古来よりこの国は帝が治めている。
 現在の帝の名は白衛《はくえい》。
 数年前に白衛の父親が崩御し二十七歳の若さで帝の座に即位した。
 白衛の異能は天啓。
 神からのお告げを受け、この国をより安寧の地へ導くのが使命。
 帝が宮城内に花のような一般人を呼ぶのは異例で宮内庁職員は当初、困惑したようだったが異能軍の軍隊長である燈夜の婚約者ということで特別に許可された。
 花を呼び寄せた張本人の白衛は優美な笑みを浮かべてこちらを見ている。
 燈夜と共に中へ進むと白衛に座るよう促された。
 背筋をしっかり伸ばし前を見据えると隣に座った燈夜が口を開く。
 「こちらが私の婚約者の花です」
 紹介されると花は両手を畳に置き、出来るだけ美しいお辞儀をした。
 「お初にお目にかかります。美藤花と申します」
 若干、声が震えたが何とか最後まで言い切ることが出来た。
 「顔を上げなさい」
 白衛に言われ顔を上げると視線が交わる。
 ジッとまるで心を見透かすような瞳に胸がドキリと鳴る。
 『話したいことがある』とのことで宮城へやって来たが何を言われるのか分からず怖くなってしまう。
 「そう怖がらなくて良い。そなたのことは燈夜から聞いていたのだ。ずっと話してみたかった」
 表情に出ていたのか白衛は安心させるように笑いかけた。
 その微笑みは美しいの一言では表せないほどで窓から差し込む光がさらに白衛を神々しくさせている。
 圧倒されていると、ふと今の白衛の言葉を思い出す。
 『そなたのことは燈夜から話を聞いている』
 まさか燈夜が自分の話を帝に話しているとは思わず慌てて隣に座っている本人に視線を向ける。
 「と、燈夜様。帝様に私の話をしていたのですか?」
 おろおろとする花とは反対に燈夜はいつもの余裕のある笑みを浮かべている。
 「ああ。本当は花のことは俺だけが知っていれば良いのだけれど帝から色々質問攻めされたから」
 「今まで燈夜に女性の話など微塵も無かったからな。我も調子に乗ってしまった。すまない」
 「い、いえ!」
 こんな自分が話題になっていたなんて恥ずかしさやらなんやらでどこかに隠れてしまいたくなるが、あの帝が自分に謝罪しているという事実に背中に汗が伝う。
 慌てふためく花を見て白衛は楽しそうに瞳を細める。
 「そなたは表情がせわしなく変わって愛らしいな」
 神秘的な雰囲気を纏いつつも、どこか想像していたよりも白衛は柔らかい人物だった。
 天啓の異能だけでなく、この人品がこの国の頂点に君臨するのに必要なのだろう。
 「帝、本題を」
 自分の婚約者が帝とはいえ異性に『愛らしい』と言われるのが嫌なのか燈夜は少しムスッとしながら宮城へ来た本来の目的を問う。
 「燈夜、我が花を気に入っているからといってそう怒るでない」
 「……怒っていません」
 言葉とは裏腹に普段より眉が上がっており花から見ても明らかに怒っているようにしか見えない。
 そんな燈夜を見て白衛が口元を袖で隠しながらニコニコと微笑んでいる。
 (燈夜様が怒っているところ初めて見た……。帝様も想像していたより柔らかいお方)
 対面的な二人を交互に見ていると視線に気がついた燈夜と目が合う。
 ポカンとしている花を見て燈夜は気持ちを切り替えるように一度咳払いをした。
 「すまない、花。見苦しいところを見せてしまった」
 「いえ。そんなことないです」
 動揺した燈夜も花の言葉を聞いて安堵したように小さく微笑むと表情を引き締め、改めて白衛に向き合う。
 「帝、本日宮城へ花を呼んだ理由とは一体?」
 燈夜の質問に白衛の目も真剣なものへと変わる。
 ガラリと変化した空気に花も無意識のうちに身体に力が入った。
 「花の髪色と異能について話すためだ」
 胸が大きくドクンと鳴った。
 花自身も今までずっと周囲との違いにかなり戸惑った。
 美藤家にある書庫で書物を読み漁ったが原因も分からず、そのうちこの髪色と無能は偶然生まれたものだろうと思うようになった。
 幼少期の記憶も姉の未都に消されてしまったので過去に何かあったとしても分からないままだ。
 『異端の子』として自分を虐げていた母には当然聞く勇気などなく、必要最低限しか会話をしていない。
 しかし自分の考えは違っていたのかもしれないと静かに白衛の言葉の続きを待った。
 「帝都に反乱が起こった日の夜、天啓を受けた」
 宮城へ向かう道中、燈夜から天啓の異能については大体話を聞いていた。
 天啓、神からのお告げはそう頻繁にあるものではない。
 年に数回ある程度でよほど重要なときだけ。
 それが先日発生した反乱の日の夜に白衛が受けたというのだ。
 白衛は黒曜石のような瞳に花を映しながら話を続ける。
 「花、そなたの父親の貴之の異能は知っているか?」
 「はい。確か成就の異能だったはずです」
 花が幼い頃に亡くなった美藤家の前当主、美藤貴之は成就の異能を持っていた。
 成就の異能とは、その力を行使すればどんな願いも叶うと言われており人々は喉から手が出るほど欲しがっていた。
 しかし夢のような力の反面、代償もある。
 成就の異能を行使すると自分の命が大きく削られる。
 そのため、よほどの事案が無い限りその異能を使うことはない。
 花も使用人達が話しているのを偶然耳にしたのでそんなにその異能について知識もあるわけではない。
 「何か父が関係しているのですか?」
 白衛からの話が終わったり質問がされたりするまで黙っているつもりだったがはやる気持ちが抑えられずつい聞いてしまっていた。
 「ああ。神はこう申していた。過去に貴之に助けられたことがあると」
 花と燈夜は白衛の話に静かに耳を傾けた。
 「花が生まれる少し前のことだ。ここから少し離れた地方で異形による反乱が起こった。その規模は先日の帝都の反乱よりも大きく多くの被害を受けた。そこに発生した異形のせいで瘴気が放たれ人間界で秘かに生きていた霊獣達が次々と倒れた。人間界と天界の均衡を保つには霊獣の存在が必要不可欠。そんな危機に霊獣を救ったのが花の父親、貴之だった」
 花が目の当たりにした戦場よりもさらに酷い反乱が過去に起こっていたとは知らなかった。
 そして瘴気や霊獣の存在も。
 瘴気は生きとし生ける物全てを苦しめ均衡を狂わせる。
 人々を襲えば襲うほど異形は力を増強させ瘴気を放つ。
 瘴気が発生するとかなり厄介で浄化の異能者を総動員して対処しなければいけないと白衛は話していた。
 「霊獣達の衰弱する声を聞き、貴之は穢れが祓われるよう願った。そのおかげで全ての霊獣は回復し二つの世界が均衡は保たれた。神は貴之の夢枕に立ち、褒美を与えると言った。しかし貴之は褒美は自分ではなく生まれてくる子に与えてほしいと伝えたのだ。自分は身体が弱く、先が短い。未来ある子に何かを授けたいと」
 花はずっと誰にも愛されていないと思っていた。
 母や使用人達は異能や愛嬌がある未都だけを囲み、正反対の自分には見向きもしない。
 貴之の死後、美藤家に婿にきた蓮太郎も薄桜色の髪の花を見るたび気味が悪そうにして近づこうとはしなかった。
 それはきっと亡くなった父も同じだろうと思っていた。
 しかしそんなことはなかったのだ。
 身体が弱ければ神に病気を治してほしいと願えば良いのにそれよりも妻のお腹の中にいる子に褒美を授けてほしいと言った。
 今明かされた事実に花は胸が震えた。
 確かに自分は血の繋がった家族に愛されていた。
 思わず泣いてしまいそうになり白衛にこんな顔は見せられないと少し俯く。
 すると隣に座っていた燈夜がそっと花の手に自分の手を重ねた。
 その温かさにまた涙がこぼれそうになるが必死に堪え、顔を上げると白衛は話の続きを始めた。
 「神はその願いを受け入れ異能の一つ、統御《とうぎょ》を授けた」
 「統御……?私に異能があるのですか?」
 初めて耳にする異能の名前に花は首を傾げる。
 無能だと思っていた自分にまさか異能があったことに驚き目を丸くした。
 「統御とは異形を操り人々に力を与えることが出来る異能だ。そして統御の異能がある者は一国の帝になれる権利をもつ」
 「帝……!?」
 神聖な場というのに大きな声を出してしまい慌てて口元を抑える。
 今は燈夜のおかげで不自由のない生活が送れているがそれ以前は庶民以下のような酷い扱いを受けておりとてもそのような立場につく娘ではないと考えなくとも理解できる。
 白衛は頷くと視線を花の髪へ移す。
 「神は宝冠の代わりに美しい薄桜色の髪を授けたと申していた」
 次々と明らかになる自分の秘密に頭の中が混乱しそうになる。
 すると今まで黙っていた燈夜が口を開いた。
 「帝はその権利を持つ花をどうされるつもりですか?」
 厳しい視線が白衛を捉える。
 異形を操り人々に力を与える強き異能は皇室側も欲しいはず。
 もしかしたら皇室をも脅かすほどの存在になるかもしれないのに何もせず放っておくのだろうか。
 花も燈夜の一言で全てを察し、おそるおそる白衛を見る。
 「確かに統御は天啓をも上回る。皇室の血が流れていなくてもこの国の帝が花に変わってもおかしくはない。しかし神は我々が強制的に花を皇室に取り込んだり排除したりすることは決して許さないと申していた。花の気持ちを尊重しなさいと。それは我とて同じ考え。傷つけるつもりは毛頭無い」
 白衛の言葉にほっと胸を撫で下ろす。
 花も権力や財力が欲しいわけではない。
 ただ燈夜の隣に居られたらそれで良いのだ。
 もし離ればなれになってしまったらと不安が一瞬、頭を過ったが杞憂だったようだ。
 花はそっと自分の掌を見つめる。
 燈夜達は反乱の原因は花のせいではないと言ってくれたがやはり心に引っかかっていた。
 何の力を持たないと思っていた自分が傷ついている人達を助けることができた。
 一つのとある思いが湧き上がり、顔を上げ白衛を真っ直ぐ見た。
 「今はまだこの異能を上手に使いこなせる自信がありませんが、もし困っている方がいらっしゃったら力になりたいです」
 燈夜をはじめ、千代子や道人など周囲の人々に支えられて花は今がある。
 今度は自分がその役目になりたい。
 力強い瞳に白衛は小さく微笑み、頷いた。
 「感謝する。有事の際は頼む」
 「しかし帝!花の異能は行使後、体力が大幅に削られます。今回は奇跡的に回復しましたがそれが二度あるかは分かりません!」
 珍しく焦った様子の燈夜に部屋は静まり返る。
 確かにまた倒れたら皆に迷惑をかけてしまう。
 でもこの異能を使わぬまま静観しているのも嫌だった。
 「私、使いこなせるように頑張ります……!誰かの力になりたいのです。きっとお父様や神もそう思っているはずです」
 「だが……」
 一瞬、瞳が揺れたが花に甘い燈夜でもこれだけは譲れないと再び説得させようと口を開いた。
 「燈夜」
 しかしその前に白衛の声が遮った。
 「燈夜の言うとおり統御の異能は目覚めてしばらくは行使するとほとんどの体力を消耗する。しかし力に身体や心の成長が追いつけばその憂色も晴れるだろう」
 「しかし私は大切な花をもう危険にさらさせたくないのです。あの時、花が異能に目覚めなければさらに帝都は大打撃を受けていたのは承知しています。ですが今後さらに恐ろしく巨大な異形が発生する可能性も大いにあります」
 燈夜も負けじとすかさず自分の思いを口にする。
 最悪の場合を考えてしまい燈夜は腿の上に置いている手をグッと握り締める。
 花にも燈夜の想いがひしひしと伝わり横から見るその瞳は憂いに帯びている。
 気づけば燈夜の軍服の袖をぎゅっと握っていた。
 「花?」
 最初は誰かに守られるだけでも申し訳なかった。
 優しくされてもきっといつかは離れていくと信じることも出来なかった。
 しかし燈夜の温かさに触れるうちに孤独や絶望から解き放たれ心が強くなった。
 「私は燈夜様と出逢って世界が色づきました。これからは守られるだけではなく隣に立って戦いたいのです」
 貴方のおかげで変われたのだと伝えるように燈夜の瞳を真っ直ぐに見つめる。
 以前は目が合うだけで恥ずかしくて逸らしてしまっていたが今は違う。
 それは燈夜にも感じられたようで……。
 「……分かった。だが決して無理はしないように。約束できるか?」
 「はい。お約束します」
 花は力強く頷く。
 燈夜と気持ちが通じ合ったようで嬉しくなる。
 また一歩、彼に近づけたような気がした。
 「花に頼るのは異能軍でも対処が不可能だと判断したときだけだ。統御の異能を持つことを周囲に広まるのも時間を問題だろう。我々も警戒を怠らないようにしよう」
 これから先何が起こるか分からない。
 異形による反乱、花が異能を持っていたと知った美藤家の反応……。
 怖くないと言ったら嘘になる。
 でも隣に、周囲には支えてくれる人達がいる。
 父からの想い、神から授かった力と共に前へ歩き出したいと花は心に固く誓った。