最近売れっ子の若手美人女優の「姫野美雪」がやってきた。若干20歳のアイドル上がりの女優だ。芸能人に接するのは初めてだ。こんなに何不自由なさそうな女性でも悩むのだろうか。順風満帆に思えたメディア越しに見た様子とは違うようだ。本当はサインや握手を求めたいところだが、そんなことをしたら接客業失格のような気がして、気が付かないふりをする。実際街中で有名人にあっても気づかないふりをするパターンはわりとありそうだ。子供の学校の保護者に有名人がいたとしてもきっとみんな本人の前で騒ぎ立てないだろう。本人も黄色い声をかけられるよりは、みてみぬふりをされるほうがいいのだろう。
「過去に戻ったり未来を見ることができるって本当?」
女優が話しかけてきた。テレビでしか見たことがない人が目の前にいて、話していることに私は緊張していた。テレビで見るよりきれいと聞くが、実際その通りだ。
「本当ですよ」
アサトさんはどんな相手にも対応を変えない。神対応のスペシャリストだ。
「でも、普通はタイムトラベルなんて無理ですよね」
「ここのレストランは普通じゃないので」
「そうですか、少し怖いですが、未来を見たいのです。ねがいはかないますか?」
「ねがいがあるのですか? 未来を見てねがいをかなえる代償は記憶の一部をひとついただくことになります」
「理想の男性に出会ってみたいのです。私、人を好きになる自信がないのです。以前嫌な経験をしてから、なかなか私がイメージする男性に出会えないのです。記憶ならば必要がないものを差し上げます」
出会えない、それは女優ゆえの高望みのような気がした。どう見てもモテそうだし、出会いもあるだろう。それなのに、好きになれないなんて、一般的な彼氏を求める出会いのないモテない女子からはブーイングの嵐だろう。
「ちゃんと恋人ができて、結婚しているのかどうか知りたくて」
あんたさえ妥協しなければ、結婚したい男山ほどいると思うのに。私の心の声は鋭い。鋭利な刃物だ。
「あなた、美人なのに、どうしてそんな心配をするんですか?」
耐えかねて思いをぶつけてしまった。
「正直私の外見ばかり見て内面を見ない人ばかりです。顔目当ての男性も多くて、男性不振なのです。人間として魅力あふれる人に出会えないかもしれないから独身かもしれないし。女優の仕事も辞めたいと思っています」
つい私は、女優と対等に対話してしまった。なんて贅沢な人なのだろうと一般女子代表で説教したくなってしまったのだ。女優になりたい人がごまんといるのになぜ辞めたいのだろう、やはり贅沢な女なのだ。
「その美貌なら言い寄ってくる人の中に良い人だっているはずですよ」
「私は狭い世界しか知らない鳥かごの鳥です。そんな私は普通の人と出会うことは確率が低いのです」
自分で鳥かごの鳥といっているあたり、苦手なタイプだ。
「理想が高すぎるのかもしれませんよ」
核心を突く。
「そうですね、私結構理想は高いので」
ほら、やっぱり理想が高すぎるのだろう。この女優はわがままなのだ。
「お食事はどうしますか?」
アサトさんがタイミングを見計らって注文を取る。
「おなかすいたので、がっつりで」
意外なことを言う。
「ラーメンなんかいかがですか?」
ラーメンがあることに私は驚く。ここはレストランというより何でも屋食堂と言ったほうがいいだろう。
「ラーメンが食べたかったの。食事制限があって、あまりがっつりしたものは食べられなかったので」
「じゃああっさりとりんごラーメンはいかがですか? ヘルシーで低カロリーな一品ですよ」
「じゃあおまかせします、100円で何でもありなんですね」
女優はとてもうれしそうに微笑む。やはり美しい。
「このラーメン、りんごの果汁を練りこんだ麺に醤油スープをベースにして、りんご果汁が入っています。本物のりんごが上にのっています」
「名付けて白雪姫のりんごラーメン。これを食べると病みつきになってしまう恐ろしい一品ですよ。毒入りではないですが、中毒性があるので気を付けてください」
「まぁ面白い、いただくわ」
この女優さんは顔に似合わずチャレンジャーで珍味好きな変わり者なのかもしれない。私が感じたその予感は当たることになるのだが――
「白雪姫のりんごラーメンですよ」
「面白い!! こんな素敵なラーメンに出会えるなんて。いただきます」
それは、ここでしか食べられそうもない一品で、りんごを切ったものが上に乗っている。冷やし中華で言う、すいかが乗っているような感じだ。たしかに冷やし中華の上のすいかは中華に合う。ラーメンの麺の中にりんご果汁が入っているとはなんと手が込んでいるのだろう。そのさっぱり感があっさりとした味わいを醸し出すのかもしれない。
「ベースは醤油なのね。一見、合いそうもないりんごとラーメンという組み合わせが素敵だわね」
「一見合わないと思われるものでも、相性がばっちりというパターンもあるので」
まひるが心を込めて作ったドリンクが出来上がったようだ。
「虹色ドリンクできましたー」
まひるが小さな体でコップを運ぶ。
「きれいなドリンクね。本当に虹色。見たこともない色合いだわ。私、一度だけ好きになった人がいるの。でもね、その人暴力的で怖い思い出しかないの。白雪姫は一度死んでも王子様が助けてくれたでしょ」
あんなに美人なのに好きになった人に暴力を振るわれるなんて、美人だから幸せとは限らないのかもしれない。意外と豪快に虹色のジュースを一気飲みをする女優姫野。人は見た目だけではわからない。繊細そうに見えて実は豪快だったり、神経質そうに見えて実は鈍感だったりするのかもしれない。人の奥深さを知ったと思った。
「ドリンクおいしいですね~」
そう言うと、ドリンクがなくなるころに美人は眠りに落ちた。
私たちはモニターで彼女のタイムトラベルを見守る。
本当にタイムトラベルしたのだろうか? ここは撮影場所かな? たくさんのスタッフが忙しそうに働くスタジオには大道具がたくさん置かれている。女優姫野は1人の独特な雰囲気の男性に目を奪われた。
「あの素敵な男性は?」
近くにいたスタッフに聞いてみる。
「あの方は、映画の原作者の小説家の先生ですよ」
そこにいたのは、奇才と思われる不気味な男だった。背は低めで猫背で目が前髪に隠れて見えない顔。上下黒いジャージの風貌はある意味とても目立っていて異彩を放っている。老けているのか若いのかも顔が良く見えずわからない。この人が原作者?
「はじめまして」
少し警戒しながら原作者にあいさつをする姫野。
「ぐひひ……原作者の黒羽さなぎだ」
不気味な黒羽は白い歯をきらっとさせながら猫背気味の姿勢で語り掛ける。座り方も個性的な黒羽は自分の世界に入っているようだった。
「私、女優の姫野美雪です」
「あっ、そう」
興味なさそうに男は台本を読み始めた。そう言った反応は姫野には新鮮だった。みんながちやほやしてくることに疲れていた。握手を求められサインを求められるそういったことが日常茶飯事の女優にとって関心を持たれないということがドキドキするきっかけになったのかもしれない。きっかけなんて些細なことだ。
よく見ると猫背気味の暗そうな男は意外と若く、前髪は隠れているが、澄んだ瞳がちらりと見えた。そんな不思議なオーラにひとめぼれしたのだった。俳優やアイドルにはいないタイプ。ましてや芸能業界やテレビスタッフにもいない、自分を貫く職人気質な男。姫野は萌えていた。萌えるという意味もよく知らないが、きっとこういった胸キュンをいうのかもしれないと心のどこかで感じていた。ひとめぼれした姫野は黒羽を熱いまなざしでみつめていた。
「ぐひ? 何か用?」
黒羽が熱い視線に気づいたのか、姫野を見る。相変わらず話し方が個性的だ。ズボンのポケットに手を突っ込んで前かがみな姿勢で椅子に座る姿は独特だった。
「あの……黒羽先生みたいな人、私はじめてです。先生ともっとお話がしてみたいのですが」
「映画のこと? 俺氏も映画ってはじめてだからさ。まぁ世界観を損なわなければ基本OKだけどねぇ、ぐひひ?」
相変わらずこの男の擬音語が良くわからない。ぐひひの場所ってそこで使わないだろうと突っ込みを入れたくなる。しかも疑問形。でも、この人の話し方は心をわしづかみにした。
「連絡先です。具体的に指示してください」
自分から連絡先を渡す。普通の男ならば、ましてや初のヒット作となった新人作家ならば普段絶対にない素敵な出会いに心を躍らせることは間違いない。
「ぐひひ、俺氏友達いないからさ、連絡先の登録の仕方もわからないし、コレ返すわ」
面倒でも調べて女優の連絡先を登録するのが普通の男だろう。それを顔も見ずに返す男は鬼対応とでも言おうか。失礼にもほどがある。
「私が登録しますからそのスマホ貸してください」
「このスマホ、仕事で使うから買ったけど、全然使いこなせないんだよね、ぐひひ」
普通の女性ならばホラー風な歯だけが妙に白く光っている男に近寄ろうとはしないだろう。しかし、姫野は普通ではなかったのだ。
「先生のスマホに私の番号登録しました。先生の番号も確認したので、私から連絡します」
塩対応というか、どうでもいいような対応をされた姫野は意地になっていたのかもしれない。そして、黒羽の禁断の前髪をつかんで目を見つめた。彼の瞳は切れ長で美しい。睨み付ける鋭い眼球に心を奪われる。
普通出会ったばかりの原作者である男に普通はしない大胆な行動だろう。黒羽は自分の領域に人を極力入れない主義なので、パーソナルスペースに入ってきたこの女優を非常に警戒していたように思う。普通ならば黒羽という不審者を女優が警戒するのであろうが。
「先生、私、もっとお話ししたいから電話します」
「ぐはぁ? 話すなら今でいいでしょ」
やっぱりぐはぁの使い方も変だが、この男が使うと普通に感じるのが妙な話なのだが。
「先生の顔立ち、素敵ですね」
そういうと、姫野はストレートに
「ひとめぼれしました」
と耳元でささやいた。
普通の男ならば、もっと舞い上がったり顔が赤くなったりするものだが、黒羽は反応がない。彼は幼少時から日かげの世界にいて、異性などと接したこともなく友達もいない男だ。人として何かが欠けているからなのかもしれないし、変人だからなのかもしれないが、黒羽は悪寒を感じているようだった。上下ジャージでぼさぼさ頭の男だ。身なりは気にしていないのだろう。そして、その悪寒は的中し、毎日姫野は連絡をして、撮影に黒羽が来れば、めちゃくちゃ話しかける。自宅まで突き止めて遊びに行くが、煙たがられるそんな状態だった。女優姫野はお高く留まるどころか、ストーカー女のように思いを寄せていた。意外過ぎる事実だった。
♢♢♢
「あれ? ここは……?」
「おかえりなさい。ここは幻のレストランですよ。未来はいかがでしたか?」
「衝撃でした。めちゃくちゃいい男に出会ったんですよ」
「あの、個性的な作家さんですか?」
モニターで様子を見ていた夢香は、確認してみる。言葉を遮るように、姫野は熱弁する。
「クールな作家です。少し影はあるけれど職人気質なタイプで……ひとめぼれです」
クール? 暗いの間違いでは……?
「理想高いんですよね?」
確認する。
「私、彼みたいな人に出会えるならばこの仕事もう少しがんばります。芸能界に疲れていて、引退したいとか辞めたいとかばかり考えていました」
「もったいないですよ、演技力もあるし、かわいいのに」
「私は有名になったと思っていましたが、彼は私のことを知らないし、私に興味もないんです。そんなツンデレな彼に会うべくもう少し頑張ります。この仕事をしていなければ絶対にあんな素敵な男性に会えないのだから」
「はぁ……」
あの得体のしれない不気味男がツンデレなのかも謎だが、女優の趣味が個性的なのだろう。ため息が漏れる。
「私、ねがいが決まりました。あの人の恋人になって結婚したいです」
「白雪姫のように幸せになってくださいね。ねがいがかなうようにしておきましたよ」
瞬時にアサトさんが魔法をかけたらしい。やっぱりアサトさんはすごい人だ。
「ありがとうございます。素敵なラーメンごちそうさま」
女優姫野はこれから仕事があるらしくつかの間の休息を楽しんで店を出た。
♢♢♢
「アサトさん、姫野さんならねがいをかなえなくてもうまくいったのではないでしょうか? だって相手はあの不気味な黒羽ですよ」
畳みかけるようにアサトさんに詰め寄る。
「もし、ここでねがいをかなえられなければ姫野さんは失恋していましたね」
「あのキモイ男が美しい女優を振ったのですか?」
「黒羽は人が嫌いなのです。だから執拗に近寄る彼女に警戒して断るところでしたが、彼女のねがいによって、黒羽ははじめて人に心を開くのでしょう。一見釣り合いが取れそうもない二人が実は相性がいいということは先程のりんごラーメンで実証済みですよ」
「でも、ねがいって本当にかなうのですか? 未来のことなんてわからないじゃないですか?」
「ここでのねがいはかないますよ、確実にね。姫野さんはDVの記憶を消すことによって純粋な気持ちで人を愛することができる。私は黒羽さんにとって良い結果になったと思います。一生一人よりは誰かに愛されていたほうが幸せだと思いますし、幸せをつかむきっかけを与えられたのだから」
魔法使いアサトさんは夢香にとっての王子様なのだが、女優の姫野にとっての王子様はあの猫背の不気味な黒羽なのだろう。でも、才能がある人に惹かれるのはわかるし、意外と何かがかっこよかったりするとそれが惚れる行為につながるのかもしれない。
人の趣味嗜好なんて誰にもわからない。本人だっていつ誰を好きになるのかなんてわからないのだから。好きになろうと思って好きになるものではないのが人の心なのだ。
※【りんごラーメン】
りんごの果汁を麺に入れ、本物のりんごをトッピング。りんご果汁が入っている醤油をベースにしたラーメン。あっさりした味わい。中毒性あり。
「お手伝いありがとうございます。とっておきのお料理を振舞わせていただきます」
3日目のお手伝いは2時間程度だった。今日は、料理について色々教えてもらった。むしろ、無料で教えてもらえるとはありがたい。アサトさんの手際のいい料理を見ているだけで幸せな気持ちになる。まひるの料理の腕前も10歳とは思えない技術をもっていて、年下なのに教えてもらうことはたくさんあった。ほほえみの貴公子、アサトさんは、私のためにおいしそうな何かを作ってくれている。
「本日はこちらにはない食材で作った人魚のムニエルですよ。人魚姫は秘密を隠していましたよね。そして、人魚姫は人間になる代償で声を失った。かわいそうな話ですが、代償は何事にもつきものなのですよね。今日は、僕たちの秘密をあなたに打ち明けようと思います」
おいしそうなムニエルが白いお皿のまんなかで光っている。彩に添えられた紫色のものは、なんだろう? そして、いくらのような大きさの真珠? 何だろう?
「彩に添えたのは、紫たまねぎを甘く炒めたもの。そして真珠のような珠は、人魚姫の涙です。食べられますが、味はあまりしませんよ」
「人魚の涙?」
初めて聞く食材の名前だったので思わず聞き返した。
「僕たちは時の国という異世界からやってきたのです。ですから、僕たちの国にはあって当たり前の食材がこちらの世界にはないのです。幻のレストランでは日本の食事を主に提供していますが、夢香さんには自己紹介代わりに時の国のメニューを作りました」
「人魚の涙はあたしたちの国にはあるんだよっ」
まひるがにこっとほほ笑んだ。
「いただきます」
ひとくち頬張ると、柔らかい魚の身が優しく口の中に広がった。人魚なのだろうか? あっさりした魚の味は食べたことがないような食感だった。シャキシャキした身がぎゅっと詰まっていた。今まで食べた魚よりも新鮮な野菜に近い食感のように思う。ムニエルの味付けはあっさりした魚を飽きさせない工夫がたまねぎやソースの味で補われていた。
「人魚の味はあっさりしているけれど食感がしゃきしゃきしているのです。人魚の味はこちらにはない薄味のため、味付けは濃くしています」
「人魚がいるのですか? 大発見じゃないですか? 研究所に連れて行った方がいいですよ」
すると少し思いつめた顔でアサトさんが目をそらさずに真剣に話し始めた。
「実は、僕たちはレストランを経営しながら弟を探しています。弟の名前はヨルト。1日の時間を見守るのが僕たちの仕事なのです。父は時の国の国王です。そして、僕は朝の王になり、いずれは国王になる予定。弟は夜の王になる予定です。妹は昼の王となる予定です。こちらの国の夢香さんに協力してほしいのです。是非、弟探しに協力してください。お願いします、国の力になってください」
何を言われているのか、正直理解ができなくて、声が出なかった。思考が追い付かないと言ったほうが正しいのかもしれない。嘘だよね? 詐欺師? いやいや妄想話かもしれない。そんな気がした。異世界という言葉も意味不明だし、国王とか朝の王とか、この日本に存在などするばずないのに。偉い人なのかな? 何かの物語を読んでいるような話だ。現実ありえない話だ。
「弟は金髪で青い宝石のピアスとネックレスをしています。もし、そういった男を見かけたら教えてください」
「写真はないのですか?」
「あいにく、こちらの世界に写真を持ってくることはルール違反になってしまいます。極力こちらの人間に僕たちの正体を悟られないように事を進めたいと思っています」
「アサトさんに似ていますか?」
アサトさんの髪は茶色だし、ピアスもネックレスもキラッと光る美しい赤い宝石だった。
「顔立ちはそんなに似ていないけれど、歳は僕よりも1歳下だから、ここの世界の17歳ってことかな」
「アサトさんは高校生ですか?」
「高校は17歳で卒業したのだけれど、今は18歳だよ」
そうなのか、高校生しながらお店を一人で切り盛りするのは大変だよね。卒業しているという言葉に納得してしまった。時の国では17歳で卒業するのか。ささいなことだが、やはり別な国なのだと思った。
「まひるは緑の宝石だよ」
まひるちゃんの胸元にはとてもきれいな緑色の宝石が光っている。そして、耳には緑色のピアスをしていた。こちらの世界でピアスをしている小学生はあまり見かけたことはないが、異世界ならば普通なのかもしれない。よくわからないけれど、彼らが嘘を言っているようには思えなかった。
「この宝石は王家伝統の宝石なんだ。そして、日本の国とつながることができる石。ヨルトは昔から、ヤンチャでね。幼少時に事情があり生き別れたのだけど、僕たちはレストランをしながら弟を探すことにしたんだよ」
「でも、100円じゃ採算とれませんよね?」
一番気になっていた金銭面の質問をしてみた。
「こちらの世界の100円は僕たちの世界だと1万円の価値があるから、生活する資金源としては充分なんだよ」
「まひるたちのおとうさんは国王だから、お金には困っていないんだけれど、なるべく自立して生活しようっておにいちゃんと決めたんだ。今日から夢香おねえちゃんとあたしたちは、秘密を共有する仲間だよ」
まひるちゃんのかわいい姿とは裏腹にしっかりした女の子だということがとてもよくわかった。そして、この真面目なおにいさんの弟がヤンチャというイメージがどうにも湧かなくて、全くヨルトのイメージが湧かなかった。
「ごちそうさま」
私は箸を置き、不思議な話を理解しようと頭をフル回転させた。
※【人魚のムニエル】
人魚(あっさり味だが、食感はしゃきしゃき)、紫たまねぎで彩りを添える。
(時の国の食材)人魚の涙
美味しいムニエルを食した帰り道で、見慣れない占い師に出会った。その男は、高校生くらいだけれど、私よりは年上という感じで、不思議なオーラをまとっていたように思う。神秘的で美しい男性だった。うっかり見とれていると――
「おねーさん、占いやっていかない? 100円だよ」
美しい男は軽いノリで話しかけてきた。
「100円で占いができるの? でも、どうせ素人なんでしょ。安すぎるよ」
「俺はプロの占い師だから、まじで当たるよ。占いたくない?」
「うーん、占いたいけど……」
「恋愛運とか?」
きれいな顔立ちの男性に見つめられただけで、恥ずかしくなってしまう。基本的に女子高在学の私は、男性に免疫がないので、目をそらしてしまった。椅子に座るとタロットカードで占いを始めた。
黒いマントのようなものを纏い、全身黒色の服装の男は、割と目立つ。この人が芸能人のようにスタイルがよくきれいな顔をしているのもあるが、あまりこのような服を着ている人は見かけない。占い師ならばちょっと個性がある服装は、神秘感を出すためには必要なのかもしれない。
「君は不思議な運勢だね。見たことないタイプだよ。色々な騒動に巻き込まれるけれど、素敵な仲間がいて、楽しい未来が待っているってさ。肝心の恋愛運は……2人の男の間で揺れ動くってさ」
「そんなことないよ、私一途だもん」
「君、男と付き合ったこともないのに、そんなことよく言えるよね」
付き合ったことがないって、言ったっけ? なぜこの人わかっちゃったの? 彼氏いなそうなタイプって思われたかな。きっと適当に言ったに違いない。
「たしかに付き合ったことはないけど、恋多き女じゃないよ」
「まだ、それは本気の恋を知らないからそんなことを言えるんじゃない?」
挑戦的な口調で言われると、気が多い女と言われているみたいで、内心むっとしてしまった。この人、かっこいいけれど、私とは合わない。そう思った。
「また来なよ。おっと、名前は?」
「夢香よ。あなたはいつもここにいるの?」
「占いは時々やっているから、いつ会えるかはわからないよ」
「100円じゃ稼げないよね」
「100円は、俺にとっては結構いい商売なんだよね」
さっき聞いた100円が1万円の価値になるっていう話にちょっと似てる? 一応ピアスを確認してみたけれど、なにもつけていなかった。でも、金髪だ。よくいる不良の類なのかもしれない。
「学生なの?」
「17歳の高校生」
「バイトなんてしていいの?」
「うちの高校は自由主義だから。君はこう見えて、結構男を惑わすタイプってカードは教えてくれたけれど、そう見えないよな、色気も全然ないし」
「ちょっと失礼じゃない? 私には今、ちょっと気になっている人がいて……」
アサトさんのことだ。あの人はかっこいいし、落ち着きがあって優しい。あの人とならば、付き合ってもいい。むしろ、彼女に立候補したい。そう思える。
「気になる人ねぇ。目の前の俺のことか?」
男がにやけながら自分を指さす。
「違うってば」
「じゃあ占ってあげるよ。その人との相性」
男は、ぱらっとカードを広げて一枚取り出した。
「へぇ。君が好きな人との相性は、微妙だな。悪いわけでもないけれど、いいわけでもないらしい。でも、これから、もっと相性のいい人に出会えるって」
ヤンチャな微笑みの謎の占い師。顔立ちがきれいだから余計ムカつく。一瞬でも目を奪われた自分を責めた。
「適当なこと言わないでよ。私は帰るから。もう会うこともないだろうけれど」
ちょっとむかついた私は、仕事帰りの人であふれている駅に向かって、帰ることにした。
「じゃあ、これあげる。また会えるおまじないってところ。またな」
男が手渡したものは個包装された七色のマシュマロだった。
「毒入りとか言わないでよ」
「惚れ薬入りだよ」
「はぁ?」
「冗談だって。わたがしマシュマロ、おいしいから食べてみて」
「あやしいもの入っていないでしょうね?」
「大丈夫、ヘンゼルとグレーテルの家から持ってきたお菓子だから」
「もう、冗談ばっかり」
黒服の占い師の男が手を振る。またはないと思うよ。もう二度と会うこともないだろうから。マシュマロを口に入れてみる。砂糖菓子のように口の中でとろけていく。はじめて食べる感覚のマシュマロだった。味は砂糖よりも甘いのに甘すぎない感じだろうか。初めてのお菓子は、わたがしに似た味わいで綿のようにやわらかいお菓子だった。
※【わたがしマシュマロ】
わたがしのような甘くすぐ溶けるやわらかい食感。七色の色合い。
趣のあるアンティーク古書店がこんなところにあるなんて。滅多に通らない通りを通った時に、ひとめぼれしたお店だった。このお店からの香りが絶対当たりのお店だとささやいているような気がしたのだ。普通、個人が経営していそうな古めかしいお店は入ることに躊躇したりするものだが、今回はなぜか足が勝手に動いた。何となくだが、呼ばれたという感覚に近いものがあった。バイト帰りにちょっと立ち寄ろうか、そんな気持ちだった。
入り口のドアは西洋風の重いドアで、ギギーというきしむ音と共に備え付けられた優しい鈴の音が鳴り響く。重いドアを押して開けると、薄暗い部屋にランプの優しい灯が私を出迎えてくれた。懐かしい香りのする店だった。昭和のにおいというのだろうか? 昭和を知らないので何となくしかわからないのだが。アンティーク風の西洋建築のお店は大都会の中でひっそりと、しかしながら存在感は格別な雰囲気を醸し出す。
「いらっしゃいませー」
ドアについている鈴の音を聞いたのか、奥のほうから男性の声がした。てっきり店主はおじいさんのような気がしていたのだが、声の主は若い男性だった。最近はいいお店に出会うことが多いな。思い込みの激しい私は、自分がラッキーな女だと思い込んでいた。
古い印刷物の香り、古書の香りがする。木造建築の中に木の本棚がたくさん並んでいて、木の香りも心地いい。木目模様も木の存在感を押し出していると思う。しかも、素敵なアンティークな品物も売っているようだ。なんだか、心地いい。たいして長生きもしていないくせに、懐かしい気持ちになりながら店内を歩いていると、レジのところに見覚えのある人物が座っていた。
あちらも私を見て、すぐに気づいたようだ。少し驚いた反応だった。なんとそこにいたのは、以前会ったことのある占い師。顔は美しいが、むかつく男だった。よりによって、なぜこんな素敵なお店に胡散臭い占い師がいるのか。私は、希望から絶望の淵に立たされるくらいショックだった。しかも、店員は1人しかいない。このまま帰るのも気まずい。
「こんにちは。占い師なのに、古書店にいるのですか?」
一応礼儀正しく聞いてみた。
「悪いか?」
何、このぶっきらぼうな態度。許せない。なんだかわからないがムカついてしまった。
「俺は、金が必要なんだ。だから、バイトしている、それだけだ」
貧乏? 家計が苦しいのかな。そんな同情をしながら、とりあえず話しかけてみた。
「占いと掛け持ちしているなんて働き者ですね」
「自力で金を稼ぎたいから自立のために働いている、それだけだ」
占い師の男は、売り物の古本を熟読しはじめて、私なんて眼中にないようだった。占い師を横目に、私は、アンティークの置物に心を奪われてしまった。それは、不思議な動物の形をしたブリキの置物だった。猫? うさぎ? よくわからないけれど、目には光るガラス玉のようなものが入っていて、光に当てたらぴかっと光りそうだった。それこそ異世界の時の国にいそうな動物なのかもしれない。
「これ、なんかいいかも」
「それ、気に入ったのか? そういえば、あんた、男の災いの相が出ているから、気を付けるんだな」
「あなたみたいな人と関わると何か悪いことが起きるとか?」
「あのなー、俺はめっちゃ良い人だし。マシュマロのまた会えるおまじない効いたみたいだな。じゃあ今日はこれやるよ、また再会できるようにさ」
あめを渡された。七色キャンディー? まさか過去に戻るキャンディーとか? 胸がざわついた。あれ、この人、前に会ったときはピアスしていなかったけれど、今日は青い宝石のようなピアスをしている。小さいけれど、とてもきれいな色だった。でも、まさか、アサトさんが言っていた人じゃないよね? ネックレスはしていないし。世の中に青い宝石のピアスなんてたくさんあるし。もしも、この人が時の国の王様の息子ならば、なんでこんなところでバイトしているの? 王子様なのに勤労する必要あるのかな? 何か事情が? アサトさんみたいに何か目的があるとか? 色々なことが頭をよぎった。
「これって普通の飴?」
「普通じゃない飴なんてあるの?」
「七色って不思議なキャンディーだなって」
「甘くておいしいけど、のど飴効果もあるんだぞ。これをなめると歌がうまくなるけれど、時間を移動することはないから安心してよ」
時間を移動……? やっぱり……時の国の関係者?? 私は平静を装う。目についた小さなかわいい置物があった。高いものではないので、私でも買うことができる金額だった。
「じゃあこのかわいい置き物買います。この店、気に入りました。また来てもいい?」
「客を選ぶ権利は俺にはないから、あんたを拒む権利はない。これ、100円だよ」
そう言って、腕組みしている男にお金を払い会計をした。100円でこんなに立派なものが買うことができるとは、うれしい出来事だった。お得な気持ちのせいか気分が上がる。お金を支払うときに彼の細くて長い指が触れて、私の心臓は、とってもとってもドキドキしていた。2回しか会ったことがないけれど、この人の瞳がきれいすぎたからかもしれない。不思議な美しさを持つ男性はそうそういるものではない。私ったら何を見とれているの、恋多き女じゃないのに。そして、彼の素性が少し気になっていた。
【七色キャンディー】
のど飴効果もあり、歌がうまくなる。すっきりとした味わい。
「過去に戻るドリンクがほしい、ねがいもかなえてほしい」
そう言って慌ただしく20代くらいの男性が落ち着きのない様子で店に入ってきた。
「いいですが。お食事は何にしますか?」
「過去に戻るドリンクだけでいいよ。過去に戻してくれ」
「もしもの世界はあなたの記憶の一部とひきかえになります。体験後にねがいを言ってください」
「黙っていてほしいんだが……俺、ここだけの話、さっき人身事故を起こしたんだ。俺は本当にいますぐ事故を起こす前に戻りたいよ。そして、事故の事実をなかったことにしたい。ねがいをかなえてもらえば事故の事実もなくなるだろ。だから、俺は犯人じゃないし、罪もなくなるよな? 記憶は一部でいいのか?」
「はい」
「じゃあ、被害者の辛い顔の記憶で。あの顔が脳裏から離れないんで困っていてね、そんな記憶でいいのかい?」
男の手は震えていた。ひき逃げしたわけだから、動揺をしているのは当たり前だが、逃げるということは罪が重くなるのに、人間とはいざとなると弱い生き物だと思う。動揺と焦りが男を過去へと駆り立てる。でも、このねがいをかなえることは犯罪に加担することではないだろうか? 少し不安になった。
「了解しました。しかし、過去に戻っても必ずいい結末になるとは限りませんよ、虹色は七色以上に色があるので、何通りも過去も未来もあるということを表しています」
アサトさんが念を押す。
「もしもが体験できる虹色ドリンク入りまーす」
まひるが大きな声でオーダーを確認した。
「こちら、ドリンクができるまでお好きなお菓子をおひとつどうぞ。これは、サービスです。糖分は疲れた頭を休めさせてくれますよ。あなたの罪は口外しませんからご安心を」
そこには、金と銀の紙に包まれたお菓子が並べられていた。
男は金のお菓子をつかんだ。
「このお菓子、みたことない金色だ。中に何か入っているな」
「それは、シュワっとする粒を入れています。まるで炭酸みたいでしょ」
「じゃあ銀色のほうは?」
男が質問した。
「これは、食べてみないとわからないようにしています。後にならないとわからないことって結構ありますよね。金の斧と銀の斧どちらを選ぶという話がありますが、あれには答えはないのです。僕はどちらを選んでもいいと思っていますよ、個人の好みですから」
男は貧乏ゆすりをしながら、先を急いでいるようだった。
「とりあえず、過去に戻ることができるドリンクを早く飲ませてくれ」
「必ずしも良い結果になるかはわかりませんが、どうぞ」
まひるは素早く虹色の不思議な色合いのドリンクを作り、手渡した。
「素敵な夢の世界へ行ってらっしゃい」
男は、渡されるとすぐにごくごくと飲み干した。普通、リセットできないのが、人生だ。元に戻すボタンがあるわけではないのだから。困ったときはワラにもすがる思いなのだろうか? しかし、幸運にもここは本当に過去に戻りやり直すことができる。
男を見守った。すると、男は心地よくなったのか、少し酔ったような感じで眠ってしまった。これが虹色ドリンクの効果なのか。目の前ですごいものを見てしまった。でも、この男は夢の中で人生をやり直しているのだろう。アサトさんが小さいテレビのようなモニターを持ってきた。
「見てみましょうか?」
アサトさんの提案に私はうなずく。人様の夢を見るなんて申し訳ないような気持ちもあったが、見てみたい。そう思った。
過去をやり直すためにこの店をたまたま見つけた男はラッキーだと思う。交通事故で、ひどく疲れていた。俺の人生には人身事故を起こした相手のことが心から消滅することはないのかもしれない。だから、嫌な記憶を代償として渡すことにした。
自分では精神力は強いほうだと思っていたが、窮地に立たされると意外と弱いということを自覚する。意外な自分の一面を見せつけられたような気がする。
相手は死んでいないと思うが、怖くて確認はしていない。生死を確認をするのことが怖かったというのが本音なのかもしれない。自分自身が一番情けないということを実感している。
一見体を鍛えていて強そうに見えても、どんなにガタイが良くても、心の強さに通じるわけではないことを実感した。自分がこんなに弱虫だったなんて、人殺しになるかもしれないなんて、思ってもいなかった。ケガの大きさもわからない。
もしも目の前で自分のせいで人が死んだり怪我をしたら、逃げ出したくもなるだろう。何とか、逃げられるかもしれないと思ってしまうのが人間だ。今、リセットすれば何もなかったことになる。人間の体を完璧に元に戻すのは正直至難の業だ。被害者の通院やリハビリは相当の長期間となり、生きていてもケガとなると保険会社も支払える金額が決まっている。でも、なかったことにすれば、相手はケガも何もない健康な体になる。これは相手のためでもある。
焦燥と失望で体調が悪いように感じたのだが、そんなことは当事者になれば当然のことだ。俺は虹色ドリンクを飲んで、過去に戻り何もなかったことにしたかったのだ。しかしながら、もっと悪い結末も、もしもの世界にはありうるのだ。先程より良い結末であることが前提だが、何が起こるか正直わからないものだと思う。
たとえば、何かの事件に巻き込まれて不幸になるもしもがあるかもしれない。でも、人間は今よりももっとましになるとか人生が楽しくなるだろうと信じて疑わないところがあるものだ。
これは、事故の時間帯か。気を付けて運転しないとな。でも、過去と必ず同じことが起こらないかもしれない。それにしても本当に戻ることができるとは。不思議な話だ。タイミングに気を付けないと。俺は慎重に運転していた。右折しようとしたときに、歩道に急に人が飛び出てきたんだよな。あちらの不注意だが、運転しているほうが悪いということになってしまう。交通事故では歩行者のほうが被害者になってしまう。
それにしても、あの人、見えないな。この過去の世界では事故が起きないということになっているのかな?
そんなことを思いながら、男はほっとして安心していた。ところが、大型トラックが目の前に突っ込んできたのだ。対向車線からなぜ、こちらの車線に? 一車線なので、よけられない。そんなことを思っているうちに、目の前が真っ暗になって、痛いと思った瞬間、痛さを感じなくなっていた。
気づくと幻のレストランに戻っていた。
「こんな過去でも戻りたいですか? 念のため確認です」
さっきの店員じゃないか。
「俺、どうなったんですか?」
「対向車線のトラック運転手が居眠り運転していたようですね。あなたはトラックと衝突して死亡しました。交通事故はいつ起こるかわかりませんし、結構な確率で事故はありうるのです、それでも過去をやりなおしたいですか? ねがいは決まりましたか?」
店員が聞いてきた。
「もう一度、同じ時間に戻ってやり直すことはできないか?」
「同じ時間に同じ人間がもどることはできません。必ずしもいい結果になるとは限らないということです」
「死ぬなんてまっぴらだ。とりあえず俺が事故に遭わないというねがいにしてくれ。そうすれば加害者にも被害者にもならないですむだろ」
「考えましたね。たしかに加害者にならないというねがいだと被害者になる可能性もありますからね」
店を改めて見渡すと、不気味な男が奥のテーブルにいる。慌てていて気付かなかったが、もしかして話を聞かれていたのではないだろうか? 何やら一生懸命パソコンに向き合いながら文字を激しく打ち付けている。彼の指は、止まることなく店内に打ち付ける音が響き渡る。手が勝手に動いているのか、適当にキーボードを打っているようにも見える。その表情は前髪に隠れて見えないが、青白い鼻筋と口元のみ確認できる。あの集中している感じだとこちらの話をきいているようにも思えないが、この距離だったら聞こえていないだろう。
男の胸の中はざわざわ騒ぎ出す。もし、事故を隠ぺいした罪をあの男が盗み聞きしていて、通報されたとしても証拠がないのだから大丈夫だと自分に言い聞かせる。
「彼は常連客です。ここのマスコットキャラクターみたいな存在なので、誰にも口外しませんよ。彼は人間に興味がないのですから」
「それならいいんだけどね。本当に、事故はないことになっているよね?」
「大丈夫ですよ、あなたの車を確認してください。どこも破損していないでしょ?」
外に停めていた車を窓から確認すると、傷ひとつないきれいに磨かれた愛車がそこにあった。本当に何もなかったことになっていたようだ。
「ありがとうございました」
武道の精神をあいさつで発揮する。声は大きく礼儀正しくお辞儀の角度もばっちりだ。でも、本当に心が鍛えられていないことをこの一件で身に染みていた。今度事故があっても逃げない強い心を持つべく、男は鍛錬に励もうと誓った。
♢♢♢
最近ふらっとやってくる黒羽が一番隅の席から話しかけてきた。ここで執筆すると筆が進むらしく、アサトさんに念を送ってこの店にやってくるらしい。念を送るあたり、凡人ではないのだろう。
「ぐひひ……最近さぁ、ウェブ小説始めたんだけど、謎のストーカーが毎日メッセージ送ってくるんだよね、マジでこわっ」
一見ストーカーと言われて10人中10人が黒羽を見て納得しそうだが、ストーカー被害に遭っているのはこの不気味な男の方らしい。ウェブは顔が見えない分、素敵な人と勘違いされる可能性もあるのかもしれない。だから、インターネットは顔が見えない分、夢を見ることもできるし、期待を裏切られるという点では怖いと思う。
♢♢♢
まひるが後日、新聞を持ってきて、事故のニュース記事を見せる。数日前に来た男が事故を起こした場所と同じだった。そこにうつっていた写真は同じ場所で違う人間が事故を起こしたという記事となっていた。
「あの人が事故を起こさない場合、別な人が事故を起こすようにこの世界は成り立っているのです。だから、事件や事件って後を絶たないと思いませんか。自分ではない誰かが被害者にも加害者にもなるように世界はまわっているのですよ。皮肉ですが」
結局、解決にはなっていないことが私にはもどかしいものがあった。あの人ではない別な人が巻き込まれ、困っている。それでいいのだろうか? 過去に戻った結末をあえて幸せにしなかったのはアサトさんの判断なのかどうかは知る由もない。
今日のお客様は女子大学4年生、かのんという名前だ。
絶賛就職活動中の女子大生。しかし、なかなか内定がもらえずにいる。大学に入ったはいいけれど、これでよかったのだろうか? 別な学部に進学するべきだったのではないか? 大学に入った後もこんなはずではなかったと、人生悩んでいる自分探しのまっただなかにいる。中二病ならぬ大学四年病なのだろうか? 自分は選ばれた特別な人間で秀でたものを持っているはず。まだ発揮されていないなんて本気で思っている。環境がわるいだけで、別な場所にいればもっと自分の能力は発揮できたはずだと自分を鼓舞する。
悩みの中でのストレス解消は、素敵なカフェを見つけること。おひとり様カフェ巡りがマイブームとなっていた。一軒の建物の前で足を止めた。不思議な雰囲気をかもしだすレストラン「幻」と書かれた看板が見える。ここは、当たりの予感がする。最近、一歩足を踏み入れただけで、当たりはずれがわかるというくらい、カフェやレストラン巡りをしていた。メルヘンな外観と周囲の風景と混じりあわない独特の空気を醸し出す喫茶店。どんな料理があるのだろう? ベルの音を鳴らしながら扉を引いてみる。音が少し心地いい。私は耳がいいので、絶対音感をもっている。だから、ベルの音もドレミの音階で聞こえたりする。やっぱりちょっと特別な人間な予感がする大四病だ。
「いらっしゃいませ」
店員の若い男性は優しく挨拶をした。ずいぶん若いなぁ。もうひとりも女子高校生かな。バイトしかいない店なのかな。そんなことを思い、席に着いた。カウンターに座る。レストランの一番奥の部屋の隅に不気味な男がいる、客だろうか? あの手の猫背の変わった座り方をした男はあまりみたことがない。前髪も長くて顔も見えないし、不審者といわれたら絶対そう思ってしまいそうな風貌だ。なにやらパソコンで文字を打っているようだ。私が不思議な顔をして見ていたせいか、店員さんが説明を始めた。
「奥にいる彼はこの店の常連さんなんですよ。マスコットキャラクターのような福の神のような人なので、気にしないでくださいね。彼は仕事中は人の話が聞こえないタイプなので今話していることも聞こえていませんから」
にこりと店員さんが笑う。
「メニューは……竜宮城の玉手箱、気になりますね。ちょっとお腹もすいているので」
何故かそのメニューが目に飛び込んできたのだ。きっと私を食べてくださいと言っているのかもしれない、なんて思ってしまう。
「こちらは、パイシチューになりますが、あなたのように、迷いがある方にはお勧めですよ」
迷いがあるってばれてる? 私の心の中を見透かしているの??
「じゃあ、こちらをお願いします」
「竜宮城の玉手箱、1つはいりましたー」
かわいい声が店内に響く。ここは、小学生まで手伝っているの? 家族経営かな?
「あなたは迷っているのですか? 自信の進路への後悔とか?」
店員さんが親しみやすい笑顔で語りかけて来るので、つい、本音が出てしまう。
「大学の文学部に進学したのですが、やっぱり別な学部に行ってみたかったかなぁって後悔していて。就職活動をやっていて思ったのです。私は子供が好きだし、音楽も好きです。だから、音楽教室の先生をやってみたかったんですよね。今更ですが」
「音楽大学に行きたかったとか?」
「そうです。私、ずっと音楽をやっていて、声楽科を考えていたのですが、結局、文学部にしたのです」
「なぜ文学部にしたのですか?」
女子高校生が聞いてきた。この子、自分の進路の参考にしたいのかな?
「高校時代、勉強よりも音楽をやれと声楽の先生に言われて……。成績最下位になることは、私の意地が許さなかったのです。だから、勉強を選びたいと思い、学力だけで入ることができる文学部を選びました。読書が好きというだけの文学部選択です。入学後も声楽だと、ずっと練習に追われそうだし、実技試験の緊張も文学部とは全然違います」
「音楽大学は特殊ですからね、大変ですよね」
女子高校生にねぎらわれる私、就職活動で弱っているのかもしれない。
「音楽大学の入試の科目も他学部にはない、専門的な試験もあるので、大学関係の音楽の教授にレッスンを受けます。やはり音楽はお金もかかりますし」
「もしも、あなたが音楽大学に入学したら、という別な人生を体験してみませんか?」
男性店員が提案する。
「え……?」
「過去を体験するかわりに記憶の一部をいただきますが」
「記憶かぁ、何かいらない記憶……小さい頃の記憶はなくてもいいかも。幼稚園の年少の時の記憶をあげちゃいまーす、ほとんど記憶がないけど」
「幼稚園年少の記憶を一部いただきます」
男性店員が念を押す。
「虹色ドリンク1杯はいりましたー」
小学生女子が元気にオーダーを確認した。
そして、目の前に出された、パイシチューの深海の竜宮城をスマホで撮影してみた。見た目は普通のパイシチューよりも豪華なスイーツ感があって、まわりにフルーツやデコペンで飾られていた。乙女心をくすぐる一品は、映えること間違いない。
「深海をイメージしたバタフライビーの青いゼリーを添えました」
「バタフライビー?」
私はちょうちょと蜂を想像してしまった。
「青い紅茶の名前です。その紅茶を使ったゼリーですよ」
「いただきます」
パイを開けてみると、中にはたくさんの魚介類が入ったシチューが入っていた。作りたてなので、熱々で香りも食欲をそそる。
「おいしい!! このシチューの濃厚なクリーミーな味付けも、サクサクパイもやみつきです。サクサクパイとシチューって相反するもののような気がしますが、隣り合っていてすごく相性がいいですね」
「そう言っていただけるとうれしいです。竜宮城は、美しい世界ですが、玉手箱はあけてはいけないもの。なのに、なぜ乙姫様はそんな箱を渡したのでしょうかね。実際浦島太郎の幸せを願っていたのでしょうか? むしろ、亀を助けなければ普通の人生を送ることができたのかもしれません。浦島太郎は自分の未来を知っていたら、亀を助けなかったかもしれません。未来は見えないので、自分だけで将来を選べないことは多々あります。用意された縁みたいなものでしょうかね。さあ、虹色ドリンクが登場しましたよ」
私は、熱々のシチューで口が熱くなり、ちょうど冷たいドリンクを欲していた。あれ……意識が朦朧とする。なんだろう、この不思議な感覚……。
もしも、音楽大学に入学していたら、それはとても充実した日々を送っているかもしれない。そう思っていた。かのんは虹色ドリンクで、晴れて音大生としての生活が体験できている。もしも、音楽大学に入ったら、声楽家、音楽関係の会社、音楽教師、音楽教室の講師の就職先がちゃんとあったはずなのだ。文学部と違って、専門的な就職ができる、そう思っていた。いわゆる手に職のような専門職だ。
大学の仲良しの女友達と就職について談笑している。昼休みのひとこま、というところだろうか。大学のキャンパスは、緑があふれていて、育ちのよさそうな生徒がたくさんいた。
「私たちも4年生かぁ、卒業後どうしようかなぁ」
「私は、親のコネで一般企業に就職予定だよ」
「え? みんな就職で困っているの?」
「かのんは、困ってないの? 声楽ってつぶしがきかないからねぇ。私は一般事務する予定だけど。こんなに毎日音楽漬けの日々を送って、一般企業は割に合わないよ」
「声楽を音楽教室で習いたい人って結構少ないんだよね。子供の習い事でもピアノは割とあるけれど、他の楽器やりたい人ってあんまりいないしね。私は、最悪就職難民になったら、バイトしながら、自宅でピアノ教えるよ。専門は声楽だけど、副科でピアノ専攻しているからね」
音楽大学のこの人たちは、他の学部の学生と同じような悩みを抱えているのかぁ。
「音楽教室に勤めようかとも思っていたけど」
「今、少子化だから、年配の先生が辞めないと、空きがないから募集少ないよ」
「中学校の音楽の先生とかダメかな?」
「教員採用試験って都道府県の公務員は、勉強ができないと正直難しいよ。採用人数が若干名とかって無理無理。私立ならコネがないとすんなり就職は厳しいと思うよ」
「音楽関係の会社とかって無理なの?」
「コネがないと、一般企業、特にマスコミ関係は厳しいよね。学歴社会だしね。かのんって、あんまり就職活動してない人?」
「そんなことないけど……」
「かのん、今日、追試でしょ?」
「え……?」
「実技試験赤点だったから、この先、卒業できないとまずいんじゃない?」
「私たちって因果な学生だよね。だって、個人レッスンや実技試験は緊張の連続だし、他の学部の人よりも練習で遊ぶ時間がなくても、学歴は同じ大卒なんだよね」
なんだ、音楽関係の仕事って簡単にできないのか。同じ大卒……。むなしい現実が襲った。なんだか、さっき食べたパイのように幻想がサクサク崩れていった。なんだろう、この虚無感は。細かく砕け散ったパイのかけらは、なかなか細かいかけらは、拾うことができない。そんな細かいかけらを全部拾って口に入れることができない焦りやせつなさを感じながら、現実を知ることになった。
どんな道に進んでも、悩みはつきもので、進路には壁がある。楽な道はなかなかないようだ。意識が戻った。夢を見ただけだったのだ。目の前には先程のレストランの風景が広がっていた。
「もしもの体験どうでしたか? もしかして過去に戻りたいって思いましたか?」
「私、やっぱり今が一番です。辛いことから逃げようと思っても別な辛さが必ずあるんですよね。今いる状況で自分で打破していかないと」
「ねがいはありますか?」
「私、J-POPが好きなのでアーティストのコンサートなどに携わるお仕事をしたいです。ずっと願っていたのは音楽の近くにいることができる仕事なのです。裏方の仕事をしたいのです」
「わかりました。内定できるように操作しておきます」
「ありがとうございます。おいしいお料理ごちそうさまでした」
「あたしは応援するよ」
女の子がまんまるな澄んだ瞳を輝かせた。
「私も陰ながら応援しています」
女子高生にまで応援されている。
きっとこの3人だって、大変なのだろう。負けていられない。みんな今ある環境で頑張っているのだから。人生をやり直そうとか、あの時こうしていればよかったなんて思っていること自体時間の無駄なのかもしれない。思い残すことなく帰宅することにした。
♢♢♢
「まひる、あの人が音楽の先生を志すきっかけになったのは幼稚園の年少のときの先生が影響しているんだよ」
「おにーちゃんはそれを知っていて、記憶をもらったの?」
「だって、音楽の指導者に未練が残らないじゃないか。志すきっかけを奪ったのだから。でも、やっぱり音楽が好きだという気持ちは残ったね。選択肢を狭めることで本当にやりたいことが見つかることもあるんだよ。必要がないと思える記憶でも、とても大事なことにつながるということもあるからね」
記憶を渡す恐ろしさを夢香はこのときに感じていた。表情を変えずに記憶をいただいているアサトさんの本心も全く読めなかった。
「アサトさん、コンサートの会社って色々あるじゃないですか。どこに内定を決めるのですか?」
「あの業界って学歴関係ないような能力主義のブラック企業も多いのです。なるべくよさそうなところに内定をさせておいたけれど、彼女が本当にその仕事を続けられるのかは彼女次第ですね」
「おにーちゃんは本当に冷徹なところがあるよね」
こどものまひるにまで言われているアサトさんは相当な冷徹主義なのだろう。今の女子大生が幸せになるために夢香は祈るしかない。
「俺氏にもさっきのおいしそうなにおいの食べ物、ちょうだい」
黒羽が小説を書きながら女子大生の食べていた食べ物のにおいに反応したらしい。水をズズズ―という音を立てながら豪快に飲みほす黒羽は早食い、早飲み選手権で勝負したら世界一かもしれないというくらい、豪快な飲みっぷりと食べっぷりを発揮する。時々ここへきて、なにやら執筆している。ひきこもり気味らしいが、ここへは食べ物を食べにやってくる。必要以上の客もいないし私たちも深くかかわらないから居心地がいいのかもしれない。
「黒羽さんがマスコットキャラクターじゃお客さん怖がりますよ」
小声でアサトさんに耳打ちする。
「仙台四郎みたいなポジションですよ」
「なにそれ? 誰ですか?」
「伝説の実在したといわれる人神化した人物さ。その人がいるだけで商売繁盛するご利益があるから商売の神様っていわれているんだけどね。不思議な現象だけど僕は黒羽氏がいると招き入れる客を見つけやすいんだよ」
※【パイシチュー】
魚介類が入ったシチューをパイでつつんだもの。パイが器になっているが最後に食べることが可能。
【青いゼリー】
バタフライビー(青い紅茶)で作ったゼリーを添えて。青い色は深海を表現している。
「整形手術を検討している女性が今日のお客様ですよ」
「アサトさんは今日来るお客様がわかるのですか?」
「知ったうえで招いているのですから、偶然ではなく必然です」
「アサトおにいちゃんってすごい予知能力を持っているよね。心がよめるっていうかさ」
まひるが笑いながらすごいことを当たり前のように言う。
ヨルトから聞いていたから、心が読めるということや予知能力を知っていた。でも、アサトさんは心を読んでしまったら、ヨルトのことがばれるんじゃ? 少々心配になった。
「アサトさんはいつでも私の心を読むことができるのですか?」
さりげなく聞いてみる。
「いえ、私は困っている日本人の心をキャッチしてその人の未来を見るので、誰の心でも読んでいるわけではありません」
「読まれたら困ることがあるの?」
まひるが聞いてくる。まずいな、核心をつかれている。
「困ることなんてないけれど……まひるちゃんは能力持っているの?」
「あたしはまだ子供だからそんなに能力は開花してないけどね、時を動かす力は持っているよ。だって、虹色ドリンクはまひるが作っているんだよ」
「え……そうなの?」
「まひるは能力が高いので、過去や未来に移動させる力があります。虹色ドリンクを作ることができるのはまひるだけなんですよ」
この小さい子ども、あなどれない。じっと警戒しながらまひるをみつめてしまった。
♢♢♢
カランカランとドアの鈴が鳴る。美しい建物とインテリアの素敵なレストラン。あるようでない、はじめて入るレストランという感じだ。テレビなどでは見た事がある豪華さがちりばめられたレストランだ。名前は清野かおる。
「もしもが体験できる虹色ドリンクって本当にあるんですか?」
変なことを聞いているようで、少し遠慮がちに聞いてみる。
「体験したいことがあるのですか?」
「未来を見たいのですが、見たい時間は指定できますか?」
「好きな時間に行けますが、本当にずっとその時間にとどまることはできません。そのかわり、ここへ戻ったらねがいをひとつかなえることが可能です」
「未来を見るだけでいいんです。個人的なことなのですが、ちょっと迷っていて……」
「なんでも100円ですよ、こちらのスイーツなんていかがですか?」
「ジャックと豆の木のずんだもち? 私、ずんだはこどものころに食べたことがあるんですよね。甘い味わいが懐かしいなぁ」
「ずんだってご当地グルメなんですか? 私、ずんだって知らないです」
女子高生店員が無知ぶりを発揮する。
店員の一人にも関わらず、ずんだを知らないとは、無知だな。緑の食物という程度にしかずんだを知らない女は美容と食に気を遣わなくても異性にモテる人生なのだろう。それなりの美しさ、客の女性にはほしくても手に入らない産物だ。
「みどりのあんこもちみたいなものですが、これは枝豆にをすりつぶして甘みをつけたものなんですよ。ずんだシェイクなんかもあるそうですよ」
店員のリーダー的な美しい男が説明している。古代ギリシャの石像にいそうな顔立ちで、この男は普通以上の美貌を生まれながらにして持っているのだろう。正反対の位置にいる人間だ。
「すっごくおいしいんですよ。なんで全国スイーツにならないのかなって思っちゃうくらい。成分が美容にもいいのですよ」
ひがみの心を打ち消すべく、ずんだについて熱く熱弁していた。
「大豆は畑の肉と言われ、タンパク質、ビタミン、カルシウム、マグネシウム、カリウム、鉄などが豊富で、枝豆のヘルシーパワー!! が詰まっていますよ」
リーダー店員は知識が豊富だ。この人も努力型美貌の持ち主? いや、そんなはずはない。美しさというものは残酷だ。努力なく生まれ持った顔立ちが影響するのだ。無頓着でも美男美女の人はこの世の中にいるのだ。
完成して間もないやわらかな餅を差し出した。本物の餅はあっという間に堅くなると聞く。これを放置していればすぐ堅くおいしくなくなるのだろう。
「お早めにお召し上がりください。もちは劣化が激しいので、おいしい時間はわずかです。ずんだもちの隠し味は練乳です」
皿に盛られたずんだもちはえもいわれぬ色の鮮やかさを放っていた。
「いただきます。ここのずんだはきらきらしていてまるで緑の草原みたい」
目の前のずんだもちの表現があまりにも壮大で見ていたバイト女子が少し面食らった顔をしたが、ずんだもちをずっと見ていたら、本当に緑の芝生が広がる様が見えてきたように思ったのだから間違ったことはいっていない。
今まで食べたずんだもちとは違うはじめての味わいだった。初めての出会いは初めての感覚を私にもたらす。柔らかいもちと甘いずんだのハーモニーが融合する。その様はまるで音楽を奏でるように口の中でメロディーを奏でる。食べ物を食べて音楽が聞こえる。そんな感覚はこのずんだもちがはじめてかもしれない。
「ジャックと豆の木のお話を知っていますか?」
「童話ですよね。たしかまめをまいたら天にも届くくらい伸びて巨人の家に行ってお金持ちになるという話ですよね」
「何事も勇気をもって踏み出さないとなにも変わらないということを表したいいお話だと思いますよ」
ぎゅっと握った手に力を入れ、思いつめたようにひとこと切り出す。
「みらいのもしも体験させてください、虹色ドリンクっていうのでしょうか、書いてありましたよね」
「未来を体験することは可能ですよ、しかし、記憶の一部が代償となります」
「記憶ならば、私がモテないブスだという記憶をあげます」
「記憶いただきます、虹色ドリンク1杯はいりました~」
小学生女子の声が響く。
虹色ドリンクがすぐにできて、怖がることもなくあっという間に飲み干してしまった。まさに一気飲みだった。きっと新しい自分に出会いたいのかもしれない。
清野かおるは、ブスということがずっとコンプレックスだった。少しくらい顔をいじってきれいになりたいと願う。人は親からもらった顔に傷をつけるのはよくないと言う。でも、気に入らない顔だったら? その顔で損ばかりして恋愛もできなかったら? 大幅に変えようとは思っていない。私生活があるわけで、免許証の顔と全然違えば問題も起きる。職場の人との兼ね合いもある。だから、ちょっとだけ顔を変えたいと思っていた。
あれ、この感じなんだろう? 心地いいな……と思いながら眠ってしまったような気がしたが、気が付くと、日付は未来だった。本当に夢みたいだけれど、現実感があった。あのドリンクの効果はすごいと驚きを隠せない。
鏡を見ると少しばかり顔が変わっていた。驚いたのは、別人とわからない程度にしたこともあり、絶世の美人にはなっていなかったのだ。瞳を二重にして目を少しばかり大きくしても、美しくなったとはいいがたい。手術の後は、一重から二重にするだけでも結構腫れがあったりコンタクトが入れられなかったり面倒なこともあると聞く。少しは以前より美しくなったかもしれない顔で街を歩く。
ナンパされることもないし、新しい出会いもない。何も変わらない日常があった。それでも満たされる何かが心の中に溢れていることを私は感じていた。ショーウィンドウにうつった少しばかり大きくなった瞳を誇らしげに大きく開いてみる。
他人がどう思うかではなく自分がどう思うかを私は一番大事にしたい。そう思った。大々的に顔を変えてみるこにも憧れるけれど、今ある顔に少しプラスしたい。失敗するというリスクもあるかもしれない。でも、変わってみたい。そんなささやかな乙女の願いがここにあった。親に何と言われようと友人に何か言われようと二重にしてみたい。ねがいが決まった。おんなの賞味期限は餅と同じで劣化も早い。だからこそ、今やらなければ一生後悔すると思ったのだ。
何もかわらない日常を体験したかおるは、いつのまにか店内に戻っていた。店員たちはきっと顔立ちで悩んだことはないのだろう。そんなうらやましさが胸を襲う。
「ねがいは何にしますか?」
「まぶたを二重にしてください」
「大々的に整形しなくてもいいのですか? 二重にするだけですか?」
「やっぱり憧れるのです、たいして美人度があがらなくても、自己満足でいいのです。愚かな憧れですが、女には譲れないものがあります。それに、同級生に会って整形したと気づかれたりするのはプライドが邪魔をするのです」
「女心というのは複雑ですね」
「はい、超美人になれなくても、1ミリくらい美しくなりたいものです。自己満足でいいのです」
「わかりました、目をつぶってください、するとこの店はあなたの前から消えます。そして、ねがいがかないます」
「ありがとうございます。そして、おいしいずんだをありがとう」
瞳をあけると、手術することなく二重になっていた。既にブスという記憶はなくなっていたので、自分をブスだなんて思わない高飛車な勘違い女になっているなんて1ミリも思わずに今日から街を歩くのだ。ハイヒールを得意げにカツカツ鳴らしながら人ごみを堂々と歩く。まるで、自分が主人公になったかのような気持ちになって。
♢♢♢
「ずんだシェイク、俺氏にギブミー!!」
あまりにも存在感を消していて、いることも忘れていたが、今日も黒羽はここで執筆している。
「ぐひひ……最近、どこかで調べられて俺氏の家の前に女が待ち伏せしてるんで、マジ都市伝説並みに恐怖っす」
黒羽が都市伝説のキャラに見えるのだが、これを待ち伏せしている女がいるとは、口裂け女の類の妖怪なのではないだろうかと思う。
ずんだシェイクを作りながら、アサトさんは先程の女性に言及する。シェイクでも何でもできる材料や機材がそろっているというこの台所は無敵だと思う。不思議な空間だ。
「ブスだと思っている記憶がなくなり、高飛車が災いすることがあったとしても、自己責任ですよね」
こういったことに対して冷静で冷酷とも思えるアサトさんの変わらない感情に少しばかり疑問を感じる。
「女性は美人だという幸せな勘違いを手に入れたんだね」
まひるもドライだ。相手の立場に立ってかわいそうとかそういった感情を見たことがない。だからこそ、この店が続けられるのだろう。いちいち感情的になっていたら身が持たない仕事なのかもしれない。所詮は他人という乾いた気持ちが必須な職業なのかもしれない。
先ほどの女性が黒羽のように外見に無頓着であれば、一重まぶたでこんなに悩むこともなかったであろう。しかし、足して二で割ったくらいがちょうどいいのかもしれない。無頓着すぎる人間と美貌を気にする人間。
【ジャックと豆の木のずんだもち】
ずんだもち(枝豆、砂糖、もち)
(隠し味)練乳
あれ以来、アサトさんの店の手伝いのあとに、アンティーク古書店に立ち寄るのが日課になった。なんとなく、店の雰囲気に癒されるのと、謎の男と話してみたいと思っている自分がいた。青い宝石のピアスが気にかかる。もしかしたらアサトさんが探している人物の可能性もあるかもしれない。それも目的のひとつだった。
「こんにちは」
「また来たか、暇人」
彼とのやり取りはこんな調子だ。
「そういえば、あなた名前はなんていうの?」
もしかしたら、ヨルトじゃないのかな? 淡い期待を胸に抱く。
「夜城《やしろ》」
「やしろっていうのかぁ。下の名前は?」
「秘密」
ぶっきらぼうな答え方をする夜城。少しアサトさんに協力して気に入られたい思いがあったので、確認が取れずがっかりした。
「何がっかりしてるんだよ?」
私は顔に出やすいらしい。気を取り直して質問を続けた。
「夜城君って、ここの店番はこの時間だけやってるの?」
「俺のこと、気になったか?」
少しニヤニヤしながら、夜城はからかってくる。
「違うけど。掛け持ちして仕事をしないといけない事情があるのかなって」
念のためきっぱり否定しておく。
「ここにはオーナーがいるんだけど、放課後の時間帯は俺が任されているんだよな。ここの定休日とか閉店後に占い師として道端でバイトしてるんだ。結構暇な割には時給がいいから、ここがメインだけど。俺らの出会い、運命的な出会いだったよな」
「どこが運命? 変なこと言わないでよ」
「最初に道端で占いの時に会ったすぐあとに、この店でも出会うなんてさ、ロマン感じるよな」
「なにそれ、私には好きな人がいるんだから」
すると、夜城がじっと私の胸元をみつめている。もしかして、胸を見ているの? 少しドキドキしていると――。
「そのネックレス、どこで買ったんだ?」
「これ、きれいでしょ? 好きな人からの貰い物なの」
「そうなんだ」
そう言うと、夜城は1冊の古い本を取り出して、手渡した。
「これ、貸してやるから読んでみてよ」
「でも、ここ貸本屋じゃないでしょ」
「ファンタジーの小説なんだけどさ、タダで貸すから参考までに読んでみて」
古びた1冊の小説を私は断ることもできず持ち帰ることにした。
「夢香、俺の占い結構当たるから、好きな男に気を付けたほうがいいと思うぞ」
「気を付けるって言っても、相手は私のことなんて何とも思ってないし」
「そうだとしても、用心したほうがいい」
いつもへらへらしているこの男が、真剣なまなざしで私に向かって忠告するなんて少し意外だったけれど、これを読めば何かがつかめるかもしれない、そう思って帰宅することにした
「俺のこと好きになるんじゃないぞ」
手を振りながら見送る。冗談が口から次から次に簡単に出てくる男。
「好きにならないから安心して」
やっぱりあの人は冗談ばっかりだ。好きな男に気を付けるっていう話も冗談の1つなのかもしれない。そんなことを思って、自宅に帰ってその本を読んでみた。借りたってことは、また返さなければいけないわけで、夜城にまた会えるということか。そんなことを考えている自分に嫌気がさした。
その本はファンタジー小説で、異世界の国の国王になる予定の男が日本の国に勉強のためにやってきて生活するという話だった。ファンタジー小説というものを、そんなに読んだこともなかったが、その話はとてもリアル感があってつい真剣に読みふけってしまった。
内容としては、日本の大学生のフリをして王子が生活を送るうちに、こちらの国の女性と恋に落ち、大恋愛の末にその女性を王妃として迎えるというものだった。こちらの慣れない生活の様子がとても鮮明で本当に経験した人が書いているかのような内容だった。その国は荒廃していて、とても貧しく王子は国を捨てて日本に住むことを決意する。なぜならば、もう立て直すことは難しいという状況で、豊かな暮らしを維持することはできそうもなかったからだ。
しかし、現国王に国王を継承するならば好きな女性と結婚してもかまわないということを言われ、王子は国王になることを決意する。しかし、貧しさからの脱却のために日本で会社を起業してビジネスをはじめることにした新国王。今では、日本では知らない人はいない大企業となり、王室は豊かな生活を確保することができたが、国民までは豊かな生活は行き届かないという話だった。成功したけれどもハッピーエンドというわけでもない結末だった。
これってちょっとアサトさんの言っていた時の国に似ているような気がした。著者を確認してみる。夜城王と書いてある。時の国? まさか夜城の親戚?
このことをアサトさんに話してしまったら、夜城は困るかもしれない。
翌日、放課後になるとレストランではなく、すぐに私は古書店に向かった。重い扉を押して開ける。きしむ音がした。
「これ、読んだけれど、あなたヨルトでしょ?」
そういうと、夜城は問いかけに少し面食らった顔をしていた。
「俺のこと、アサトに話していないよね? 占いで君がここに放課後直行することはわかっていたけどね」
夜城はバレたにもかかわらず余裕の笑みを浮かべた。
「嘘をついていたの? だって、あなたは夜城じゃなくてヨルトなんでしょ?」
「嘘じゃないよ。ここの国では夜城ヨルトという名前だから。ちゃんと戸籍もあるし」
彼の胸にはいつもつけていない青い宝石が光っていた。私が持っているものと色違いのネックレスだった。
「アサトは俺の兄貴だよ。実は幼少時に親が離婚してさ、アサトは父親に引き取られて、時の国の住人なんだ。俺は母親に引き取られて日本人として生活しているよ」
「オーナーってお母さんだったりするの?」
「ああそうだよ」
「お母さんは?」
「仕事で忙しいみたい。ここは趣味で開いた店だから」
「もしかして、昨日の本ってあなたの父親の話?」
「俺の父が書いた話なんだけど、俺は国王は嫌いだから日本人として生活したいんだよ。それにアサトは、俺に夜の王の座を押し付けるために探しに来たみたいだし。まっぴらなんだよ」
「私にそんなこと話していいの?」
「信用してるよ。夢香は口が堅いタイプだから安心だ」
「あの本にあった、日本人の記憶をもっと奪って国を反映させたいという話は……」
「国王とアサトはその考えだよ。国のために記憶をたくさんもらう。記憶喪失や認知症はあいつらのせいかもしれない。半分以上の記憶喪失と認知症患者は記憶を奪われた被害者だと俺は思っているけどね」
「じゃあ、ビジネスって……」
「父親は時計の会社を立ち上げどんどん大きくなっていくとともに記憶を奪うために色々と闇のビジネスをはじめたらしい。母親はそれに耐えかねて離婚したってことだ。時計の会社のほうは母が経営しているよ。父はあちらの国王の仕事で忙しいからね」
「でも、アサトさんは優しいよ」
「実際、アサトは客の記憶を奪って、不幸にしているんじゃないか?」
「幸せになった人だっているよ」
「それだけじゃないはずだ。アサトは他人が幸せになろうと不幸になろうと日本人のことなんてどうでもいいと思っているに違いない」
たしかにアサトさんは一見優しそうだけれど、情を見せないところがある。ずっと気になっていたアサトさんの冷酷な面。ヨルトが言った通りなのかもしれない。
「私、ヨルトのことは秘密にするけど、もうすこしアサトさんの店でボランティアして探ってみる」
「好きにすれば」
「私のことアサトさんと繋がっているって知っていて私に近づいたの?」
「1回目は君が通ることを予知して近づいたのは確かだ。でも、2回目にこの店で会うとは計算外だったよ。俺の居場所は知られたくなかったし。アサトにチクられるリスクがあるだろ」
「じゃあこの店に足を踏み入れたのは偶然?」
「偶然だよ。だから運命的だって言ったんだよ」
「ヨルト、あなたにも事情があるのね。アサトさんには秘密にするから」
「アサトはお前を利用しようとしている、気をつけろ」
そう言った彼の瞳がまっすぐすぎて、一瞬凍ったように感じたが、明日からもう一度ボランティアという名の偵察を行うことを決意した。アサトさんがいい人だと証明するために。
「お近づきの印に、人魚の涙入りのグミをあげるよ。そのへんの美容サプリメントよりもずっと美肌効果があるぞ。これ、また会えるおまじない」
彼が渡したグミは真珠のごとく真っ白できらきら光るこの世界にはないものだった。人魚の涙入りグミは優しい味わいで噛めば噛むほど味わいが深まる不思議なお菓子だった。また会えるおまじないと言われるとまた会いたいと思ってくれているのかな、なんて淡い期待をしてしまう。何より、うれしい言葉だった。
「こんにちは」
明るい足取りでアンティーク古書店に入る。いつも客がいないので、気兼ねなくヨルトに話すことができた。それに、ヨルトはアサトさんの情報を欲しがっているので情報を提供するのもここへ来る理由の一つとなった。
「今日はどうだった?」
ヨルトが店の品物のほこりを取る掃除をしながら語り掛けてきた。
「あいかわらず、アサトさんは完璧でスキがない正義の人だと思う。最近、変な奇妙な男が常連客でいるんだけれど、ぐひひ、っていう変人なの。でも、なんで幻のレストランに来たいときに来ることができるのだろう? 石もないのにね」
「その変人は能力がある特別な人間かもしれないな。アサトは、人の記憶を読み取ることができるし、予知能力も持っているし、料理もうまいから完璧なんだよな」
「ヨルトは?」
「俺は予知能力を生かして占いやっているけれど、その力はアサトよりも強いと思うけどな。能力は持って生まれたものだから強くしたいから強くできるものではないしな、才能みたいなものだな」
「まひるちゃんは?」
「あの子は義理の妹なんだ。父の再婚相手の子供だよ」
「国王は再婚したの?」
「国のために再婚したらしい。でも、まひるは俺らと違ってハーフじゃないから、有望株だな。過去や未来に行く力はまひるが持っているらしいし」
「アサトさんとヨルトはハーフになるのか」
「なんで、アサトにだけさんづけ? 俺も一応年上だぞ」
「だって、なんかヨルトって距離を感じないんだよね。年上という感じがあまりしないというか……」
それを言ったら、アサトさんは距離があるってことみたい。でも、実際2歳離れていたらやっぱりさんづけだよね。
「ハーフっていうのはどこの国でも生きづらいんだよな。髪の毛の色も日本人とは違うし、偏見や誤解も招きやすくてね。でも、俺は日本人として生きていきたいんだ。だから、時の国で生活することは考えていない」
意外と苦労人なんだな、時の国とのハーフって。ヨルトは日本が好きなんだ。
「夜の王になれるんだったら、将来的には悪くないんじゃない?」
「あの国は人の記憶の力で動いている国だ。俺はそんな国は滅んで構わないと思っている」
冷静で強い意志を見せたヨルトの顔は凛としていて、勇ましさがあった。
「やっぱり過去や未来の「もしも」を体験する人は、記憶の代償はあるんだよね。無料っていうところがおかしいとは思うけどさ。アサトさんは記憶をもらっても顔色一つ変えないの」
「アサトはそういう男だよ。心を読めないように閉ざしているからな。多分、同情なんてあいつにはないぞ、冷酷男だからな」
「でも、おいしい料理を作る人はきっと良い人だよ」
「自分の国が良くなってほしいと思っているから時の国の住人には優しいんだよな、ハーフなのにな」
「じゃあ日本のことはどうでもいいってこと?」
「アサトに聞いてみれば? 俺は日本ラブだけどね」
そんなことを話しながら、ヨルトが素敵なティーカップを取り出した。
「青い紅茶でも飲んでいく?」
「青い紅茶?」
「バタフライビーって言ってさ、青空とか海みたいにきれいな青色なんだ」
温かいバタフライビーを奥で用意してヨルトがもってきてくれた。
「きれいな色。本当に青空とか海みたい。そういえばアサトさんがゼリーの材料で以前使っていたような気がする」
「それでは、マジックショーを開催します。この青い紅茶にレモン汁を入れると……」
得意げにヨルトがレモン汁を絞る、すると――
「紫に変わった!!!」
私は変色する様子を見るのは初めてで一瞬の変色にときめきを感じていた。
「そう、これは人間の心みたいにあっという間に一瞬で変わるんだよな。これはノンカフェインだし、ハーブティーだから心が落ち着くぞ」
「いただきます」
酸っぱいので、甘党の私は砂糖を多めに入れて飲んでみた。初めての味だ。
「な、結構いけるだろ?」
ヨルトが机に突っ伏しながら上目遣いでほほ笑んだ。やっぱりきれいな顔立ちだ。美しい紅茶を目の前に美しい人に見つめられた私は、視線を合わせることもできず、視線はずっと紅茶の中だった。
まさか、兄弟であんなことが起こるなんて、この時は知らなかったんだ。平和な時間の中で幸せだったのに。