どこに向かっているのかは分からなかった。ただとにかくここじゃない何処かに辿り着きたくて、それが前なのか後ろなのかすら分からないまま、ひたすらに走った。
足を止めてしまえば泣き出してしまう事を、きっと私は分かっていたんだと思う。
どこまで行ってもあの美しい過去が追いかけてくる。
どれだけ走ってもあの苦しい後悔が襲いかかってくる。
誰か、誰か
誰か―――……
「―――っきゃぁ!」
ここが店内だという事も忘れて、入り組んだ迷路のような廊下を走り回っていると、角を曲がった瞬間、ドンッと何かにぶつかり、悲鳴のような声が口から飛び出した。
その拍子に後ろに傾いた身体にがしりと何かが絡みつき「っ羽菜」と焦ったような声が頭上から降ってきて、そこでようやくハッと我に返る。
「……り、ひと……」
驚きと困惑を混ぜたような声色で目の前にいる人の名前を呟けば、理仁も私と同じように驚いた表情で私の顔を覗き込んでいた。
いつの間にか息が上がっていたらしい。ハァハァと肩で息をする私の頬に、理仁の大きな手がぴとりと添えられる。
それと同時に私が倒れないように支えてくれたのが理仁の腕だと気づいて、胸の奥が焼けるように熱くなった。
「顔色すげー悪いけど大丈夫か?」
「……」
「ぶつかったとこは?痛くねえ?つーか なんであんな勢いよく飛び出してきたんだよ」
危ないだろ、と溜め息混じりにそう呟いた理仁の腕を、何かを考えるよりも先に、ぎゅっと掴んだ。
縋るように、つよく。
「……帰りたい…」
泣き出しそうな声でそう呟いた私に、理仁は少し眉を顰めた。
「あいつらに何か言われた?」
静かに落ちてきた問いに、ふるふると首を横に振る。
「違う、そうじゃなくて……ちょっと、疲れちゃって…」
尻窄みになっていく声を追いかけるように視線がだんだんと下降していく。とうとう俯いてしまった私の頭に、理仁の手がぽんっと乗った。
「じゃあ帰るか」
「……」
頭に乗っていた手が、するりと下降して、私の手をやわく掴む。
いつだってそうだった。昏く、凍えそうなところから私を連れ出してくれるのは、いつもその手だった。
理仁のその手だけだった。
「無理させて悪かったな」
がやがやと騒がしい店内を進んでいく。私の手を引きながら少し先を行く理仁からそんな言葉がぽつりと落とされて、めいっぱい首を横に振った。
理仁が謝ることなんて、何ひとつない。