「良い感じに煮えていますね」
「はい、美味しそうです」
花と千代子は鍋の中にある出汁がよく染み込んだ煮物を覗き込んでいる。
台所には他にも香ばしい香りを放つ焼き魚や白く輝く炊きたての白米がある。
それは花と燈夜の二人分にしてはとても多かった。
「道人様はよく食べられますからこれくらい用意しておけば大丈夫かと」
そう、今夜は斎園寺家の屋敷に燈夜の弟である道人が訪ねてくる予定だ。
通いの使用人の千代子と共に夕食をとるということもあり、普段よりも多い量の料理を作っている。
花の手料理は味見で千代子は時々口にしているが道人が食べるのは初めてで少し緊張している。
「花様の料理はとても美味しいですから道人様もきっと喜んでくださりますわ」
それが表情にも出ていたのか千代子は安心させるように微笑む。
千代子の笑み、言葉には大丈夫だと思わせてくれる不思議な力がある。
「千代子さん……。ありがとうございます」
お礼を言うとふと窓から差し込む夕日が色強くなったことに気がつく。
「私、そろそろ洗濯物を取り込んできますね」
「ありがとうございます。ではそちらはお任せしてこちらの準備は私が進めておきます」
花は頷くと、足早に玄関に向かい草履に履き替えて外へ出た。
「よし、これで終わり」
洗濯物を竿から取り込み終え、籠を縁側に置くと何やら敷地の外から声が聞こえる。
「だから来るな!」
まるで誰かに怒っているような男性の声に花はビクリと身体を震わせる。
屋敷周辺に他の建物はない。
そのため普段から人気もなく静かな場所なのに物々しい雰囲気を感じる。
(まさかお母様達……?)
頭の中に美藤家の人間達が過る。
まさか罰を下されても尚、自分を捕らえようとしているのか。
(で、でも『来るな』ということは誰かこちらへ来るのを止めようとしているのかしら?)
念の為、千代子を呼んできた方が良いかと思ったが声の主が事件に巻き込まれたら大変だと判断し門まで駆け寄る。
門からそっと顔を覗かせるとそこには見覚えのある人物がいた。
「道人様……!」
道の真ん中で道人が一人の男性と立っていた。
花の声に二人の視線が一気にこちらへ向く。
「は、花さん!屋敷に戻るんだ!」
「え?」
道人の焦った表情に戸惑い、すぐには足が動かなかった。
すると道人の隣に立っていた見知らぬ男性が花に向かって駆け出す。
「おい!」
道人が制止しようとした手も虚しく宙をつかむ。
気づけば男性は目の前に立っており、花の白く小さな手を包み込むように握っていた。
(え……!?)
急に初対面の男性に手を握られ身体が硬直してしまうが、そんなことはお構いなしのように言葉を続ける。
「初めまして。俺、燈夜の幼なじみの津郷遙です」
「燈夜様の……!初めまして、花と申しますっ」
まさか燈夜の幼なじみとは思わず慌てて自己紹介をし、頭を下げる。
顔を上げると遙の色香漂う瞳が花を見つめた。
まるで心を覗き込まれるようで咄嗟に視線を逸らし握られている手を解こうとする。
(あれ……?)
燈夜の幼なじみに失礼がないように、そして婚約者の身として勘違いや誤解が生まれぬよう、包んでいる遙の手を少し強く動かそうとするが全く動かない。
「おい!花さんに触れるな!」
困惑していると道人が花から遙を引き剥がそうとする。
しかし体格差もあるせいかこちらもびくともしない。
「俺は挨拶をしてるだけだよ~」
「絶対下心あるだろう!」
遙の近すぎる距離と普段穏やかな道人の感情を露わにしている姿を見て困惑していると視線の先から一台の自動車がこちらへ走ってくるのが見えた。
(あの自動車は……)
自動車が花達から少し離れて止まると車内から屯所から帰宅した燈夜が降りてきた。
(手を早く解かないと!)
燈夜にこんなところを見られて誤解を招いてしまったらと焦り、めいいっぱい振り解こうとするが花のか弱い力では無理だった。
ふと頬に突き刺さるような冷たい風を感じる。
今は夏真っ盛り。
この季節ではあり得ない現象に混乱する花。
まるで辺り一帯が氷点下になったよう。
「これはまずいかも」
遙が苦笑いを浮かべ燈夜をちらりと見る。
花もそれに倣うと冷たい風を感じる理由がすぐに分かった。
それは燈夜が氷雪の異能を行使しているから。
氷の粒子が彼の周囲を漂っており少しずつ風の勢いは増していく。
燈夜は自動車の前に立ったまま遙に向かって手をかざす。
手のひらから、一粒の雹《ひょう》を出すととてつもない速さでそれを放った。
「おっと」
遙は花の手を握ったままその場にしゃがみ込む。
間一髪のところで避けた雹は外壁に衝突し砕け散った。
外壁にはヒビが入りその威力の強さに花は呆然としてしまう。
「兄さんがあんなに怒っているの初めて見た……」
燈夜を慕っている道人でさえも殺気立っている彼を見て顔を青ざめさせ、怯えている。
「貴様……」
足早にこちらへ向かってくる燈夜は掌にもう一粒、雹を出している。
「……わかったよ。花ちゃん、困らせてごめんね」
遙は小さな笑みを浮かべながらそっと握っていた手を離した。
諦めた遙を見て燈夜は生み出していた雹を消した。
「花、大丈夫か」
先ほどまで遙が握っていた手を次は燈夜が上書きをするように優しく包み込んだ。
いつものしなやかでかつ男らしさも感じる手に安堵する。
「はい、私は大丈夫です。……お帰りなさいませ、燈夜様」
「ああ。ただいま」
甘く、優美な微笑みを花に向ける。
数秒見つめ合うと燈夜はすぐ近くに立っている遙をギロリと睨む。
花に向けるものとは真逆の冷酷な瞳。
それほど愛してやまない婚約者を誑かそうとしていたのが許せないようだ。
「どうしてここにいる」
「帝都で道人君と会ってね。そうしたら読心術で燈夜の屋敷で食事会があることが分かって。花ちゃん達が作る料理が楽しみだって道人君の声が聞こえたからついてきちゃった」
にっこりと余裕のある笑顔はまるで自分のした行動を悪そびれていないようだった。
「ごめん、兄さん……」
一方、道人は眉を下げ申し訳なさそうに謝っている。
「いや道人のせいではない。悪いのはこの阿呆だ」
「だって燈夜、全然花ちゃんに会わせてくれないだろ」
二人が言い合っているのをただ傍観することしかできない花と道人。
腕を組み、怒りを露わにしている燈夜に負けじと遙も反論している。
仲裁に入ったら余計にややこしくなりそうでどうしたものかと考えあぐねていると……。
「花様、こちらにいらっしゃったのですね」
玄関から千代子が出てきたところで険悪な空気が一旦無くなる。
「すみません、千代子さん。すぐに戻らなくて」
「良いのですよ。あら、皆様お揃いだったのですね」
屯所から帰宅した燈夜の他に食事会に招待していた道人、そして遙もおり普段にはあまりない賑わいに目を丸くしている。
「まあ、津郷様。お久しぶりでございます」
「千代子さん、久しぶり~」
燈夜に対する挑発的な態度から一変、千代子に満面の笑みを向ける。
彼の変わりように燈夜と道人はため息をつく。
そんな二人に千代子は気づかずそうだと何か思いついたように両の掌をパンと合わせる。
「もし津郷様がよろしければご一緒にお夕飯はいかがですか?」
千代子の提案に燈夜と道人は固まる。
「え!いいの!?」
「はい。燈夜様のご友人ですから勿論です」
あの二人のやり取りを見て仲の良い友人同士だと、どうやら勘違いしているらしい。
「ちがっ……」
「さあ、中へどうぞ」
「お邪魔します!道人君もほら!」
「おい!押すな!」
燈夜が否定する前に千代子が屋敷へと案内し道人も強引に遙に連れて行かれた。
嵐が去ったように辺りが静かになる。
燈夜はあまり千代子に強く物を言えないようで諦めたようにため息をつくと隣にいる花に視線を向ける。
「いいか、花。食事中は遙に近づくんじゃないぞ」
「は、はい。分かりました」
強く念を押され何度も頷く。
賑やかな食事会になることを確信しながら花と燈夜も屋敷の中へと入っていった。
「はい、美味しそうです」
花と千代子は鍋の中にある出汁がよく染み込んだ煮物を覗き込んでいる。
台所には他にも香ばしい香りを放つ焼き魚や白く輝く炊きたての白米がある。
それは花と燈夜の二人分にしてはとても多かった。
「道人様はよく食べられますからこれくらい用意しておけば大丈夫かと」
そう、今夜は斎園寺家の屋敷に燈夜の弟である道人が訪ねてくる予定だ。
通いの使用人の千代子と共に夕食をとるということもあり、普段よりも多い量の料理を作っている。
花の手料理は味見で千代子は時々口にしているが道人が食べるのは初めてで少し緊張している。
「花様の料理はとても美味しいですから道人様もきっと喜んでくださりますわ」
それが表情にも出ていたのか千代子は安心させるように微笑む。
千代子の笑み、言葉には大丈夫だと思わせてくれる不思議な力がある。
「千代子さん……。ありがとうございます」
お礼を言うとふと窓から差し込む夕日が色強くなったことに気がつく。
「私、そろそろ洗濯物を取り込んできますね」
「ありがとうございます。ではそちらはお任せしてこちらの準備は私が進めておきます」
花は頷くと、足早に玄関に向かい草履に履き替えて外へ出た。
「よし、これで終わり」
洗濯物を竿から取り込み終え、籠を縁側に置くと何やら敷地の外から声が聞こえる。
「だから来るな!」
まるで誰かに怒っているような男性の声に花はビクリと身体を震わせる。
屋敷周辺に他の建物はない。
そのため普段から人気もなく静かな場所なのに物々しい雰囲気を感じる。
(まさかお母様達……?)
頭の中に美藤家の人間達が過る。
まさか罰を下されても尚、自分を捕らえようとしているのか。
(で、でも『来るな』ということは誰かこちらへ来るのを止めようとしているのかしら?)
念の為、千代子を呼んできた方が良いかと思ったが声の主が事件に巻き込まれたら大変だと判断し門まで駆け寄る。
門からそっと顔を覗かせるとそこには見覚えのある人物がいた。
「道人様……!」
道の真ん中で道人が一人の男性と立っていた。
花の声に二人の視線が一気にこちらへ向く。
「は、花さん!屋敷に戻るんだ!」
「え?」
道人の焦った表情に戸惑い、すぐには足が動かなかった。
すると道人の隣に立っていた見知らぬ男性が花に向かって駆け出す。
「おい!」
道人が制止しようとした手も虚しく宙をつかむ。
気づけば男性は目の前に立っており、花の白く小さな手を包み込むように握っていた。
(え……!?)
急に初対面の男性に手を握られ身体が硬直してしまうが、そんなことはお構いなしのように言葉を続ける。
「初めまして。俺、燈夜の幼なじみの津郷遙です」
「燈夜様の……!初めまして、花と申しますっ」
まさか燈夜の幼なじみとは思わず慌てて自己紹介をし、頭を下げる。
顔を上げると遙の色香漂う瞳が花を見つめた。
まるで心を覗き込まれるようで咄嗟に視線を逸らし握られている手を解こうとする。
(あれ……?)
燈夜の幼なじみに失礼がないように、そして婚約者の身として勘違いや誤解が生まれぬよう、包んでいる遙の手を少し強く動かそうとするが全く動かない。
「おい!花さんに触れるな!」
困惑していると道人が花から遙を引き剥がそうとする。
しかし体格差もあるせいかこちらもびくともしない。
「俺は挨拶をしてるだけだよ~」
「絶対下心あるだろう!」
遙の近すぎる距離と普段穏やかな道人の感情を露わにしている姿を見て困惑していると視線の先から一台の自動車がこちらへ走ってくるのが見えた。
(あの自動車は……)
自動車が花達から少し離れて止まると車内から屯所から帰宅した燈夜が降りてきた。
(手を早く解かないと!)
燈夜にこんなところを見られて誤解を招いてしまったらと焦り、めいいっぱい振り解こうとするが花のか弱い力では無理だった。
ふと頬に突き刺さるような冷たい風を感じる。
今は夏真っ盛り。
この季節ではあり得ない現象に混乱する花。
まるで辺り一帯が氷点下になったよう。
「これはまずいかも」
遙が苦笑いを浮かべ燈夜をちらりと見る。
花もそれに倣うと冷たい風を感じる理由がすぐに分かった。
それは燈夜が氷雪の異能を行使しているから。
氷の粒子が彼の周囲を漂っており少しずつ風の勢いは増していく。
燈夜は自動車の前に立ったまま遙に向かって手をかざす。
手のひらから、一粒の雹《ひょう》を出すととてつもない速さでそれを放った。
「おっと」
遙は花の手を握ったままその場にしゃがみ込む。
間一髪のところで避けた雹は外壁に衝突し砕け散った。
外壁にはヒビが入りその威力の強さに花は呆然としてしまう。
「兄さんがあんなに怒っているの初めて見た……」
燈夜を慕っている道人でさえも殺気立っている彼を見て顔を青ざめさせ、怯えている。
「貴様……」
足早にこちらへ向かってくる燈夜は掌にもう一粒、雹を出している。
「……わかったよ。花ちゃん、困らせてごめんね」
遙は小さな笑みを浮かべながらそっと握っていた手を離した。
諦めた遙を見て燈夜は生み出していた雹を消した。
「花、大丈夫か」
先ほどまで遙が握っていた手を次は燈夜が上書きをするように優しく包み込んだ。
いつものしなやかでかつ男らしさも感じる手に安堵する。
「はい、私は大丈夫です。……お帰りなさいませ、燈夜様」
「ああ。ただいま」
甘く、優美な微笑みを花に向ける。
数秒見つめ合うと燈夜はすぐ近くに立っている遙をギロリと睨む。
花に向けるものとは真逆の冷酷な瞳。
それほど愛してやまない婚約者を誑かそうとしていたのが許せないようだ。
「どうしてここにいる」
「帝都で道人君と会ってね。そうしたら読心術で燈夜の屋敷で食事会があることが分かって。花ちゃん達が作る料理が楽しみだって道人君の声が聞こえたからついてきちゃった」
にっこりと余裕のある笑顔はまるで自分のした行動を悪そびれていないようだった。
「ごめん、兄さん……」
一方、道人は眉を下げ申し訳なさそうに謝っている。
「いや道人のせいではない。悪いのはこの阿呆だ」
「だって燈夜、全然花ちゃんに会わせてくれないだろ」
二人が言い合っているのをただ傍観することしかできない花と道人。
腕を組み、怒りを露わにしている燈夜に負けじと遙も反論している。
仲裁に入ったら余計にややこしくなりそうでどうしたものかと考えあぐねていると……。
「花様、こちらにいらっしゃったのですね」
玄関から千代子が出てきたところで険悪な空気が一旦無くなる。
「すみません、千代子さん。すぐに戻らなくて」
「良いのですよ。あら、皆様お揃いだったのですね」
屯所から帰宅した燈夜の他に食事会に招待していた道人、そして遙もおり普段にはあまりない賑わいに目を丸くしている。
「まあ、津郷様。お久しぶりでございます」
「千代子さん、久しぶり~」
燈夜に対する挑発的な態度から一変、千代子に満面の笑みを向ける。
彼の変わりように燈夜と道人はため息をつく。
そんな二人に千代子は気づかずそうだと何か思いついたように両の掌をパンと合わせる。
「もし津郷様がよろしければご一緒にお夕飯はいかがですか?」
千代子の提案に燈夜と道人は固まる。
「え!いいの!?」
「はい。燈夜様のご友人ですから勿論です」
あの二人のやり取りを見て仲の良い友人同士だと、どうやら勘違いしているらしい。
「ちがっ……」
「さあ、中へどうぞ」
「お邪魔します!道人君もほら!」
「おい!押すな!」
燈夜が否定する前に千代子が屋敷へと案内し道人も強引に遙に連れて行かれた。
嵐が去ったように辺りが静かになる。
燈夜はあまり千代子に強く物を言えないようで諦めたようにため息をつくと隣にいる花に視線を向ける。
「いいか、花。食事中は遙に近づくんじゃないぞ」
「は、はい。分かりました」
強く念を押され何度も頷く。
賑やかな食事会になることを確信しながら花と燈夜も屋敷の中へと入っていった。