(待ってるのも変だよね……。)


本当は理仁の帰りを待ちたかったけれど、そんな子供じみているような事は出来なかった。それに理仁にこれ以上、気を遣わせるわけにもいかない。

理仁を抜きにしたあの場にひとりで戻るのは少し気が引けたけれど、意を決して来た道を戻る事にした。



















「そういやさ~高校ん時、転校生いたよな」


そんな声が周りの喧騒を掻き分けるように聞こえたのは、半個室の席へと続く暖簾をくぐろうとした時だった。


伸ばした手が止まる。

同時にドクドクと自分の心臓が不気味な音を打ち鳴らし始めたのは、その言葉が誰を指しているのか、分かってしまったからだと思う。

高校の3年間、私の学年で“転校生”として編入してきたのは、ひとりしかいない。


――“彼”だけだ。



「一瞬で消えた奴。名前覚えてねえけど」


緑色の長い暖簾を隔てた先に私が居る事など、向こう側の彼らは誰一人 気づいていない。



「あーたしか、放火魔の疑いかけられてた奴?」

「そーそー」

「あれって実際どうなん?」

「犯人捕まったし、放火はしてねーんだろ」


深く、暗いところに沈めていた記憶がじわじわと蘇ってくるようだった。

ぎゅっと握り締めた手のひらに、じとりと嫌な汗が滲む。やがて爪が食い込んで、ちりちりと焼けるような痛みが皮膚の上を走った。


「じゃあなんで消えたん?」

「さあ?」


彼の名前すら覚えていないような人達に、彼を語られたくない。彼を汚されたくない。

やめて、と叫びたかった。けれど実際の自分は声のひとつすら出せない。ただ石のように固まり、唇を噛み締めているだけだ。

――彼が姿を消したあの日も、そうだった。


いや、違う。あの日だけじゃない。

私はいつも何もできなかった。どうすればいいのかと嘆き、悲しみ、泣くだけで、結局何もできなかった。

救えられたかもしれない心も、繋げられたかもしれない手も、何ひとつ拾い上げることは出来なかった。だから今もこうして泣きそうな私のまま、ただ立ち尽くしている。

ずっと、立ち止まったままだ。





「まあ、親があんな死に方したら、消えたくもなるんじゃね?」



限界はとうに過ぎていたと思う。

心を刺すような鋭利な言葉が鼓膜に触れた瞬間、私は勢いよく踵を返し、逃げるようにその場を後にした。