事故なんて起きなかったら。
 いやいや、タラればの話をしていても仕方がない。裕は空を見上げて肩を落とす。
 フォークリフトと衝突して助かったんだから、よしとしなきゃ。一時は意識不明だったんし。
 そういや新田はどうしているだろう。会社を辞めたと聞いた。あれは不慮の事故だ。地面が凍り付いていて避けられなかった。新田が責任を感じることはない。
 いつか会って、大丈夫だと伝えたい。

『新田、自分も頑張るからおまえも頑張ってくれよ』

 ふと辛いリハビリを思い出して、顔を歪める。今更、思い出さなくてもいい。今は普通に歩けている。左手はまだうまく使えないけど。
 前を向かなきゃ。大丈夫だ。海をみつめて、足元の砂に溜め息を落とす。

「おっ、青年まだいたのか」

 出た。謎のおしゃべりお爺さん。

「あの、今」
「そうか、今、このジジイのこと考えていたんだな。そりゃ光栄だ」

 いや、違う。今、帰るところだと言おうとしただけだ。

「それはそれとして、まあ、なんだ。まさかとは思うが死のうなんて思っていないだろうな」

 笑顔から真顔になったお爺さんにドキッとした。

「ま、まさか」

 思わず声が上擦ってしまった。

「ふむ、それならよろしい。青年よ、大志を抱けなんて言葉があるだろう。未来に向けて新たな一歩を進め。美味いものは幸せを呼ぶ。しっかり食べるんだぞ。それじゃな」

 お爺さんは再び笑顔に戻りバシンと背中を叩いてきた。

『それ、痛いんですけど』とは言えず、ただただ苦笑いを浮かべた。
 いったいなんなんだ。またしても言いたいことだけ言って行ってしまった。それに、『青年よ、大志を抱け』じゃなくて『少年よ』だろう。

 本当に不思議な人だ。もしかして心配してくれていたのか。そうかもな。

『ありがとう。お爺さん』

 なんか腹減ってきた。商店街でも行って何か食べよう。母はまだ帰っていないだろうし。