今日のお客様は女子大学4年生、かのんという名前だ。

 絶賛就職活動中の女子大生。しかし、なかなか内定がもらえずにいる。大学に入ったはいいけれど、これでよかったのだろうか? 別な学部に進学するべきだったのではないか? 大学に入った後もこんなはずではなかったと、人生悩んでいる自分探しのまっただなかにいる。中二病ならぬ大学四年病なのだろうか? 自分は選ばれた特別な人間で秀でたものを持っているはず。まだ発揮されていないなんて本気で思っている。環境がわるいだけで、別な場所にいればもっと自分の能力は発揮できたはずだと自分を鼓舞する。

 悩みの中でのストレス解消は、素敵なカフェを見つけること。おひとり様カフェ巡りがマイブームとなっていた。一軒の建物の前で足を止めた。不思議な雰囲気をかもしだすレストラン「幻」と書かれた看板が見える。ここは、当たりの予感がする。最近、一歩足を踏み入れただけで、当たりはずれがわかるというくらい、カフェやレストラン巡りをしていた。メルヘンな外観と周囲の風景と混じりあわない独特の空気を醸し出す喫茶店。どんな料理があるのだろう? ベルの音を鳴らしながら扉を引いてみる。音が少し心地いい。私は耳がいいので、絶対音感をもっている。だから、ベルの音もドレミの音階で聞こえたりする。やっぱりちょっと特別な人間な予感がする大四病だ。

「いらっしゃいませ」
 店員の若い男性は優しく挨拶をした。ずいぶん若いなぁ。もうひとりも女子高校生かな。バイトしかいない店なのかな。そんなことを思い、席に着いた。カウンターに座る。レストランの一番奥の部屋の隅に不気味な男がいる、客だろうか? あの手の猫背の変わった座り方をした男はあまりみたことがない。前髪も長くて顔も見えないし、不審者といわれたら絶対そう思ってしまいそうな風貌だ。なにやらパソコンで文字を打っているようだ。私が不思議な顔をして見ていたせいか、店員さんが説明を始めた。

「奥にいる彼はこの店の常連さんなんですよ。マスコットキャラクターのような福の神のような人なので、気にしないでくださいね。彼は仕事中は人の話が聞こえないタイプなので今話していることも聞こえていませんから」
 にこりと店員さんが笑う。

「メニューは……竜宮城の玉手箱、気になりますね。ちょっとお腹もすいているので」
 何故かそのメニューが目に飛び込んできたのだ。きっと私を食べてくださいと言っているのかもしれない、なんて思ってしまう。
「こちらは、パイシチューになりますが、あなたのように、迷いがある方にはお勧めですよ」
 迷いがあるってばれてる? 私の心の中を見透かしているの??

「じゃあ、こちらをお願いします」
「竜宮城の玉手箱、1つはいりましたー」
 かわいい声が店内に響く。ここは、小学生まで手伝っているの? 家族経営かな?

「あなたは迷っているのですか? 自信の進路への後悔とか?」
 店員さんが親しみやすい笑顔で語りかけて来るので、つい、本音が出てしまう。

「大学の文学部に進学したのですが、やっぱり別な学部に行ってみたかったかなぁって後悔していて。就職活動をやっていて思ったのです。私は子供が好きだし、音楽も好きです。だから、音楽教室の先生をやってみたかったんですよね。今更ですが」
「音楽大学に行きたかったとか?」
「そうです。私、ずっと音楽をやっていて、声楽科を考えていたのですが、結局、文学部にしたのです」
「なぜ文学部にしたのですか?」
 女子高校生が聞いてきた。この子、自分の進路の参考にしたいのかな?
「高校時代、勉強よりも音楽をやれと声楽の先生に言われて……。成績最下位になることは、私の意地が許さなかったのです。だから、勉強を選びたいと思い、学力だけで入ることができる文学部を選びました。読書が好きというだけの文学部選択です。入学後も声楽だと、ずっと練習に追われそうだし、実技試験の緊張も文学部とは全然違います」
「音楽大学は特殊ですからね、大変ですよね」
 女子高校生にねぎらわれる私、就職活動で弱っているのかもしれない。
「音楽大学の入試の科目も他学部にはない、専門的な試験もあるので、大学関係の音楽の教授にレッスンを受けます。やはり音楽はお金もかかりますし」
「もしも、あなたが音楽大学に入学したら、という別な人生を体験してみませんか?」
 男性店員が提案する。
「え……?」
「過去を体験するかわりに記憶の一部をいただきますが」
「記憶かぁ、何かいらない記憶……小さい頃の記憶はなくてもいいかも。幼稚園の年少の時の記憶をあげちゃいまーす、ほとんど記憶がないけど」
「幼稚園年少の記憶を一部いただきます」
 男性店員が念を押す。
「虹色ドリンク1杯はいりましたー」
 小学生女子が元気にオーダーを確認した。

 そして、目の前に出された、パイシチューの深海の竜宮城をスマホで撮影してみた。見た目は普通のパイシチューよりも豪華なスイーツ感があって、まわりにフルーツやデコペンで飾られていた。乙女心をくすぐる一品は、映えること間違いない。

「深海をイメージしたバタフライビーの青いゼリーを添えました」
「バタフライビー?」
 私はちょうちょと蜂を想像してしまった。
「青い紅茶の名前です。その紅茶を使ったゼリーですよ」

「いただきます」
 パイを開けてみると、中にはたくさんの魚介類が入ったシチューが入っていた。作りたてなので、熱々で香りも食欲をそそる。

「おいしい!! このシチューの濃厚なクリーミーな味付けも、サクサクパイもやみつきです。サクサクパイとシチューって相反するもののような気がしますが、隣り合っていてすごく相性がいいですね」

「そう言っていただけるとうれしいです。竜宮城は、美しい世界ですが、玉手箱はあけてはいけないもの。なのに、なぜ乙姫様はそんな箱を渡したのでしょうかね。実際浦島太郎の幸せを願っていたのでしょうか? むしろ、亀を助けなければ普通の人生を送ることができたのかもしれません。浦島太郎は自分の未来を知っていたら、亀を助けなかったかもしれません。未来は見えないので、自分だけで将来を選べないことは多々あります。用意された縁みたいなものでしょうかね。さあ、虹色ドリンクが登場しましたよ」

 私は、熱々のシチューで口が熱くなり、ちょうど冷たいドリンクを欲していた。あれ……意識が朦朧とする。なんだろう、この不思議な感覚……。
 
 もしも、音楽大学に入学していたら、それはとても充実した日々を送っているかもしれない。そう思っていた。かのんは虹色ドリンクで、晴れて音大生としての生活が体験できている。もしも、音楽大学に入ったら、声楽家、音楽関係の会社、音楽教師、音楽教室の講師の就職先がちゃんとあったはずなのだ。文学部と違って、専門的な就職ができる、そう思っていた。いわゆる手に職のような専門職だ。

 大学の仲良しの女友達と就職について談笑している。昼休みのひとこま、というところだろうか。大学のキャンパスは、緑があふれていて、育ちのよさそうな生徒がたくさんいた。

「私たちも4年生かぁ、卒業後どうしようかなぁ」
「私は、親のコネで一般企業に就職予定だよ」
「え? みんな就職で困っているの?」

「かのんは、困ってないの? 声楽ってつぶしがきかないからねぇ。私は一般事務する予定だけど。こんなに毎日音楽漬けの日々を送って、一般企業は割に合わないよ」

「声楽を音楽教室で習いたい人って結構少ないんだよね。子供の習い事でもピアノは割とあるけれど、他の楽器やりたい人ってあんまりいないしね。私は、最悪就職難民になったら、バイトしながら、自宅でピアノ教えるよ。専門は声楽だけど、副科でピアノ専攻しているからね」

 音楽大学のこの人たちは、他の学部の学生と同じような悩みを抱えているのかぁ。

「音楽教室に勤めようかとも思っていたけど」
「今、少子化だから、年配の先生が辞めないと、空きがないから募集少ないよ」
「中学校の音楽の先生とかダメかな?」
「教員採用試験って都道府県の公務員は、勉強ができないと正直難しいよ。採用人数が若干名とかって無理無理。私立ならコネがないとすんなり就職は厳しいと思うよ」

「音楽関係の会社とかって無理なの?」
「コネがないと、一般企業、特にマスコミ関係は厳しいよね。学歴社会だしね。かのんって、あんまり就職活動してない人?」
「そんなことないけど……」
「かのん、今日、追試でしょ?」
「え……?」
「実技試験赤点だったから、この先、卒業できないとまずいんじゃない?」
「私たちって因果な学生だよね。だって、個人レッスンや実技試験は緊張の連続だし、他の学部の人よりも練習で遊ぶ時間がなくても、学歴は同じ大卒なんだよね」

 なんだ、音楽関係の仕事って簡単にできないのか。同じ大卒……。むなしい現実が襲った。なんだか、さっき食べたパイのように幻想がサクサク崩れていった。なんだろう、この虚無感は。細かく砕け散ったパイのかけらは、なかなか細かいかけらは、拾うことができない。そんな細かいかけらを全部拾って口に入れることができない焦りやせつなさを感じながら、現実を知ることになった。

 どんな道に進んでも、悩みはつきもので、進路には壁がある。楽な道はなかなかないようだ。意識が戻った。夢を見ただけだったのだ。目の前には先程のレストランの風景が広がっていた。

「もしもの体験どうでしたか? もしかして過去に戻りたいって思いましたか?」
「私、やっぱり今が一番です。辛いことから逃げようと思っても別な辛さが必ずあるんですよね。今いる状況で自分で打破していかないと」
「ねがいはありますか?」
「私、J-POPが好きなのでアーティストのコンサートなどに携わるお仕事をしたいです。ずっと願っていたのは音楽の近くにいることができる仕事なのです。裏方の仕事をしたいのです」
「わかりました。内定できるように操作しておきます」
「ありがとうございます。おいしいお料理ごちそうさまでした」
「あたしは応援するよ」
 女の子がまんまるな澄んだ瞳を輝かせた。
「私も陰ながら応援しています」
 女子高生にまで応援されている。

 きっとこの3人だって、大変なのだろう。負けていられない。みんな今ある環境で頑張っているのだから。人生をやり直そうとか、あの時こうしていればよかったなんて思っていること自体時間の無駄なのかもしれない。思い残すことなく帰宅することにした。

 ♢♢♢

「まひる、あの人が音楽の先生を志すきっかけになったのは幼稚園の年少のときの先生が影響しているんだよ」
「おにーちゃんはそれを知っていて、記憶をもらったの?」
「だって、音楽の指導者に未練が残らないじゃないか。志すきっかけを奪ったのだから。でも、やっぱり音楽が好きだという気持ちは残ったね。選択肢を狭めることで本当にやりたいことが見つかることもあるんだよ。必要がないと思える記憶でも、とても大事なことにつながるということもあるからね」

 記憶を渡す恐ろしさを夢香はこのときに感じていた。表情を変えずに記憶をいただいているアサトさんの本心も全く読めなかった。

「アサトさん、コンサートの会社って色々あるじゃないですか。どこに内定を決めるのですか?」

「あの業界って学歴関係ないような能力主義のブラック企業も多いのです。なるべくよさそうなところに内定をさせておいたけれど、彼女が本当にその仕事を続けられるのかは彼女次第ですね」

「おにーちゃんは本当に冷徹なところがあるよね」

 こどものまひるにまで言われているアサトさんは相当な冷徹主義なのだろう。今の女子大生が幸せになるために夢香は祈るしかない。

「俺氏にもさっきのおいしそうなにおいの食べ物、ちょうだい」

 黒羽が小説を書きながら女子大生の食べていた食べ物のにおいに反応したらしい。水をズズズ―という音を立てながら豪快に飲みほす黒羽は早食い、早飲み選手権で勝負したら世界一かもしれないというくらい、豪快な飲みっぷりと食べっぷりを発揮する。時々ここへきて、なにやら執筆している。ひきこもり気味らしいが、ここへは食べ物を食べにやってくる。必要以上の客もいないし私たちも深くかかわらないから居心地がいいのかもしれない。

「黒羽さんがマスコットキャラクターじゃお客さん怖がりますよ」
 小声でアサトさんに耳打ちする。

「仙台四郎みたいなポジションですよ」
「なにそれ? 誰ですか?」
「伝説の実在したといわれる人神化した人物さ。その人がいるだけで商売繁盛するご利益があるから商売の神様っていわれているんだけどね。不思議な現象だけど僕は黒羽氏がいると招き入れる客を見つけやすいんだよ」
 
 ※【パイシチュー】
 魚介類が入ったシチューをパイでつつんだもの。パイが器になっているが最後に食べることが可能。

  【青いゼリー】
 バタフライビー(青い紅茶)で作ったゼリーを添えて。青い色は深海を表現している。