのだ。
 その為にも強くなりたいと花は思う。
 花は小さく頷くと隣で倒れている母に視線を向ける。
 「私は大丈夫です。でもお母様が……」
 非道な言動をされても血の繋がる親子だということに変わりはなくこのまま放っておくわけにはいかなかった。
 悲しそうに眉を下げる花を見て花以外の美藤家の人間対して嫌悪感を抱いていた燈夜も彼女の気持ちを察したようだった。
 「しばらくすれば浄化の異能を持つ者がこちらへ来る。それまではあちらに寝かせておこう」
 燈夜の視線を追いかけるとすぐ近くに異形がいない路地裏があった。
 燈夜は透緒子を抱き上げるとそちらへ運ぶ。
 屋根があるおかげで降る雨も遮られているのでここに寝かせておけば透緒子の体へ障らないだろう。
 「兄さん!」
 運び終わると燈夜の弟で異能軍に所属している道人がこちらへ走ってきた。
 辺りを見ると他の軍人達も到着し自らの異能や刀を使い異形と対峙していた。
 「道人、花を頼む。花はここにいなさい」 
 「でも……!」
 最強の異能を所有する燈夜だが帝都に発生している異形の数が多すぎて怪我や死の言葉が頭を過り花は彼の身を案じる。
 他の軍人でさえも異形に押されて負傷している姿が目に入る。
 燈夜は軍服の袖を掴み震えている花を見て安心させるように頭を撫でた。
 「必ず花の元に帰るから」
 顔を上げると燈夜は優しく微笑んでおり花はそれ以上何も言えなかった。
 きっと彼なら大丈夫と信じて待つしかない。
 「はい……。ご武運を」
 燈夜は頷くと踵を返し街中へ駆けて行った。
 信じるとは思ったもののまだ花の中に不安が残っていてその感情に反応した異形が燈夜が離れてすぐ襲いかかる。
 「はぁっ!」
 道人は異能を行使し花を守ってくれた。
 道人の異能は結界。
 結界はある程度の攻撃は防げるらしい。
 防がれた異形は諦めず何度も突進してこちらへ向かってこようとするが他の軍人が隙を狙って背後から斬りつけてやがて霧散していった。
 「道人様、ありがとうございます」
 「これくらい大丈夫ですよ!」
 太陽のような笑顔を向けられ強張った体も少しだけ和らぐ。
 燈夜とはまた違う安心感がありそれが多くの人の救いになってきたのだろうと思った。
 道人は表情を引き締めると言葉を続けた。
 「こんな状況になってしまって不安になる気持ちも分かります。でも僕達も異形から人々を守るために厳しい鍛錬を積んできました。だから気をしっかりもってください」
 不の感情が生まれそうになったらそれを無理矢理でも打ち消そうとすればそれは抑えられ異形は襲ってこないのだと教えてくれた。
 花は頷くと戦場となった街を見る。
 異能軍のおかげで最初よりかなり異形の数は減った。
 浄化の異能者も到着したようで眠りについた人々が目覚めている。
 しかしやはり異形と戦い、負傷した軍人も多く血を流しぐったりと倒れていたり壁にもたれたりしている光景も目に入る。
 ここまでの異形を生ませる原因をつくってしまったのは自分のせい。
 何か出来ることはないかと考えを巡らせていると微かに泣き声が聞こえた。
 「お母さんどこ……」
 母親とはぐれてしまったのか一人の幼い女の子が道端で泣いていた。
 雨に打たれ寒さからか体が小刻みに震えている。
 花は考えるより先にその子の元へ行こうと走り出す。
 「は、花さん!?」
 道人は花の突然の行動に目を見開き慌てて後を追った。
 異形が溢れた帝都に親と離れ一人でいるのはどれだけ心細いか。
 自分を愛してくれている人がいる今だからこそ分かる。
 もし同じ年齢、立場だったらきっと泣いているだろう。
 しかも異形など何も分からない子供。
 寄り添って守ってあげたいとその子の元へよろけながら足を動かす。
 「大丈夫……」
 あと少しで触れられるところで巨大な異形が女の子に襲いかかろうとしていた。
 その異形だけ他と違うと瞬時に分かった。
 まさに化け物と言うに相応しいほどで目はギョロッとしており体は爛れている。
 鋭い牙と爪が当たれば一溜まりもないだろう。
 女の子はその異形に気づくが恐ろしさからか声が出ずその場に立ち尽くした。
 花は一瞬怯んだが腕を伸ばし女の子を抱きしめる。
 後を追ってきた道人は自身の前に複数の異形が立ちはだかり花の元へ行けない状況だった。
 「くっ!花さん逃げて!」
 道人は大声を張り上げるがその思いも虚しく巨大な異形が二人に飛びかかる。
 (この子だけは助けたい……!)
 燈夜と出会い運命が変わった。
 美藤家にいた頃は消えたい、死んでしまいたいと願ったがこれから先は大好きな人と明るい未来を見ていたいと思う。
 そう願った瞬間、体から眩い光が溢れた。
 光は辺り一帯を照らし戦っていた人々が何事かと戸惑っている。
 「これは……?」
 冷たい体だったはずなのに包まれる光から不思議と温かさを感じる。
 襲いかかろうとしていた巨大な異形も何故かピタリと動きを止めていた。
 「花……!?」
 燈夜はすぐに光は花から放たれていることに気がつき駆け寄ろうとするが異形達がそれを阻む。
 それに花も気がつき異形の数が多すぎて燈夜でも苦戦してしまうだろうとすぐに分かった。
 「駄目……!」
 すると燈夜に襲いかかろうとしていた異形達は急に動きを止めた。
 まるで花の指示を素直に受け入れたように。
 燈夜も初めての現象に戸惑っていたがすぐに切り替え所有する異能の一つ、雷を刀に込め強く握り直して斬りつける。
 「くっ……」
 花の近くにいた軍人達が苦しそうな声をあげており異形との戦いにかなり疲弊していて息も絶え絶えだった。
 (何か力になれたら……)
 すると花から溢れていた光が軍人達の元へ届き彼らを包み込んだ。
 「な、何だ……!?」
 「急に力が出てきたぞ!」
 「今だ!叩き込め!」
 燈夜の指示で軍人達は一斉に異形に向かって飛び出す。
 (良かっ……)
 安堵した瞬間、突然視界が歪み体がふらつく。
 女の子を安全な場所まで連れて行きたいのに力が入らず立ち上がれない。
 花は倒れ込み雨で濡れた地面から冷たさを感じた。
 「お姉ちゃん……?」
 「花!」
 薄れゆく意識の中、女の子と燈夜の声が耳に届く。
 せめて燈夜に女の子のことを任せたいのに声も出ない。
 次第に目の前が暗闇に包まれ花の意識はそこで途絶えた。